(16) 錯綜する騎乗馬、マルクの場合

 

 マルクのジャパンカップ騎乗馬も、注目の的だった。

 

 ただこれは、イアンとはかなり状況がちがっていた。イアンは、今後もずっと付き合う馬の選択を迫られていた。選んだ1頭と今後のGⅠレースを共にし、あるいは海外遠征をするかもしれない。そんな、タッグチームを組む馬を決めなければならなかった。

 

 しかしマルクは、シルバーソード回避のために身体が空いたにすぎない。おそらく今回1度限りの騎乗となるはずだった。

 

 マルクの選択の基準としては、なによりもジャパンカップでアルフォンソに先着できる馬を、ということだった。なので、馬の総合的な能力も大事だが、ここがピークかということも重要だった。理想は叩き2戦目か3戦目で、前走で目いっぱい激走していなくて、この後の有馬記念を視野に入れていない馬。トレミーの陣営から打診があったが、盛りを超えた感があり、この秋は天皇賞をピークにもっていった印象を受けたので、断った。

 

 天皇賞で手綱を取ったキッショウテンは叩き3戦目だが、GⅠに入着すらなく、秋2走で大敗しているので問題外。チャプターテンは秋4戦目なので、これも嫌った。夏で見切りをつけたエターナルランは、もう縁が切れている。

 

 ―― そうなると外国馬か。

 

 ジャパンカップに出走する外国馬はジョッキーを帯同させてくるのが普通だが、日本で乗っている外国人ジョッキーを乗せる陣営もあった。しかしさぐってみたところ、今年は1頭を抜かして勝負になりそうな馬はいなかった。日本馬のレベルが上がり、近年のジャパンカップは外国馬がことごとく惨敗しているのだ。

 

 そしてマルクに、意外な陣営から打診があった。トーユーリリーだ。

 

 外国馬の最有力馬である4歳牝馬のモンダッタは、アルフォンソ騎乗で決まっていた。昨年の凱旋門賞2着馬で、すでに欧州のGⅠを4つ勝っている。格としては上位で、日本の馬場に合えばあっさり勝って不思議のない実績馬だ。

 

 アルフォンソが外国馬に乗るため、トレミーとトーユーリリーが空いた。そのどちらもが、マルクに打診してきたのだ。

 

 トーユーリリーは元々乗ってみたい馬だった。2歳時から潜在能力はチャプターテンより上と見ていた。デビュー戦で乗る予定が、前日の落馬で急遽乗り替わられた。その新馬戦をソツなく乗ったイアンが、つづいてゆりかもめ賞も手綱を取った。そこで5馬身後続をぶっちぎり、距離適性から桜花賞には出ず、忘れな草賞を快勝。オークス候補となったが、脚元の不安で回避となった。

 

 トーユーリリーは秋3戦目。しかし、秋華賞もエリザベス女王杯もアルフォンソ騎乗で目一杯追われていた。果たしてジャパンカップに余力が残っているか?

 

 それでも、アルフォンソの捨てた馬で勝ってみたい欲求がまさった。借りを返すにはおあつらえ向きだ。あのエリザベス女王杯のインタビューは忘れられなかった。

 

―― ―― ―― ―― ――

  

 欧州で活躍しだしたマルクは、そのあまいマスクも手伝い、人気ジョッキーとなった。

 

 マルクの人気が高かったのは、もう一つ、騎乗がきれいだという評価があったからだ。相手をつぶすような騎乗をしないジョッキーということで、名が上がったのだ。

 

「足を引っ張りあわないライバル関係は、自分も相手も伸びることになる」

 

 インタビューでライバルのことを聞かれたマルクが答えた言葉だ。後々まで、マルクを紹介するにあたって引用される発言になった。その言葉どおり、トップジョッキーたちと良好な関係を保っていっていた。

 

 それは、少し年長のアルフォンソに対してもそうだった。むしろ気さくに接してくれる先輩を、慕っていた。

 

 しかし実際には、アルフォンソのそのマルクへの対応は、単なるおもての顔だった。裏では、年長の利を生かして、騎乗馬を取り上げ、下位ジョッキーに邪魔をさせ、メディアに悪い噂を流された。その、思ってもみなかったあこがれのジョッキーの卑劣さが、日本行きの一つのきっかけとなっていた。

 

 日本に発つ少し前、マルクは、これでもう接点がなくなるという気楽さから、詰め寄るようにアルフォンソに聞いてみた。なんで実力があるのに、つまらないことに精力を使うのか? 騎乗技術だけで勝負しないのか、と……。

 

 アルフォンソはしかし、まともに取り合わなかった。結局、マルクの望んだ「真剣な話し合い」すらもできなかった。

 

「もう、いいです」

 

 まともに答えない上位者に、マルクは静かに言った。

 

「ぼくにとって最も、騎乗技術だけで勝負したいジョッキーでした、あなたは」

 

 どうせ通じないと思ったが、マルクは去り際、思っていたことを相手にぶつけた。

 

「ありがたい餞別のセリフだ」

 

 背中にアルフォンソの言葉が降った。最後まで茶化しの言葉か、とマルクは舌打ちした。

 

「じゃあおれからも餞別の言葉だ」

 

 1オクターブ下がった声に、マルクは振り向いた。

 

「足を引っ張り合うから、ライバルなんだ。足を引っ張りあわない関係は、ライバルって言わなくて仲間って言うんだ。お前、相手より先着する競技をしてるんだろ。それとも毎レース、同着を狙ってんのか? キョクトーに向かう飛行機の中で、この言葉の意味をじっくり考えろ」

 

 そう言ってアルフォンソは、笑いを消し飛ばした表情のまま部屋を出ていった。

 

―― ―― ―― ―― ――

 

 マルクはあの部屋でのことを、この日本でも何度も思い出した。

 

 とにもかくにも、ジャパンカップでは、ライバルに先着しなければならない。ただの先着ではなく、できるだけダメージを与えるようなカタチで。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る