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冷静さを取り戻したわたしは、警察への通報を済ませた。
そのころには征吾さんも唯野さんの拘束を終えていた。
征吾さんは立ち上がると、自らの弟子であり、いまは囚われの身となった男を、汚いモノを見る目で長身から見下ろした。
「気が狂ったな。お前もここに偽札を探しに来たか」
彼の言った通り、唯野さんは気をおかしくしてしまったように薄気味悪い笑みを浮かべている。
「いやあ、見つかりそうにない。ここに作品があるっていうんだけど」
言葉遣いも、出資者に向けるそれとは思えない。
「馬鹿を言うな、それは弟の嘘だ。盗聴をしていたお前は見つかるはずのないものを探していただけだ」
征吾さんもこの家の盗聴について知っていたらしい。赤石さんが伝えたか、弟が考えたのと同じ論理を辿って、征吾さん自ら盗聴を見抜いていたのか。
「はあ……ここにはない? それじゃあ、無駄なことをしていたのか。俺も、浦上も」
「その通りだ」
縛られた男は何が楽しいのか、声を上げて笑った。わたしは何というものを見せられているのだろう、吐き気がする。
「そうかあ……久しぶりに作品に会えると思ったのに」
さっきから偽札のことを「作品」と愛着をこめて呼んでいるのが心底気持ち悪い。征吾さんも同じ感情を抱いているようで、容赦のない言葉を浴びせかける。
「ふざけるな。お前のやっていることはただの犯罪で、そこに芸術性など微塵もない」
「そうかなあ? 世の中、ルールだけで善悪や美醜を判断するのはちょっと考えが浅いと思うけど。作れないとされているだけで、作ろうと思えば作れるのに。誰もやろうとしないことは、ビジネスチャンスだろう? そういうのって、創作にも似ていると思うんだ」
「それが犯罪では元も子もない」
「そう? みんなに教えてやればいいんじゃないの? 作ろうと思えば作れるんだ、作れないと思わされているんだ、作れないほうがおかしな話なんだって」
「ああ、そうか。そうかもしれないな。だが、犯罪者のお前に誰が耳を貸すものか」
同感だ。
わたしが彼の言葉に共感する筋合いはない。
でも、征吾さんもわたしも、そして赤石さんも、彼の言い分にも多少の理があることを認めざるをえないのかもしれない。わたしは彼の言っていることと似た感覚を、四月に経験している。わたしはなぜ、この紙切れを価値あるものと信じて疑わないのだろうか、と。
そして、皮肉なことにその感情は、わたしが偽札の存在を意識したからこそのものだった。
「お前は喋ると鬱陶しいから、イエスかノーで答えろ。また偽札を作っているのか? 弟が嘘を言っているのでなければ、topSALEで売られていたのはお前の偽札だ」
「イエスだ」
「作ってみて、それで人が騙せると思った。試しに、経営者の身分を隠し、現金であると偽って売ったのか? まだ現金の売買が規制されていないころに」
「イエス」
「自分でリスクを増やすとは、バカなのか? リスクを承知で売った理由を問おう。仕方がない、話せ」
「……面白そうだったからさ。みんなが信用で売り買いしている。そんなところに、嘘を吐く奴が現れたらさぞ面白そうだなって。しかもそいつは、誰もが信じて疑わない紙幣を出品している。見てみたかったのさ、匿名の相手から買い取った紙幣でも、それに価値があると信じるのか」
この人が完全に間違っていたのは、自分が通貨に疑問を抱いたからといって、それを偽造して人を試したことだ。その執着心によってMaSTを開発するまでは、彼は少し奇異な人物でこそあったのかもしれないが、少なくとも異常ではなかった。
彼が偽札製造に対して芸術にも似たものを感じるのなら、偽物など作らずに、別の芸術的手法で表現すればよかったのだ。人を試すのではなく、人に感じさせればよかったのだ。手段ならいくらでもあるのに、最も悪い道を選択してしまった。
「それがさあ、あんたが弟に調査を依頼したって言うから肝を潰したよ。偽札のことが世間にバレたら、あんたはもうカネをくれなくなる、そう言ったなあ?」
「…………」
征吾さんは腕時計を見て黙っている。警察が待ち遠しいのだろう。
「浦上と相談したんだ。でも、ひょっとするとあんたは最初から俺たちを切り捨てるつもりかもしれない。だから、まずは調査結果を把握しないといけない。特に、あの洋館に俺が証拠を残してしまっていたら――想像するだけでも恐ろしい。それで思いついたのは、盗聴だよ。赤石哉汰、あんたの弟であり、調査主体であるあいつの家に盗聴器を仕掛けたんだ」
事件の経緯を語っているつもりなのだろう。
征吾さんはもはや相手にする気はない。彼を黙らせてもよかったが、そのまま話させることにした。このまま喋らせておけば、征吾さんと話したかったことが自ずと明るみに出るかもしれないから。
「そしたら報告で偽札があるなんて言うから本当に恐ろしかった。その情報を握られていると俺たちは弱い。かくなる上は、家ごと偽札を取り戻すしかない。それで、家を譲れと直接交渉に行ったんだ」
「…………」
「しかし、あんたの脅しは俺たちの予想より早かった」
始まった。
わたしはこのことを征吾さんに問おうと思っていた。
征吾さんは、確実に優位に立てる出資者としての立場を利用して、唯野さんと浦上さんを唆したのではないか。
あまりにも曖昧で、強引な論理。征吾さんのような人なら、もしそういう魂胆があったとしても隠し通すだけの計画をしているだろうし、何よりわたしは証拠を持たない。ここで当事者である唯野さんに襲われ、彼の口から一連の出来事が語られたのは、不幸中の幸いであった。
「あんたの脅し方は実にスマートで、卑怯だ。保有していたMaSTを大量に売り払って値崩れさせるなんて」
昼間、サラリーマンふうの男性たちが話していた噂と一致する。仮想通貨の大量保有ユーザがタイミングを計って一気に売却に動いた、と。
「脅されているんじゃ、解決を急がないといけない。交渉を引き延ばされて家を買うのが難しいなら、偽札やその証拠だけでも持ち出せばいい。長いあいだ盗聴をしていたから奴の行動パターンも把握している。これでもう怯える日々ともおさらばだ、そう思って浦上を行かせたよ。結果はあの通りだが」
家に忍び込んでも、目当てのモノは一切見つからない。諦めずにいろいろな場所を調べたことだろう、時間が経つのも忘れていた。家主の帰宅に気づかず、彼が二階に上がってくる気配を察知したところで、襲撃するしかないと決意した。
わたしの立ち位置からは征吾さんの表情は見えない。しかし、その後ろ姿だけでもわかる――彼が「脅し」を認めることはありえない。認めさせることも不可能だろう。
征吾さんが口を開く。
「……お前のところの事業にはもうカネを出さない。これは脅しか?」
彼のもとで育った経営者、もとい、犯罪者は笑った。
「脅しではないな、ビジネスマンとして至極真っ当な判断だ」
気味の悪い笑いが家具ひとつない部屋の壁や天井に反響する。この空間はもはや彼のものになってしまっている。
「でも、ひとつだけ聞かせてくれ。あんたは、浦上が弟と家の売買交渉をしたことを知って、MaSTを売ることに決めたのか? どうやってそれを知った? そこのお嬢ちゃん――青山遙といったかな――そいつに報告させたのか?」
名前を呼ばれて背中がぞっとした。顔面を踏みつぶしてやろうかと思ったが、ぐっと我慢する。こいつを相手にしている場合ではない。わたしは征吾さんに問いたいことがあるのだ。
「征吾さん、わたしからも聞かせてください。わたしに赤石さんの近況報告を依頼したのは、弟を心配してのことではありませんよね? 本当は、忙しい自分に代わってわたしに報告をさせることで、調査の進捗を知り、ときに今回のような事件が起こっていないか確かめるためですね? ……いや、むしろそれがわかればラッキーで、一番の目的は、わたし。わたしが赤石さんの調査の邪魔をしたり、洋館で偽札を発見したりしないか、わたしを監視することが目的だったのではありませんか?」
お金の探偵の兄にして、今回の黒幕と疑われる男は、微動だにしない。どんな言葉をかけられても、まるで人の心が備わっていないかのように、動揺する様や、苛立つ様を見せることはない。
彼の弟が兄を罵るときに言っていた――人を人とも思っていない――ことが万が一本性を見抜いての発言であったなら、わたしは問わなければならない。
「征吾さん。あなたは唯野さんや浦上さんを、カネの力で脅して弟に危害を加えさせたのではありませんか? 自分にとってリスクである弟を襲わせ、襲った犯人たちは経営者として出資を止める形で縁を切る。脅しの形跡は、ただのカネの流れだと開き直ればいい。家の鼻つまみ者である弟を、できるだけリスクを負わずに叩く――それが征吾さんの一連の行動だったのでは?」
沈黙。
いままで気がつかなかったが、サイレンの音が近づいてきている。警官が到着したら、これ以上征吾さんに問いを投げかけることはできなくなってしまう。
「答えてください、征吾さん! あなたは弟想いのお兄さんだったんですか? それとも――」
「そこにいる唯野が弱い人間だった、それが今回の結論だ」
「…………」
「カネに目のくらんだ弱い人間がカネに踊らされ、気を動転させて起こした、虚しく、悲しく、痛々しい醜い事件だ」
カネに踊らされる。
お金の探偵と同じ理屈だ。
しかし決定的に足りないことがある。お金の探偵は、その弱さに向き合おうとしている。彼に言わせれば、本当の悪はより弱い人間を利用する弱い人間だ。そして、最も弱くない人間、すなわち地位や富の上に胡坐をかく「強い人間」こそ、彼の憎む悪である。
赤石さんを襲うに至ったふたりは、正当に罰を受けるべきだろう。ただ、ふたりもまた、強い立場の人間にいいように使われた被害者であったとみる視点を、失ってしまいたくない。わたし自身ひとりの弱者として、より弱い人間を見下し切り捨てるようなことはしたくない。
ああ、これを言葉にしてぶつけられればいいのに。
あと少しのところで、言葉が続かない。
「……弟に危害を加えようとする者は許さない」
「え?」
「弟は大切な家族だ。それに私はいつも、奴と一緒に仕事をしたいと思っている。そんな弟を、どうして私が傷つけようとする?
確かに弟はいつ不祥事を起こすかわからないし、奴の乱れた生活はそれだけで恥を晒し続けるリスクだ。一家の恥だ。私に嘘を吐くし、居留守まで使う大バカ者だ。しかし、それらは私が有能な弟を切り捨てる理由にはならない。家族を傷つける理由にはならない。
唯野もホラを吹いているだけで、信じるだけ無駄だよ。投機の世界に身を投じる人間がその取引の仕方で人を脅すなんてくだらない。青山さん、申し訳ないが君の推測は唯野の嘘と同じくらい不合理なんだ」
彼は到着した警察官を迎えるため、階段を下りていった。
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