第14話 VS死神③

 次の日。

 

 櫻子は美命に連れられて、彼女の家を訪れていた。

 市営バスで片道約四〇分。美命の家は、二人が通う高校から、坂本探偵事務所とは反対方向の人里離れた山の麓にあった。草木生い茂る道の真ん中で、櫻子は瓦屋根を見上げた。築百年以上はあろうかという古びた日本屋敷が、周りの民家の群れから離れてポツンと一軒建っていた。


「……ォ邪魔しまーッス」

「…………」


 玄関をくぐると、真っ暗な廊下が櫻子の前に真っ直ぐずっと伸びていた。雨戸が締め切られているのか、少しの明かりもついていない。美命はまっすぐ前を向いたまま、黙って長い廊下を歩き始めた。櫻子もそれに続いた。


「しっかし随分デカイ屋敷だなァ。オイ、電気つけないのか?」

「…………」

「ココで、一人で暮らしてるわけ?」

「…………」

「まあいいけど。 ……そういえば、明日の天気知ってる?」

「…………」


 投げかけられた言葉は返されることなく、美命の背中を素通りしていく。櫻子は両手を頭の後ろに回したまま、興味深げに家の中を見回した。廊下の壁に所狭しと飾られている日本画も、掛け軸も花瓶も、明かりのない状態では薄暗くてよく見えなかった。


 やがて美命は何回か廊下の角を曲がり、幅が人一人分くらいの、狭い木製の古びた階段を登っていった。櫻子が天井を見上げ目を凝らすと、そこには明かりの消えた豆電球がぶら下がっていた。階段を登ると、美命は二階の廊下の端まで歩き、そこで急に立ち止まった。

 廊下の端には襖があった。どうやらここが、彼女の部屋らしい。美命は勢いよく襖を開けると、部屋の中央の天井からぶら下がっていた紐を引っ張り、今日初めてこの家に明かりを灯した。


「お……」


 櫻子が目を細めつつ、息を飲んだ。


 電気をつけても、部屋は真っ黒だった。

 八畳ほどの広さの和室に、家具はほどんど置かれていなかった。その代わり、室内の至るところに……壁や天井、窓、畳に至るまで……隙間なくびっしりと黒い紙が貼り付けられていた。それは、彼女が先日事務所で見せてくれた、白の文字で名前の書かれた例の紙の数々だった。幾重にも貼られた黒い紙によって、彼女の部屋全体が真っ黒に染め上げられていた。


「なんだこりゃ……」


 櫻子は自分が誰かの名前を踏んづけていることを知り、思わず後ずさった。美命が直立不動のまま真っ黒の中心に立ち、彼女の方をゆっくりと振り返った。彼女の目は焦点が合わないまま虚空を彷徨い、真っ黒に濁っていた。


獲物ターゲットの紙よ……。今まで殺してきた人達、全部保管してあるの」

「……趣味悪りーな」


 櫻子がポケットから棒突きキャンディを取り出し、口に放り込みながら苦笑いを浮かべた。気がつくと、美命は目にたっぷりと涙を浮かべ、だが表情は真顔のまま膝を抱え込んだ。幽霊のように白く細い手で、美命は床に並べられた一枚の紙を取ると、愛おしげにそれを指先で撫でた。


「可哀想に……みんな死んでしまった。私に見つかった以上、生きていられた人間は今まで一人もいないの」

「…………」

「それが死神の存在意義。役割なのよ。私はそういう風に、今まで生きてきたの。その代わり、殺した人間の顔や名前は絶対に忘れない。それが私の、唯一できる罪滅ぼし。残念だけど、坂本先生も……」

「…………」

「だけど……だけど本当に、後悔しない日はなかったわ」


 涙が一粒、彼女の白い頬を伝って黒い紙に溢れ落ちた。櫻子は欠伸を噛み殺した。


「これで終わらせようと思ってる。本気よ。坂本先生を殺して、私も死ぬわ……」

「どうやって?」

「え?」

 美命が不可解な表情をして顔を上げた。櫻子は入り口に立ったまま、じっと彼女を見下ろした。


「気になったんだけど、死神ってどうやって獲物ターゲットを殺すんだ? 鎌とか持ってんの?」

「それは……いいえ、持ってないわ」

 美命が立ち上がった。

「じゃあ何だ? 念力とか? 呪いとかで殺すの? 『殺したい』って願えば、相手が死んでくれるの?」

「……私が存在していること、それだけで」

「フゥン……じゃあ獲物ターゲットは、どうやって決めてるんだ?」

「それは……言えないわ」


 美命が右手で反対側の肩を抱き、視線を落とした。三六〇度、全方位に亡くなった人の名前が書かれている真っ黒な部屋の中心で、美命が再び膝を抱えてうずくまった。


「ま……いいけど。で、お前はどうやって死ぬの?」

「……へ?」


 美命が顔を上げる。いつの間にか、彼女の目と鼻の先に、櫻子の顔が今にもくっ付かんばかりに迫っていた。美命が驚いて死人の名前の上に尻餅をつく。そのまま、ずいっと顔を近づけて、櫻子がのしかかるような姿勢で真顔で尋ねた。


「いや、アンタさっきから『死ぬ』、『死ぬ』って言ってるけど。どうやって死ぬのかな……って」

「…………」

「そもそも死神って、死ねるワケ? 人を殺すのが存在意義とまで言っといて?」

「やめてよ! 顔近づけないで!!」


 美命が金切り声を上げた。その声は驚くほど部屋に響いた。

「死ねるわ! 死ぬ。私、絶対に死ぬから。もう終わりにしてやる。坂本先生の死を見届けた後、この心臓を、包丁で突き刺して……」

「突き刺して、何だよ?」

「……へ?」


 ようやく櫻子が近づけていた顔を外した。


「突き刺して、皮膚を刃先が破って、肉を裂いて、血が吹き出て……」

「…………」

「たとえ後悔しても、振り返る時間も無くて。激痛が走って、それで、命にやり直しなんか当然無くて……」

「……何が言いたいのよっ」

 美命の顔が奇妙に歪んだ。怒りと、動揺と、恐怖と……。一体自分がどんな顔をしていいか分からなくなったその表情に、櫻子はようやく死神の姿を見た。


「その覚悟が出来てるんだったら……明日、ここに坂本を連れてきてやってもいいぜ」

「…………っ!」

 風紀委員は床に後ろ手をついたまま、唇を真一文字に結び、激しい怒りの炎を瞳の奥に写していた。櫻子はそんなクラスメイトを、まるで獲物ターゲットを見つけたかのように冷酷な目で見下ろしていた。


「……分かったわ」

「決まりだな」


 こうして二人は仲良く明日の約束をして、その日は別れを告げたのだった。


□□□


「……というワケで、美命の家に行くことになったから」

「ええええええええ……」


 次の日。

 事務所内で椅子ごとひっくり返った坂本が、机の向こう側へと消えていった。櫻子が覗き込むと、恐怖に怯えたひょろ長の探偵が床にへたり込んでいた。


「や……ヤダよ! 僕、まだ死にたくないよ!」

「だって死神なんだろ? どっちにしろ向こうが存在してるだけで殺されンだから、抵抗しても無駄じゃねぇか。ここにいても死ぬ。向こうに行っても死ぬ。後は、お前が選べ」

 真っ正面から睨まれて、坂本が目を逸らした。

「え、えーっと、じゃあ僕は……」

「よし行こう」

「えええええええええええ……」


 逃げる隙も、勇気を振り絞る隙も与えず、金髪少女は坂本の手を取って自称死神の待つ家へと引っ張って行った。


□□□



「着いたぞ」

「あれ……これって」


 昨日と同じく、バスで約四〇分ほど山道を揺られ、坂本と櫻子の二人は巨大な日本家屋の前に降り立った。バスから降りるなり、坂本は首をひねった。

 昨日の閑散とした景色とは打って変わり、今日は入り口の前にたくさんの人だかりができていた。老人から子供まで、うごめき合う人たちの数は優に百人以上にはなりそうだった。


「何この人たち……」

「私が呼んだんだ」

「えぇ? 何のために?」

「さあ行くぞ」

「ちょっと……」


 人混みを掻き分け、二人は家の中へと入って行った。日本家屋の中には、暗い廊下にも、狭い階段にも、大勢の人たちが押しかけていた。


「櫻子君、この人たちは一体……? ま、まさか死神に殺された……!?」

「違ぇよ。逆だ逆」

「逆?」


 坂本の疑問に答える前に、目的地に辿り着いた櫻子は廊下の端で思いっきり襖を開いた。


「ヨオ! 約束通り連れてきたぜ!」

「ひッ……!」


 部屋の隅で蹲っていた美命が目を見開いた。櫻子の後ろに並ぶ坂本や、集まった大勢の人々を見て、彼女は声を上ずらせた。


「な……何なのよその人たちは!? 勝手に人の家に上がって来ないで! 警察に訴えるわよ!」

「鍵開けっぱにしといて良くいうぜ」

「警察に訴える死神って……」


 櫻子が相変わらず紙で埋め尽くされた真っ黒な部屋の中に一歩足を踏み入れた。美命が体を縮こまらせた。


「……みんなで私を捕まえにきたってワケ?」

「ちげーよ。こいつらはな……」


 金髪少女が足元の紙切れを一枚掴んで、うずくまる死神少女の目の前に突き出した。


「お前が殺したと、この被害者達の、だ」

「は?」

「もう一人?」


 美命と坂本が首をかしげた。外にいた観客達が、冷たい目でじっと部屋の中の様子を覗き込んでいる。


「な……何言ってんのよ」


 沈黙が部屋を包み込む中、次に声を絞り出したのは、美命の方だった。


「もう一人の犯人だなんて、そんながいるワケないじゃない。この人たちはね、私が殺したの。犯人は私なの! 私が死神だから、みんな死んでしまったのよ!」

 耳を塞ごうとする死神少女の手を、櫻子が乱暴に掴んだ。

「お前が死神だから全部お前の責任だ……なんて、どう考えてもそっちの存在の方が都合が良すぎるわ。今時共犯罪だか共謀罪だかで、犯罪だって誰か一人に責任押し付ける様にはなってねえの」

「!」


 美命がようやく周りを見渡した。老若男女、様々な目が彼女の真っ黒な部屋を覗き込んでいる。この人たち一人一人が、彼女が自分のせいで死んでしまったと、そう死者達の関係者なのだろう。櫻子が床に散らばる一枚の紙を拾い上げ、それをじっと眺めた。


「病気や寿命で亡くなった方も、事故や災害で亡くなった方も、生きとし生けるものの死因は全部お前のせいってのか? 違うだろ」

「!」


 亡くなった人の名前が書かれたその紙には、一枚一枚死因や時刻が小さな文字で書かれている。それら全てが死神のせいだと考えるには、あまりに膨大で多岐に渡っていた。美命は俯いて下唇を噛んだ。


「これでよォく分かったろ。お前はなんかじゃない。みんなが死んだのは自分だけのせいだって思い込んでる、ただのの塊なだけだ」

「!!」

「あのなあ、みんな自分の分の罪はちゃんと自分で感じて、それでも頑張って生きていってんだよ。自分だけが特別だなんて思うな」

「アンタに言われたくは……!」

「まあそれでもお前が死神だって言い張るんなら……自分一人が死ねば全世界の問題即解決の悪の帝王だ、なんて言い張るんなら」

「!!」

 櫻子はポケットから小さな包丁を取り出し、肩を震わせる美命に握らせた。


「約束通り、坂本殺せよ」

「!」

「えええええ……ちょ、ちょっと!?」

 金髪少女は横に立っていた坂本探偵を突如蹴り飛ばし、どこからともなく取り出したガムテープで全身を縛りだした。


「櫻子君! 話が違う! 折角まとまりそうだったのに……ここは僕がなんか適当に上手いこと言って、それで『はい終わり』でいいんじゃないかな!?」

「黙れ!!」

 櫻子が嬉しそうに叫んだ。口から蛇のような舌が踊り狂っているようだ、と坂本は思った。

「どうしてもこの『頭ファンタジー野郎』が死んでくれねーと、誰も満足しねーだろうからなァ」

「……確かに」

「確かにじゃないよ!」


 坂本が畳の上に転がされた。その真正面に立ち、死神少女が包丁を振り翳し、真っ黒な天井に掲げた。櫻子が叫んだ。

「さあ! テメーの分はテメーの分だろうが! 予告したんだったら、しっかり狙って坂本殺しやがれ!」

「…………!」

「ひぃぃぃぃ……っ!?」


 やがて。

 美命の掌から刃が溢れ落ちて。

 目を見開く坂本の……その隣。

 畳に散らばる黒い紙の上に、深く突き刺さった。


 部屋の真ん中で、死神少女が掌を上に掲げてそのまま立ち尽くした。


「!」

「私……」

 その両目から、小さな透明の粒が零れ落ちた。彼女が膝から崩れ落ちるのも、それとほぼ同時だった。


「私……できない……!」

「田中さん……」


 畳に大粒の涙を零し始める少女を、皆が見守った。


「どうしてできないの……!? 私、私……自分で死神だって言ったのに! ちゃんと殺すって言ったはずなのに! あの時ちゃんと決心したはずなのに、いざとなったら、何にもできないだなんて!」

「いや……まあ、それはそれで良いんじゃないかな」

 見事予告殺人の魔の手から逃れた迷探偵が、真顔で頷いた。


「ダメよ! 言った以上、ちゃんとやらなくちゃ! じゃないと私……」

「やるにしたって、今すぐじゃなくても、良いよ。五年後か、十年後か……また決心がついた時で良いじゃない。それまではホラ、死神は一旦お休みするとかさ……」

 美命が頭を振った。

「一旦お休みする死神って、何!? それじゃ、私の存在意義はどうなるのよ! 何のために私はここに……!?」

「まあその……意義もなく存在する期間だって、あって良いんじゃないの。理由なんかなくたって、ただただ存在してみるとか……」

 迷探偵が笑みを浮かべた。美命が目に涙を浮かべ、ガムテープでぐるぐる巻きになった存在に寄り添う。

「坂本先生……! 私……私……!」

「チッ」


 櫻子が苛立たしげに舌打ちした。


「櫻子君……」

 坂本が哀しげな表情を浮かべた。

「全く……お前は本当にバカだな。まあ、良いや。今日のところはこの辺で帰るとするか。なあ」

「!」


 櫻子が立ち上がり、美命を見下ろした。昂りから醒めたような仏頂面だが、その目の奥には安堵の色が浮かんで見えた。


「私はお前のあの『予告』、ぜってー忘れねーぞ。お前がやるっつったんだから、死んでもやってもらうからなァ」

 美命が涙を拭き、からかうような表情を浮かべる櫻子を睨み返した。

「……望むところよ」

「それまでは、事務所とか空いてるから、遊びに来れば良いよ。ねえ櫻子君……ああっ」

「帰るぞオラァ!!」


 櫻子が坂本を蹴っ飛ばした。やがて部屋の外でじっと中の様子を見守っていた観客達を連れて、彼女は真っ黒な日本家屋を後にした。


 部屋には膝をつく美命と、使われなかった包丁と。


「……あれ? 僕は? おーい、櫻子君! おーい……!」


 ガムテープでぐるぐる巻きになった、迷探偵をそのまま残して。



《続く》

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