第32話 犬君です! その後の皆さまの消息です!

宮中にあの屑がいなくなってから、謎の清涼感が吹き抜けるようになりました。

私としてはあの野郎があっちをうろうろこっちをうろうろしていて、あちこちに残り香を漂わせていた結果だろうな、と思ってしまいます。

とにかく、宮中は今、とってもすっきりしています。

葵上様は、離婚したといったって、屑を養っていた立場です。そう、当時の宮中貴族野郎たちのほとんどが、妻とか恋人とか、そう言った人たちに生活の一切を頼んでいたわけなのです。

あの屑は母親や祖母の家の召使さんたちに、色々なもの頼んでいたわけですが、着物の手配だったり食事の準備だったりという物は、皆葵上様が用意していたわけなのです。

つまり葵上様は、別に離婚しても何も傷にならないし、不利益にはなりません。

これは平安あるあるです。

少なくとも、財産などを男性じゃなくって女性が受け継ぐ時代のあるあるです。

江戸以降、家長が男で男が皆決めているのが常識で、女性が離婚したら傷になる、という考え方の世界とは大違いなわけですよ。

それに葵上様は左大臣の家の一人娘なわけで、子供が一人生まれていたって、彼女が超がつくくらい、お嫁さんにしたい姫君である事に、何の差しさわりもありません。

左大臣の家に婿入りすれば、出世街道に乗れますし、衣類なども上等なものをそろえてもらえますし、なにより財産のある年上の女性と結婚するのは、貴族男児にとってかなりのステイタスなわけです。

葵上様が素晴らしいのは、いつも宮中で評判になるほどなので、男性たちは彼女に、あこがれと恋心を募らせておりますね、はい。

葵上様は子供は可愛いらしいですが、その種の持ち主に対しての未練はなさそうです。

彼女が元夫を恋しがるという噂は、欠片も伝わってきていない事から明らかでしょうね!


「葵上様が、楽しく毎日を送っていらっしゃるのはわかりました。わざわざ確認しに行ってくださってありがとうございます」


「犬君がとても気にしていた事だからな。これ位は大した事じゃない。犬君が憂う方が問題だ」


巌丸が、以前約束した通り本当に、私の局がある渡殿まで来てお喋りしに来ます。

葵上様どうなったんだろう、といったような話を覚えていて、動いたわけです。

こういう時、男性の行動力がうらやましいと思いますね! 外を私のようなのがうろうろしていると、追剥にあってくださいというような物になる場合もありますからね!

え? 男装してただろうって? 

……男装、したいですよ? 犬君は体は女の子ですけど、心の結構な割合は前世と同じ男っぽい部分がありますからね! 

でも、屑がぶっ倒れた宴の時の男装で、結構顔を見られてしまったので、あれ、同一人物かゆかりの人? とか思われたら、非常にまずいわけです。

姫様の侍女が、男装癖があるとかいうのは、この時代だと結構なからかいの対象になってしまいます。変な噂が立ってしまって、姫様に迷惑がかかってはいけませんし、侍女から離れる事になってしまっては本末転倒じゃありませんか!


「六条御息所のお方はどういう心境でいらっしゃるかとかは」


「そっちも知り合いが聞いてきた。あちらのお方は、憑き物が落ちたように美貌に磨きがかかっているとかいないとか。光の君があの方を軽んじてないがしろにしていた行為は、よほど彼女の顔を曇らせていたらしい。伊勢の斎宮になる娘君とともに、伊勢に下るそうな。ああ、どこかの恋に浮かれた憐れな男が、熱心に文を送っているとか」


「お悩みになったりは……」


「していないと知り合いが断言していた」


「その知り合い何者ですか」


「あちらの女房の方々に、商いをする腕のいい女商人だ。いつも色々お世話になっている人でもある」


「私ではなくて、その方を妻になされば?」


「すまない、七十を超えたお方だから、あっという間に先立たれてしまう」


きっと巌丸が頭が上がらない、ばーちゃん風のお方なのだろうな……と私は言葉の隅から想像しました。一緒に坂東からやってきたわけですから、体が頑丈なのは折り紙付きでしょうけれども。


「……あと」


「常陸宮様の娘君だろう、そっちは何も問題ない」


「断言するのはどうしてです?」


「俺たちは常陸宮様に大変にお世話になった結果、常陸宮様の娘君が苦労していると聞いて急ぎ参上したからだ。常陸は豊かな土地だから、少なくとも食べるものにも着るものにも苦労はさせていない。他にも海を渡る珍しい品物や、香木なども不自由させないようにしている」


そう言えば巌丸は、坂東からやってきた若武者でしたね。

それも若いながらも頭目だったと今思い出しました。

今は亡き常陸宮様はよほど、坂東の者たちに愛されていたのですね……

このあたりの人間とは見た目が大きく異なる娘君を、あれだけ大切に扱える人ですから、坂東の者たちのような、都とは違った者どもも、大事にできたのでしょう。

屑よ、お前の器は小さいのだ!

自分のマザコン相手しか愛せなかったお前と、常陸宮様では器が違う! 犬君は断言します!


「つまり常陸宮様の娘君は、今とっても裕福なのですね」


「北からの黄金なども運ばれてくるしな。あっちとの交易も結構うまくいくんだ、これが。どうにも常陸宮様の姫君が、非常にお美しいかららしい」


まあ、美女に捧げるものと考えると、誰でもやる気は出るに違いないでしょう。

犬君は若紫様一択ですが。

姫様は世界一可愛らしいお方なのだ!


「日に日に信奉者が増えていく様子でもあるから、警備に力が入る。屋敷も、あちこちみすぼらしいから急いで大工を呼び寄せて、直している所だ」


「新しく作らないのはどうしてでしょう」


普通そこまで行ったら新しい物を作るのですが。


「娘君が、父君と過ごした屋敷がなくなるのを寂しがっていらっしゃるからだ」


どんなにぼろぼろになっても、思い出の屋敷は大切ですからね……

とにかく、これで、源氏物語の中で、屑の影響を受けていた人たちのその後は安心そうです。

伊勢から六条御息所様が帰ってきても、還俗した娘様には降るように縁談が来るはずですし、葵上様だって今度こそ、もっと素晴らしい男性を婿に取れますし、貧乏まっしぐら街道のはずの末摘花様も、巌丸一同が恭しく扱っていますし。

あと予測できないのは空蝉様と玉鬘様ですが……空蝉様は人妻。玉鬘様は都にいないから調べる方法もないわけです。確か玉鬘様は西……大宰府じゃなかったでしたっけ、いたの。


「こちらには、藤壺様の妹君の話は入ってこないんだが、どうなったのだろう」


「……あー、彼女は私の所まで話が入ってこないのです。彼女が一体これからどうするのか……それは私も気にしている所です」


一旦宮中を抜けた方の消息は、いくら犬君が優秀でも、そう簡単には拾えません。

またカワズさんの協力をお借りしなければいけませんし、胡蝶さんたちに助けてもらうほかありませんね。

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