第15話 どうも恐怖のお手紙を受け取りました、犬君です。
そうして添削は続いております。延々と続いておりますが、この前とは違い、手ごたえを感じている私です。
なんとなく、この時代の風流などを理解し始めたかな、と言う気持ちになっています。
朱色の添削の中身も、心をえぐられるレベルから、耳に痛いレベルまで軽くなりました。
「犬君、進歩したわね」
若の添削の中身を見て、姫様が呟きます。誰が見ても明白な上達っぷりの様です。
「これなら犬君が、姫様の代筆をしても、返歌をしても、誰も文句が言えないわよ」
心強い事を言ってくださる女房様方もいます。
第三者である皆さまが、そう言ってくださってとてもありがたいです。
一対一だと、どうしても、見えない部分と言う物が出て来てしまうものですから。
「でも犬君、ここはどうして、この通りにしなかったの?」
「それはここを裏返して深読みをさせたかったからですよ」
「ああ! なるほど、ここを裏返すととても皮肉なお手紙ね。でもただ読んだだけだと、素敵なお手紙にしか感じられない」
「つまりこれで、相手の教養を図っているのです。姫様に言い寄る男がどんな物だか知りませんけれども、あまりにもずさんな馬鹿だった場合、将来的に悲惨じゃありませんか」
「犬君はしっかりしているのね。ところで光の君は一向に訪れないけれど、進展はもうなくなったの?」
感心しているのか、それとも呆れていらっしゃるのか。
どうにも微妙な事を言った女房の方が、思い出したように言いだし始めました。
それを聞いて、他の女房の方々も言い出します。
「あのすっごい突っぱね方の後の事、私たち何にも知らないのよ」
「犬君の所にそういう訪れがあったら、すぐわかるのに」
「そう言えばあなたは犬君の脇を部屋にしていたんだったわね。で、犬君、実際どうなのかしら?」
皆様好奇心に満ち溢れた顔です。
どの時代も女性はコイバナが大好き、ですね。
前世が男だったせいか、犬君はなんとも面白みを掴めない部分なのですが。
わくわく、どきどき、と言った雰囲気の皆さまの、その期待をぶち壊すようですが。
「実際、音沙汰一つありませんよ。こんな小娘に言い負かされて、赤っ恥をかいたから、顔も出せないんじゃありませんか? これまであの方、藤壺様の所にお喋りに来ていたそうですが、それもないですし」
そう、あのロリコンでマザコンな屑は、藤壺様の所に遊びに来る事もあったらしいのだ。(蝶々の証言)
そして何くれとなく、接近を図り、親しい様子を見せたがっていたらしいのです(カワズさんの証言)
そう言った事が何一つできなくなっているのですから、私に言い負かされた事、私に要求された事は、よっぽどの恥になったのでしょう。
情報が少ないですし、あの野郎の内心なんて知りたくもないので、こんな推測しかできませんが。
しかし、私の事を聞いて誰もが、残念がっております。
「せっかく犬君を観察して、恋のあれこれを眺めたかったのに」
「下々の身の上にいた神秘的な少女が、今を時めく男性とやりとりする、まるで物語のような物を間近で見たかったのに」
「私たちには目もくれなかったお方が、一人のために奔走する熱意を見たかったのに」
「やっぱり男の方ってその程度なのよ」
「妻の協力なしに、何もできないのですからね」
「あら? でも時折、こちらの殿舎の一つに、お泊りにはなっていると聞くわ」
一人がいぶかしげに言います。そして何かを考え始めました。
何か指を折って数えています。ひとつふたつみっつ、一体何を数えているのでしょう。
「そうね、葵上さまの所に顔も出さなくなって、もう二週間は過ぎているはずよ」
それを聞いたほかの方々が、驚きの声をあげます。
姫様も驚いた顔になります。
「奥様の所に、そんなに長い間お渡りにならないの? それってとても非常識じゃないかしら、だって葵上さまは正室じゃありませんか。それにこの前先生が教えてくださったけれど、光の君様のお義父さまって左大臣なのでしょう? まさか光の君様、左大臣の姫をそんなにないがしろに……?」
純粋な少女でも、それがおかしい事だとわかるのです。
この時代、実は正妻を重んじないという姿勢を見せれば、非難されるのです。
事実として、源氏物語のなかにそう言った描写があり、女三宮が正妻としているのに、妾である紫の上ばかり寵愛した事で、光源氏は世間から、おかしな事と思われ、さらに紫の上は身の程をわきまえない女だ、と噂されて心を痛め、病状を悪化させたのです。
たしか。記憶に間違いがなければですが。
そういう風に考えると、この屑野郎の打ち出した姿勢はとっても問題があるのが、分かるでしょう。
ましてあの野郎は王位継承権をなくした皇子。頼みの綱と言っていいのは、左大臣の方の力なのです。
なのにそこの左大臣の機嫌を損ねるような、娘への冷たい仕打ち。
奴は頭は悪くない事になっていたはずなのですが……いったいどういう事情なのか。
調べないといけませんね。
心の中で決めている間に、女房様たちの会話は続きます。
「もしかしてあれじゃないかしら」
あれって何ですか。誰もが思った疑問に、言い出した方がこたえます。
「ほら、犬君が正妻じゃなきゃ嫌だって言ったから、離縁の準備を整えようと」
「ええっ、でも離縁の理由に、葵上さまが当てはまらないじゃない」
「当てはまらないのに、何を証拠にしてそれをするのかしら」
「ねえ犬君、もしかしたら着々と、あなたを正妻にする準備は進んでいるのかもしれないわ!」
「じょうっだんじゃありません。あれだけ嫌だと言ったのです。それを無理強いして、手に入れようったってそうはいきません。私はただじゃ済まさない女なんですよ」
「私も嫌だわ!」
姫様が私に抱きついてきました。そして見上げてきます。泣き出しそうな顔をしています。
「犬君が嫌なのに、無理やり連れていかれるなんて絶対にいや!」
「大丈夫ですよ、姫様。犬君はお傍を離れません」
こればかりは譲りません、誰にもこの役は譲りません。
姫様を守るために、私は前世の記憶をフルに使用しているのですし、今の能力のかさ上げのための、努力を怠らないのですから。
そんな事を言ってから、さらに何日かが過ぎました。カワズさんのいうところによれば、奴はなにか契機を見計らっている模様だとのことです。
「なんか色々な準備をしているみたいだ。誰か二条に迎えるつもりの準備だな」
と言っていました。二条とは、桐壺更衣の母が守っていた屋敷です。奴はそこと、後宮にある、上級官位が寝泊り可能な一室を行ったり来たりしているとの事。
流石にいきなり、私をさらって二条に突っ込んだりはしないだろうと思いますが。
姫様をさらうのでしょうか、原作のように。
しかしそれはここにいる限りできないと、思うのですが。
果てしなく嫌な予感が、脳裏をよぎる中。
私のもとに一通の手紙が届きました。
「……さすがに、これは、驚くしかないですね……」
手紙を眺め、手跡を読み、他の方に回し、他の方も唖然とする相手からの物。
それは話題になる、葵上様からの召喚状と言っていい中身でした。
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