第3話 どうも、挨拶が肝心です、犬君です。
さてはて、そのまま右も左もわからない状態で、延々と知らない回廊を歩いている私たちなんですが。
姫様はこれから出会う、前世のお母様に色々な想像を膨らませていらっしゃる。
「ここにいるからきっと、素敵な美人のお母様なのよね。とても楽しみだわ」
姫様のお母様という物へのあこがれは、わからないでもない。
ずっとお姉様に面倒を見てもらっていて、でも、お母様なんて呼べなくてどこか、他人行事で。
寂しかったんだろうな、くらいはこの犬君でも想像がつくのだ。
そして私も、いやおうなしに緊張している。
この先にいるであろう、藤壺の宮……源氏物語の中の最強美女と、対面するのだから。
源氏の野郎が、完璧美女、と全ての欲望を向かわせた、作中一素晴らしい御仁。
会う事に緊張しないわけがない。
……って、案内されているだけで、まだまだ、藤壺の宮に対面するなんて決まってはいないのだけれども。
陰陽博士に案内されて歩く事数十分。
私たちは……内裏の中に入っていた。
内裏の中なんて普通に入れないんですよ、、普通の貴族でも入れませんからね、入れるの殿上人とか言われちゃうような権力のある貴族くらいですからね!?
そんな特別な空間に入れられて、私たちの緊張は頂点だ。
と言っても、姫様はこの内裏の事を何もご存じないので、お母様はどこかしら、と首をあちこちに向けている。
しかし、内裏だとわかっちゃう私は冷や汗だらだらだ。
「あの、姫様の前世のお母様に会うのでは……」
恐る恐る陰陽博士に問いかければ。
「その前に、帝に御顔を見せたいと思っているのですよ。日の宮様に瓜二つの娘なんて、帝が知らなかったら怒りだしてしまいそうですからね」
「聞こえているぞ、陰陽博士」
陰陽博士の言葉の後に、響いた声。これは支配者の声だな、と思わせたそれの後に現れたのは。
威風堂々たる、桐壺帝その人だった。
なんでわかるのかって、答えは彼の衣類にある。
衣類が飛び切り豪華で唐渡の見事な物、だから、これ一択である。
禁色とも呼ばれていて、帝くらいしか許されていない色の衣類を身にまとっている事も、この判断の理由だ。
うわ、イケメンダンディーなおじさま。
内心で感心していると、姫様が私の後ろに隠れた。
「犬君、お母様じゃなくてお父様なのかしら……」
「いえ、前世のお母様を妃としている、あちらの方は帝でいらっしゃいますよ」
「帝……?」
話の中でもあまり聞かない、尼君との生活では接する事のない階級の相手であり、超が付く特別な存在帝。
姫様が恐る恐る、私の後ろから顔を出せば。
「なんと……!」
桐壺帝は座っていらっしゃったお椅子から立ち上がり、こちらに近付いてきたのだ。
驚きにあふれた顔をして。
「これはなんと、なんと日の宮によく似た娘! 前世の宿縁だろうか、ああ、こんなに貧相な衣類を着て……苦労したのだろう。ああ、これからは私を父と呼びなさい」
「えっ」
父と呼べ発言にびっくりしている姫様。そりゃそうだ、前世の母に会うはずが。帝に父と呼べと言われる日が来るとは思わなかっただろう。
「ああ、日の宮が子供の頃はきっと、こんなにも愛らしかったに違いない。先ぶれの話していた通りの事だ、確かにこの子は間違いなく、前世で日の宮の娘だったに違いない! こんな苦労をしてきたような姿、日の宮に子供が出来なかったのは、この子を苦しめていたからだろう……」
帝、藤壺の宮大好きだな!?
私は心の中で突っ込みそうになった。だが口には出さなかった。
分からないでもないのだ。最愛の女性桐壺に先立たれ、後から迎えたよく似た姿の藤壺の宮を、桐壺帝は全くの別人として心から愛していたのだから。……物語の中では。
だって彼の言動で、藤壺の宮に何かを強要する発言は出てこなかった気がするもの。
だがしかし帝様、一つ言わせていただきますと。
「陛下、誠に申し訳ないのですが……あなたさまの背丈が、姫様の知る背丈の中で一番高いので、姫様がおびえていらっしゃいます」
そう、帝はその言葉の間ずっと、立ったまま姫様を見下ろしていたのだ。
見下ろされていたたまれない気分は、よく分かる。
面の皮が厚い犬君は平気でも、顔を見せない事が当たり前の世界で、まじまじ顔を見られる姫様は、居心地が悪かろう。
「む、それは気付くのが遅れてしまった、申し訳ない」
帝はすぐさま膝をついてくれた、なんとできた大人だろう!
膝をつき、姫様の方を見て、端正なお顔をにこりと笑って見せたのだ。
「藤壺の前世の娘、これから一緒に、母君に会いに行こう」
母君に会いに行こう。この最初からの目的のため、姫様は頷いた。
「あの……へいか?」
「父と呼んでもいいのだよ?」
「……お父様?」
姫様の遠慮がちなお父様呼び。うん。
呼ばれていない私もずきゅんとくる可愛らしさだ、それが直撃した帝が胸のあたりを押さえた。
「私は藤壺の娘に、お父様と呼ばれるのが長年の夢だったのだよ……何と愛らしい事か」
初対面からすごい好感度、と思った私はほっとした。
これなら、いじめられたりしない筈だ。弘徽殿の女御とかとも、敵対しないように、お姉さん役の私が立ち回るしかないが。
藤壺の縁者を、さすがの弘徽殿の女御もいじめたりはしないだろう。
「さ、おいで。……そちらの少女は?」
姫様に手を差し伸べる帝、そこでようやく、私の存在に気付いたらしい。
「彼女が夢のお告げで、藤壺の宮様の前世の娘様を、ここに連れて来てくれたのですよ」
「なんと、このように幼い娘が……なんと行動力のある、強い女性なのだろう」
帝も私の事を聞いて感心している。陰陽博士が続ける。
「彼女の夢の中で、瑞獣麒麟が、告げた事なのだとか。つまり二人を宮中に迎え入れれば、陛下の世はまた安泰という気がしますね」
「そうか……」
「犬君は私のお姉さんのような人なのよ」
姫様がそこで、ぎゅっと私の手を握って宣言してくれる。
お姉さんだと思っていたのか。なんか身内扱いで感激しそうだ。てっきり遊び相手でしかないとばかり思っていた。
「お、父様。犬君も一緒に、お母様に会いに行っていいでしょう?」
「もちろんだとも、誰か先ぶれを出しておいておくれ。これから藤壺邸に渡ろうと思う」
渡るってのは行くって意味だ。さっそくで助かる。
私はほっとしたのちに……姫様がうっとりとした声で言うのが聞こえてきた。
「お母様の旦那様って、とても素敵な方なのね……」
「そうですね」
「あんな方と結婚したいわ。浮気はだめよ、一人だけ一途に愛してほしいわ。落窪の姫のように」
「そういう方を選ばなきゃダメですねえ」
私たちはそのまま、回廊をいくつかわたり、内裏からほど近い藤壺邸の前に立っていた。
「緊張するわ犬君」
「私もです、姫様」
何て二人で言いあっていると、先導してくれていた帝が、中に声をかけた。
「妻や、日の宮、今日はすばらしい日だよ」
「まあ、どんな素晴らしい日ですか?」
中から発せられた声は、私の知る中で一番教養に満ちた、定子をイメージしそうな声だった。
定子って頭良かったし美貌だったし、すごかったんだぜー
「前世でお前の娘だった子が、夢のお告げでようやくここに来る事が出来たのだよ、顔立ちまでそっくりなんだ、会いたくないか?」
「まあ素敵、どんな子かしら、あなた、早く会わせてくださいな」
帝の言葉で、期待に満ちた返事が続く。
「お行きください」
私はそこで、握っていた手を放し、そっと姫様を押しやった。
私だけがこれが、偽りの親子の対面だと知っている。
胸は少し痛んだが……あのくそったれ源氏野郎の、妾にされるくらいならこれ位は偽って見せるぜ。
御簾の前に立った姫様を見て、藤壺の宮が、まあ、と声を上げた。
彼女の女房達もざわめいている。それ位姫様は、御簾の向こうの麗人にそっくりなのだろう。
「まあ本当に親子の様」
「そっくりだわ……」
「前世の宿縁を感じさせますねえ……」
「なんて可愛らしい子供なのかしら……」
よし、掴みはじょうじょうそうだ。
一方の藤壺の宮も、まあと一声あげた後にこう言った。
「なんて私の小さなころに似ているのでしょう……ああ、血は繋がっていない筈なのに、本当の私の娘の様だわ。こちらにいらっしゃい、抱きしめてあげたいわ」
「そちらに行ってもいいのですか?」
姫様が恐る恐る言う。
御簾はそれ位大事な境界線なのだ。子供でも分かるんだ。馬鹿でもわかる。この時代なら。
男が女の御簾の中にはいったらそれだけで、一大スキャンダルレベルなのだ。
言いたい事が伝わってくれるだろうか。自分で入ってて混乱しそうで、なんとも言い難い。
「ええ、入ってきなさいな」
宮の言葉で、姫様が御簾を持ち上げて中に入る。
そして。
「お母様……!」
「私の娘……っ!」
どちらも感極まったような、感動の対面が中で行われている事、間違いなしだった。
御簾の向こうなので見えないんだけれどもね。
しかし私も、涙が出て来る。これで姫様を守る事ができそうだからだ。
ああ、色々頑張ってよかった……足の豆がつぶれても歩いた甲斐があった……!
「姫様良かったですねえ……」
ずびっと鼻をすすってしまう私。桐壺帝はすでに御簾の中に入っていて、親子の対面を見守っている。行動早いなおじさま。
そして残されているのは私一人、だった。
置いてけぼりかよ、なんて思わない。向こうは向こうでいっぱいいっぱいのはずなのだから。
「さて、二人を会わせてくれた少女も中に入れていいだろうか?」
「あ、そうだ、犬君も中に入ってはだめ? お母様。ずっと私のお姉さん替わりだったの、犬君は」
感動が一段落して、私の事を皆さま思い出してくれたらしい。
姫様がいい、藤壺の宮の返答は……
「ええ、入ってきてちょうだい、あなたをここまで連れて来てくれた頼もしいひとなのでしょう?」
入る事を許された。よかった、よかった。
私は御簾の中に入り、その中の豪華絢爛さにビビった。
流石宮中、さすが帝の寵愛を一身に受ける人、並のちょうどじゃないとは思っていたけれども、紫式部のイメージすごいな!?
なんて戦いていたわたしを、気後れしているのだと思ったらしい。
姫様がお育ちになったら、これ位美女になるだろうとわかるくらい、そっくりなお顔立ちの美女が、姫様を抱きしめて、私を見ていた。
「まあ、こんなに幼い子が、一人で私の娘をここに連れて来てくれたの?」
「犬君は普通の大人の女性よりも、ずっとずっとしっかりしているんですよ」
藤壺の宮の驚いた顔に、得意げな姫様の言葉。
私はにこりと笑った後に、膝をついて頭を下げた。
「お初お目にかかります、側仕えの犬君と申します。姫様が前世の母君にこうして出会う事が出来て私はもう、本当にうれしく思います」
「まあ、立派な言葉。あなた位の子が、それだけ言えるなんてすごいわね」
「犬君は頭もいいんですよ。この前は宇津保物語という物を聞かせてくれました」
「あの長いお話を? すごいのですね」
「ほかにも、星が読めたり、蛙の言葉が分かったりするんですよ!」
ちょっと待て姫様、それは言わない約束でしょ!?
慌てふためいた私に、まあ、と誰もが驚く。
「それでは、夢枕に麒麟が立ってもおかしくないですね」
あ、それで落ち着いてくれんの……たすかった……
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