保険

𠮷田 仁

「保険」

 藤原一郎はスティーヴンソン保険の出資者の一人だった。スティーヴンソン保険の歴史は浅かった。仕組みはほぼロイズを真似た形で、参加している保険の引受人、乃至は出資者が支払うべき保険金に対し無限の責任を負うものだ。しかしロイズの場合はその役を担う事が一種の社会的ステイタスであるのに対し、スティーヴンソン保険には、そんなものは無かった。

 ロイズの特徴は、他の保険会社が二の足を踏む様な内容でも依頼されれば引き受ける事に有った。その為、大企業や国家相手に多大なリスクの保険を引き受ける保険会社は、多額の支払額が発生した場合の保険をロイズに掛けていた。そうしたものですらロイズは引き受けたのだ。バブルの時代には、財閥の一族に連なる日本人が出資者に名を連ねていた事も有った。

 しかし、そのロイズですら引き受けぬ様な一見眉唾な保険の依頼も有り、元はロイズの出資者だった幾人かの人物達が、そうしたものも扱おうと立ち上げたのが、スティーヴンソン保険だったのだ。

 ロイズすら断る保険とは、例えば夫が人狼なのだが人狼に成った時、誰かを殺す事が有るので、これ以上殺した場合の保険を掛けようとしたものとか、太古の妖術師

Eibonエイボンが記した書物を訳して召喚呪文を試したら、その度に出てきた魔物に仲間が一人ずつ喰われていくので、これ以上、喰われた場合の為に保険を掛けたいと云うものが有った。

 あまりに眉唾な内容で他の保険会社からは笑い飛ばされた案件だった。しかしロイズが断ったのは説明された内容を信じていないからではなく、信じたからだった。最初は話を聞いて引受額を算定した。だが、その後で、今迄に発生していた犠牲者の数がはっきりとし、それを元に保険の支払額を算出した結果、断ったのだ。

 そんな内容の保険でも引受けようと云うのは、まともではないと想われていた。だが、それでも構わず引受けるのがスティーヴンソン保険なのだった。

 ロイズは最悪の状態、即ち最大の支払額を元に引受額を算定しようとするが、スティーヴンソンは最小の支払額を元に引受額を算定した。ロイズも断る特殊案件の場合、例えば身内が人狼化して人を殺した場合の保険にしても、スティーヴンソンは五十を超える案件を引受けているが、実際に保険の支払いが発生したのは一件だけだった。衆人環視の中で人狼に変身し、その場に居た人々のうち幾人かを噛み殺し肉や内臓を喰らったのだった。それ迄の案件では証拠が無いの一点張りで保険料を支払おうとしなかったスティーヴンソン保険は、流石に目撃者が多く事件の証人が続出したので早々に支払いを決定したのだった。

 しかし、それは例外中の例外で大抵の案件では証拠が無い事を理由に支払いを拒んで来たのだった。召喚呪文の実験者の死に際しても条件が召喚した魔物に殺される事だったので、即ち召喚に成功している事が前提なので、証拠が無いと突っぱねてしまえるのだ。他にも冥王星から飛来したキノコ達に脳を持ち去られる危険性や、Shining かがやくTrapezohedronトラペゾヘドロンと呼ばれる多面体を容器から取り出す際に死亡する危険性、或いは南緯四十七度九分西経百二十六度四十三分の海底に眠る外宇宙生物にテレパシーでコンタクトを試みる際、相手の異質な精神性に依り発狂する危険性、そうした様々な案件をスティーブンソン保険はことごとく扱い、滅多に保険金を支払う事は無かった。そして、大抵一人の出資者につき十年に一度は保険金の支払いが生じているのに対し、藤原一郎は二十代の若年で出資者に名を連ねて三十余年、一度たりとも支払いを行った事は無かった。

 藤原一郎が支払いを発生させずに済ませていられるのは、本人自身が行動して保険の請求者の証拠を証拠に成らぬものとして片付けられるだけの根拠を自ら集めている事が有った。いや、他の出資者達も多かれ少なかれ似た様な事はしていたのだが、十年程度が限界だったのだ。事後とは云え案件に直接関わった出資者達は徐々に疲れ、時には精神を病んだり健康を害したりして、遂には他人ひと任せと成り、多額の保険金を支払って引退してしまうのだ。

 藤原一郎も同様の経験をしていた。しかし彼は打たれ強かった。海底の宇宙生物のテレパシーで一時的に錯乱しても、錯乱中ですら仕事をこなしていた。自ら現場確認に赴いた先で虹色に輝く原形質状の物体に襲われて命からがら逃げ出した事も有った。空から頭部が馬に見えるドラゴンに襲われ掛けた事も有った。しかし彼は精神的にしぶとかった。

 やがて藤原一郎を名指しする客も来る様に成った。いや、名指しする客ばかりに成った。その時から彼の扱う保険の内容は変化して行った。

 藤原一郎がそれ迄扱っていた保険は、市井の人々や表向き市井の人々が超常的な現象の発生を前提とするものだった。だが、新たに来る様に成った客筋は、自身が超常的な存在だった。InnsmouthインスマスMarshマーシュと云う男が行きずりの女に生ませたと云う青年は、亡き母から父親の一族の血が発現したら来る様に云われており、将来は約束された様なものだった。しかし何万分の一かの可能性で父親の血が発現せぬ事を青年は恐れた。DeepディープOneワンに成れぬのであれば、自分は一生うだつの上がらぬブルーカラーで終わってしまうのだから、と青年は保険を掛けに来たのだった。調査では発現が遅れるケースは有っても全く発現せぬ事は有り得ぬと判っていたので、藤原一郎は可成りの額を吹っ掛けて引受けた。安心料なのだから高額でも仕方無いさ、とうそぶいて。

 他にも恰幅の良い紳士が現れて自分はYithイスと云う精神生命体でこの人物の体に宿っているのだが、その人物の運動神経が極端に悪く、前に宿っていた人物の積りで動かすとつい怪我をしてしまうかも知れず、その際の保険を掛けに来たと云うものも有った。

 或いは、行き成り眼の前で虹色に輝く原形質状の物体に溶け崩れた人物は元の姿に戻ると、他の人間に正体が知れて今の社会的地位を失ったら、Cthulhuクトゥルー教団にとっても損害なので、保険を掛けておきたいと云った。

 仕舞いにはマスクと手袋と分厚いコートと帽子で変装した冥王星から来たキノコが、採取した脳を稀に事故で失う事が有り、保険を掛けておきたいと現れた事も有った。

 こうして藤原一郎は常に顧客に恵まれる様に成ったが、それでも狂ったりする事は無かった。彼には元々人の心と呼ばれる様なもの、慈しみや優しさと云った感情が無く、一方で未知成る存在ものに対する恐怖も無かったのだ。

 スティーヴンソン保険は、全く持って得難き人材を得ていたと云えるだろう。

 

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