53話
エレーンは頭を抱えていた。
ここ数日、伯爵令嬢のカレイラに子爵令嬢のニコル。ついでに公爵子息のギルバートは騎士職を全うする為として頑なにホスト側の提案も断って食事会の席には着かず、況してやクシャナディアの友人として同行しているエレーンは賓客扱いで、彼女達とのやり取りが旅の間気薄であった為、気にはなっていたもののじっくり話しをする時間が取れずにいたのだ。
だが、それが不味かった。
ニコルは所構わず構って来るギルバートに、心底怒って…というよりは、相当疲れていた。
いくら歯に衣着せぬニコルでも、何度か怒って口調や位など御構い無しに文句を言っていたとしても、相手は一応公爵子息。そうそう常に強く言える筈も無く、五分五分でギルバートのされるがまま…ではなく、構われるがままだったらしい。
まあ、主に子供扱いの様な気遣いではあったらしいのだが、その一言一言がニコルの怒りを引き出すものだから、間に入っていたカレイラも、オレリアスから派遣されたグロウリットもやんわりと止めたりしていたのらしい。だが、そんな事で止まるギルバートならば、エレーンだって心配しないのだ。因みにもう一人女性騎士のジレーヌが常に共に居たらしいのだが、彼女は面白がって寧ろギルバートのアシストをしていたのだとかで、それを聞いた時、とてもじゃないがエレーンは笑えなかった。
ロイに視線を移すと、無言で首を横に振る始末。エレーンは溜め息を吐いた。
「小兄様…ですから、私言いましたよね?女性に対して男性と同じ扱いをなさらないで下さいと。」
そう、ニコルが共にアルブダまで行くと聞き、真っ先にギルバートに釘を刺しておいた…筈だったのに。エレーンの注意は全く聞き入れて貰えていなかった。
「こう休み時間が多く、尚且つ不審者の気配も無いとな…グロウリットどのにも剣の相手しては貰っているのだが、どうにも暇だ。エレーンも体は鈍っていないか?馬車の移動は退屈だろう。」
言ってる側から何となく話しが逸れている。エレーンは溜め息を吐いた。
「私も夜鍛錬していますから、今の処は大丈夫です。…確かに、小兄様に稽古は付けて貰いたいですが…いえ、そうではなく!…もう、小兄様のお説教は後です。ニコルさん、カレイラさんも、ちょっと宜しいですか?」
「何々、私は一人だけ仲間外れなの?寂しいじゃないですか、エレーン様。」
エレーンとジレーヌは面識はあるものの、交流は殆ど無い上にギルバートのアシストの件もあり、ニコルに対しても気にはなったのだが確かに女性一人だけ仲間外れは良くないと思い、ジレーヌも連れてギルバート達から離れた場所で、女性達のみで輪になって集まった。
顔を突き合わせ、クシャナディアの護身術の手助けをお願いする。
「そんなに?ダンスも結構体力勝負だと思っていたのですけれど、そこまで運動していない方ですの?」
「確か、社交の為にダンスはある程度習うらしいが、アルブダの文化は踊り子に踊らせて眺めて楽しむものらしいからな、そこまでやり込む事が無いんじゃないのか?」
「まあ、ある意味お姫様って感じですよね。」
「確かに。」
ニコル、カレイラ、ジレーヌはそう言い合って納得している。意外にも、ジレーヌは茶化すでもなく話しをしていた。一先ず、クシャナディアの件に関しては夜勤などの交代を考慮しながら、誰か一人は付き合える様にする事で決定した。
「ギルバートどのに悪漢役やって貰ったら良いじゃないですか?」
そんな事をしれっと言うジレーヌは、一般家庭の出らしいが、小さな頃からお転婆で、兵士入りさせたら少しは大人しくなるだろうと親が無理矢理入れたら、逆に馴染んでしまって騎士まで登り詰めたという叩き上げな女性である。エレーンも何度か顔を合わせた事はあったが、面白いもの好きの悪戯好きだとは知らなかった。ニコルを前にして、このセリフを言う鋼の精神の持ち主は、赤い髪を一つに結わえ、ちょっと吊り目な緑色の瞳が、確かに…悪戯好きそうな雰囲気を出していた。
「嫌ですわよ、あんな巨体に襲われたら、誰も逃げられないどころか、押し潰されますわよ。私、剣を持つあの方の間合いには絶対に近付きたくありませんわ。」
そのニコルの言葉を受けて、エレーンは何か引っ掛かりを感じ、ニコルを見た。
「あの、ニコルさん…まさかと思いますが。兄と稽古などしてませんよね…?」
「出立して二日目で致しましてよ?」
「?!」
「私は止めたのだがな…。」
そう言うカレイラは少し疲れが出ている様で、困り顔でエレーンに微笑みかけた。カレイラに労わりの眼差しを向けた後、ニコルに向き合い、体の様子を注意深く探る。
「あの、それで怪我などはしていませんか?!」
そうエレーンが焦りつつ問うと、ニコルは何とも言えない苦悶の表情を浮かべた。
「あの…」
「大丈夫ですよ、エレーン様。もう、最後なんてひょいと抱き上げられて良い感じでしたから。」
「?!」
ジレーヌの言葉に、ニコルは眉を釣り上げた。
「何が良い感じですの?!全く歯が立たなかっただけではなくて?!そりゃあ、私だって勝てるとは思ってませんでしたけど、西の大会の優勝者でしたし、どんなものか見たいとは思っておりましたわよ!それが、それが、あんなっ」
エレーンはまさかの二人がやり合っていたとは思いもよらず、目眩がしそうだった。
「それで、兄は…他に何かやらかしてはいませんか??私が時間が取れなかったばかりに…ニコルさんにはご迷惑をお掛けして…。」
しゅんとするエレーンに、カレイラがぽんと肩に手を置く。そんな二人を他所に、ジレーヌは思い出し笑いなのか、くすくすと笑い出した。
「面白かったですよ?彼女を高い高いして、走り回っておいでで。微笑ましいったらなかったです。」
小兄様ー?!
エレーンは声にならない叫び声を上げ、今にも駆け出しそうになった。が、カレイラが肩に手を置いていたお陰で、我に帰る事が出来、彼女を見つめて頷いた。
これは、早急に兄を叱らなければならなそうだ。
「分かりました。兄にはよく言って聞かせて参ります!ですから、皆様には申し訳ありませんが、クシャナディア姫様の件、宜しくお願い致しますね。」
そう言い残すと、エレーンは一礼してその場を後にした。
「……まあ、あのギルバート様に勝てるとは誰も思いませんよね。間合いに入ったら最後首が飛んで行きそうなんですもん。」
「ああ、私もやり合いたくは無い相手だ。ニコル、お前はよくやったと思うぞ。」
「もう!私それを怒っているわけではありませんでしてよ?!お二方!」
「ニコル…もう諦めよう?あれ、エレーン様が言って聞かせても駄目だと私は思うよ?」
ニコルより三つ年上のジレーヌである。からかうとはいえ、これでも最初はそれとなく止めていたのだ。驚く程引き際が早かっただけで。
「………。」
「あんなに構って来るのも珍しいのだがな。ニコルは会話した事は無いとはいえ、顔を合わせた事は数度あるのだし。」
「目に入って無かったのが、エレーン様のお友達って事で興味が湧いたんじゃないですか?」
まあ、後三日の辛抱だとカレイラに慰められ、ニコルは唇を噛むのであった。
その後、エレーンがギルバートに説教をしていたのだが、言ってる側から抱き上げられて、エレーンの注意はまたもやギルバートには効いていなかった。
その夜、弱冠ふらふらのクシャナディアにまた体操の指導をとお願いされ、エレーンはカレイラと共にマルニリアにもお願いして、護身術の実技を見せる事にした。
「今日はシャナ様の体に負担をかけない様に、ストレッチのみに致しましょう。その代わりと言ってはなんですが、護身術の実技をご覧になって、感覚を覚えて頂きたいと思います。」
「宜しくお願い致します。」
そうして、実技演習をエレーンとカレイラとでやることになったのだが…
「ここで、このぐらいの力を込めて押し込んで下さい。」
そう解説しているのは、押し込まれているエレーンである。クシャナディアに教えようとした、初歩中の初歩な護身術を見せているのだが…。
「っエルさん、大丈夫なの?!そんなに首を曲げられて…!!」
「え?大丈夫ですよ、加減して頂いていますから。流石カレイラさんは体術が上手です。」
「そ、そうなの…?」
実技を見て、余計怖くなってしまったらしい。それもその筈で、兎に角カレイラの組み手からの押し込みが速く鮮やか過ぎて、本気と取られてもおかしくない程に迫力があったのだ。
「あの、私そこまで出来そうにないわ。とても申し訳ないのだけど…。」
「そうですか…?ちょっとこの対処は早過ぎたのかも知れません…。」
心から申し訳無さそうなクシャナディアに、エレーンはどうしたら良いのか分からない。護身術は必要だと思うのだが、無情にも、こればかりは向き不向きがあるのだ。
マルニリアはしばらく静観していたが、クシャナディアに向くと、真剣な面持ちで口を開いた。
「恐れながら、シャナ様。いいえ、クシャナディア王女殿下。」
「…何かしら?」
あまりの真摯な雰囲気に、クシャナディアも声を固くして答えた。
「殿下には、戦闘処か、護身術すら……会得する事は出来ないかと思われます。」
「!!」
「しかし、そんな貴女様にも出来る事がございます。」
「…それは一体…?」
「体力を付けて、ひたすらに逃げる事です。」
「え…?」
クシャナディアは予想外だったのか、虚を突かれたかの様に、表情が固まってしまっていた。だが、エレーンはマルニリアの言葉に納得していた。確かに、倒すよりも、跳ね除ける力よりも、逃げ続ける体力が無ければ結局は不利になるのだから。
「そうですね、私もマリーさんの意見に賛成です。逃げ切れない限り、結局敵に屈しなければならない状況に陥ってしまいます。戦うのでは無く、回避する力が必要だと思われます。」
「エルさんも、そう思うのね…。」
クシャナディアは少し残念そうに眉を顰めたが、直ぐに顔を上げた。
「分かったわ。先ずは体力が無ければ始まらないのね。確かに、皆さんを見ていると自身との差が大きくあるのも事実。これからは、其方の方向で指導をお願いします。エルさん、やはり今日も太極拳を教えて欲しいの。」
エレーンは頷くと、早速太極拳を始めようとして…
「その太極拳?なるものは面白そうだ。私も是非ご指導賜りたい。」
「私もマルシュベンの秘術が気になっていましたのよ。是非お教え願いたいです。」
カレイラとマルニリアにお願いされ、参加者増加にエレーンは快く了承した。
「あの、是非私も…。」
そう言って手を挙げたのはユリシアである。絵に描いた様なお淑やかなユリシアが実は気になっていたとは微塵も感じさせていなかったので、エレーンとクシャナディアは目を丸くしてお互いに顔を見合わせだのだが、その後どちらからとも無く、笑い出した。
世話になっている屋敷の中庭から女性達の楽しげな話し声が聞こえて、見回りに出ていたギルバートとロイは何となく視線を交わした。
「何ともエレーンは楽しそうだな。これならば心配要らないか。」
「ギル兄、あんまりからかうとニコル嬢がその内倒れると思う。」
ロイに注意され、ギルバートは聞いているのかいないのか目を細めた。
「いや、エレーンの王城での初めての友達だろう?顔は知っていたが、どんな娘なのか気になってな。そうしたら、顔を真っ赤にして猫の子みたいに威嚇するものだから面白くなってしまった。」
「…それでお嬢を怒らせたら駄目。」
「相も変わらず過保護だな、ロイ坊。分かった。今後はなるべく控える。俺も妹に嫌われたく無いからな。」
「どっちが過保護…。」
ロイはその綺麗な金と青の目を勿体無くも半目にして、ギルバートを見咎めた。
要はニコルは試されていたのだ。ギルバートと旧知のカレイラとは違い、話しをした事も無ければ、ニコルは下位貴族。如何様な理由で近付いたのか、ギルバートは見ていたのだ。エレーンに知れたら最悪口も聞いてくれなくなる程怒るのだろうが、どれもギルバートがエレーンを心配しての行動で、それはつまり過保護という他無い。まあ、結局はニコルに他意など毛頭無く、それからは只ギルバートの茶目っ気が炸裂しただけなのである。素直なギルバートならではの構い方だったのだ。
「俺は結構あの娘が気に入っている。お袋やアリーシャ、そしてエレーン以外で剣を持った俺に堂々と挑んで来る女性剣士はそういないからな。」
「そうかもね。」
ギルバートがグレートソードを持った姿は、剣を持つ者なら誰しもが躊躇する程の威圧感がある。それに対して、ニコルは果敢にも挑んでみせたのだ。それが例え、ひょいと躱され、抱き上げられた結果になったのだとしても。
「…それにしても、何でフェイ家の太極拳を教えてるんだ、エレーンは。姫と仲良くなって情勢を探るのが仕事では無かったのか?」
見れば、女性5人ゆっくりな動きで体操が始まっていた。
「…ある意味仲良くなってるから、大丈夫…多分。」
それはとても公爵令嬢としての振る舞いでは無かったし、淑女同士仲良くなる手段としては異例中の異例なのだが、確かにエレーンとクシャナディア、そして女性騎士達の仲はある種の連帯感が芽生え、深まったのであった。
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