第40話母との衝突

家に帰って着替えていたしずくは,ベストをなくしたことに気づいた。

「大変だ。どこかで落としたらしい。どうしよう。」

としずくはうろたえた。探しに戻ることも考えたが面倒でやめた。

「学校を出て途中で暑くなって脱いだら落としちゃたんだな。

 何てばかなんだろう,わたしは。」

と自己嫌悪に陥った。

 疲れていたのでベッドに横たわると,

一分も経たないうちに眠り込んでしまった。

目が覚めると,辺りは真っ暗だった。

時計を見ると夜の9時だったので慌てて飛び起きた。

「やばい。もうこんな時間。宿題をやらなきゃ。」

しずくはノートを広げたが,数学の問題がどうしても解けなかった。

普段から苦手な上に,ベストをなくしたことを思い出して

いらいらして集中できないことも大きな原因だった。

しばらくして喉が渇いたので気分転換を兼ねて

台所に行って麦茶を飲むことに決めた。

 しずくは勉強机を離れ,自室を出た。

ドアを勢いよく閉めた途端,左手の親指に激痛が走った。

しずくは思わず

「ギャーッ!」

と悲鳴を上げた。ドアを閉める拍子に

うっかりしてドアに挟んでしまったのだ。

指を見ると,爪が砕けて指先が紫色にはれ上がっていた。

あまりの痛みにしずくは大声で泣き叫んだ。

 すると階下から,

「うるさい!」

という母親の怒鳴り声が聞こえた。

「娘が指を挟んで苦しんでいるのにうるさいとは何だよ!」

としずくは怒りの余り怒鳴り返した。

「バカヤロー!近所迷惑なんだよ!おまえの指が

どうなろうとどうでもいいんだよ!」

と母親は負けじとがなりたてた。

「ふざけやがって!あれが親の言う台詞か!うそでもいいから

 心配してくれるべきだろ!」

としずくは怒りに震えた。

しずくは絆創膏を指に巻くと,ベッドにもぐりこんだ。

指がずきんずきんと激しく痛むのを感じるたび,

悔しさがこみ上げて涙が止まらなくなった。

布団を被って長いこと泣きじゃくっているうちに,

ようやくまぶたが重くなって眠りに落ちていった。

 夢の中で,しずくは一階にある薄暗い床の間で由紀が

うさぎや猫たちに囲まれてしゃがみこんでいる

ところに出くわした。動物たちは皆,家で飼っていたペットで,

とうの昔に死んでいた。由紀も動物たちも,暗い顔をしてうなだれていた。

長いことしずくは彼らのそばに無言で立ち尽くしていた。

 しずくはふと背後に殺気を感じたので,

そちらを見ると,犬に似た,真っ黒な小さな動物が

後足で立ち上がりながら鼻面をガラス戸に押し付けて

こちらを見ているのに気づいた。しずくは以前どこかで見たことがある

と思ったが思い出せなかった。それは小型犬くらいの大きさで,一見犬に見えたが

獅子のような顔で犬とはどこか違う奇妙な風貌だった。

金色の目がらんらんと光るのを見ると,

しずくは恐ろしさに体が震えたが,見えない力に引き寄せられるように

のろのろと進んで行くとガラス戸の鍵をがちゃんと開けた。

するとガラス戸がひとりでに開き,獅子が部屋に駆け込んできた。

獅子が後足で立ち上がって吼えると,由紀や動物たちは皆

一目散に逃げ出した。獅子はその後を追ってどこかに消えてしまった。

 しずくはその直後目を覚ました。

「いやな夢を見た。しかしあの変てこな動物を最初に見たのは

 どこだったんだろう?」

としずくは不思議に思ったのだった。

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