第37話 幸せな最期

 レイドには〝槌〟も何も視えなかった。

 だから、彼の瞳にはクローネスが自ら後ろに跳んだように見えた。

 確かにそう見えたのに――彼女は森から出てこない。群生した植物に呑みこまれたまま、立ち上がる気配もない。

 レイドも同じだ。無様にも膝を付き、立ち上がる気力が湧き上がらない。

 

 ――絶対に大丈夫だから。

 

 あれは嘘、だったのだろうか? 

 あの笑顔も何もかも、オレを護る為の優しい嘘だったのだろうか?

 

 破壊神の顔がこちらに向く。ゴミを見るような、不快な表情を浮かべていた。

 まるで、オレの所為でクローネスが死んでしまったかのように――自分で手を下しといて、悼む素振りを見せる破壊神にレイドは憤りを隠せなくなる。


「盾も武器もなく……友もいない――」

 叫び出したい衝動を堪え、鍛冶神の讃歌を必死で吐き出す。

「小さい私をも……守ってください――」

 立ち上がり、歩み寄る。


「人神風情が神の道を妨げるな」

 

 視ることは叶わなくとも、感じることはできる。破壊神の聖奠の気配に気圧されてか、レイドは言葉を失った。

 

 いや――違う!

 レイドが立ち竦んだのは――

 

 ――、と音がした。

 

 静謐な森の中で肉を裂く生々しい音色、不釣り合いな金属の旋律。

 そして――玲瓏たる王の声。


「――十字架の血にウエルカムヴォイス

 

 転がるようにして、レイドはその軌道上から逃れる。破壊神の背中から生えてきた刃は、鍛冶神が作ったものだった。

 

 ――狩猟神の〝弓〟が、その剣を〝矢〟として放ったのだ。

 

 レイドは錯覚する。突然刃が消えたように……。

 だが、噴出した血の量が正しい意味を教えていた。

 破壊神は開いた穴に手をやるも、諦めたかのように下ろす。


「何故、生きている?」

 心臓を破壊されてなお、彼は言葉を口にした。


「貴方は今まで、。だからよ」

 

 破壊神は得心したかのように漏らす。

「まさか、とはな……」

 

 レイドの識見通り、

 それを破壊神は勘違いしたのだ――自らの無知と無関心ゆえに。


「皮肉、だな。創世神同士だと、人としての力が勝敗を喫するとは」

「えぇ、本当にそうね。だから、貴方は負けた。ここで死ぬ」


「……豊穣神は、こんな我を受け入れてくれる……だろうか」

 心細い声だった。


「……森は全てを受け入れる。それは貴方であっても、例外じゃないわ」


「そう、か。そう……か。〈子〉に看取られるというのも、悪くないな。どおりで人間は、幸せそうに死ぬわけだ……」

 

 まもなく、破壊神の器だった人間は死ぬ。

 今際に逃げろ、と言葉を残して――


 

 呆然としているレイドの手を引き、クローネスは巨大な猛禽に跨る。

「急いで!」

 余裕の感じられない命令に巨鳥がいななき、空へと踊りだす。


「どういうことだ、ロネ?」

「器が死んで、破壊神が解放される。死神の時のように……」

「破壊神が解放……されるだと?」

「えぇ……。目的は、私ね」

 

 かの成聖者の言葉を信じるならば、見逃すはずがない。クローネスを殺すか、原初神が止めに入るまで暴れ続ける。

 暇 な 神デウスオティオーティスといえど、自らの世界は大事であろう。

 このまま破壊神が暴れ続ければ、いつかは動き出す。

 しかし、その時には世界が壊滅しているに違いないとクローネスは覚悟を決める。


「大丈夫だ、ロネ」

 不安を察してか、後ろから抱きしめられた。

「シャルルもシアもいる。役に立たないかもしれないが、オレもペルイもリルトリアだって力になる」


「でも、私はあの子たちに……」

「……約束、憶えているか?」

 

 不意に、レイドの声音が変わった。クローネスは言葉を呑み込んで、耳を傾ける。


「――王女として頑張ったら迎えに来る」

 

 それは約束ではなく、お願いであった。交わされることなく、クローネスが一方的に告げただけの想い。


「ロネ、おまえは頑張った。王女として、充分にやった。だからもう、そんなに頑張らなくていい。あとは任せろ。オレたちに頼れ」

 

 体をよじるも、クローネスは振り返ることができなかった。レイドの力は強く、少し痛いくらいに拘束している。


「おまえがただのクローネスとして生きたいと望むのなら、何処へだって連れて行ってやる。王女として生きたいのなら傍に仕えてやる。その為ならオレは、なんにだってなってやる」 

 

 ぎゅっと、クローネスは羽を掴む。猛禽が巨体に似合わない鳴き声をあげるも、我慢して、と意地悪な命令を下す。


「――約束だ。これからはずっと一緒にいる」

 

 嬉しくて嬉しくて、今は自分のことだけを考えていたい。


「絶対に生きて帰るぞ」

 

 レイドは自分自身にも言い聞かせるよう強く、強く言葉に乗せた。


「もう、誰も失いたくない。みんな同じ気持ちだ。だから、一緒に戦う。ジェイルの時みたいに、一人で行かせはしない」

「うんっ、わかった!」


「それと……あまり無茶をするな」

 そっと下腹部に触れ、レイドは恥ずかしそうに囁いた。


「うんっ!」

 子供みたいにクローネスは繰り返す。うんっ、うんっと。頷き、前方にそびえ立つ、天を貫かんばかりの大地の槍に気付く。

「シャルルっ!」

 

 驚き、クローネスは森を振り返る。破壊神の姿は……見えない。少なくとも、狩猟神の瞳には映っていない。

 ひとりでに森が爆ぜる。あとには灰燼と化した痛ましい空間。

 異様な光景を空から見下ろし、クローネスは大きく旋回しながらシャルルの元へと急ぐ。

 

 そこで、創造神の鉄槌が振り落とされた。

 崩壊した塔さながら、森へと倒れ込む。

 

 シャルルには破壊神の居場所がはっきりとわかるのだろう。大地の刃は、木々へとぶつかる前に塵へと消えた。

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