第26話 どうも犬君です。屑は懲りない様子です

とにもかくにも、情報がものを言う世界です、いつの時代も情報戦に勝利してこそ完全勝利と言っていいでしょう。


「と言うわけでありまして、カワズさんは何かご存じで」


「あんたも難儀な女の子のまんまだな、普通大きくなったら蟲の声なんてわからなくなるってのに、いつまでたっても人間臭くなくて生きづらいだろう」


「と、言われましてもこれ位なんて事ありませんし、母さんの事を忘れた事も片時もなく」


「だからいろんな物の怪が逃げ出すわけかな。さて、カワズさんの嫁さんの兄弟の子供のさらに数代後の子どもが数匹、左大臣宅の池で気ままな暮らしをしているって聞いたな、そこで冬眠前に聞いた話だと」


「……って考えると、いまだ冬眠してないとおかしいカワズさんが冬眠しないで起きてる不思議」


「長生きなんだ、あんたのカワズさんはな。百年生きててすっかり物の怪一歩手前だ」


にやっと笑ったヒキガエルのカワズさんは特徴的な無き声で言う。


「おお、聞こえてきた。カワズさんたちはこういうやり取りで余所の屋敷の仲間とおしゃべりするわけで。あんたの嫌いな光の君は、最近新たな恋の相手を探してさまよっているそうな。六条の美しいお方のことは放置らしい。あのお方は清らかなお方だから、念が固まると恐ろしい物が勝手に生み出されちまうんだがなあ。六条のお方はすっかりふさぎ込んで、娘を大事にする毎日らしい。花の宴が今度ここで行われるときに、朱雀君に弘徽殿の女御の……年の離れた姪らしいもここで宴を見るそうな。顔色悪いぞあんた」


ヒキガエルのカワズさんが、心配そうにのぞき込んできます。犬君は首を振って大丈夫、と示します。


「血の濃さやべえ」


いとこ同士の結婚です。ここで思い出したのですが、朧月夜と言う女性は、驚くなかれ原作では弘徽殿の女御の歳の離れた末の妹なのです。姪だと今まで勘違いしていましたが、じつは 六番目の妹。そしてその父親が溺愛する姫でもあるのです。

まあ、生まれないはずの藤壺の内親王様のこともありますし、多少何かが違っているのでしょうか。

私も屑許すまじ精神で、色々介入しましたし。原作っぽい所と、そうじゃない所の落差は著しいでしょう。

それでも屑の神経が変わらないので、何としてでもあの下半身野郎を再起不能にするまで、私に安らかな眠りはありませんがね!


「でも藤壺に来る事もないでしょう?」


「ないなあ、奥方が厳しいとの話だ。でも姫君見たさに女房から落そうって男は多い」


「なんて事でしょう、皆さままで警戒しなければならないとは」


「心無い女房ってのは、主にとって最悪だからな」


この話を聞いて屈するわけがありません、旦那が決まる前に人目だけでも、と姫様によからぬ思いを抱く連中をふるいにかけるのは、無論私の使命です。

今の所、噂の隠された美しい姫と言うことで、浮気者たちが手紙を送っています。おい、ひめみことほぼ同じ存在だぞ姫様は! 

まあ、桐壺帝の直系の娘でないから、皆こう言った振る舞いになるのです。内親王だったら絶対にこんなこと起きない。

女房の皆さまも、色々な手紙にきゃあきゃあ楽しんでおります。犬君も楽しめる心だったら、今頃姫様は誰かろくでもない男に手を出されています。

殆どの手紙は無視して、蛍帥宮様の季節の挨拶とかそういった友人のやり取りは、いいんです。あの方、女の子が喜ぶ物の話題に事欠きませんし。外いけない女の人たちに、この手紙は好評で、代筆犬君は皆様の代わりに色々筆を執っております。


「字が一番うまいのは結局犬君になったわね」


「蛍帥宮様の手跡そっくりなのと、みやびやかな女性の手跡と、武骨な男の手跡と、犬君はいったい幾つ手跡手に入れるのだか」


「でも犬君に頼めばどんな手紙も落胆させないで済むからいいわ」


私の代筆は、浮気者の男の心を引っ張るのにも一役買うらしいです。


「犬君の手跡って何か心があるのかしら、同じ中身を送るはずなのに、犬君に書いてもらうと来てくれる回数が増えるの」


「そういえば、他の殿舎の女性が、あなたに代筆依頼したいって言っていたわ」


なんてやり取りも昨晩しましたね。

それは脇に置いておいて、犬君はおそらく今年の桜の宴こそ、朧月夜の始まりだと考えます。

姫様の年齢的にです。姫様は結婚適齢期、ちょうどそのあたりで朧月夜様は手を出され、葵上様は亡くなり、姫様は襲われるわけなのですから。

それに今年姫様の旦那様が決まるので、今年過ぎたらまたいろいろ状況が変わっていきます。

出来る限り行動して最善の一手を打ちたいのです、私としては。


「まあ、あんたが面白いからカワズさんたちも全面協力だ」


にやっとした顔をまた作ったカワズさん、その時です。


「……見つけた」


庇で会話していたせいでしょうか。月明かりに浮かぶ影、かすかに閃いた桜の花びら、一瞬何かが幻想のように入り乱れて、私は影の持ち主を見ます。


「……どなた?」


するりと長い袖で顔半分を隠し、半分目を細めて人相を消し、私は問います。

現れた鎧姿の坂東武者は、片手に薙刀を持った姿で笑いかけてきました。

それは仔狼とかに向ける、敵意のなさを示す顔じゃありませんか。


「狼童だろう? 声が聞こえたから来てみれば。かけはおれの勝ちだな」


あどけない顔で笑う男です。屑のようななよっちさのない彼は、間違いなく巌丸でした。


「確かに私の負けですね、でも私は貴方の話を聞く事はあっても、靡いたりしませんよ」


誤魔化そうとは思いませんでした。彼は探すと言い、見つけたのです。

ここで嘘を言って隠すのは、約束と違いますので。


「靡くという言い方は好かない。強風に押されて屈する絁の様だ」


「ではあなたは、私をどうすると?」


細めた目の向こうで、機嫌よく笑っている男は、また白い歯をこぼして言います。白い歯と言うのも、地位の低い武者らしい。高貴な男性は鉄漿を吐けているものですから。

堤中納言物語の中の、虫愛ずる姫と言う話で、姫が白い歯をこぼして笑うと女房達は不気味がったんですから。


「どうもしない。強引に迫りすぎてはあまりにも女性に失礼だ。でも全力をかけて手を取ってもらえるようにする。愛は語る」


「聞きはしますよ、でもそれだけです」


巌丸が笑いました。そしてカワズさん……見た目はただのヒキガエル……を見て驚きます。


「こんな寒いのに、外に出る蛙がいるのか、大変な思いをして出てきたんだろう。もっと温かい虫のいる場所に連れてってやろう」


ひょいとカワズさんを持ち上げようとする巌丸。しかしカワズさんは見事な跳躍で建物の下にもぐってしまいました。


「はは、嫌われましたね」


その空中で止まった手をみて、つい笑いがこぼれた私に、巌丸がそれだ、と言います。


「そう言う顔がいい。楽しそうに笑ってもらえれば、一層好きになる」


袖が口元から離れていたようですね。また顔を隠します。自然にさりげなく。


「じゃあ、また来る。そうだ、花の宴を見るんだろう? 一番綺麗な桜の枝を、もらってきておく」


それだけは受け取ってくれるな、と快活な声の巌丸が去っていきます。

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