Scene13 メタ認知

「どう、進捗しんちょく状況は?」

 午前中の診察を終えた怜音が2階に上がりパソコン室に入ってきた。手には製薬会社のロゴがプリントされたうちわを持っている。

 北村ジュンは相変わらず猛禽類の目つきでディスプレイを凝視している。 

「うまくいってますよ。恐ろしいくらいに」

 へぇ、と言って怜音は覗き込むが、ソースコードのウインドウが開かれたディスプレイを見ても何のことやらさっぱりわからない。

「分かりやすくお見せしましょうか」

 北村ジュンはEnter keyを弾いて、MaCの操作表示に切り替え、モスグリーンを基調とした画面の中央の数字にカーソルを合わせる。

「ターゲットからフィードバックされた脳波のスコアです。正常な脳は、だいたい8~30Hzの間で推移しますが、ターゲットの脳は28~90Hzとかなり高い状態になっています。しかもこの1時間に限っては85Hz以上の高周波が断続的に出続けています」

「それって、分かりやすく言うと、どういうことなの?」

「普通の精神状態じゃないってことです。だいたい人間は緊張したり極度のストレスを抱え込んだときにはだいたい13~30Hzの周波が流れます」

「β波のことね」

「そうです。ところがこのターゲットに関しては30Hzのラインを優に超えていますよね。しかも、朝はだいたい10Hz以下の、α波が流れるリラックスした状態だったんです。それが、MaCを起動した瞬間に、一気に跳ね上がっているわけです。その急激な変化だけを見ても、かなりのダメージが与えられているでしょうね」

「あいつは今何を見てるんだろう? マグマかな?」

「もうマグマくらいのことなら何度も見てますよ。脳の中はめちゃくちゃになってるはずです。でも、途中でインターバルを入れながらやってますよ。徐々にダメージを与えるというオーダーでしたよね?」

「もちろん。じわじわでいいわよ」

 怜音はおしゃれなスイーツを味わっているような顔で応じる。


「じゃあ、今、あいつの頭の中にあるのは過去の記憶ってことね?」

「たぶんそうでしょう。ターゲットの記憶の中でも最もインパクトがでかいものが現れているはずです。極度の緊張状態に陥っているところから判断しても、相当ネガティブな記憶です」

 怜音はMaCの画面に目を遣る。現在96Hzと表示されている。この画面が鎌倉にいるあいつにつながっているという実感がいまいち湧かない。


「もはや、α波とβ波を通り過ぎて、γ波すらも超えた状態になってますね。ここまでくると、もう自分の意識を超えていると思いますよ。ボクにも想像できませんね。ワーキングメモリーの外側の世界ですよ」

「心理学で言うところの、メタ認知のレベルね」

「そうですね。近いですね。ボクたちの研究で作り出したかったのは、まさにこの状態なのです。注目すべきは、これがarea.Cからの脳波だということです。ここは記憶を司るエングラム細胞の、最深部です。つまり、ターゲットは今、自分の記憶をも超えた、経験したことのない光景を見ているということです」


 怜音は頬を赤らめて笑みを浮かべた。

「面白い研究ね」

「これからどんどん進化していきますよ。そのうち、ターゲットが今思い浮かべている記憶が画像表示されて、その上から書き込んだ光景がそのまま脳の中に再現されることが可能になります」

「恐ろしいわね。記憶がパソコンで書き換えられるってわけね。頭の中が完全に支配されちゃう」

「今やっていることは、まさにそのための実験ですよ。この部分に注目してください」

 北村ジュンは再びソースコードのウインドウを表示し、画面左上の文字列にカーソルを合わせた。そこには、アルファベットと数字が組み合わさった複雑な文字列がある。

「この文字列が向こうからフィードバックされてきた記憶の情報です。ボクは今後、この記号を画像に変換しようとしているのです。で、現状の技術では、この文字列を直接操作することでターゲットのarea.Cは指示通りに動くわけですね」

 北村ジュンは、何やら訳の分からないアルファベットを立て続けに打ち込んだ。その後、ピアノ演奏のラストのような指さばきでEnter keyを弾くと、文字列の下に表示された謎の数字が121から151へと変わった。それに伴って脳波のスコアが91Hzから108Hzへと跳ね上がった。

「ヤバいヤバい、これ以上するとターゲットの脳は持ちこたえられなくなる」

「つまり死ぬってことね?」

「まずそうなるでしょうね。何しろここから先は事例がないんで分かりませんが、脳が先か、身体が先か、いずれにせよターゲットは破壊されるでしょう」

 北村ジュンは冷淡な手つきで文字列を元に戻す。


「よくわかったわ。想像以上よ。いったん手を置いて、お昼でも買ってきたらいい。疲れたでしょう?」

 そう言って怜音は1万円札を渡した。

「怜音さんは、なにか食べたいものありますか?」

「そうね、今日は、午後は休診にしてるから、ビールでも飲もうかしら。おつまみになりそうなものを買ってきてちょうだい」

「承知しました」

 北村ジュンは紙幣を4つに折ってジーンズの尻のポケットに押し込んだ。それから、両手で髪をかき上げた後で、こう言った。

「それにしても、ターゲットはあなたのことを心底尊敬してるんですね。頭痛の原因がまさかサングラスにあるだなんて疑いもしないんだから。今朝からずっと装着してますよ」

「愚かな女ね。あれほどの罪を犯しておきながら、こういうところだけ馬鹿正直なのよ。自分の罪から逃れるために私に頼ろうとするところが甘えきってるわ」

 怜音は一瞬、底意地の悪いキツネのような顔つきになった。

「まあ、でも、サングラスに関しては、ジュン君の設計が完璧なのよ。完全にフィットするように作ってあるんだから、付け心地も良いのよ」

 そう言って再びいつもの麗しき顔に戻った。


「あれを作ったのはボクの友達ですから。彼女は超高性能な3Dプリンタを持っている」

「え、あなたのお友達って、女なの?」

「そうですよ。インド人の女性です。グループの中には男もいますし女もいる。中には性別がよく分からない奴だっています」

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