第23話 恨みを晴らすためならば
フローリアが兄貴をちくちくいじめる一方、俺はおっさんに致死量の100万倍の殺意を混ぜた視線を注いでいた。
「や、やあ。君がフローリア様の婚約者殿でよろしいかな?」
おっさんはソファから立ち上がると、困惑気味に笑顔を作りながら言う。髪と目の色を変えた甲斐あって、愚鈍なおっさんの目は余裕でごまかせているようだ。。
「婚約者候補、だ。よろしく」
俺が笑顔で手を差し出すと、少し安堵したように手を差し出し返してくる。
「――あだだだだだだだっ!?」
骨が折れないギリギリの力加減でおっさんの手を握ってやった。
「これは失礼。親愛の情を込めすぎてしまった」
「そ、それはどうも……」
おっさんは涙目になりながら握られた手を振っていた。
「俺はベル。名字の方は……まあ気にするな。気軽にベルと呼んでくれ。まあ、呼ぶ機会があればの話だが」
「私はベルヘルト・ウィリアナス。ご紹介にあずかった通り、ゼルバート様の婚約者のヒルメアの父親だ」
怯えのブレンドされた愛想笑いで自己紹介するおっさん。
「こう見えて、かの有名な勇者一行として国を救われた戦士の1人なんですよ」
フローリアが極悪人の罪を密告するように説明してくれる。
そして実際その通りである。救国など、俺からしてみれば国家転覆級の大罪だ。こいつを痛い目に遭わせてやりたい理由がまた増えた。
「はは、昔の話です。今では魔力のクラスもAに落ちました」
「そのお歳でAクラスの魔力を維持なさっているだけで驚きに値しますよ」
頭をかいて謙遜するおっさんに、フローリアの父親が世辞を投げる。吐き気が無限にこみ上げてきそうな最悪の光景だった。
「まあ、戦後も貴族に取り立ててもらえなかったからといって、昔取った杵柄を餌にみっともなく貴族に取り入ろうとする意地汚さは確かに驚きに値しますね」
今やフローリアがこの上なく素晴らしい清涼剤にすら感じられる。
勇者と共に戦ったという経歴は、おそらく市民には好意的に受け止められるものだ。それを味方につけることはウォズライン家にもメリットがあるんだろう。
「ということは、だ。俺がそちらのクソお兄様を蹴落としてやると、自動的にクソおっさん様の思惑もご破算ってわけだな」
「クソおっさん様」
おっさんが真顔で繰り返した。それには構わずフローリアがうなずく。
「その通りですね」
「そうか、そうか。それはいい。実にいい」
俺は言いながら繰り返し首を縦に振っていた。
「フローリア、結婚しよう」
「ええ」
したり顔で首肯したフローリアが下を傾けたまま固まった。
「――ええっ!?」
そして光の速さでこちらに顔を向けた。
「結婚――」
「します!」
俺の言葉を引き継ぐようにしてフローリアは同意した。話が早くて助かる。
結婚すれば、あのいけ好かない兄貴を堂々とお高いところから引きずり下ろすことができて、なおかつそれにはおっさんの凋落がついてくる。こうなったらさすがに乗るしかないだろう。
結婚なんて形式上の問題でしかない。用が済んだらとっととずらかればいいだけだ。
フローリアの兄貴は困惑しきりで俺とフローリアを見比べていた。
「え……なんで今の流れで結婚決まったんだ?」
「うっさい邪魔すんなクソお兄様」
「クソお兄様」
さっき俺がおっさんに向けたものをさらに100万倍にしたような濃度の殺意の視線で兄をめった刺しにするフローリア。
兄貴の方は動揺に揺れる目で父親の方を見た。
「……父上、僕はフローリアの目があんなに血走るのを初めて見た気がします」
「私の知る限りでもそうだな」
困惑気味の父親も肯んじる。
そんなことはまったくもって意に介さず、フローリアは少し潤んだ目で俺を見上げた。そしておもむろに俺の手を両手で握って持ち上げる。
「理由なんてなんでもいいです嬉しいですありがとうございます」
「あ、ああ」
そこまで熱烈に喜ばれるとは思ってなかったので、俺の方も当惑気味ではある。
「……父上、僕はフローリアが発情するのを初めて見た気がします」
「私の知る限りそもそも娘の発情した顔を見る父親はそう多くない」
いや、別に発情はしてないだろ。
「はぁ、はぁ……」
……いや、別に発情はしてないだろ?
疑問符を付け加えざるを得なくなる程度にはフローリアの息は荒く、顔は赤かった。滲んだ汗で額に髪の毛が数本貼りついている。妙に色っぽい。
戸惑いを深めつつ見つめ返していると、フローリアは我に返ったように手を打った。
「――はっ、こうしてはいられません! ベルガさんの気が変わらないうちに挙式の準備をしてきます!」
「え、今から?」
「前は急げ、悪はもっと急げです!」
そんな格言は初めて聞くが、確かにもっともではある。より急ぐべきなのは善行と悪行のどちらかといえば、間違いなく悪行の方だ。侵入先の家で悠長にくつろぐ泥棒なんてものがいるはずもない。
フローリアが風のような速さで部屋を飛び出していく。
残されたのはフローリアに物理的にも思考的にも置いていかれた男4人である。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
全員で顔を見合わせた一瞬、この一瞬だけ俺たちの心は1つだった。
――あいつ、大丈夫か?
それから約10分後。
勢いよく開け放たれた扉からフローリアが帰還した。
「――ひいい! 神に誓って身代金は払いますから乱暴はしないで!」
そんな悲鳴をあげる、教会の似合いそうな服を着た初老の男性を引きずって。
「失礼な人ですね。私はお金になど困ってはいませんよ」
フローリアが呆れたように首を振った。
「……訂正を要求するポイントが違うような気がするのは俺だけか」
「え、どこを訂正するのですか?」
「誘拐だと思われてるところとか」
「ああ、確かに……」
フローリアは少し考えてから言い直した。
「誘拐というよりは略取ですね。そして監禁。あと神父様の態度次第では暴行、傷害もです」
言いながら後ろ手でドアの鍵を閉めるフローリア。
「ひ、ひいいい……!」
神父様と呼ばれた男は、哀れにもそんな子馬のような声を漏らしながら尻餅をついたまま後退りする。
「はい、立ってください」
フローリアは容赦なくジェスチャーも交えて命令する。神父は怯えた顔で見上げるだけで立ち上がれない。
フローリアがコンコンとつま先で柄を叩いた。神父を蹴飛ばすための、肩ならしならぬ足慣らしをするかのように。
神父は2秒で立ち上がり兵士のように直立不動になった。
「よろしい」
鷹揚にうなずくフローリアとの対比は、さながら女王と家臣……いや、奴隷のようだった。フローリア、思ってたより恐ろしいやつかもしれない。
俺が感心していると、フローリアがにっこり笑顔で俺の方を向いた。
「ベルガさん、今から結婚式を執り行いますね」
フローリアは潤んだ瞳で頬を緩めて言った。
「顔つきの落差がすさまじいな」
フローリアの兄が苦笑して言った。
「――はい?」
フローリアがにらんだ。
「……身をもって体感したくない落差だな」
うっとりした顔から修羅顔に変わる方の落差を体感したフローリアの兄が言った。
気圧された兄貴は本能的にか、力なく1歩後ろに下がっていた。その反応に満足した様子のフローリアは1度うなずいてから俺に向き直る。
「ではまず指輪の交換を」
「お、おう」
唐突に言ってフローリアが小さな箱を渡してくる。中を開けてみると、クッションの切れ目に飾りのない銀色の指輪が収まっていた。
「さあ、左手の薬指を出してください」
俺もフローリアの勢いに圧されているのか、つい素直に手を出してしまった。
フローリアがそっと俺の左手を取り、薬指に俺の箱に入っていたのと同じ形の指輪を通した。寸分違わぬジャストフィットだった。
……いつ採寸した。
「で、では……私の方にも……」
言いながらおずおずと左手をこちらに差し出してくる。
結婚式っていうのはこんな流れだったろうか、と一瞬考えかけたが、なんかものすごく時間を無駄にしそうなのでやめておくことにした。
俺はおとなしくフローリアの左の薬指に指輪をはめたた。
「あぁ……」
フローリアは目を伏せ口元を手で押さえながら、上気した頬でそんな声を出していた。
……なんというか、その……いや、なんでもない。
フローリアは数秒余韻に浸ったあと、今度は神父の方に鋭い眼光を飛ばす。
「あとはこれの通りに」
女王陛下の勅命を受けた哀れな子馬は、怯えながらも紙に書いてあることを目で追って確認し、それから俺の方を向いた。
「……で、では、誓いの言葉をどうぞ。私が問いかけますので、それに答えてください。いいですか? 新郎ベルガ」
「あ、ああ」
俺がうなずくと、神父は咳払いをした。
「新郎ベルガ、あなたはここにいる新婦フローリアを、幸せなときも、困難なときも、富めるときも、貧しきときも、病めるときも、健やかなるときも、死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることを誓いますか?」
「はい、誓います」
神父はうなずいて続けた。
「新郎ベルガ、あなたはここにいる新婦フローリアから、新婦の許可なく、自分の意志で、自分自身の背丈を1000倍した距離より遠く離れることは絶対にしないと誓いますか?」
「……は?」
「誓いますか?」
……今なんて言った? 結婚式の誓いの言葉にこんな妙なのあったか?
「ベルガさん、こんなのはただの儀式ですよ。深く考えずにどうぞ」
「え? ……まあ、それもそうだな」
別にそれを口にしたからって実際に制約を受けるわけじゃないんだ。この高慢ちきどもを蹴落としたらさっさと逃げるだけだ。
「はい、誓います」
と、軽い気持ちで宣誓したその瞬間だった。
「――は」
左手の薬指に刺すような痛みが走った。痛みは血管を駆けるかのように腕を通って左胸に至り、絡みつく蛇のように心臓を這ってから霧消した。
「あーあ」
「やってしまったな」
ため息と哀れみの声をもらしたのはフローリアの兄と父だった。
「なんだ、どういうことだ?」
俺が眉を寄せると、兄貴の方が答えてくれた。
「その指輪、呪具なんだよ」
「呪具?」
「そう、その指輪をつけた状態で、もう一方の指輪をつけた相手に誓ったことは絶対に破れない。もちろん指輪自体も両者の同意がないと外れない」
「なんだと……?」
俺はフローリアをにらみつけた。
フローリアは白々しく頬をかいて目をそらした。
「あ、あれー? そういえば説明してませんでしたかねー?」
わざとだ。当たり前だろうが、絶対にわざとだ。
「ちくしょうめ……」
……それで、なんだって? 一定距離以上に離れることができない? 破ろうとするとどうなるかはわからないが、これは面倒なことになったな。
さすがに向こうも俺が逃げることは想定していたか。気が変わらないうちにというのは、気が変わらないうちに指輪ならぬ首輪をつけてやるということだったわけだ。それにしても対応が早い……。
「うふふ、これからよろしくお願いしますね。旦那様」
俺はため息をついてフローリアを恨みがましくにらんだ。
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