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 赤石さんの語りはじめた「共犯関係」というフレーズに、増嶋さんと日野さんが顔色を悪くする。いまのところ共犯関係が成り立ちそうなのは彼らくらいのもので、互いの証言なしでは充分な無実の証明を得られていない。

 でも、その有力な手掛かりがレジの一四〇〇円というのはちょっとよくわからない。

 端折らないでくれよ、と増嶋さんに苦言を呈されて、赤石さんは嘆息。

「じゃあ、ずばり実行犯から言っておこうか」そしてお金の探偵は、深緑のポロシャツを指し示す。「藤巻のおっちゃん、あんたの自演だね。盗難なんて本当はなくて、自分で財布を駒沢のお姉さんの鞄に忍ばせたんだ」

 こういうとき、名指しされた人物はその根拠を問いただすと相場が決まっている。「どこにそんな根拠が? しかも被害者なのに? 目的だってわからない」と。

「まあ、直接の証拠はない」お金の探偵は、意外にもあっさりと自らの推理が情況証拠しか持たないことを認めてしまった。「でも、目的は共犯者がわかれば見えてくる。この中には、おかしな証言をしている共犯者がいた」

 つまり、藤巻さんの自演という事実を隠すために偽証をした人物がいたということか。

「その共犯者は、増嶋さんだね」

「えっ」

「嘘はつかなかった。でも、証言できるはずの証言をしていないんだよ――増嶋さん、あんたはどうして、藤巻さんが『トイレに席を立った』ことについて発言しなかったんだい? できるはずの証言をしていないんだ」

 増嶋さんは座席にいると店の奥を見る格好になる。

 ということは、カウンター席の後ろを通ってお手洗いに向かう人をその目で見ることになる。駒沢さんが席を立ったことについては目撃していたと証言していた。しかし一方で、同じようにトイレに向かったはずの藤巻さんについては、何も言わなかった。

「いや、よく憶えていなかったんだよ。それに、証言を集めはじめた最初のうちだから、何を言っていいかわからなくて」

「いいや、わざとだね。もう一か所、証言できるところで黙っていたよ」

 一本指を立ててそう言うと、駒沢さんのバッグを指した。

 そうだ、増嶋さんの視界の中には、もうひとつ大切なものがあった。

「鞄に変なことをした人を見ていないか、訊いたよね? それにも答えなかった、見えていたはずなのに。日野さんと夢中で喋っていて気が付かなかった?」

 財布が盗まれたのは藤巻さんが席を立ったとき。そして、その盗まれた財布が駒沢さんの鞄に入れられたのも、――日野さんと増嶋さんがずっと席に座っていたなら――同じタイミングであったはず。同じタイミングのふたつのできごとに対して、増嶋さんはどちらにも言及していないのだ。

「いま、藤巻さんが席を立ったときのことは憶えていて、ただ発言し損ねただけのようなことを言ったね? それなら、そのとき鞄に何かされていないか、言えるはずじゃないかい?」

 藤巻さんの自演があったにせよ、なかったにせよ、彼が無実と認められる可能性を高めるには、「何もしていない」と言えばよい。共犯ならば当然彼を庇わなければならないし、そうでないなら、黙っている理由がない。むしろ、彼を貶めようとしていると疑われたら、自分が犯人にされてしまう。

 それなのに黙っていたほうが安全なケースがあるとすれば、それはきっと、別の人の証言と食い違って、嘘であったとされるリスクがある場合だろう。

 藤巻さんはため息を吐き、増嶋さんは相好を崩す。

「いやあ、参った。実はまったくその通りなんだ」

 あさっりと共犯、そして自演を認めてしまった。

「駒沢さん、申し訳なかった」増嶋さんがそう述べて、ふたりで一緒に頭を下げる。その潔さは、被害者が呆気に取られてしまうほどだ。「本当は僕が財布を受け取って、犯人役になる予定だったんだ」

「ところが、日野さんが『想定外』だったんだ」計画の実行役、藤巻さんも自らの行為を認めた。「増嶋さんと向かいあって座るものだから、財布を渡せそうになかった。それで、顔見知りがいたものだから、かくなる上は、巻き込むしかないと」

 日野さんは初めて「きよたけ」に来店した。計画を実行するつもりだった増嶋さんは、まさか彼が一緒に店に来るとは思っていなかった。加えて、運悪くお金の探偵までいた。狂いに狂った計画を強行した結果、証言の際にボロが出た。

 ただ、ふたりに謝罪されても駒沢さんは腑に落ちない表情だ。というのも、目的がまだ明らかになっていない。どうして藤巻さんは、自分が財布を盗まれたことにしたかったのか?

「話はまだ終わっていない。もうひとり共犯がいる。しかもそいつが首謀者だよ」お金の探偵は追及を続ける。「ふたりの計画は、証言以外からも読み取れる。それがレジに入っていた余分な一四〇〇円だ。これはふたりの注文に等しい金額――つまり事前に支払いが済まされていたということ」

 赤石さんが名指しをするまでもなく、彼が示唆する人物は場の全員がわかっていた。彼女に注目が集まっている。

「攸子ちゃん。きょう、レジの管理をできるのはキミだけだ。さっき売り上げを調べるよう言ったら、頼まれてもいないのに自分でやろうとするなんて、なんとも怪しい。キミは、藤巻さんと増嶋さんの食事代を自分が出す代わりに、こんなイタズラをしたんだね?」

 攸子は肩を竦めた。

 否定するつもりはないらしい。

「攸子、どういうつもりでこんなことを?」穏やかだが凄みのある調子で、店長は攸子に詰め寄る。「お客様に迷惑をかけるとは、何事だ」

 娘は黙っている。

 彼女は店を継ぐつもりはないようなことは言っていたが、だからといってお客や店長を困らせるようなことをするはずがない。「きよたけ」が嫌いなわけではないし、家族が嫌いなわけでもなく、むしろ大好きなのだから。

 何か目的があったのなら、店のことを考えてのことだ。

 その点は赤石さんにもお見通しだ。

「事件をでっちあげるにしても、その方法はあまり具体的に構想されていなかった。キャストにも、食費程度のギャラしか支払っていない。言っちゃ悪いけど、常連を集めたお遊戯会ってところだ。

 それに目的があるとすれば、店や客に対して悪意があったからではなくて、ただこの事件を起こしたかったということだろう? 事件を起こすこと自体が目的だ――この店でもこういうことが起こる、と伝えたかった」

 看板娘はそれでも言葉を発さなかったが、深く、ゆっくりと頷いた。誠実な眼差しだ。

「きよたけ」は、客と店員、客同士でさえ互いをよく知っている、売り上げよりも人情味を重んじるような街の食堂だ。その空間は、まるで世界から切り離されたかのように平和で、穏やかな時間が流れている。

 わたしだって、最初盗みがあったという話になったとき、そんなはずはないと思った。わたしだけではなく、この事件に立ち会った誰もがそう思っていただろう。

 そこで事件をでっちあげる……なぜ? どうしてわざわざ、この店の魅力的な平穏を掻き乱すことを?

「邪推をするに、事件が起きそうにないこの店を『変えるな』ということだろう? この店には、安穏が失われるような変更が加えられようとしている」

 店が変わる?

 しかも、それが店を悪くする?

 あ、と声を上げたのは、店員でも常連客でもなく、英里奈だった。


「券売機を入れるなってこと?」



 四軒寺も東京だ。コンクリートジャングルの街は、夕方になっても蒸し暑い。

 その暑さを、頬の火照りで感じている。

「攸子ちゃんもかわいいところがあるね」

 並んで歩く赤石さんのその言葉は、いつもの下世話なものとは明らかに異なる。

「知らなかったんですか? あの子はかわいい子なんです。言葉遣いと、……水臭いところ以外は」

 ホールで事件を起こすことで、防犯上ホールの人数が減らされるべきでないと店長に考え直させたかったらしい。具体的には、券売機導入を止めさせたかった。

 券売機を使えば、お客さんからオーダーを取る必要がなくなるから、そのためのホールの人員を削減することができる。昨今いろいろな店で導入が増えているのは、そういう目的が大きかろう。

「きよたけ」も、経営が絶好調ということはないと思われる。店長も券売機に投資をすることで、長い目でみたときの経費節減のメリットを考えていたに違いない。ひょっとすると、「店を継ぐ気がない」と明言している攸子に、少しでもその気を起こしやすくするつもりだったのかもしれない。

 娘はそれに反対だった。

 券売機の導入によって、店員と客とのあいだに距離が生まれて、店の良さが失われるかもしれないから。

 加えて、店員を減らせるようになり――わたしも要らなくなるから。

 でも、食堂経営はあくまで商売だから、経営に関する店長の主張は正論だ。そこで、防犯を主張することにした。ホールの人員が削られれば、客同士のトラブルが起こりやすくなるぞ、と。ただし、「きよたけ」にはそういう雰囲気が皆無といっていい。だから常連さんに協力を請うて、一芝居売ってもらったのだ。

 相手は正論だ。自分の意見にもそのレベルまで説得力を持たせるには「実例」を生み出すことが一番と考えた。

「まったく、わたしと働きたいならそう言えばいいのに」

 言葉にすれば、気恥ずかしさが収まるかもしれないと思った。

 攸子に面と向かって冗談めかせないあたり、わたしも水臭い。

 本当にきょうは暑い。嫌になりそうだ。

「恨みつらみの出来事じゃなくて良かったよ」

 幸いにして、最後は笑い話で収まってくれた。

 彼女の目的を聞いたら、誰も強く叱れないではないか。

「ひとつだけ苦言を呈するなら、藤巻さんをキャスティングしたのはまずい。いかにも『お金を持っていなさそうな人』を起用して、話を大きくしようとした――これは目的云々がどうであろうと、やってはいけないことだった」

 攸子が家のことに一言モノ申したいことがあったなら、彼はそれ以上に言いたいことを溜めこんでいる。

「カネは、世界で最も厄介な色眼鏡だ」

 征吾さんと自分のことを言いたいのだろう。

「まあ、店のことを思って行動に出るには勇気が要っただろうね。その思いの強さには、素直に感服するよ」

「……その通りなんですけど、攸子、店を継ぐ気はないみたいですよ」

「そっか。確かに、ああいう店が生き残るには苦しい世の中だしね」

「将来のこと、よく考えてますよ。大学に行ってキャリアを積むって。いい企業に入るって息巻いてて」

 攸子を見ていると、漠然とした不安に襲われる。どのような進路を選ぶかろくに考えていないし、行動も起こしていない。

 攸子だけはない、英里奈だって将来を真剣に考えている。奨学金で大学に通っているだけあって、日々使命感に近いものを感じながら過ごしているのだろう。

 自分を繋ぎとめてくれるものがない、ふわふわとして、自分がバラバラに散らばってしまいそうな感覚。

 ビルの隙間から覗く夕焼けを眺めていると、その漠然とした恐怖に、幼いころ夏の夕暮れに感じた感傷が重なる。時間だからと泣く泣く家に帰って、もっと遊びたかった、もっと話したいことがあったと足をバタつかせているときの切ない気持ち。

 嘆息が漏れる。

「それは、将来を考えていることになるのかな?」

 赤石さんも何か心の奥底にある強い感情を思い出している様子だ。

「大学って、本来そういう場所じゃないんだよ」

 僕も批判できた身分ではないけれど、と寂しそうに笑って。

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