飼育委員とセンセイ

安城

飼育委員とセンセイ

 中庭の植木に沿って置かれたアサガオの鉢にひとつひとつ目をやりながら、その先にある飼育小屋に向かってゆっくり進んでいく。どの鉢もつるがプラスチックの輪っかに絡んできていて、先週より確実に大きくなっている。

 アサガオの行列の先にある飼育小屋の中にいる女子はインコのエサかごを取り外しているところだ。おれもそろそろ掃除しないといけない。

 おれがここにいるのはアサガオの観察のためじゃないから。


 そこまでやりたくはなかったけど、ちょっと気になる女子が立候補してたから入った飼育委員会。掃除当番は週に一回。まだ三回ぐらいしかやってないけどもう後悔している。

 ウサギやインコの糞と、食い残されたキャベツや白菜が腐った臭い。今でもこんなに臭うんだから暑くなってきたら……想像したくない。その根源の中にいる女子はそんな臭いはまったく気にしていない様子だ。

 おれは毎回、しばらく飼育小屋の側でグダグダ時間を稼いでいる。せっかくの仲よくなれるチャンスだけどおれの根性はこの程度だ。


「塩田くん、いるんでしょー? 手伝ってよー」


 鈴本が呼ぶから小屋の方に行くと、金網の扉の前にセンセイがいた。高学年になってから算数の授業はそのセンセイと担任の先生が教えてくれる。センセイは歳が離れたお兄さんみたいで、休み時間はみんなによく囲まれている。おれはなんか、あんまり好きじゃない。


「これから岡野先生に代わって僕が来るから、よろしくね」


 先週までは岡野先生が掃除の始めか終わる頃に様子を見に来ていた。忙しいから掃除の間ずっとはいない。別にいなくても掃除くらいおれたちでできるけど。


「よろしく、ザキヤマ」

山崎やまざきだよ」


 クラスの奴とつけたあだ名で呼ぶと、ザキヤマはへらっと笑った。見た目が弱っちくて気に入らないけど、自分のことを『~先生』って言わないところはいい。


「あ、山崎先生~、塩田くんが手伝ってくれないんです」


 鈴本が小屋の中でウサギを捕まえながら言う。掃除する間、中庭に作った囲いへ放しておくためだ。


「塩田くん、いっしょにやろうか」


 低学年の子を相手にしているような言い方におれはイラッとして、無視して小屋に入った。

 三人で五羽のウサギを移動させて――といってもザキヤマは下手くそだったから一羽だけ――中の掃除をした。臭いに耐えられないおれは途中でさりげなく小屋の外に出て、キャベツや白菜を切って新しいエサを作っていた。


 鈴本とザキヤマの楽しそうな声が聞こえて、おれは小屋の方をのぞいた。


「塩田くん、見て見て! レモンが先生の指に乗ったよ!」


 金網越しに、鈴本がうれしそうにおれに言う。微笑むザキヤマの右手の人指し指に黄色のインコが乗っていた。おれは何だかムカムカした気持ちになって、何も答えなかった。二人は話し続ける。


「レモンって名前つけてるんだ?」

「はい、青いのはソラで白いのはユキ。でも同じ色が何羽もいるから分かんなくなっちゃう」

「あはは。そうだね。でもずっと見てたら見分けがつくようになるかも」

「なるといいなぁ」


 同じだろ。見分けなんかつかねぇよ。

 おれは小屋の扉に引っ掛けていた錠を外から掛けた。くすんだ金色の小さな錠。鍵はおれの手にある。


「あっ! 鍵掛けたでしょ?!」

「ええっ」


 二人の声に驚いて、黄色いインコは指から離れて巣箱の方へ飛んでいった。

 焦る二人をおれは外から見ている。こういうのなんだっけ、ユウエツカン?


「開けてよ!」


 鈴本が金網をガシッとつかみ、扉をガタガタいわせながら言ってきた。


「開けてってば!」

「やだね」

「塩田くん、鍵開けてさ、いっしょに……」


 ザキヤマが弱々しく言ってくるのがうっとうしい。そんなに『いっしょ』が好きかよ。


「ずっとそこにいればいいんだ」


 おれは少し離れて二人に言ってやった。


「やだー」

「塩田くん、そんなこと言わないで」


 鈴本が扉をガタガタし続けるのがうるさい。


「鈴本だけ出してやる」


 おれは錠を外してやった。鈴本だけが出るように、外から扉を押さえて隙間ができないようにした。つぶされるようにして出る鈴本を、ザキヤマはおろおろしながら見ている。先生のくせに。

 鈴本が出たあと、すぐ扉を閉めてまた錠を掛けた。


「鍵! 貸して!」


 怒った鈴本がおれの持っている鍵を取ろうとした。鍵を持った手を上げて右・左・右・左と動かすとついてくる。でも背が低いから全然届いてなくて、おもしろい。


「もう! 岡野先生呼んでくる!」


 鈴本は職員室の方へ走って行ってしまった。仕方ないな、開けてやるか。


「塩田くん、嫌がることしちゃだめだよ」


 小屋の中からザキヤマがやさしい声でおれに言った。なんで怒らないんだ。他の先生なら絶対怒るのに。なぜか今は怒られないことにイライラする。


「いつもの塩田くんはそんなことしないだろう?」

「いつもって何だよ」

「算数の時間に、自分が解けたら友達に解き方教えてあげてる塩田くん」


 なんで知ってんだ。目立たないようにこっそり教えてたのに。


「今は算数の時間じゃねぇし」

「そうだけど……うーん」


 金網に指を掛けて、何か考えている。

 なんで先生なのに困ってんだ。


「伝えるのって難しいね」


 なんだそれ? 意味分かんねぇ。


「塩田くんは動物、好きじゃないの?」

「ふつう」

「鈴本さん、すごく詳しいよ。あ、知ってるか」


 知らない。だっていつもは黙々と掃除して、ちょっとウサギさわってニコニコしてるだけ。おれがサボっても「手伝ってよー」って言うだけ。それで結局おれも掃除するけど、なに話したらいいか分かんなくてあんまり話せない。帰る方向も違うし。


「インコの種類とか、ウサギの種類とか……教えてもらったら楽しいかも」


 閉じ込められたことを忘れたように、ザキヤマはおれに話し続ける。うっとうしい。

 もうすぐ鈴本が岡野先生を連れて来そうな気がして、おれは言った。


「ザキヤマ、」

「山崎だよ」

「おれの言うこときいたら開けてやる」

「ええ? なんでそうなるんだ?」


 そう言いながらザキヤマは笑っている。ほんとは何か命令したかったわけじゃない。あっさり開けてやるのが、いやだ。


「じゃあ開けない」

「どうしても?」

「うん」

「そうかぁ。困ったな」


 そう言うわりにのんきな顔だ。このままおれが走って帰ったら、閉じ込められたままなのに。飼育小屋の合鍵なんてないだろ。

 ザキヤマは金網から手を離してしゃがんだ。

 少し黙ったあと、おれのことを見上げてクスリと笑った。


「鈴本さんを残しといた方がよかったんじゃない?」

「なんでだよ」

「僕が来たから怒ってんだろ?」

「意味わかんねぇ」

「来週からは掃除の始まる前にだけ来るから、許してよ」


 相手をするのが面倒くさくなったので、おれはさっさと錠を外してやった。小屋から出てきたザキヤマに言う。


「いつ来たって関係ない」

「そう?」


 ザキヤマがおれを見下ろす。なんかくやしい。


「毎週、三人で掃除しながら話そっか」

「何を?」

「何でもいいよ」

「じゃあ、なんでザキヤマは先生らしくないのかについて」

「はは、直球だね。参ったな」


 照れくさそうに笑いながら、ザキヤマはおれが切ったままにしていた野菜をそれぞれのエサ箱へ持っていった。おれは移動させていたウサギを小屋の中に入れる。ザキヤマが最後の一羽を連れて入ったところで鈴本と岡野先生が来た。


「山崎先生ー!」

「大丈夫ですか?!」

「あ、もう開いてるんで大丈夫ですよ」


 おれは逃げようと、小屋の横に投げていたランドセルを取りに行こうとしたら岡野先生に見つかった。


「こら塩田っ! ふざけるんじゃないぞ!」


 腕を引っ張られて、エアげんこつを食らう。いつものことだ。


「はーいはーい」

「まったく。もう最終下校時間だ、早く帰れよ。鈴本もな」


 いつの間にか隣にはランドセルを背負った鈴本がいた。不機嫌だ。


「はい……さようなら」

「山崎先生、すみませんね」

「いえ、」


 職員室へ戻っていく岡野先生を見ながら、ザキヤマがつぶやいた。


「あんな感じにしたらいいんだ?」


 おれの方を向いて同意を求めてくる。


「よくない。ポーズでも体罰禁止。岡野先生は特別」

「そうだね」


 おれのそっけない言葉に真剣な表情でうなずくので、思わず笑ってしまった。


「塩田くん、山崎先生と仲いいの? 閉じ込めてたのに」


 不思議そうにする鈴本に、ザキヤマがにこやかに言った。


「閉じ込めるほど仲がいいっていう言葉があってね」

「ねぇよ」


 おれは握ったままだった小屋の鍵をザキヤマの腹に押し付けた。


「おおっと確かに預かりました。鈴本さん、とりあえず来週は三人で掃除しよう」


 へらっと笑うザキヤマに鈴本はきょとんとしたまま、はい、と返事をした。


「二人とも気を付けて帰ってね。さようなら」

「さようなら」

「……さよなら」


 最終下校の放送が流れてきて、おれと鈴本は校門へ向かう。

 途中で振り返っておれは大きめの声で言ってやった。


「やっぱ、山崎センセイは忙しいから始めしか来なくていいよ!」


 センセイは『了解』と言うように頭の上に腕で丸を作り、鍵を持った右手をヒラヒラと振った。

 鈴本がおれの顔をうかがってくる。


「ちゃんと掃除してね」

「来週からはちゃんとする」


 おれがそう言うと、鈴本はほっとした顔で笑った。もうすぐ校門だ。


「なぁ、鈴本」

「なに?」

「来週、インコの種類教えて」

「いいよ! それで二人で見て覚えようよ!」

「うん」


 鈴本はとてもうれしそうだ。動物、大好きなんだろうな。


「じゃあね、バイバイ」

「バイバイ」


 早くもおれは心に決めてしまっていた。


 二学期も鈴本が立候補したら、おれも飼育委員しよう。いっしょに。

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飼育委員とセンセイ 安城 @kiilo

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