第二十四話 「お前……それで良いのか?」



 降り注ぐは、一瞬にして骨まで溶ける炎。


 咆哮一つで頭脳を揺らし、横薙の爪は音を切り裂く。


 鋭い牙は鋼鉄の武具など、いとも容易くかみ砕き。


 しかしてそれは、奇跡の光景に見えた。


 限定された空間は、巨体である赤狼にとって格好の狩り場。


 彼女と比較してケインがどれだけ小さくても、逃げ場の無い程の殺戮空間。


 だが――――。


(――――ケインも中々やる。これが『共感能力』って奴か)


 当のケインは事前にそれが解っているかの如く、避け続ける。


(ふぅむ、アイツを少し見誤っていたか)


 アベルは彼の実力を、上方修正した。


 共感能力とは読んで字の如し、相手の感情、意志等を理解する力。


 これから何処に攻撃が来るのか、その範囲は何処までか。


 魔王を討伐しうる才在る最高位冒険者が、長い戦いの経験で身につけた――――『見切り』


(それだけじゃねぇ)


 自分が何処まで動けるか、そして相手が無意識に選択する、ニ手三手、否。


 それ以上先まで正確に読みとる、最早、未来予知に匹敵する――――『先読み』


(こいつは末恐ろしいなぁ…………!)


 アベルは喜び、そして残念がった。


 彼がもし、強力な攻撃手段と極まった肉体を手にしていたら、自分といい勝負が出来るだろう。


 だがアベルの見立てでは、彼が幾ら体を鍛えた所で、至る先は凡人の限界。


 経験を身につけ、技を限界まで磨いた所で――――やはり、アベルの域までは至らない。


 共感能力とは、あくまで他者を理解し通じ合う力。


 戦いの為の力では無く、それを持つ者もまた、前で戦う性格をしていないのだろう。


 そんな推測を裏付ける様に、アベルからしてみれば絶好の好きをフラウが晒しても、ケインは躊躇い、振るう剣は空を切る。


(万が一、目ん玉当たっても、フラウの強度なら平気だろうに)


 ケインとて、それが解っている筈だ。


 もし彼女を傷つけようとするならば、腕の良い鍛冶師の最高傑作に、高度な魔術を付与した武器を容易するか、もしくは――――。


(――――コイツの出番が無けりゃあいいんだがな)


 アベルは腰に吊した、奇妙な剣を意識した。


 その剣には刃が無く、柄の部分しか。


 その大きさから見て、両手で持つ大剣のそれだったが、刃が無いのならば鈍器にしかならない。


 だが、それこそがアベルの対巨大魔獣用の切り札。


 その威力があれば、フラウとて正面から一刀両断出来るだろう。


 ともあれ、何時でも飛び出せる準備をしながら、アベルはフラウとケインの曲芸舞台を観戦する。


「大丈夫ですかねぇ…………、ケイン先輩は凄いですけど…………」


「うう、ケイン先輩…………」


 心配そうに見つめるガルシアとイレインに、アベルは苦笑し頷いた。


 然もあらん、幾らケインの回避能力が英雄と呼ばれる者のそれと匹敵していても、体力という問題がある。


 もう、――――限界だ。


 アベルだけではない、見ている者全てがそう確信していた。



□ 



 皆が終わりを予感している中、当の本人達は独自の世界に入っていた。


 それは、戦いの中で産まれるモノでは無く――――。


(――――嗚呼、心地が良い)


 フラウは今、確かに心と心が暖かい部分で通じ合っていると。


 ケインもまた、目の前の巨大な生き物に対しての理解を深めていた。


(この子は、そうだ。覚えがある)


 吠える時の仕草が、尻尾が揺れる様が、その綺麗な赤の毛色も。


 遠い幼少期の記憶を呼び覚ます。


(君は、ああ、あの時の子犬――――)


 川に流されている所を拾って、世話をしたら懐かれた。


 親を探す為に、毎日の様に共に歩き回り。


 魔獣に遭遇した時は助けて貰った、傷ついたら手当をした。


 同じ食事をし、同じ所で寝て。


 幼子心に、まるで家族の様で。


 だからこそ、確信した。


(君は、僕とこうして。戦いたい訳じゃないんだね)


 彼女の攻撃は、誰の目にも本気に取れたのだろう。


 彼女自身もそうだ。


 だが、その奥底に眠るものは殺意や嫉妬ではなく――――。



「――――そろそろ、終わりにしよう」



 体力の限界を悟り、ケインは最後に大きく飛び退くとフラウに宣言する。


「妾に一回も触れる事が無かったというのに、大きく出た――――な? うん? そなたは何をしておるのだっ!?」


「何って、見れば解るだろう?」


 同様を見せたフラウに、ケインは真顔で応える。


 残念ながら、彼女の疑問は観客全ての意見でもあった。


 何故ならば彼は、――――服を脱ぎ始めていたからだ。


 最初はローブを脱いで、少しでも軽量化を計ろうとする涙ぐましい努力かと思えた。


 だが、皮の胸当てや剣を捨て、麻のシャツを脱ぎさり、ベルトに手をかけてズボンまで。


 フラウも魔物とは言え乙女、想う者がいきなり脱ぎ始めたら動揺する。


 ケインは彼女と周囲の困惑を無視し、ブーツを脱ぎそして――――。



 ――――『全裸』になった。



「さぁ、僕は此処に居るよ。フラウ――――!」



「何で脱いだーーーーーーーー!?」



 フラウは一歩下がり、二歩下がり。


 三歩下がった所で、戦闘区域の限界だと気づいて足を止める。


(ぶ、ぶらぶらさせて歩いて来るぅーーーー!?)


 巨大な狼の姿からしてみれば、何度見てもケインは小さい。


 だが、全裸で歩いてくる姿は何だろうか。


 とても、とても大きく感じられた。


 逃げなければ、逃げるわけにはいかない。


(ええい、この巨体では逃げられぬっ!)


 フラウは人の姿を取った、それは先日アベルに見せたモノと同じで、赤い髪の美女。


 そして奇しくも、――――同じく『全裸』


 かくて、誰もが予想しなかった全裸の追いかけっこが実現する。


(ありがとうございます兄貴。貴男の助言のお陰で道が開けました)


 ケインは今、共感能力の使いすぎで感覚が麻痺していた。


 相手の事が全裸の様に解る、そして現実に魔物であるフラウは全裸。


 ならば――――自分も裸一つで立ち向かうべきだったのだと。


(お気に入りの娼婦に迫る様に、つまりはこういう事だったのですね!)


 アベルの名誉の為に言えば、あくまで心構えの話であったが、そんな事、今のケインには気づく事すら出来る筈が無い。


 草と土と、小石の感触を足裏に、彼は清々しい気持ちでフラウに近づく。


 フラウは混乱の余りに逃げまどい、しかして慣れぬ人の姿。


 小石に躓き、足をもつれさせて転倒、盛大に倒れ伏してしまった。


 そして、その隙を見逃すケインでは無い。


 彼はゆうゆうと近づき、起きあがろうとするフラウの手を取って、その端正な顔を熱く見つめる。


 全裸となった今。その共感能力は最大限に発揮され、相手の心を読みとるだけでは無い。


 ケインの心を、そのまま齟齬無く伝える事すら出来た。


「さぁ、見て。僕は君を傷つけるモノは何一つ持っていない」


 フラウからしてみれば嘘である、彼女は知らないがディアーレンの娼婦達で度々話題になる、某比べで上位に位置する立派なモノがぶらんと。


 清い乙女にとって、凶器でなくてなんだろうか。


 顔を真っ赤にして、口をパクパク開口させる彼女を、ケインは引っ張り上げて立たせ、そのまま抱きしめる。


「僕の側に居て欲しい、君が必要なんだ。君だってそうだろう?」


「あ、うぅ…………、わ、妾は――――」


 人の姿で抱き合うからこそ解る、肌と肌の熱量、心臓の鼓動。


 どくん、どくん、と互いの胸は大きく高鳴って。


 その音は、ケインから流れ込む想いと共に脳髄まで浸食して。



「――――な、る。…………すぅ、はぁ。――――皆野の者よ聞くがいいっ!! 妾、北のハティ族の娘、フラウはケインの妻となろうっ!!」



 うん、妻? というケインの疑問はさておいて、大声で出されたその宣言で、観客は大いに沸いた。


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