会社の後輩の生放送を偶然見つけたからフォロワーになった。

@yu__ss

会社の後輩の生放送を偶然見つけたからフォロワーになった。

 最近の若い奴の考えてることがわからない、なんてそんな中年のおっさんみたいなことは言いたくないのだけれど、でもやっぱり彼女が考えていることはよくわからない。

 私、佐藤さとう灯子とうこがこの会社に入って、今年で六年目。

 頑張らないをモットーに、淡々と責任のない仕事をこなしてきたが、六年目にして初めて新人の教育担当を任せられてしまった。

 その新人が彼女、野寺のでらあまねさん。

「お先に失礼しまーす」

 オフィス内に明るい挨拶が響いた。野寺周が足早に帰ろうとするところ、私は嫌々ながらひとつ釘を刺す。

「野寺さん、期初目標設定はどうですか?」

 期初の重要なタスクについて問うと、彼女は明るい笑顔で「明日までですよね、明日やります!」と返された。元気だなぁ。

「行動指針設定もお願いしますね」

「はーい」

 と、これまた明るく返答し、軽やかな足取りで彼女は帰路に就いていった。

 彼女を見送り、私は自分の期初目標設定のエクセルファイルを開く。もちろんそこには、教育担当として野寺周を戦力にするという目標も記載されている。

 さて、どうしたものか。

 小さくため息をついて、エクセルを閉じた。

 新人研修の終わった彼女がこの部署に配属されて二か月が経過した。

 周囲の評価は上々。新人らしい明るい挨拶と笑顔がその理由だ。

 新人など、仕事の事を何も知らなくても、明るく振舞っていれば周囲の覚えもめでたくなるものだろう。実際、愛想のない私が入った時の評価は最悪だったらしいのだが、まあその話はどうでも良いか。

「んー」と一つ伸びをする。

 私から彼女への評価も、概ね周囲と同様。

 明るいだけでなく、周囲への配慮もできる、ちゃんとした社会人の卵といった印象だった。

 ……つい、ひと月ほど前までは。

 今は正直よくわからないのだ。

 彼女の態度が変わったわけではない。相変わらず社内では明るく振舞っているし、挨拶も鬱陶しいくらいに爽やかだ。

 変わったのは私、というか私が彼女のことを知りすぎてしまったのが、一番の理由だろう。

 それには、理由がある。




 ここひと月の間に、趣味がひとつ増えた。

 毎晩アパートに戻ると、まずパソコンの電源を入れ、ブックマーク登録からユーザー投稿型の動画配信サイトにアクセスする。サイト内の「生放送」と書かれたリンクをクリックすると、沢山のサムネイル画像が表示された。

 その画像の先のリンクは、一般ユーザーのライブ配信の放送だ。

 世界中で多くの人間が、今この時間にインターネットを通して映像を配信している。ゲームをしている者も居れば、話しているだけの者も居る。

 そして、配信しているよりも多くの人間が、そういった配信を視聴し、時には配信にコメントをする事で、配信者とコミュニケーションをとっている。

 そんな小さなコミュニティがいくつも形成されている、現代を象徴するようなサービスだった。

 正直に言うと、私は全く興味が無かった。何が面白いのかピンと来なかった。

 ただ、私が毎夜試聴する配信者だけは、色々な意味で特別だ。

雨垂あまだれねおん」と名乗るその女性配信者の配信スタイルは、よく雑談などと呼ばれる配信で、「雨垂ねおん」が喋り、視聴者がコメントで反応するという形で配信している。

「雨垂ねおん」の配信は映像はなく、常に画面は真っ暗となっている。ただ「雨垂ねおん」が話しているだけなのだが、実はその内容も面白く無い。務め先の愚痴がほとんどである。そんなの聞かされてもせいぜい「頑張って!」くらいしかコメントのしようがない。

 そんな事もあり、「雨垂ねおん」のフォロワーはたったの一人、私しかいない。たまに他の人が試聴しているときもあるのだが、画面の地味さや配信内容からすぐに離れてしまう。

 ではなぜそんな配信を私が熱心に見ているかというと、「雨垂ねおん」が私にとって特別だからだ。

 というか、「雨垂ねおん」の中の人は、私が教育担当をしている野寺周その人なのだ。「あまだれねおん」が「のでらあまね」のローマ字のアナグラムになっているのに気づいた時は、なぜか私が恥ずかしかった。

 本人に直接聞いたわけではないが、声や話の内容から、恐らく本人で間違いないだろう。

 ひと月ほど前に偶然「雨垂ねおん」を知り、その配信を聞いた私はかなりショックを受けた。社内では明るく振舞っている彼女が、ぐちぐちと教育担当の不平不満を漏らしているのを聞いたときは、余りのショックで次の日はまともに顔を見られなかった。

 しかし、夜になり彼女の配信が始まると、彼女の配信が気になって仕方がない。

 また全世界に私の愚痴を配信しているのではないかと気が気ではなかったし、気になって観に行けば実際に配信されていた。

 繰り返される私への愚痴に耐えられなくなり、コメントで何も知らないフリをして「雨垂ねおん」の味方をしたりもした。教育担当(私)の愚痴を、視聴者(私)が聞くという構図は、なかなかに滑稽なものだろう。

 そうこうしているうちに、人間とは大したもので、だんだんとそんな環境にも慣れていった。慣れてくると、自分でも意外だったのだが、この関係が楽しいと思えてくるようになった。

「部長がどうしようもなく頼りにならない」とか「課長は何を聞いても答えられない」とか「教育担当は人間の心が理解できない機械だ」とか、そんな愚痴を聞きながら「なんで部長やってるのって思うよね」とか「実務のこと何も知らない上司っているよね」とか「そういう人が教育担当だと大変だね、ねおんさん頑張って!」とかコメントする時間が、私にとってはなぜか癒しの時間になっている。




『生放送が始まりました(システムメッセージ)』『さとさん(フォロワー)が入室しています(システムメッセージ)』というシステムメッセージが、画面右側のコメント欄に表示される。『さとさん』というのは私のことだ。

『さとさんこんにちわー、今日も来てくれたんだねー』

 そんな声が、真っ暗な画面から流れてくる。

「こんにちわ」と返答をタイピングし、エンターキーを押す。右側のコメント欄に『こんにちわ(さと)』と名前つきで即座に反映される。

『いつも来てくれてありがとうねー』

「いえいえ」

『ねー聞いてくれる? 今日とーこちゃんがさぁ、帰り際に呼び止めるからね』

 とーこちゃんというのは、ねおんさんの教育担当のことだ。つまり私のことである。勝手に本名出さないでほしい。

「何ですか?」

『何かと思ったら、明日締め切りの仕事の話をしだしてさ』

「あー」

『明日でいいのに、何でわざわざ呼び止めるかなぁ』

「そういぬお」

『帰ろうとしているところを、呼び止める事ないよねぇ?』

「鬱陶しいですよね」

 微妙にラグやら誤字やらができながらも、ねおんさんと『とーこちゃん』の愚痴で盛り上がる。

『言い方も相変わらず機械っぽいし』

「ww」とか打っているが、全く笑えない。余計なお世話だ。

 うーむ、帰り際に呼び止めるのはダメなのか。今度から気を付けよう。

『課長の指示は意味わかんないし』

「あーそういう人いますね」わかる。課長の曖昧な指示には私も辟易させられている。

『あ、それと、部長のお弁当が生姜焼きだったんだけど』

「へー」そういえば、お昼にそんな事を話してたような。

『奥さんの手作りらしくてさぁ、羨ましかったー』

「素敵ですね」流れ的に部長の愚痴かと思った。

『なんで奥さんはあの人と結婚したのかなぁ』

「ww」わかるけど。

『だから私も晩御飯生姜焼き作っちゃった』

「いいですねー、私も食べたいです」だからの使い方がおかしくないか。

『ほんと? さとさんにも今度作ってあげるー』

「ありがとうございます!」何だこのやり取り。

「ねおんさんの手作りなら絶対美味しいですよね」

『美味しいよー、さとさんは料理しない?』

「しないです」

『そうなんだー、さとさん何でも出来そうだから意外かも』

「料理出来る人尊敬します」

『いやぁでも難しいものは作れないからねー』

 そんな風に言いながらも、雨垂ねおんの声はどこか嬉しそうで私は安心する。

 そんなどうでもいい会話を繰り返していると、時間はどんどんと流れていった。

『あ、もう時間だね』

「そうですね」

 配信は基本的に一回30分。続ける時は課金、あるいは一旦放送を終了する必要がある。

『さとさん、明日仕事?』

「はい」

『そっかー、じゃあ今日は終わらせよっか。私も仕事だし』

「わかりましたー」

『じゃーね、今日はありがとー、また明日ねー』

 と彼女の言葉を最後にぷつん、と何かが途切れた音がする。

 コメント欄には『生放送が終了しました(システムメッセージ)』と表示される。

「ふー」

 暗い画面に向かって、私は小さく溜息をついた。

 会社で佐藤灯子として野寺周と接するときには、先輩としてどうしても上から接することになってしまう。そういうことが無いように、できるだけ機械的に淡々と接するようにはしている。あえて丁寧語で話かけるようにしているし。

 けれど、それでいいのだろうかと思うこともある。私次第で、彼女の人生を変えてしまうかも知れないと考えると、荷が勝ちすぎているように思う。

 だからせめて、さととして雨垂ねおんと接する時は、100パーセント彼女の味方でありたい。そう思っているから、彼女の素の声に、私は癒されているのかもしれない。

 彼女が佐藤灯子よりもさとを信頼しているというのは、まあ、少しだけ寂しくもあるが。




 翌日、18時45分。すでに定時の18時30分を回っている。教育担当としては野寺周には定時退社して欲しいと思っているのだが、彼女は未だエクセルに向かっている。

 何をしているか気になる。気になるが、こちらからはあまり声をかけないようにしている。以前、雨垂ねおんがあまり口を出さないで欲しいと言っていたからだ。

「佐藤せんぱーい」

 お。

「はい」

 自分の仕事に集中していたふりをしながら、彼女に応える。

「どうしました」

「期初目標設定が終わったんで、共有サーバーにおいときますね」

「はい、承知しました」

 ずっと前から言っている「期初目標設定」を書いていたらしい。

「期初目標設定」は、会社が前期と後期の初めに提出を義務付けているファイルで、エクセルで渡されるフォーマットに今季の目標を記述するようになっている。全社員に義務付けられており、私はすでに提出してしまった。

 通常は直接人事部に提出するのだが、彼女は初めて書くので先に私が内容を確認することにしていた。

 確認すると共有サーバーには、彼女の名前と社員番号が入ったエクセルファイルが置いてある。

 ん?

「野寺さん」

 すでに帰り支度を始めている彼女を呼び止める。

 ああ、これはダメだったか。しかし彼女は嫌そうな顔をせず、笑顔で「何でしょうか」と応えた。

「行動指針設定が無いようですけど」

「行動指針設定」というのは、3年目までの社員だけが対象の、これまた同じようなエクセルファイルである。目標設定が結果重視の書き方をするのに対して、行動指針は過程を重視するようなフォーマットになっている。まあ、3年目くらいまでは過程を重視しようという会社の方針らしい。

 こちらも併せて提出して欲しいと彼女には伝えていたはずだが……。

「それって何でしたっけ」

 本人が目の前に居なければ、顔を覆って盛大に溜息をつきたいところだった。

「一緒に提出するように言ったと思います」

 と努めて冷静に伝えても、思い出せないのかキョトンとした顔をしている。

「メールには何も書いてなかったと思いますけど……」

「人事からのメールは全員宛てですね。行動指針は3年目までなので、別で来ている筈です」

 これを言うのも4回目くらいだが、どうも伝わっていなかったようだ。

「……えっと、その」

「どうしました?」

「……すみません。見てません」

 彼女は納得していないような雰囲気で、珍しく不満そうな顔をしている。

「そうですか。私の伝え方が悪かったですね。次は理解できるように伝えるようにします」

 フォローのつもりでそう言ったが、彼女は益々不満そうな表情になる。

「明日で構いませんので、今日はもう帰ってください」

「……でも、今日までですよね」

「明日で構いません」

 実際に人事に提出するのはまだ先で、今日は内容確認のために私が設定した締め切りだ。私の裁量で延ばすことが出来るものだが。

「いえ、今日これからやります……」

 なんだか、彼女は意地になっている、ような気がする。

「残業する場合はそれなりの理由が必要ですね。今回の場合は理由にはなりません」

「……」

 彼女は黙ってしまった。言い方が良くなかったのだろうか。

 本来ならば、教育担当として彼女をフォローするような事が言えれば良いのだけれど。

「今日はもう帰ってください」

 こんな言い方しか出来ないのは、私の性格が悪いからなんだろうか。

「……すみません」

 彼女の声は震えている。悲しんでいるようにも聞こえるし、怒っているようにも聞こえた。




『もー、聞いてよーあの機械がさぁー』

 真っ暗な画面から、雨垂ねおんの不満たっぷりな声が投げかけられた。機械というのは、とーこちゃん(私である)のことだろう。

『フツーはもっと優しく言えばいいのに』

 日本語がおかしいが、それだけ御立腹なのだろう。

「嫌な事ありました?」

『聞いてー、今日とーこちゃんに書類提出してないって怒られたんだけど』

「はい」

『私は聞いてなかったんだけど、とーこちゃんは言ったって言うんだよー』

 言ったよ。4回。

『えー、これって私が悪いの? 悪くないよねぇ』

 悪びれる様子のない彼女の態度に、つい嗜めたくなってしまう。

「本当にとーこさんは言わなかったんですか?」とタイプしかけて、やめた。

「確かにそれはとーこさんが悪いですね」

 さとは、いつだって雨垂ねおんの味方だから。

 しかし、彼女はうーんと唸っている。

『いや、とーこちゃんも悪くは無いんだけどさぁ……』

 ……意外な反応だ。そーだよねそーだよねと、乗ってくるかと思ったが。

「確かに、誰も悪くない事ってありますよね」

『……うん』

 彼女は深い溜息をついた。

『とーこちゃん、私のこと嫌いなのかなぁ』

 一瞬、胸に氷が落ちてきたかのような心持ちになった。冷たくて不快な驚きだった。

 嫌いとか、そんな事は無い。決してそんな事はないのだが、上手にそれを伝える術を有してはいなかった。

「そんなこと無いですよ」

『そうだと良いけど……』

 根拠を示せない言葉は、彼女の心には届かない。わかってはいるが、何を言えば良いかが見つからない。

 早く返信しなければと、焦る気持ちに押されるように手を走らせる。

「もし、私がとーこさんなら」「ねおんさんのこと、好きですよ」

 エンターキーを強めに叩いた瞬間に、冷静になって頭を抱えた。……私は何を言ってるんだ。

 若干のタイムラグの後、彼女は吹き出して笑っていた。

『……ありがとうね』

 少しだけ彼女の声色が戻ったので、とりあえずひと安心。

『さとさんはいつも可愛いね』

 可愛い? 私が?

 物心ついて以来、一度として貰ったことのない好評に若干動揺する。

 深呼吸をして「嬉しいです」とタイプ。エンターキーを押すが、通信のラグなのかすぐには反映されない。

『今度、会いませんか?』

 ん?

『オフ会しませんか、ふたりだけの』

 今度は、首すじに暖かいお湯をかけられたかのような心持ちになった。今度の驚きは、決して不快ではない。

 不快ではないけど、ちょっと、困った。どうしよう。会えばもちろん、『さと』が佐藤灯子だとわかってしまう。

 そして困ったことは重なるもので、先ほどのコメントが漸く反映される。

「嬉しいです」

 えーっと。

『今度、会いませんか?』『オフ会しませんか、ふたりだけの』に対して「嬉しいです」って。なんだか私がオフ会に乗り気みたいなやりとりになってしまった。

 慌てて否定しようとして「ごめんなさい、会いたくないです」と送りそうになった。危ない危ない。

 そんなコメントを送れば、また彼女を傷付けてしまう。しかしなんて送ればいいのか。

『ホントですか?』

 迷っている間に、追い討ちをかけるように、画面の向こうからは雨垂ねおんの嬉しそうな声が聞こえてくる。

 まずい。

『あの、あとでダイレクトメッセージ送りますね』

 何か返そうかとキーボードに向かおうとすると、真っ暗だった画面が急に明るくなった。

 そこにはパーカーを着た雨垂ねおんが、いや野寺周が映っている。

『私、こんな顔です。会えるの楽しみにしてます』

 興奮しているのか恥ずかしがっているのかわからないが、周の顔は上気している。

 照れたように手を振る彼女に、何故だかわからないが、私の心臓は早鐘を打っていた。

 普段とは違う彼女に、どくんどくんと胸が高鳴った。

 そのまま画面は暗くなる。コメント欄には『生放送が終了しました(システムメッセージ)』と表示されていた。




 翌日の私は最悪だった。

 寝不足で普段のパフォーマンスは出ないし、野寺周を意識して上手く話しかけられない。

 仕事にならない。

 しかも雨垂ねおんからはダイレクトメッセージが届いている。

『来週の土曜日、ご都合どうでしょうか?』

 と来ているが、ご都合以前の問題なのだ。

 ……私は、『さと』として会う気は無い。

 しかし、それを雨垂ねおんを傷つけることなく、やんわりと断る方法が思いつかない。

 そんな事を考えいるから仕事にも集中できない。こんな感じに負が連鎖していく。

 そうこうしている間に昼休みになった。

 ちらりと野寺周を見ると、いそいそとスマートフォンを取り出して、なにやら確認している。

 それが『さと』からのダイレクトメッセージを確認しているかのように思えて、益々気が重くなる。

「あ、すいません。昼休み早々にスマホいじっちゃって」

 私の視線に気付いたようで、彼女は私に謝った。

「いや、別に良いけど」

 視線を送ったことを誤魔化そうとして曖昧な返事をすると、彼女は嬉しそうに笑った。

「いま大切な人に連絡してて、返事を待ってるんです」

 彼女は嬉しそうに私に語りかけた。

「インターネットで出会った人なんですけど、とっても優しい人なんですよ」

「……そう」

 酷い罪悪感が、私の心中を占めている。

 ごめんなさいと、心の中で謝った。

 そんな私に気付かずに、まるで恋する乙女のように彼女は頬を赤くして語る。

「私の事を、恋人みたいに大切にしてくれるんですよ」

 そう語る彼女は、本当に恋人のこと語るかのように幸せそうだった。

 辛い。

 もう、楽になりたい。

 これ以上、嘘を付くのは、私には無理だ。

 雨垂ねおんに「来週の土曜日、会いましょう」と返事をすると、野寺周は嬉しそうにスマートフォンを握りしめていた。




 週末の駅前は、平日とは違う客層で溢れていた。最近できたばかりのパフェスタンドの近くに立ちながら、彼女を待っていた。

 彼女が来た時のことをいろいろとシミュレーションした結果、最初に謝ってしまうのが一番良さそうだという結論となった。

 もしかしたら怒るかもしれないが、まさか泣き出したりはしないだろう。……たぶん。

 もう何度目になるかわからないが、時計を確認する。間も無く約束の時間になる。

 胸は、どうしようもなく高鳴っている。

『電車降りました』

 そんなダイレクトメッセージを受け取り、もう一段気持ちが昂る。

 何も考えられず、ただ改札口の方を見つめていると、野寺周は降りてきた。白いハイネックブラウスに、プリーツスカートがふわりと揺れる。

 初めて私服で出会った彼女に手を振ると、随分と驚いていた。まあ、それはそうだろう。

「佐藤先輩?」

 近づいてきた彼女が口を開いて何か言いかけたが、私が先に声を出した。

「ごめんなさい」

 開口一番、そう謝罪する。

 ぽかんとしている彼女にむけて「私が、『さと』なの」と伝えた。

 やはりぽかんと口を開けていた彼女は、急にハッとしたような表情をする。

「え、ほんとですか?」

「……うん」

 彼女は驚いているような、戸惑っているような顔をしている。

「あー……」

「……」

 お互いに何も言えず、沈黙が流れる。何か言わねば。

「黙っていて、ごめんなさい」

「いえ、私こそ、先輩のこと、先輩に話してすみません」

 彼女もどうやら混乱しているらしい。

「ごめんなさい。もし聞きたいことがあれば、なんでも話すから」

「はい……あの、じゃあ」

「ええ」

「さとさん、自分が先輩なら、私のこと好きだって言いましたよね?」

 ん?

「えっと、そうね」

「つまりあれは、私のこと好きだってことですか?」

 ちょっと待って。

「……ええと、うん」

「はー、そうなんですねー」

 彼女は驚いた様子で吐息を漏らした。

「私も佐藤先輩のこと、結構好きですよ」

「え、うん、ありがとう……」

 ……なにこれ。

「えーっと……」

「じゃあ、行きましょうか?」

 彼女は笑う。

「今日は楽しみましょう、とーこせんぱい?」




「野寺さん」

「はい! なんでしょうか?」

 私が声をかけると、彼女は嬉しそうに応えた。

「提出してもらった目標設定だけど」

「はい!」

 声がやたらと高い。何がそんなに嬉しいのだろうか。

「えーっと、もう少し定量的な目標に出来ない? 努力するとか、配慮するとか、そういう書き方じゃなくて」

「ていりょうてきってなんですか?」

 もう一度新人研修を受けさせた方がいいのでは無いだろうかと、頭を抱えたくなる。

「とりあえず、今日はもう定時だから」

「はい!」

 彼女は嬉しそうに応えた。

 にこにこしながら私を見つめている。

「先輩、そしたら」

「ええ、出ましょうか」

 言うが早いか、彼女はパソコンをシャットダウンする。私は私で、いそいそと落とす。今日を楽しみにしてたのは、私も同じ。

「お先失礼しまーす」

 彼女は一足先にオフィスを後にする。

「お疲れ様です」

 彼女のあとを追って、私もオフィスを出る。出たところで、彼女は待っていた。

「生姜焼きの材料ってあります?」

「私は料理しないって」

「じゃあまずはスーパーですね、近くにありましたよね」

「たぶん」

「冷蔵庫って何入ってますか?」

「……チーズ」

「……とーこせんぱい、仕事以外は結構ズボラですよね」

「……否定はしないけど」

「専業主婦やってあげましょうか?」

 野寺周は、可笑しそうに笑った。

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