第22話 モーニングコールは朝焼け顔
翌朝の俺は、昨日に引き続き人の気配で目を覚ました。
無駄に広い部屋が、差し込む朝日に照らされている。陽光は磨き抜かれた床に反射し、まどろみに片足を突っ込んだままだった俺の目を刺すように襲う。
お元気な太陽サマのおかげで半分くらい目を覚ました俺は、ぼんやりと今の状況を思い出した。
そうだった。フローリアにステラが誘拐され、俺は結婚を迫られ、昨日は屋敷の客間に泊まったんだった。
……こうやって言葉にしてみると頭痛くなってくるくらい意味不明だな。
警戒のため、いつも木の上で寝るときのような姿勢でドアの横の壁に寄りかかっていた俺は、ようやく8割方の覚醒に至った頭でドアの向こうに意識をやった。
「……ま、まだ早いでしょうか」
フローリアの声だった。かすかな足音が大きくなったり小さくなったりしてる辺り、部屋の前を行ったり来たりしているらしい。
「うぅ、早く顔を見たい……。で、でも寝てるところを邪魔して嫌われたら……」
……なんだ? 独り言? 誰かに会いに行く予定があるのか?
「そ、そもそも顔を見ると言ってもこちらはどんな顔をすればいいのか……!」
行ったり来たりの足音が大きくなり、ペースも少し速くなる。
「いや、少なくとも今のこの顔は気持ち悪すぎますね。……頬熱っ」
それからうなるような、悶えるような声を挟んで、またぶつぶつ言い始める。
「ええと、昨日言ってたのは確か……『正しく悪事を働ける』? 自分が悪人だと認めて、堂々と悪いことするってこと?」
それだけ言ってまた黙り込み、テンポの早い足音だけを響かせていく。しかし数秒の後その音もピタリと止んだ。
「……つまり、いつも通り?」
ぼそっとつぶやいたその言葉が切れると、再び完全な静寂が満ちる。
気配は感じられるので確かにその場にはいるようだが、物音1つない。そのまま10秒ほどが経ち――。
「――だからそのいつも通りができなくて困ってるんですよ!」
なんか絶叫していた。
……さすがにうるさいな。これではどうあがいても二度寝はできそうにない。
俺は緩慢な動作で立ち上がり、ドアを開けて廊下の様子を窺う。
「おい……もうちょっと静かにしろよ」
「――ぴゃぁっ!?」
フローリアが跳んだ。いや、飛んだ。発射音は小動物の鳴き声のような甲高さだった。
無事着陸したフローリアは、見開いた目と赤い顔でこちらを見た。
「お、おはようございます」
「俺はまだ寝るつもりなんだが」
「す、すみません」
素直に謝罪してうなだれる。その顔はやっぱり朱に染まっていた。
「……風邪でも引いたか? やけに顔が赤いが」
「あっ」
指摘された瞬間、目にも留まらぬ速さで顔を両手で覆うフローリア。
「気のせいです、気のせい」
「なぜ隠す」
「隠してなどいません」
「じゃあその手はなんだ」
フローリアは顔に両手をぴったりと貼り付けたまま微動だにしない。
「これは、その……パックです、パック!」
「……パック?」
「そう! 泥パックとかそういう……美肌に効果ありと最近話題の手パック!」
「お前の手は特殊な成分でも分泌してるのか」
「ええもう、さっきから手汗の泉です!」
もうまったくもって意味不明だった。もしかして寝ぼけてるのか?
なんにしてもちょっとした錯乱状態にあるのは間違いない。一発チョップかビンタでもかましてやれば正気に戻るだろうか。
……いや、余計おかしくなられたりしても困るな。ううむ、どうしたものか。
と、俺が対応に苦慮しているうちに、フローリアは突然その場にしゃがみこんでしまった。
「……しっかりしなさいフローリア。夢見がちで軟弱な乙女はあの日に置いてきたはずでしょう。誰に後ろ指さされようと、誰に恨まれようと、憧れの人にふさわしい強さを手に入れると誓ったじゃない」
そうして何事かつぶやいたかと思うと、覆っていた両手で勢いよく顔面を叩く。
パァンッ、という乾いた大きな音が廊下にこだました。
「えぇ……」
思わず脱力気味に驚きの声を上げてしまう。人がせっかくビンタを控えてやったのに、自分で強烈なのをお見舞いしやがった。
そしてフローリアは自信満々の笑みを湛えて俺の方を向いた。
「すみません。ようやく目が覚めました」
「……やっぱり顔赤いけど」
「ビンタのせいです。まず間違いなく」
「いや、頬だけ……」
「いいえビンタのせいです絶対に」
「……そうか」
今のフローリア相手だと人の血は緑だと主張されても押し切られる気がする。
朝の早い時間に独りでしゃべり続けるだけで赤くなる理由というのがちょっと気になっただけだから、別にいいんだが。
「あ、そうでした。今日はこのあと、お兄様の婚約者の方がベルガさんに会いにいらっしゃることになっています」
慌てて話題をそらすような調子でそんなことを言う。
「は? なんで俺」
「それはもちろん私の夫候補ですから」
「外堀埋めてきやがったな」
「なんでもしますとも。あなたと結婚するためでしたら」
俺と結婚、ねえ……。
王子様についてはもうどうでもいいとか言ってたっけか? 結局意味はわからずじまいだったが……要はもう本気で当主の妻の座に狙いをしぼったということなんだろうか。
と、考えたところでふと気になった。
「そういえば、この国の本物の王子ってのはどんなやつなんだ?」
「クズですね」
「即答かよ」
フローリアの顔は嫌悪に歪んでいた。
昨日あれだけ王子様がどうのとか話してたのに、本物の王子はこの扱いである。
「究極のナルシストです。まあ実力は伴ってますが……だからこそたちが悪い」
「強いのか」
「ええ、詳しいことはわかっていませんが、不死身だとすら言われています」
「不死身? どういうことだ」
「さあ? まだ公に実戦は行っていませんから。そういう魔導武器なのか、そういう魔術なのか……」
強力な鎧の魔導武器だとか? でもそれなら鉄壁とかそういう異名をとりそうな気もする。
今のところ、本当の意味での不死身を可能にする魔術は生み出されてはいない。研究はされているが、必要魔力の問題で不可能と見られているのだ。
不死身とは瞬間的なものではなく、常にその状態を維持しなくてはならないものだ。最低でも戦闘中はずっと、だ。数十や百の魔術師の魔力を合わせれば実質の不死身状態を作り出せる可能性はあるが、その維持はあまりに現実性を欠くという。
「でも頭の方は絶望的ですね。魔導武器で遊びたい放題で、帝王学含め一切の教育を拒絶し続けてます。そのせいもあって思想の偏りも顕著です。『力なきものに生きる資格なし』。魔術学院の入学資格厳格化も彼の主導です」
「ほう、それはいいことを聞いた」
それくらい傲慢でこそ叩き甲斐があるというもの。地位といい犯した罪といい、俺の復讐の最終目標にはもってこいじゃないか。
「その代わり『竜卓十六鱗家』を筆頭に、力ある貴族とはズブズブです。逆にいくつかの家はこれまで長らく忠義を尽くしてきたにも関わらず、たった一代、王子の要求通りの力に達しなかっただけで冷遇されるようになり不満を燻らせています。もちろん普通に暮らしている王都の市民も」
「……放っておいても崩壊しそうだな、王国」
俺が手を下す前に勝手に滅んでもらっては困る。その王子とやらが国王になる前にギタギタにしてやらなくては。
そうやって王位継承者を全員どうにかして、調子に乗って名乗りを上げる貴族も潰す。これで実質王国は滅ぼせる。完璧なプラン。誰が脳筋だ。
「どうでしょうね。恐怖政治としてこれまで以上に安定する可能性もあります。なにしろ王子と『十六家』の魔導武器ですから。反乱なんかが起きても、最悪市民が皆殺しにされるだけかもしれません」
「まあどっちにしてもお先真っ暗ってわけだ。俺にとってはどうでもいいが」
もちろんどうでもいいのは王国の存亡のことで、誰がその滅びを与えるのかという点は決してどうでもよくない。……さて、どう潰してやるのが一番愉快かね。
それからしばらく経って昼前。フローリアの兄の婚約者が到着したということで俺とフローリアは部屋を出て応接室に向かった。
「どんなやつなんだ?」
「美人です。すごく。肌に泥を塗り込みたくなるくらい」
呪い殺さんばかりの声色で、吐き捨てるように言う。
「身体操作魔術って他人には使えないのか?」
「やろうと思えばやれると思いますけど……どうしてですか?」
「いや、泥塗るより効果的だろ。鼻潰すとか、ケツアゴにするとかとか」
「…………!」
フローリアは冒険に出た先で素敵な発見をした幼い少年のように目を輝かせた。
「師匠と呼ばせてください」
「なんのだ」
「もちろん悪事の」
「よし、いいだろう」
俺とフローリアはがっちり握手を交わした。
そのまま、なぜか足取り軽いフローリアのあとに続いて応接室までやってくる。ノックにフローリアの父親の声が返ってくるのを聞き届け、中に入った。
部屋の中にはフローリアの父、兄、そして「おっさん」がいた。
「――――」
俺は絶句した。
なぜなら、俺はそのおっさんの顔を知っていたからだ。
……いや、知っているどころの騒ぎじゃない。忘れるはずもない。忘れるべくもない。この目が、この耳が、そしてこの拳が覚えている。
ソファの上に背筋を伸ばして座っていたのは、あの日俺に殴り飛ばされ、無様にも意識を失い、俺の王都追放の元凶となったあの男だった。
俺は1つ咳払いをしてから、おっさんから視線を外しフローリアの方を見る。
「……聞いてたとおりの美人だ」
「ええ、お兄様もゾッコンで」
「おい適当なこと吹き込むんじゃない!」
勢いよく立ち上がり、びしっとフローリアを指差す兄上様。
「……はあ、この程度の冗談も通じないから嫌われるんじゃないですか?」
「ぐっ……」
フローリアが性格のよさがにじむ笑顔で放った一言に、兄貴は言葉に詰まって苦虫を噛み潰したような顔になる。
「嫌われる?」
「ああ、元はお兄様の一目惚れなんですが、今この場にいらっしゃらないことからもわかる通り、お相手の方はかけらも乗り気ではないんです。婚約を決めたのは権力にたかりたいそちらのお父様、というわけです」
「じゃあお前の兄貴と婚約してるのはそのおっさんで間違いないわけだ」
「なるほど、確かに」
フローリアは大仰にうなずくと、兄貴の方に向き直った。
「私の発言は必ずしも冗談とはいえないものでしたので、今は冗談の通じないお兄様を馬鹿にするタイミングではありませんでした。訂正してお詫びします」
一切の手加減なしに煽り倒すフローリアに、兄貴は額にビキビキと青筋を立てていた。
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