第31話 アメイジング・グレイス

 膨れ上がった皇子たちの兵数は十万にも及んでいた。

 それがたった二万の寡兵かへいに圧倒される。

 

 本来、師団単位で行う陸地戦において騎兵は役に立たない。馬の脚はそれほど丈夫ではなく、重装備で固めた人間を蹴り倒せばすぐに折れてしまうからだ。

 奇襲やここぞという時に投入するのならともかく、正面から軍勢に特攻するのは自殺行為としか言いようがない。

 

 なのに、皇帝の騎兵は止まらなかった。

 三百に及ぶ密集隊形さえ食い破り、颯爽と駆け抜ける。

 

 ――こんなのは決して馬ではない。

 

 勇敢な兵士の槍が馬の前脚を斬りつける。

 と、乗っていた兵は飛び降り、馬は立ち上がった――

 

 こんなのが馬のはずがない……! そう、叫び出したい兵士の頭を馬の前脚――手が掴み、放り投げた。

 肥大化した蹄はまるで四足獣の爪であった。

 

 蹂躙される第三皇子の軍勢を見て、第一、第二皇子に躊躇いの色が浮かぶ。

 ――これは包囲してどうにかなるものなのか? そもそも、包囲できるものなのかと。

 

 趨勢すうせいがまったく読めなかった。地鳴りと砂嵐に感覚は抑えこまれ、兵たちの叫喚に神経を掻き立たされる。

 このような状況で、冷静になりようがない。

 一旦退くか……見透かしたかのように、上空から無数の影が急襲してきた。


「……これは魔物!?」 

 

 ここで初めて、指揮官は魔物の存在に気付いた。

 鳥にしてはあまりに醜い。狂ったように鳴き、降り注いでくる。嘴が重たいのか、下降というよりも落下しているようにしか見えない。


「くそっ! どういうことだ? リルトリア! リルトリアぁぁぁっ!」

 

 遠くから蝟集いしゅうしてくる魔物の群れに、軍勢は悲鳴を上げた。


 



 破壊神の存在を認めたリルトリアは選択を迫られていた。

 彼は知っている。創世神に人神が敵う道理はないと。次元の違い、絶望的な力の差を思い知っている。

 

 だからといって傍観に徹していられるほど、リルトリアは物わかりが良くはなかった。

 現状は破壊神というよりも混乱による被害だ。

 魔物は確かに強い。

 しかも人と同じように統率され、武具を手にしている。

 だとしても、決して倒せない相手ではない。


「どうか、わたくしに続いてください――」

 

 あえて聖奠は使わなかった。

 振り返ることなく、リルトリアは駆け走る。

 すると、戦神の背中を追う鉄の足踏み。何人かはわからないが確実にいる。

 それがリルトリアに勇気をくれた。


「ジェイル、どうか力を貸してください――」

 

 心の内で、正義神の聖奠を口ずさむ。


「――慈悲深き神の恩寵アメイジング・グレイス

 

 何かが変わるわけではないが、口に出さずにはいられなかった。

 彼はいつもこういった状況でこそ力を発揮していたからか、縋りたくなったのかもしれない。


「――来ます」

 

 少数だが、騎兵が向かってくる。

 人の身で受け止められるものではない。


「ほめたたえよ、救いのみ神を

 そのみ手には 常に備えあり

 なやめる われを導く

 恵みかぎりなし――」

 

 絶妙のタイミングでかわし、一斉にハルバードを叩きつけるも……硬い!?

 おそらく、こちらと同等の装備。相手の速度を利用したにもかかわらず、鎧に刃が弾かれた。


「くっ……!」

 

 間髪入れず、別の騎兵部隊。

 上空からも、飛空部隊が近づいてくる。

 

 まともに当てたのに倒せなかったのはマズイ。

 攻撃が効かないとなると、どうしても不安を覚えてしまう。負の感情は伝達が早く、このままでは士気にも影響を及ぼし兼ねない。

 そんなリルトリアの動揺を裏切るように、

 しかし、振り返る余裕はない。

 

 正面から騎兵、上空から翼を持つ……――その時、

 

 魔物の翼を焼き、無数の剣が降り注ぐ。刃は燃えたまま地面に突き刺さり……リルトリアは迷わず手に取った。指示を待たずして、兵たちも続く。

 燃え盛る炎から生まれる武器を見れば、説明など不要であった。


「盾も武器もなく 友もいない

 小さい私をも 守ってください

 ひとつの願いが 胸に燃える

 終わりの時まで 主に従おう」

 

 耳に届く旋律に喜びを感じながら、リルトリアは剣を振るう。


「胸と唇に 炎が燃え

 敵のため祈り、眠りにつく――」

 

 確かな手応え――馬の、魔物の首が地面に転がる。他の者たちも続いたのか、喝采といななきが入り混じる。


「――盾も武器もなくフルオブパワー・アンド・グレイス

 

 鍛冶において、鉄と炎は決して切り離すことはできない。

 さすれば、その神とされる聖奠は炎を支配してしかり。

 

 目に映る全てが彼の鍛冶場となる。

 

 火炉ほどに選ばれた空間は灼熱を誇り、金属のいただきへと望む武器をこの世に顕現していく。

 その身に宿りし炎が燃え尽きるまで――鍛冶神の刃はあらゆる金属を切り裂いてみせる。


「レイドさん!」

 

 一人の兵士が兜を脱ぎ捨て、鉄色の長い髪が風になびく。


「話はあとだ。とにかく、混乱を鎮めるぞ」


「はいっ!」

 元気よく、リルトリアは返事をした。嬉しくて仕方がないのだ。


「おまえの聖奠で、どうにかできないか?」

 魔物を切り払いながら、レイドは提案する。


「この人数をですか?」

「あぁ。ここにいる兵たちの多くが戦神を奉じているだろ?」

 

 鍛冶神の炎が騎兵の隊列を乱す。

 戦神の采配で退路を断ち――払う。


「必要なら、オレたちでおまえを守る」

「わかりました、やってみます!」

 

 リルトリアは足を止めた。周囲をレイドと兵士が囲む。


「ほめたたえよ、力強き主を

 わが心よ、今しも目さめて

 たてごと かきならしつつ

 み名をほめまつれ――」

 

 ――命令権インペリウム

 まず、自らを守る兵たちに言葉を送る。


「ほめたたえよ、救いのみ神を

 そのみ手には 常に備えあり

 なやめる われを導く

 恵みかぎりなし――」

 

 ――次に支配権アウトクラトール

 身体はそのままで、口だけを強制的に動かして歌わせる。


「ほめたたえよ、王なるみ神を

 ゆだねまつる わが身をはげまし

 みつばさ 伸べたもう主の

 みわざたぐいなし――」

 

 ――そして、王権インペラトル

 全てを支配して、混乱を掻き消す。


「――ほめたたえよ、力強き主をローブ・デン・ヘレン!」

 

 声が輪唱していく。

 まず、リルトリアの翼下――およそ五千の兵たちの歌声。


 続いて彼等の声を聞いた周辺の部隊、次々と広がっていく。

 誰もが意識せず、戦神の調べに言葉を乗せていた。

 

 果たして、気付いた時には混乱も恐怖も残っていなかった。

 

 兵士としての本能か――彼等は一斉にときの声を上げ始める。

 それもまた、繋がっていく。

 まだまだ、兵力は残っていた。

 命令さえあればいくらでも戦える。


「――これより、鍛冶神の加護が参る。それまで各自、持ち応えよ!」

 

 その言葉は何よりも力を与えた。

 英雄がもう一人いる。助けてくれる。

 だったら、頑張るしかない。持ち応えてみせる。

 

 ――彼等は希望を手に入れた。

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