第30話 親子の流血

 斥候を失ってからというもの、皇子たちに余裕はなかった。

 皇帝が今、何処にいるかがわからない。

 いつ襲ってくるか……その不安は強く、夜も眠れない毎日。

 警邏けいら隊の増員により物理的に騒音が高まったのもあるが、やはり精神的な理由が一番強い。

 

 皇子たちは知っていた。

 自分たちの父親がどういった人間なのかを。どのようにして、皇帝の座を手にしたのかをよく知っていた。

 自身の心の安寧の為だけに血の繋がった親類を皆殺しにした過去からして、器量という点で見ればさほど大きくはない。

 

 対して、行動力と覚悟においては明らかに非凡であった。

 赤子すらも手にかけるほどの徹底ぶりが、それを物語っている。

 行動の根底にあったのは不安だろうが、些か度が過ぎると言わざるを得ない。

 

 さりとて、そういった性格を顧みれば父が狂ったのは腑に落ちる事態でもあった。

 事実、リルトリアが皇帝を断罪することを望んでいた民は多い。皇子たちも、自分が裁かれることを半ば覚悟していた。

 

 あの時のリルトリアは、まさしく神にもなり得た。

 理由などなく、彼の決定だけで全てが許される雰囲気が帝国中に蔓延っていた。

 

 ところが、リルトリアはそれに応えなかった。

 次第に先の戦いの熱は冷め、そういった空気は払拭されたもののいつぶり返すかはわかったものじゃない。

 

 よって、皇帝は狂ったのだ。息子に殺される恐怖に押しつぶされて、ついに耐え切れなくなった。

 

 だとすれば、責任はリルトリアにある。

 なのに、彼は今となっては必要のないクロノスを警戒している。

 

 それは中央の最前線を任された三兄からすれば、不服でしかなかった。

 とはいえ、長兄と次兄の決定に抗う術はない。中央が突出する形で、二人は左翼と右翼に分かれて陣を敷いている。

 それもまた納得がいかない。多勢なのだから鶴翼でいいではないか。そう思うも、立場上口には出せないでいた。

 

 一方、リルトリアは本日も律儀にクロノスに突撃した帰りだった。

 これで二十日目、〝その時〟は確実に近づいている。

 

 リルトリアがそれを知ったのは偶然だった。

 クローネスと初めて会ったのがたまたま〝その時〟で、彼女は酷く弱っていた。

 以降も、エディンの判断でクローネスを始めとした女性陣には休む日があった。

 大体、月に一度の感覚。真面目なリルトリアは疑問を抱いたら即質問する性格――エディンに真顔で殴られた。

 理不尽だと思い、自力で理由を調べると……殴られて当然だと、自己嫌悪に陥ったのを覚えている。

 

 それを利用しようというのだから、しばしば慙愧ざんきの念に駆られてしまう。

 もし、エディンに知られたら間違いなく殺される。

 

 ――いや、切り落とされるだろう。

 

 それは罪人を殺すか殺さないか、仲間内で揉めた時の折衷案――エディンは嬉々として、切り落としていたものだ。

 思い出し、リルトリアは身震いする。

 懐かしい思い出に浸っていると、激しい馬蹄の音が近づいてきた。陣内で馬を駆けるのが許される存在はそう多くない。


「何事か?」


「伝令です!」

 間髪入れず、騎馬哨兵は即答した。 

「皇帝の軍勢がエマリモ平野に向かっております」


「馬鹿なっ!」

「本当です。至急お集まりを――皇子たちがお待ちです」

 

 位置的にリルトリアが最後だったのだろう。報告を終えると、騎馬は元来た道を戻っていった。

 

 ――早すぎる。

 

 そう思いながらも、リルトリアは兵たちに出撃の準備をさせる。

 普段は軽装の兵たちも、今回ばかりは甲冑に身を包んで貰わねばならない。その為に、聖別した武具は多数揃えてあった。


「済まないが、他の者を手伝ってくれないか?」

 

 ちょうど甲冑を纏った兵士が一人駆け付けてきたので助力を願う。

 甲冑は分解すれば二一のパーツに分けられるほど複雑な上に重いので、とても一人で着られるものではないのだ。


「……」

 

 兵はしばし逡巡し、頷いた。もしかすると、他の皇子の指揮下の者だったのかもしれない。


「感謝する」

 

 手早く指示を出すと、リルトリアは帷幕へと急いだ。


「――来たか、リルトリア」

 

 既に全員が揃っていた。


「時間がないので手短にいく」

 前置きして、第二皇子が仕切る。

「皇帝の軍勢――強行軍に脱落がなければおよそ二万が間もなく、ファルクス川に差し掛かる」


「哨戒隊はなにをしていた! 気付くのが遅すぎるぞ」

「皇帝――いや、敵は橋から離れた……そうだな、ちょうど皇都から真っ直ぐ進んだこの辺りに位置している」

 

 地図を指差し、第一皇子の叱責が的外れだと知る。これほど離れていては、気付いたほうを褒めるべきだ。


「哨戒隊は音で気付いたらしい。どうやら、敵は常軌を逸した速度で向かっているようだ」

 

 だとすれば、猶予は残されていない。橋にいる兵たちだけでは護りきれないが、増援が間に合うとも思えない。

 ここは切り捨てて、迎撃態勢を整えるのが先決であろう。

 そう、誰もが考えた時――


「伝令! 皇帝の軍勢がエマリモ平野に到着しました」

 

 あり得ない急報が飛びこんできた。


「――馬鹿な!」

 

 誰もが平静を保てずに取り乱す。


「皇帝はファルクス川を横断したようです」 

 

 信じられないが、疑っている暇はない。誰もが慌ただしく、帷幕を飛び出した。

 状況的に話し合っている場合ではなく、早急に布陣せねばならない。


「――ほめたたえよ、力強き主をローブ・デン・ヘレン

 

 リルトリアは聖奠の命令権インペリウムを行使し、自身が聖別を施した武具を身に着けている者の頭に声を届かせる。


「――ファルクス川より敵接近中。ただちに持ち場に着くべし」

 

 この二十日間を無為に過ごしていた訳ではない。付け焼刃だが、それなりの訓練を兵たちには積ませていた。

 特に規律と連帯感は、密集体型で戦う兵士には必要不可欠なので叩き込んである。

 

 そこが個人の集団で戦う戦士とは明確に違うところであろう。

 

 戦士は個々の判断で動き、個人の力で敵を撃破していく。

 兵士は決められた指示の元、集団の力で敵を打ち砕く。

 

 前者の場合は指揮官など必要としない。かつての仲間たちがそうだ。それぞれが好き勝手に動いて、敵を蹴散らしていった。

 しかし、後者は違う。指揮官がいなければ烏合の衆で何もできやしない。そういう風に仕込んである。

 

 反面、命令があれば自身の命すら平然と切り捨てられる。

 確実に死ぬとわかっていても、決して隊列を崩したりはしない。それこそが優秀な兵士であり、戦には欠かせない存在である。

 

 したがって、指揮官は陣の後方か中央にいた。

 部隊の指揮は熟練の兵士に任せ、随時伝令を送る形。そうしていれば、前線の部隊が崩壊した際も立て直すことができる。

 

 だけど、リルトリアは最前線を好んだ。

 性分であろうが、利点もある。

 

 指揮官が率いる部隊は通常よりも士気が高くなる。慕われていればいるほどそれは顕著に表れ、時には数や実力の差すら凌駕するほどに――

 

 また、リルトリアの聖寵は誰よりも強い。その上、聖奠で兵たちの動きを強制することも可能なので、あらゆる事態に対処できた。

 兵が未熟と理解しているリルトリアは、一つの隊列しか教えていない。

 その分、迅速に布陣は整った。

 

 引き換え、兄たちは遅れている。

 前列に弓兵、投槍兵。続いて重装歩兵による密集隊形、それを護る騎兵など、複雑な編成が裏目に出ている様子。

 兄たちにまともな実戦経験がないのも原因の一つであろう。指揮官として、未熟過ぎるのだ。

 

 ここにきて、今まで私兵を束ねていた熟練者を皇帝に引き抜かれたのが堪えていた。

 数千、数万の兵を一人で指揮するのは戦神の聖奠なくしては不可能。通常は千人長、百人長などといった、指揮権を分け与える存在が必要となってくる。

 

 その点、第二皇子に抜かりはないようで着実と進んでいた。

 第一皇子は、本人が馬を走らせながら声を張り上げるという力技で、どうにか纏まりを見せている。

 

 対して、第三皇子は波乱に満ちていた。

 きっと今までは、喚き散らしていれば周囲の者が気を遣って、どうにかしてくれていたのだろう。

 

 ――が、どうにかするには今回は数が多過ぎた。

 

 もう、どうしようもない――平野を踏み荒らす馬蹄の地響きが、声を掻き消すほどに大きくなる。

 このまま突撃する気か、減速の気配がない。

 言葉すらなく、親子は剣を交えるしかないようだ。

 そろそろ、敵影が見えてくる……

 

 ――瞬間、。 

 

 全てを掻き消すほどの圧倒的な爆音が場を支配する。気休めに設置してあった罠もこれでは意味がない。

 音に怯えた馬たちに、未熟な兵たちが振り落とされる。陣内を馬が暴れまわり、隊列を乱していく。

 

 そしてまた――

 

 平坦な地面を壊して壊して壊しまくる。前など見えるはずがない。土煙が虐殺の光景を隠す。

 リルトリアの元に届いたのは悲鳴だけ。


「これは……不可視の破壊。まさか――!?」

 

 早くも、戦神の聖寵は逃げろと警告していた。

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