蠢く思惑

54話

「皆さん狡いですわ!私もその太極拳なる秘術を知りたいですのに!」


「そーですよー。私も仲間外れ悲し過ぎます。私にも是非お教え下さい!エレーン様!」


ニコルとジレーヌにもお願いされて、結局女性達に太極拳を教えていたエレーンだったが、何故か…グロウリットやアルブダの騎士達、連れの兵士達にまで何故か流行してしまったのは、西の砦に到着する直前だった。勿論、ギルバートもフェイ家の太極拳は熟知しているので、流行の大元はギルバートなのだろうが、何度目かの休憩で、男達が太極拳をしているのを視界に捉えた時は、何とも言えない気分になったのだった。


クシャナディアには必ずストレッチを施して、初日の筋肉痛程にはならなくなった頃、一行は西の砦に到着した。手続きをしている間、反対から一台馬車が通り過ぎた。エレーンは何の気なしに窓の外を眺めていたのだが、その馬車が通り過ぎた時、窓の中を一瞬だけ視界の端に捉えて、目を見開いた。


それは、舞踏会で顔を合わせたシュンベルのあの第四皇子に見えたのだ。


「どうかされました?エレーン様?」


マルニリアに問いかけられ、エレーンは直ぐに車内へ視線を移した。


「いいえ、何でもありません。」


これは報告した方が良いかと思いながら、エレーンは馬車に揺られ砦の中へと入って行ったのだった。





一方、ウェリントン国シュヘルトの城に残っていたアレクシスへ、あり得ない話しが舞い込んでいた。


件の侯爵、ハウエル家現当主、ヴァレリーがアレクシスの執務室へと訪ねて来たのだ。勿論、いきなり来訪した訳では無く、散々打診され、これ以上無視出来ない程まで伸ばしに伸ばした結果であった。


ヴァレリーは調べられているとは思っていないのか、はたまた大胆にもそれでも構わないと思っているのか、アレクシスの前に現れた彼は、短めの黒髪を後ろへ撫で付け、短く生やした口髭が威厳を醸し出しているのだが、その雰囲気とは裏腹に人懐こい笑顔を向けている。


しかし、アレクシスは辛うじて顔を顰めてはいないものの、その雰囲気は怒気を纏っていて、ロバートは笑顔の裏ではらはらとしていた。


「…そんな事を態々言う為に、ヴァレリーどのは忙しい時間を割いていらしたのか。私は暫くその様な話しは受けるつもりがない。第一、そういったものは兄上が先だろう。申し訳無いが、お引き取り願おう。」


アレクシスがそう言うのも無理は無い。ヴァレリーは何を思ったのか、見合いの話しを持って来たのだ。渡された絵姿には、まだ幼いながらも可愛らしい令嬢が描かれている。只でさえ、エレーンが出立して早十日以上が経ち、顔が見れないストレスを押し込んで仕事をしていた彼である。絵姿を破り捨て無かっただけでも褒めて欲しいくらいだった。


「只会って頂くだけでも構いません。姪に当たるのですが、これが中々利発な娘でして…。」


「…無理だ。興味が無いのでな。申し訳無いが…。」


アレクシスは会話がこれで終わりだとでも言うように、書類へ目を通し始めた。


「ですが、オレリアス殿下はあのマルシュベンの娘と婚約するのでしょう?次は直ぐに殿下へと見合いが殺到致します。見極める為にも、お時間がある時にお会いして頂くのが一番だと…」


「……は?」


思ったよりも声が低く響いて、アレクシスは慌てて居ずまいを正し、ヴァレリーを見据えた。


「その様な話しは無い。憶測でものを申されると困る。考えを改めて頂けるだろうか、ヴァレリーどの。」


アレクシスが平静を装って苦言を呈すと、ヴァレリーは響いているのかどうなのか、笑みを深くする。


「…それを聞いて安心致しました。ですが、それとこの話しは別の事。興味がありましたら、是非私にご連絡願います。」


そう言うと、ヴァレリーは立ち上がり、礼をして颯爽と執務室を後にしたのだった。


「…坊?」


アレクシスは暫し頭を抱えていたが、大きく溜め息を吐くと、絵姿を乱暴に机の端に投げる様に除けた。


「…何だあいつは。エレーンが兄上の婚約者だと?ふざけた事を抜かしやがって…。」


そう言う彼の怒りは凄まじい。やっと両思いだと分かった愛しい人は遠い地へ行ってしまい、しかも兄の婚約者?とんでもない。本人抜きにして話しを進めるわけにも行かないから、全ては戻ってから…もしくは、一連の事件が解決した暁にと考えて日々耐えていると言うのに。奴は神経逆なでしにでも来たのだろうか?


「落ち着きなさい。あれは探りに来ただけでしょう。万が一オレリアス殿下がマルシュベンを取り込む事になれば、力を均衡させたいが為に、坊に親類を当てがおうと言う腹積もりだったのでしょう。が、そのつもりが無いと判明して、ご機嫌で戻ったまでの事。一々目くじら立てていてはこの先身が持ちませんよ。」


アレクシスとてそんな事は充分理解している。オレリアスに直接聞くのも憚れるから自分の所へ来たのだろうが、腹が立つものは腹が立つのだ。


「相変わらず、第二王子を利用しようと画策する者達が多過ぎる。ここ最近はエレーンに注目が集まってそうでも無かったが…また面倒になりそうだ。」


アレクシスの目はエレーンが見たことも無い程鋭くなり、光を失っていた。王城での生活は、彼の心に易々と安寧を与えてはくれないのだ。子供の頃から、嫌と言う程分かってはいるのだが。


「…それも数ヶ月の辛抱ですよ。しかし、どうにも顔を売りにアルブダへと行ったと思われてますね。まあ、本当の職務は誰も知らないから仕方ない事ですが…。」


それを聞いて、また大きな溜め息が出てしまう。


「それならばまだ笑い話しでも良いのですが、もし…向こうのシャリフ殿下との見合いだの何だの言い出す人が出ない事を願うばかりですね。」


「っはぁ?!」


アレクシスは驚愕の目でロバートを見やった。一体何故そんな話しになると言うのだ。


「坊、落ち着きが無さ過ぎます。先程からその言葉使いは頂けませんね。…まあ、深く勘繰るのは私の悪い癖ですから、心配しないでも大丈夫ですよ。真実は坊の中にあるのでしょう?」


「それは…そうだが…。」


「それにしても、探りを入れて来ると言うことは、此方の動きに気付いていないと受け取るべきか…。リン君にも連絡を入れておきましょう。」


ロバートの推察も、アレクシスは聞いていなかった。万が一、噂が流れるぐらいならばどうとでもなる。しかし……。いまはエレーンの帰城をひたすら待たなければならない事実が、アレクシスを更に苛立たせるのだった。




その頃、アレクシスの見合い話しに真っ先に茶々を入れそうなルーカスは、休息日という事で、王都の商業区へと足を運んでいた。様々な店が並ぶ中、一際大きな店へと入る。


「いらっしゃいませー♪…って、何だルカ君じゃない。」


数々の食器や雑貨が並ぶ店内で、元気な声でそう釣れなく言うのは、焦げ茶の長い髪を頭のてっぺんでお団子にまとめた、三十代中頃の女性だった。


「何だは酷くない?マルガ義姉さん。せっかく顔見に来たって言うのにさー?」


「嫌だ、歓迎してるに決まってんじゃないの。案外早く来てくれて嬉しいわ。ちょっと扉に閉店の札掛けてくれる?」


ルーカスはドアノブに掛けてある木札を裏返すと、鍵を掛けた。


店の奥へと進み、商品でもあるテーブルセットへ腰掛ける。暫く待つと、マルガはカップを乗せたトレーをテーブルへと運び、そのままテーブルを挟んでルーカスの前へと腰掛けた。


「東大陸の珍しいお茶よ。緑茶って言うんですって、飲んでみて?」


「へぇ、でもこれ取っ手が無いけど。」


出されたカップには確かに、ティーカップの様な取っ手が付いていない。その代わり、陶磁器とは違う、鮮やかな青色が美しい。


「紅茶と違って少し温度がぬるいのが特徴なのよ、そのままカップの縁を持って飲むの。最初は驚くだろうけど、美味しいわよ。」


ルーカスはへえ、と言いながらカップを持つと、そのまま口へと運んだ。爽やかな香りが鼻を抜ける。


「後味が甘いね、でも香りが爽やかで…これはすっきりして良いかも知れない。」


「でしょう?これ、眠気覚ましにもなるらしいわ。是非殿下にお勧めしてくれない?」


「それが狙いかー。まあ、良いよ。後で淹れ方を教えてよ。」


そうルーカスが言うと、マルガはにっこり微笑んだ。流石ヘンベルク家長男の嫁は、一筋縄では行かない。


「他に面白い話しはある?」


「そうね、ジャックさんの話しがね。」


ジャックとは、二番目の兄である。兄は不動産業を生業としていた。


「ピメール子爵家がね、この前倉庫街の一角を借りたいって言って来てね…。ほら、あそこ別に商会やってる訳じゃ無いでしょう?何で倉庫街?って思いつつまあ良い値段で貸したらしいんだけど、何とね、最近そこでサロンを開いたらしいわ。」


「倉庫街でサロン?」


「そう、最近流行りの東大陸の煙草のサロン。」


「!!」


ルーカスは目を見開いた。


「件の葉では無いみたいだけどね。新しいから目を付けたのかしら?ぼちぼち禁止にした方が良いかも知れないわ。」


「まさか、只の煙草は取り締まれないでしょー?でも…ふーん。終にシュヘルトに…。」


「それはまだ序の口。本命はね、あの『赤珊瑚夫人』がね?」


赤珊瑚夫人と聞いて、ルーカスは眉を寄せた。どうにも彼女は胡散臭くて仕方がないのだ。その上、夫人のアレクシスを見る目。あれは頂けない。


「つい先日お茶屋をオープンしたらしいわ、この王都で。」


「…マジ?」


「マジよマジ。あの人、領地をぶっ潰した人でしょ?何処からそんな資金が…」


「扱ってるのは?」


畳み掛ける様に質問されて、マルガは目を丸くしながら、目の前の弟を見た。


「…いたって普通の紅茶よ。後は東大陸の花茶と、紅茶に似たウーロン茶って奴。だから、うちはこの緑茶を推そうかなーって。」


「でもおかしくない?あの人こそ商会なんてやって無いでしょ。しかも何その豊富な種類は?」


「そうなのよね、何か東大陸の商人にツテがあるみたいなのよね。」


シュンベルでは無く、東大陸の商人?


ルーカスは内心首を傾げたが、一人で考えても仕方ないと判断して、今日の所は切り上げる事にした。


「ありがと、凄い良い話しを聞けたよ。じゃあ、義姉さん。早速その緑茶の淹れ方を教えてくれる?」


「まいど〜♪殿下に宜しくお伝えしてね!」



マルガは商人らしい完璧な笑顔で、態とらしく喜んで見せた。王子殿下御用達ともなれば、これ以上無い宣伝となる。情報提供で謝礼も別途出ていると言うのに、案の定と言うべきか、義姉の商魂の逞しさにルーカスは苦笑いを浮かべるのだった。


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