36話


優勝したハウエル家嫡男、レイニードは第二王子に向かって優雅にお辞儀した。



後は、エドワードが評価を述べて、観覧していたアレクシスが感想と賛辞を与えれば、訓練は終了だ。……何事も無ければ。

アレクシスが挨拶をしている間も、レイニードは特に何を述べる事も無く、純粋に訓練を全うしたかに見えた。滞りもなく大方話終えて、さて、締めの言葉を述べようとした時ー


「失礼を承知で、殿下にお願いがございます。」


レイニードは壇上に向かって膝を付き、頭を下げた。


……やはり何か一物抱えていたか。

アレクシスは少しだけ片方の眉を釣り上げたが、直ぐに平静を装った。後ろのエレーンの雰囲気も固くなった様だし、さて、この男は何を企んでいる?


「何だ?まさか、たかが模擬試合で褒美をねだるつもりじゃ無いだろうな?」


周りはざわついたが、エドワードの一言で、直ぐにしんと静まり返った。その中でもレイニードは頭を下げ続けていたが、静かに顔を上げた。


「恐れながら、褒美と言う程ではございません。が、訓練の延長を願い出たい次第でごさいます。」


「……訓練はもう終いの筈だが?私も執務に戻らねばならんし。」


「殿下のお手間は取らせません。そこな、側遣えのエレーン嬢と手合わせをお願いしたいのでごさいます。」


その言葉に、アレクシスは腹の真ん中がざわりと騒いだ。


こいつ、何を言っている?


「……手合わせなど、いつでも出来るだろう。私を通さずとも、エドワードどのに調整して貰えば良い。」


「そうしたいのは山々でございます。しかし、エレーン嬢は殿下付き故に騎士団に顔を出すのが不定期でありますし、私も未熟ながらに軍部の仕事が山積みで、その様な機会はいつになるやら、一日千秋の思いで待たねばなりません。」


「……ならば、縁が無かったのだな。腕試しをしたいのなら、ルーカスを貸し出してやる。何時でも持って行けば良い。」


レイニードは少し苦笑いをした様な、不安だとも取れる表情をしたが、目だけがギラギラとアレクシスを凝視する。


「ルーカスどのとは、有難い事にいつもお相手して頂いております。私は、殿下が一目で気に入ったと噂の剣姫と手合わせをしたいのです。」


そう来たか。

アレクシスとエレーンは同時に思った。


奴は、エレーンの技量をここで晒して、王子付きには相応しくないと知らしめる為にわざわざ参加したのだ。

そうで無くとも、この訓練はエレーンの婚約者候補選別の場だと言っても良い状況だ。この誘いを辞退しても問題を先送りにするだけ。あの男がどう思っているかは別として、今時点で婚約者として一番の要素を持つレイニードを無下に振れば、男心を持て遊び、城内を騒がせ、果ては殿下をたぶらかしていると噂される事請け合いだ。


誘いを受けても、仮にもし負けてしまえば、殿下付きで居続けるには風当たりが強く、城内を歩くのも苦痛になるだろう。アレクシスの判断に、口を出す者も出るだろう。

只の訓練ならば、勝った負けたは日常茶飯事だ。気にする事は何も無い。しかし、


『今日は第二王子殿下が観覧していた。』


故に、負けた時の外聞が悪過ぎる。今、この場に居る事で、自分で自分の首を締めてしまっている。


……やってくれるじゃないか。


これでは、もう自分が庇い過ぎるのは禁物だ。過度に見えれば殿下の寵愛を受けているだの噂が立つ。上手く庇い切ったとしても、実力不足ではないかと疑惑が浮上してしまう。騎士団長が問われたなら話は別だが、今、自分の判断に委ねられているのだ。どう振る舞えば、彼女に被害が及ばない?どうすれば……


「……殿下。」


不意に後ろから声を掛けられた。


「色々と気を揉んで頂いて、恐縮でございます。ですが、私は大丈夫です。」


そう言うエレーンは微笑んでいた。

それは、アレクシスの不安を取り除く為のものだったのかも知れない。が、予想外の表情に、向けられた当の本人はぽかんとしてしまった。


「いや、しかし……」


エレーンはそのまま前へと進み出た。そして、アレクシスに向かって、綺麗な礼を取る。


「殿下、勝手ながらこのお話しを受けさせて頂きたく存じます。この様な機会、中々ございません。許可を頂けますか。」


「……最後まで庇ってやりたかったのだがな……。」


黒髪に隠れた瞳を伏し目がちにしながら、ぼそっと呟く。恐らくエレーン以外周りには聞こえていないだろう。


「……勿体ないお言葉でございます。私は大丈夫です。」


深々と頭を下げると、くるりとレイニードへ向かう。


「その申し出、受けさせて頂きます。」


レイニードは口元に手を当てた。……笑いを堪えているのだろう、二人にはお見通しだった。


「それはそれは有難い。ですが、私も騎士道に殉ずる者。婦女子に対して一対一でやるなどと、大人気ない真似は致しません。そうだ、何方かと二対一では如何か?」


……何処まで人を馬鹿にすれば気が済むのか?

それでは一対一で勝っても、最悪手心を加えられたと見られるし、二対一で勝っても、実力は疑われる結果に終わるでは無いか。アレクシスは肘掛けに置いている手をぐっと握り締めた。



「……通りで、最近内勤ばかりさせられると思ったぞ!!」


良く通る声が、場内に響いた。

声の主はロバートと共に観覧席の下段の手前に佇んでいた。心なしか、ワナワナと肩が震えている。


「近頃、騎士や兵達がそわそわしていると思ったら……こんな一大行事、よくもまあ私共に報せず行ったものですな?エドワード団長。」


カレイラは壇上に居た御仁をジロリと睨む。


「……来たのか。」


「はい。先程知らせを受けましたので。……確かに女性騎士と男性の上級騎士では力量差がございますので、日頃の訓練も別にしておりますが……これは些か酷い仕打ちかと思われます。」


カレイラはつかつかとレイニードの前へと進み出た。迫力に誰も、何も言葉を発しない。


「レイニードどの。貴殿とは付き合いもそこそこだが、私は知らなかったぞ?エレーンどのに直接勝負を挑む程、そこまで彼女の事を好いていたとは。一言言ってくれたら良かったものを。」


しんと静まり返った場内に、彼女の声が響く。その言葉に、エレーンとアレクシスは目を見開いた。


「な?!」


「待て待て、皆まで言わずとも、この場に居る者は分かっている。そうまでして、エレーンどのに己が力を認めて貰いたいとの男心。普段の貴殿からは考えられん程情熱的じゃあないか?私は少し見直したぞ?朴念仁では無いのだな。」


レイニードはその端正な顔を、驚愕の表情で歪ませていた。彼としては、アレクシスやエレーンが危惧していた作戦を淡々と行うつもりだったのだろう。しかし、カレイラはこの訓練の裏の主旨、つまりエレーンの婚約者候補にいると思われているのだ。いや、そう断定しようとしている。


「貴殿の申し出も一理ある。己が力を見せたいが、好いた女に手心を加えたがるのは、男に生まれたからには最早自然の摂理と言うものだ。誰しも抗えぬ事だろう。まあ、騎士としては、この上無く無礼極まりない話しだがな。」


さっきからレイニードは何か言いたげに唇が震えている。カレイラは鋭い目付きで見ていたが、その様子にお構い無しに話しを続けた。


「その申し出、組むのは私が買って出よう。エレーンどのは可愛い後輩だが、貴殿も私の後輩には代わり無い。華を持たせてやろうでは無いか。」


「……私に、手加減なさると仰いますか。」


「うん?どう取って貰っても構わん。……そこまで本気ならば、手助けしてやりたいのが人の情では無いか。何せ、殿、進んで申し出るくらいなのだからな。でなければ、今日の結果は出ていると言うのに、エレーンどのに出張って貰う意味が無いだろう?今日は、名目だからな。違うか?」


「……私はその様なつもりは……」


「いやいや、何を今更。女性騎士以外はここに居らぬ者も含めて団員には事前にそう連絡が入ったと聞いている。既婚の者はまあ違うだろうが、貴殿は独り身だろう?そもそも、在らぬ誤解を受けたく無い者は今回辞退している。今さら照れても仕方無いだろう、素直になるんだな。」


「それとも何か?それ以外でエレーンどのの手を煩わせるならば、それは主君である殿下に対して何か申し立てたい話でもある……と言う事か?この様な行事の日に限ってこの場で申したいと言うなら、それ相応の事態である……と?」


レイニードは苦虫を噛み潰したかの様な、渋い顔をしていたが、腹積もりは決まったのか、表情を消し、すっと立ち上がった。


「……とんでもございません。カレイラどのがどの様に受け取ったかは存じませんが、私は只、純粋に手合わせをお願いしたいだけ。手加減など無用にございます。」


「ほう……ならば、此方も女性二人だと手を抜くでなく、本気で向かって欲しいものだな。手合わせなのだから、騎士として、お互い敬意を持ってやるのが筋だろう。」


「……それは、……承知致しました。」


カレイラはくるりと後ろを振り返って、アレクシスに頭を下げた。


「殿下の御前にてお見苦しい所をお見せ致しまして、申し訳ございません。エレーンどのと共にこの申し込みを受けたいのですが、許可を頂けますか?」


「……既にエレーンどのには許可を出しているからな。カレイラどのの自由にして貰って構わない。……ロバート、この後まだ見学していて構わないか?」


「……そうですね、少しだけでございますよ?」


アレクシスは少しだけ微笑んで見せた。カレイラ嬢のお陰で、真剣勝負になったのだ。勝っても誰も文句は無いだろう。しかし、自身の不甲斐なさと言ったら。アレクシスは主君としての矜持なのか、人知れず少し気落ちしていた。出来る事なら、自分が場を収めてやりたかったのだ。エレーンの為に。


そんなアレクシスの胸中を知る由も無いエレーンは、ゆっくりとカレイラに近付き、困った様な笑みを浮かべていた。


「カレイラさん……」


「勝手に提案してしまって構わなかったかな?」


「いいえ、とても心強いです。ありがとうございます。ですが……」


「分かっている。一対一でやりたいのだろう?」




カレイラは不敵に笑って見せた。


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