第13話 VS死神②

 放課後。


 坂本探偵事務所は、二人が通う高校から約三十分ほど歩いたところにあった。四車線の国道から脇道に逸れて、軽自動車一台分通るか通らないか程度の細道を抜けると、古びた小さな雑居ビルが姿を現した。事務所はその中だ。櫻子が先頭に立って、ビルの右横に備え付けられた狭く暗い階段を登って行く。ところどころ、蜘蛛の巣が張っていた。大気中に浮かぶ大量の埃や塵芥が、窓ガラスから差し込んだ光に照らされて、後ろをついて歩く美命の目の前を泳いでいった。やがて二人は、仰々しく『坂本探偵事務所』と看板の掲げられた扉の前に辿り着いた。


「ただいま」

「おかえりィ……ってあれ?」


 扉を開けると、机に向かっていたひょろ長の男が出迎えてくれた。坂本は櫻子の後ろにいた少女を見て、おや、と首をかしげた。櫻子は勝手知った様子で鞄を投げ出し、黒いソファに深々と座り込んだ。坂本が立ち上がった。

「珍しいね……お友達?」

「ああ……テメーに用があるんだってよ。な?」

「僕に?」

「…………」

 田中美命は、入り口の前に立って、直立不動のまま二人の様子を眺めていた。坂本がそちらに視線を投げかけた。

「やあ。どうも。ここで探偵をやってます、坂本です。よろしく」

「どうも……初めまして。櫻子さんの同じクラスの、田中美命と申します」

「こいつアホだから、そんな畏まらなくたっていいっての」


 几帳面に頭を下げ、ぎこちない笑顔を見せる同級生に、櫻子が肩をすくめた。自分の隣の空いているスペースをポンポンと叩いて、突っ立ったままの美命を手招きする。


「まぁ座れよ」

「やれやれ。ごめんね、櫻子君、口が悪くって」

「お?」

「ええ。存じておりますわ」

「……テメーら、喧嘩売ってんのか?」


 ようやく美命が白い歯を見せた。坂本はどこからともなく三人分のお茶を持ってくると、櫻子の隣に腰掛け背筋を伸ばす美命の正面に座った。


「それで、田中さん。僕に用ということは、何かお困りで?」

「それが……」

「…………」


 美命は言いにくそうに言葉を詰まらせた。そもそも今ここにいることが、彼女にとってあまり本意ではないらしい。元々学校にいた時からあまり乗り気ではなかった彼女を、櫻子が無理に引っ張ってきたのだった。そんなクラスメイトの憂鬱は露知らず、櫻子は櫻子で、普段よりも弁えた態度を取る坂本が何だか無性に気に食わなくて、張り付いていた笑顔を引っ込めた。


「チッ」

「人前であからさまに舌打ちするんじゃないよ、櫻子君。田中さん、まあそんな硬くならずに。身辺調査から迷子犬の捜索まで、探偵ってのはなんでも請け負いますよ」

「ありがとうございます」

「…………」

「実は……私……」


 美命が下を向いたまま、蚊の鳴くような声で静かに言葉を紡ぎ出した。櫻子が隣で面白くなさそうにお茶を流し込んだ。坂本は何故か胸を張った。


「なんでも言ってください。僕にできることなら、なんでも」

「あの……私……。実はあなたのこと……」

「え?」

「…………」

「あなたのこと……殺し、に来たんです……」

「えッ……」


 坂本が固まった。櫻子が口からお茶を噴射して、彼の顔に満遍なく逆流物を吹きかけた。


 事務所の中に長い沈黙が訪れる。思いがけない突然の告白に、二人はしばらく美命が「冗談です」と言い出すのを待った。だが当の本人は至って真剣な表情のまま、鞄から名前の書かれた黒い紙を取り出した。『坂本虎馬』。白い文字でそう書かれた紙を差し出されて、坂本本人が目を丸くしながら覗き込んだ。


「なんですか? これは……」

「あの、私、実は死神なんですけど……」

「ええぇ……」

「この黒い紙に、いつも次に殺す、獲物ターゲットが書かれていて」

「えええぇ……」

「絶対に逃げられないんです。私が生きている限り、獲物ターゲットに死は必ず訪れる」

「ええええぇ……」

「でも私……正直そんな自分が嫌になって! ……もう止めたいんです、こんなこと。風紀委員の仕事もあるし」

「えええええぇ……」

「坂本先生、お願いですから、私に殺される前に自分から死んでくれませんか!? そしたら私、失敗したダメ死神として、失格の烙印を押されるかも……。そうしたら、解放されるかもしれません」

「ええええええぇ……」

「とっとにかく!!」


 今にも自分の首を搔きむしらんとばかりに、思い詰めた表情のクラスメイトを見て、櫻子が慌てて声を張り上げた。


「今日はもう帰ろう? な?」

「櫻子さん、でも私、全部本当のことなの……」

「まあまあまあ、その話はまた今度にしよう、な? 今日はもう帰った方がいいわ。うん。送ってくから」

「でも……!」

「落ち着け、大丈夫だから……」

「ごめんなさい! 私……私……!」


 とうとう目に涙を浮かべた同級生の肩を抱いて、櫻子が急いで彼女を事務所の外に連れ出した。後に残された坂本の頬を、冷たいお茶が幾重にも筋を作って流れていった。


□□□


「中々ファンキーな友達を持ってるね……」

「……っかしいな。アイツ、学校じゃあんな感じじゃないんだけど」


 それから数時間経って、櫻子が事務所に戻って来た。流石の彼女も、今回ばかりは予想外だったようだ。机に座り苦笑いを浮かべる坂本に、櫻子は困惑した表情を見せた。


「ねえ……」

「んだよ?」

「死神って本当にいるのかな……?」

 足を組み格好つけながらも、声を震えさせ動揺の色を隠せない坂本に、櫻子は真顔で頷いた。

「ああ」

「ええええええええぇ……」

 大きな音が事務所に響き渡る。坂本が机の上にあった書類ごと床にひっくり返った。櫻子がため息をつき、頭を掻いた。

「何だ。今回は信じるのかよ」

「だ、だって……」

「でもよ、普通に考えたらおかしいだろ。これから人を殺しますって人間が、わざわざ本人の前に説明に来るかよ?」

「うーん。確かに」

 机の向こうから、坂本の顔がゆっくりと現れる。櫻子は疲れた様子でソファに座り込んだ。

「本人がそう思い込んでるだけ、とかじゃねえかなあ……。とりあえず明日、話聞いてみるわ」

「頼むよ」

「?」

 起き上がった坂本を、櫻子はまじまじと眺めた。よくよく事務所を観察してみると、先ほど美命から手渡された黒い紙が端っこの神棚に並べられている。小刻みに震える彼を見て、金髪少女は欠伸を噛み殺した。

「まあ万が一彼女が本物の死神だったら、テメーの死は避けられないんだけどな」

「……彼女が本物かどうか、確かめる方法ってあるの?」

「そりゃあ、本当に獲物が死ぬかどうか、確かめてみるとか……」

「え?」

「…………」

「……え?」


 ソファに寝そべった櫻子が、坂本をじっと見つめた。事務所の中に、再び長い沈黙が訪れた。

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