第30話 どうも犬君です、朧月夜事件食い止めました!!

「そこなる人、少し止まっていただけないでしょうか」


姫様が疲れてお休みになったので、私はこっそりとまた男装……今度は童スタイル……して、屑が回復した場合うろつきまわるだろう場所に張り込んでおりました。

そう、朧月夜の事件を止めるためです。

彼女は屑の本性を知らなかったがゆえに、あこがれの若君と思って恋に落ち、屑のまともな兄上との結婚がつぶれ、でも密会を重ね、ばれた時に苦しんで苦しんでしまった人です。

彼女の不幸はたった一つ、屑野郎が邸に侵入した事でしょう。あの時弘徽殿のお方の暮らす建物のあたりの戸締りが、きちんとしていれば、そう。あんな悲劇は起こりませんでした。

そのため、私は、何とかして、戸締りを、する!

そんな決意を胸に抱いていたのですが……痛恨のミスを犯しました。

鍵を持っていないんです。

そう、弘徽殿のお方の暮らしている建物の鍵を、私が手に入れられるわけがなかったのです!

と言う事は、現場を取り押さえて、屑を押さえつけるか、朧月夜様をお守りするほかないんです!

くっそ腹立つ! と思うのは仕方がありません。鍵さえかけられればこっちのもの、と思ったのに、鍵は閂式ではなく錠前式……錠前と言う事は鍵がなければ、閉じられない、そして私に鍵開けと鍵閉めの技能はない!

流石の私だってそんな能力、泥棒じゃないから持ってないんですってば。

苦々しいと舌打ちしながら、慎重に、やつが侵入しそうな経路に張り込んでいた時なんですよ。

庇の向こう、庭の方から声をかけられたのは。


「……なんでしょう」


出来る限り低い声を意識し、返答すると、そこに現れたのは巌丸でした。

何でここに、と思ったんですけど、まあ警備の人間なので、こそこそしている怪しい餓鬼に声をかけたまでなのでしょう。


「ああ、やっぱり狼童だったか」


「……よくまあ、そんな確信を持って言えますね」


「歩き方がそうだろう? 狼童は動きがとてもなめらかなんだ。あたりの美しい姫君たちが、どんな歩き方をするのかなんて言うのは、分からないが、きっと姫君だってそんなにきれいに動かないだろう」


「巌丸の基準の綺麗な歩き方を知りませんのでね。姫君たちは膝を使って歩くんですよ、普通。こうやって立って歩いているのは、あまり作法がよくないのです」


「市井の女性たちは皆、ちゃんと足で立っているんだがな」


「このあたりでは、背丈が低くふっくらした女性が、可愛らしいと言われますので、その美人の条件の結果ですよ」


そんなもの知らないのですか、と皮肉ると、巌丸が笑いました。


「知らないな、やっぱり都は面白い事が多くて大変だ」


「ではこれにして失礼しますよ」


「何だ、用事でもあるのか?」


「変な噂を聞いたんですよ、そのため警戒してるんです」


「変な噂?」


「どこで誰から聞いたのかは忘れたんですが、光の君が夜な夜な、妃の皆さまがお休みになる局の方にふらふらと向かうとかいうわけわからない噂」


はい、これは犬君のねつ造です。噂なんて立ってません。

でも……葵上さまの所から、何かと理由をつけて逃げ出そうとする屑野郎が、自分の育った、桐壺の建物で寝泊まりもするというのは有名な話、そこから出た噂と皆勝手に勘違いします。


「それはおかしいだろう、だって父君の妃のもとにだろう?」


「だから嫌な予感がしているんですよ。……本日の宴のさなか、あの方はなんというか……姫様に対してとてもしつこかったので」


「ああ、藤壺様の前世の娘様と言う方に対して?」


「ええ、何というか女だからわかるねっとりとした執着と言うかキミの悪いものと言うか……それと、姫様と親しく語り合っていた髭黒様に無理やり、お酒を勧めるやり方と言い……なんだかこういうのは、おかしいと承知でも」


「姫様にご執心、と言う気がしてくるわけか?」


「ええ。……ここは廊下の通り方から考えて、ここで弘徽殿か藤壺かと言うところなので、ここで隠れて見張っていれば、万が一の際に取り押さえられるかな、と」


「それは頼もしい事だが、はたしてそんなに捨て身でやる事を、犬君の姫君は喜ぶだろうか」


「喜びませんよ、でももしも、と考えると怖くていてもたってもいられません、藤壺に入られたら終わりです、姫様の結婚だって潰れる」


朧月夜だって潰れたんだから。

それは物語の中の事だけれども、他所の男の手が付いた姫君を、帝は招き入れないでしょう。どう考えたって。


「だから、杞憂ですめばいいと思ってここにいるんです」


私はそれだけ言った後、彼に告げます。


「邪魔だからどこかに行って下さらないですか?」


「いいや、おれも張り込もう」


「えっ」


「たぶんそれは警備の方の腕自慢が必要な事だ、もしも無理やり入られそうになった時、狼童の腕力以上に、おれの腕力は当てになる」


「では、力を貸してくれるという事ですか?」


「そうだな、何か支払いたいと思うんだったら、狼童の局の前に、訪れに行く事くらいは許してほしいものだ」


「……」


それって男女の関係になりたい、とほのめかしている事ですね。

私はしばし天秤にかけましたが、朧月夜事件により、一人の女性が大いなる不幸になるのと、私が我慢するのだったら、大いなる不幸を防ぐ方が大事だと思いました。

彼女の不幸は、痛すぎる。


「わかりました、承知しましょう」


「……狼童」


不意に巌丸が、私の頬に手のひらを当てました。


「そんなに自分を安く見積もってはだめだ。……でも安心してくれ、お前が、いい、と言うまで、おれは待っておくことにする。そして必ず、いい、と言わせて見せるように尽力するまでだ」


「いいと言うまで、手を出さないと?」


「御簾の前で喋り明かすくらいはさせてほしいな」


「毎晩はやめてくださいよ」


「毎晩なんて体がもたないだろう」


けらけらと巌丸が、不意に周囲を見回します。

私も、誰かの足音が聞こえてきたので、視線を合わせ、そっとお互いに隠れました。

隠れた理由ですか?

簡単です、ここで出会ったら、またもめますし、ただ通り過ぎただけだったら、尋問のしようがないんです。

公達がちょっと通っただけ、で足止めできるほど、私たちの身分はよろしくないんですよ!

物陰に隠れ、様子をうかがっていると、案の定屑野郎が現れました。

ふらふらと酔っぱらった足取りで、向かった先は……


「弘徽殿の細殿の方ですね……」


まさに物語の中と同じ。一度は藤壺の方に行き、鍵がぴっちり閉じられているからあきらめたのでしょう。

そのまま進んでいく奴の背中を、私は追いかける事にしました。

巌丸は、建物の地形が頭の中にあるのでしょう。


「大回りをして向かうから、もしもの時は、何か合図を」


「ええ」


私は頷き、音を立てないでひっそりと、奴の背中を追いかけます。

奴はふらふらと気分よさげに歩いています。でもここ、お前のことを大っ嫌いな女性の建物ですから。

入ったの分かったら何されっかわからないですよ、と思いつつ、様子を伺います。

空は美しい朧月夜、そして。

…………一人の可憐な女性の唄うこえが、聞こえてきました。


「おぼろづきよにまさるものなし……」


実に麗しいはつらつした声です。しっとりと落ち着いた声とは違う、これはこれで魅力満載の、魅力ではち切れそうな女性の声です。

彼女は楽しそうに、歌いながら立って歩いています。

それを見た屑野郎の瞳が、怪しく輝き……さながらゴキブリの速度で、向かっていきます。

そして。

彼女の腕をつかみました。


「やっ! だれか、だれかっ……!!」


小さな声で悲鳴を上げる、恐怖におびえる少女の声に、屑野郎が言います。


「私は誰からも許された人、あなたの方が恥をかきますよ……?」


てめえのやってることが問題だくそったれ。

私はそこで、思い切り飛び出しました。

飛び出して、驚く女性と屑を引きはがし、女性を背中に庇います。


「嫌がる女性に無理を強いるとは、浮名を流しているのも赤っ恥な振る舞い。色男は嫌がる女性にそんな真似はなさいませんよ」


思いっきり見下した声で言います。そして何か言おうとした相手に、第二弾。


「こんな事が知られたら、あなたは父君からも助けてもらえませんね、ひっひっひ……」


「……!」


屑は真っ青な顔になったのちに、慌てて去っていきます。実に見苦しい去り方でした。悪役の方がきれいに逃げていきますよ。

あいつに呪いのジェスチャーをしたくなったものの、それを覚えていないので諦めます。

私はそこで、背中で固まっている女性に、優しい声で言いました。


「早くお部屋にお戻りください。歩き回る際に、女房達を連れて歩かないのは危険だとこれでお判りでしょう。……あなたはとても魅力的な女性、ああいったよからぬ連中は思った以上に多いはずですよ」


「あ、あ……あ、あの、助けてくれたの? どうして」


「女性が嫌がる真似をする屑が、何しろ大嫌いな血筋でしてね。……早く。私と話すのも、あまりよくない事ですよ」


流し目を意識して微笑めば、彼女は目を見張ってすぐに去っていきました。

完全に奴の気配がなくなったあたりで、私は追いついた巌丸を見て言います。


「ここから去る時は、あなたについて行った方が何かと、噂にならずに済みそうです、先ほどの所に戻るまで、一緒に歩いてください」


「まあ、あの光の君が逃げ出した道と同じ道を歩いたら、呪われそうだしな」


頷いた巌丸が、私に手を差し出します。


「え?」


「なんだ、手を握るのもまだだめか?」


「普通、手を握ったら終わるんですけどね、押し倒される一歩手前と言う事で」


「それは、御簾の中の女性たちの事だ。だが手を握って女性をいたわるのは、正しい行為だと思うぞ」


朗らかに言った巌丸は、私の手をなぞって言いました。


「ちゃんと食事をしているか? 骨ばっていて痛々しいぞ」


「食べても食べても肉がつかないんですよ、放っておいてくださいな」

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