27話
結局、出立の前日まで各々の特訓は行われた。
荷馬車は三日前に発ち、移動の荷物は皆最低限に抑えた。
前日は、早朝から出発する為に酒も禁止の軽い食事会となり、ルーカスが不満を漏らしていたが、ロバートに叱られ後は大人しいものだった。
当日、念のため見送りは最小限とし、アレクシスは変装を余儀無くされた。
「……ズルいですよ、俺が……完治するまで待ってて……くっ……くれたって……い良いじゃないですかっ」
アレクシスの変貌振りを見て、リンは笑いを堪える。
ビアンカから貰った金髪のカツラを装着した彼の御方は、見事に似合っているが、あまりに別人で何故か笑いが込み上げてくるのだ。
「……置いて行って正解な気もするな?」
アレクシスは馬上から冷ややかにリンを見下ろす。
「すいませんって!本当、何だろ?置いて行かれて悔しいのに……笑いが……違和感が仕事しなくてっ……ぶふっ。」
アレクシスはそんなリンを無視する事に決めた。
リンは怪我が完治するまで、イスベルに留まる事になった。かなりブー垂れていたが、ひびが入っている状態で騎乗させる訳には行かない。送りを付けるのを条件に一人残す事は、リン以外満場一致の判断だ。
「貴方は無茶をするきらいがある。自身の体と向き合って、的確な判断を下すのも必要です。」
ロバートに諭されて、渋々了承した次第だ。
馬にはまだ股がっていないエレーンは、家族全員と抱擁を交わし、別れを惜しむ。
「体に気を付けて。手紙はまめに頂戴ね?」
イザベラに抱き締められ、少し涙が滲む。
セシルにはアレクシスとの動向を手紙で教えて欲しいと言われたが、笑顔でかわした。勿論、エレーンの身を案じてもくれたのだと分かっているのだが。どうにもそれだけじゃない気がするからだ。
相変わらずレオナルドには抱き抱えられ、合わせてくるくると回転した時は少々肝を潰した。もう少し落ち着いたら、祝言を挙げるらしい。参加出来ないのはとても残念だったが、エレーンは嬉しさのあまりに、レオナルドを抱き締めた。
それを見てアレクシスの眉がぴくりと動いたが、気付く者は居ない。
クロードも強く抱き締めた後、頭を撫でながら騎士の心構えを説く。相変わらずの子供扱いにも、エレーンは甘んじて受け入れた。
サイラスは終始難しい顔をしていたが、ぎゅっと抱き締め、直ぐに離れ向き合う。
「……道は厳しいが、己を信じて努力を怠ら無い様に。……それから、健康管理も仕事の内、体には気を付けなさい。」
エレーンは涙ぐみながら頷いた。
後ろ髪を引かれる思いで騎乗する。
西側の街道から、一向は出発した。
温泉町はやはり外せず、一泊して直ぐにアレスを目指す。
借りれた部屋はまた一つだったが、二回目だけ有って皆慣れたものだった。ロイ一人が珍しく動揺して、ルーカスにサイラス公に殺されると溢したのには一同笑った。
ロイと初めて裸の付き合いをしたアレクシスは、細見の体躯と思っていたロイが何処を取っても筋肉バッキバキだった事に衝撃を受けた。
ルーカス然り、リンもロバートでさえ鍛え上げている。自身も鍛えては居るが、囲まれた絵面を考え、もっと鍛えねば……と、決意を新にするのだった。
それから、ロイの瞳がオッドアイだった事にも、驚くのでは無く、賛称の気持ちが先に出た。
しかし、彼自身はコンプレックスらしく、其れで前髪を長く伸ばしているらしかった。
「綺麗なのにな。」
アレクシスはなんとなく少し寂しくなっていたのだが、それよりも王城でその長い前髪は、分けるか後ろへ流すかしなければ心象が悪いとして、どう対処するかはロバートが後々考えるとした。
野営も織り込み、一行ら予定よりも半日早くアレスへと辿り着いた。危険も無く辿り着けて、エレーンはほっとする。
「皆様、お帰りなさい!ロイ!久し振りね、元気そうで良かった!」
アリーシャは門まで笑顔で出迎えてくれた。が、
「?!」
アレクシスの変装に気付き、後退る。其れを受けて、ルーカスは腹を抱えて笑ったのだった。
「皆様、今回イスベルでの襲撃の件、お手を煩わせた事誠に申し訳有りません。」
夕食会の始め、アリーシャは深く頭を下げた。
イスベル襲撃の件は、連絡を受けて知っていた様だ。
「いえ、相手の目的は分かっていませんが、此方の方がイスベルの方々を巻き込んだも同然。頭を上げて下さい。」
「ですが……。」
ロバートの言葉に、アリーシャは困った様な顔を向ける。アレクシスも頭を上げる様に手で合図する。
「無用な心労は体に障る。アリーシャどのが心を痛める事なんて何一つ無いんだ。頭を上げてくれないか?」
その言葉に、アリーシャはやっと体を起こした。
「……本当に、殿下が無事で良かったですわ。」
その言葉に、アレクシスは微笑する。
「一体どんな奴等なのか……。」
伯爵が難しい顔をして、ロバートに視線を投げる。
「……検討が付かないのですよ。ですから、お二人にも充分気を付けて頂きたい。もし南大陸側だとすれば、此方も被害が無いとは言えないですから。」
「何か怪しい動きが有りましたら、直ぐにご連絡しましょう。ここには様々な商人が集まりますから、探らせます。」
ロバートは頷いた。
夕食も終わり、エレーンとアリーシャはエレーンに貸した部屋のソファに仲良く座り、お茶を飲む。
イスベルに戻って直ぐの、父との膠着状態や海賊戦後の説教。話したい事は沢山有りすぎて、夜も遅くになってしまいそうだ。
アリーシャは王子殿下正座には心底驚き、相変わらずの父に呆れたりと表情がくるくると変わる。
「それにしても、王城入城へはもっと時間が掛かると思っていたの。良くあのお父様が許したものね?」
「それが、まだ話しの途中だったのに、突然皆に私の入城を発表したの。理由は教えてくれなかったけれど、とにかく了承を貰えて良かった。」
「……。何でかしら……。お兄様が説得した?あのクロード兄様が?……それとも、殿下を気に入ったのかしら?」
アリーシャの考えに、エレーンは困った様なはにかんだ笑顔を向ける。
「それは分からないけれど……、!。そう言えば二人で深酒して、大変だったの。」
「二人で?!」
「そう、母様に二人が酔って大変だからと要請を受けて、迎えに行ったらもう言葉通り大変で。父様はテーブルに突っ伏しているし、アレクシスなんて真っ赤な顔で歩けなくて……。」
話していて、エレーンははっとした。また名前で呼んでしまった。
「アレクシス……?」
アリーシャは眉毛を片方上げて、にやっと意地悪な笑顔を向ける。
「殿下が……その……。」
途端にシュルシュルと自身が小さくなって行く様な感覚に陥る。全く、切り換えが出来ていないでは無いか。
「真面目一辺倒な貴女が、良く了承したわねー?しかも、その感じだとすっかり慣れてしまっているみたいね?私が知らない間に、一体何が有ったのかしら―?」
アリーシャのからかいに、エレーンは慌てる。
「まっ真面目一辺倒なんて!私、そこまで頭は堅いつもりは無いです!」
エレーンの剣幕に、アリーシャはクスクスと笑う。
「ごめんごめん、別に責めた訳では無いの。意外だから少し驚いちゃって。そんなに怒らないで?」
「怒っている訳では……。」
ぶつぶつ言いながら、エレーンはカップを口に運ぶ。
アリーシャは拗ねている妹に、優しい眼差しを向ける。飲み終え、カップを戻すタイミングに、アリーシャが口を開いた。
「……で?」
「?で、とは?」
きょとんとするエレーンの手をアリーシャはしっかりと掴む。
「私が、そんなうやむやな話しで満足するとお思い?!今日だって貴女、いつもよりはちゃんとお化粧もしているじゃない。どんな心境の変化が有ったのかしらー??」
「こっこれは母様が……」
「んー?」
こうなったら、絶対逃げられない。姉には勝てた試しが無いのだから。
エレーンは所々はしょりながら経緯を説明した。
アレクシスとの騎士の宣言は言わないでおいた。あれは思い出しただけでも、自身の愚かさに顔から火が出そうだ。それどころか、責任問題に発展したら大変な事になってしまう。
代わりに、アレクシスの酔っ払い具合や、手を繋いで春祭を見て回った事は、仕方無く打ち明ける。
アリーシャは目をキラキラとさせながら、話しに聞き入っていた。
「そうなのー、たった半月余りにそんな事が。あれね、折角イスベルを出たのに、貴女また王都でまで呑兵衛共の二日酔いの介抱に追われる日々になるわね。」
心底可笑しいのか、アリーシャの笑い声は止まらない。
「ルーカス様って何気に良い仕事するわね。絶対楽しんでるんだわ、あの方。」
何故そこでルーカスが褒められるのか。エレーンは首を傾げた。
「……春祭、殿下と手を繋いで、ドキドキした?」
聞かれて、エレーンは途端にこくこく頷く。それはもう、力一杯。
「当たり前でしょう?一人で護衛だって初めてだったのに。何もかもが緊張の連続で、ドキドキしない筈が無いです。」
エレーンの言葉に、アリーシャは今度は心底がっかりした様な顔をする。
「……貴女……。まだ……そんな……。いえ、そうね。仕事が始まったばかりで、そこまで考えないわよね。姉さん、貴女の性格分かっているもの。貴女が気付くまでは我満して待ちます。」
突然丁寧に宣言されて、エレーンは対応に困ってしまった。何を待たれるのだろうか。
……確かに、アレクシスと二人きりだと心臓が壊れそうなくらいドキドキする事が多いのだが、これからずっとお仕えするのに、これでは困る。早い所慣れてしまわねば。そうでなくとも、あの宴の夜以来、二人で話す切っ掛けが掴めないままで、なんとなく照れ臭さが残っているのだ。
妹の決意を他所に、アリーシャは部屋を後にする。話し込んで、時計の針は両方とも真上を指す所だった。
翌日、太陽が遠くの山から顔を出した頃、一向は既にアレス城の門前に集まって居た。
剣術大会の時とは違い、野次馬は無く、ウィンチェスト夫妻と執事のみのひっそりとした見送りだ。
昨日寝るのが遅かった、姉妹二人はこっそりと欠伸をする。タイミングが同じなのを、目配せして笑い会う。その様子にロイは気付いて、人知れずにくすりと笑った。
「殿下、あのマルシュベンの男達を短期間で手懐ける手腕。誠に感服致しましたわ。私の予想では後三ヶ月は掛かると思っていたのですが、これならばエレーンをお願い出来ます。……何卒宜しくお願い致しますわ。」
手をしっかりと握り、強い眼差しで見詰めるアリーシャに、アレクシスはゆっくりと頷く。
「三ヶ月……凄いな。……手懐けたのかはいまいち肯定出来ないが、許しが出て俺もほっとした。夫人も、体を大事にして欲しい。もう、一人の体では無いのだしな。また機会が有れば、エレーンと共に訪ねよう。その時は、宜しく頼む。」
そう挨拶が終わっても、アリーシャは手を離さない。
アレクシスは、何事かと様子を伺う。
「殿下は今色々と大変な事がおありだとは思います。が、くれぐれも、く・れ・ぐ・れもエレーンの事お願いしますね?色んな意味で。」
「う、うむ。……色んな意味で……?……何か知らんが分かった。」
アリーシャの気迫に弱冠引き気味に承諾すると、アリーシャはにっこり笑って、会釈する。やっとアレクシスの手を離し、次いでロイへと近付いた。
「ロイ、エレーンを宜しくね。リンもちゃんと見てあげて。一応本人にも言うけれど、あの子暴走気味だから、王城でちゃんとやれるか私心配で心配で。元気なのは良いんだけど、諜報役の性格じゃ無いのよねー。困った事に。諜報向きの身のこなしが勿体無いったら、ねぇ?」
ロイはこくりと頷く。
「貴方は器用だから、私はそんなに心配要らないと思っているけれど、ちゃんと自分の意見は面倒臭がらずに相手に伝える事。誰も貴方の事を知らないのだから、自分で立ち位置を決めて行かないと。貴方の騎士姿見れるの、楽しみにしてるからねー?」
「アリ姉には敵わないな。大丈夫、ちゃんとやるから。……体、気を付けて。」
ロイが笑って返事するのを、王城組残り男三人は驚いて見つめる。昨日の食事会から何度か見ていた筈だが、未だ慣れていないのだ。
リンは勿論、エレーンとアリーシャには少ないとは言え会話が成立する。慣れてくれれば自ら話してくれるのだろうか?アレクシスは眺めながら、思いを巡らしていた。
ロバートと男爵が挨拶を済ませ、一路西北へと向かう。
途中、二つの関所を経由すれば、王都は目の前だ。
到着まで、馬でおよそ10日だろうか。
小休止も程々に、馬を駆る。
怪しい敵影も無く、アレクシスは変装を止めたいと申し出たが、やはり到着するまではとロバートから許可が降りなかった。
もう少しで二つ目の関所と言うところで、激しい雨に見舞われた。
厚い雲に覆われ、視界も悪くなる。
皆下着の中までびしょ濡れになり、近くの町の宿屋へと転がり込んだ。入浴と洗濯を終えて、宿屋の受付横に併設された食堂に集合する。
人数が一人増え、……その一人は大して喋らないのだが、それでも賑やかになった気がする。
好き嫌いの話しになり、ロイの偏食振りを弄ったり、逆に何故それでそんなに大きくなったのか?と、アレクシスの質問責めにロバートが諌めたりと、やはり見ている此方まで楽しくなる。
勿論食事も楽しんで、エレーンが少し体勢を緩めた時、後ろを通過しようとした男性に、手が軽くぶつかってしまった。
「あ、すみません。」
振り返り、謝罪する。
同時に向こうもすみません、と謝った。二人は顔を見合わす。
肩まで掛かる燃える様に赤い長髪を上半分を後ろで縛った、薄墨色の瞳が魅惑的な男性と目が合う。
「……これは、すみません。綺麗なお嬢さん?」
言われて、エレーンははっとする。
「こっ此方こそ、すみません。」
男性はにこやかに会釈して、去って行く。
男性を目で送りながら、ルーカスは食事の手を止めた
。
「……カッチョいいー。……ねぇ?ロバじい。」
フォークをぷらぷらさせながら、ロバートへ向ける。
向けられた本人は少し眉を潜めた。
「行儀の悪い真似は止めなさい。……何が言いたいのです、貴方は。」
「別にぃー?」
先程の男性がどうかしたのだろうか。
二人のやり取りに三人は疑問符が頭に浮かんだが、結局、王都までロバートから説明される事は無かった。
関所の塀をくぐり抜け、長い森を抜ける。
明るい日射しの中、徐々に道幅が広くなって行く。
目の前に、大きな湖が見えて来た。
キラキラと光を反射して輝く水面に、一瞬目が眩む。
湖右側の湖畔の小高い丘に、巨大な城が荘厳に佇む。
ウェリントン国王都、水の都シュヘルトに辿り着いたのだ。
城下から繋がり、湖の端まで街が扇状に広がる。
都と湖を遠巻きに低い塀が囲み、長い感覚を開けて、もう一つ塀が接地され、その間に畑が広がる。
街に一番近い所は高い塀に覆われ、門が接地されているのが見えた。
湖の奥は森が広がり、おそらくそちらも遠くに塀が設けて在るのだろう。
良く見ると、湖の真ん中に島が有るのが分かる。小さな建物が見えるが、何の施設かまでは分からなかった。建国由来の女神の神殿かも知れない。
段々と、都へと近付いて行く。
エレーンは辿り着くまでアレクシスの身を狙う輩が現れないかと不安が消えなかったが、辿り着いた都の余り大きさに高揚感を覚えた。
街に入っても、きっと何処からでも通りに出れば王城が見えるだろう。
イスベルやアレスも規模は中々の大きさだが、ここまでとは想像もしていなかった。
手続きをして、いざ王都に足を踏み入れる。
門を入って直ぐに大きな広場が広がる。真ん中には噴水も設置され、多くの人達で賑わっていた。整備された石畳みに、左右の通路を取り囲む様に商店がずらりと並び、その数の多さは圧巻だ。
住居の窓には南大陸からの輸入だろうか、まだ春も早いと言うのにそこかしこに花が飾られ、流通の多さも伺える。
エレーンは見たいものは沢山あったが、一向は寄り道もせずに黙々と進む。
入城手続きをしても制服などの準備期間が掛かる為、リンが到着するまでロバートの街屋敷にお世話になる事になった。
石畳みの坂道を抜け、着いた所は、貴族街の一等地に佇む、大きな屋敷の前だった。
「……ロバートさんは何者ですか……?」
エレーンの訝しむ視線に、ロバートはにっこり笑って返す。
見る限り、この辺一帯は宰相など重役、要職の屋敷が多く、第二王子のお目付け役とは言えこの規模は想像の範疇を超えている。
それに加えて西側の土地に領地も有り、息子夫婦が治めているらしく、そこに、奥方も同居して此方では殆ど一人な処か、王城の部屋に寝泊まりしているので、屋敷を使う機会が滅多に無いらしい。
髭を撫でながら、ロバートはエレーンを見る。
「昔取ったなんとやらですね。それに、あんな立派なお城に住んでる、エルさんには言われたく無いですかな。お姫様?」
イタズラっぽくウインクされて、エレーンは慌てて両手を振る。主人前にして姫などとんでも無い。
アレクシスは本来ならば先に王城へ戻り、色々と手続きやら挨拶やらしなければならないのだが、取り合えず一杯お茶だけ!と、無理矢理に付いてきた。
……どれだけ戻りたく無いのだろうか。
リンやロイと対人スキル教育を受けていないエレーンは、何故なのか不思議に思いながら、アレクシスの王城に戻らない言い訳を聞いているのだった。
ベルを鳴らすと、ロバートよりも少し年上だろう、恰幅の良いメイドが出迎えた。くりくりとした天然パーマの短い髪は見事な白髪で、小さな丸眼鏡が良く似合う。それに、笑顔がとても可愛らしい。
「まあまあ、旦那様お久し振りにございます。……?アレクシス様ですか?!ルーカス様まで!御二人共、良くお出で下さいました。旦那様、こんなにお客様をお連れで、アンを喜ばしにお出でですか?」
にこにこと、主人の帰還に喜ぶ姿に、エレーンは自然と顔が綻ぶ。
一方アレクシスは変装に突っ込まれず、あれだけ弄られるのは嫌だったのに、何だか複雑な心境になっていた。
白と焦げ茶で統一された内装に、シンプルだが一級品であろう調度品が飾られ、ロバートらしさが伺える。流石にあまり使用していないだけあって、少し寂しいぐらいにさっぱりとしているけれど。
玄関の正面から左右に大きく広がる階段を上がり、部屋へと案内された。
仕えているのは後ろに控えていた家令と残り二人の使用人と庭師一人のみで、大きな屋敷に対して人手は足りて居ない様に思えた。平気なのかと、エレーンの懸念にアンは首を振る。
「いいえ~、だって殆ど旦那様はお帰りになりませんもの。夜会だって開きませんし。毎日メインの部屋と三つずつ各部屋を念入りに掃除して一週間を過ごすんですのよ?こんなに楽をして、反って申し訳無く思います。」
休みを入れても少なくとも十五以上部屋数が在る計算だ。それだけでも、規模の大きさが伺える。
「ですから、たまのお客様が嬉しくて嬉しくて。しかもこんなに可愛らしい方が入らして下さって、今日のお食事は楽しみになさって下さいましね。私、張り切ってお作りしますから!」
花が咲いたような、爽やかな笑顔に釣られて、エレーンも自然と笑みが零れるのだった。
「……本当に、後三週間でリンは到着するんだな?」
アンの淹れてくれたお茶を飲みながら、アレクシスは確認する。皆が集まった大きな居間は開放的で、窓からたっぷりと日射しが注ぎ込む。
お茶を淹れた後、アンはいそいそと夕食の買い物へと出掛けてしまった。
「そうですね、きちんとお酒も控えて養生していてくれれば、後二週間で騎乗は出来るかと思います。……坊、いい加減に城へお戻りなさい。どう頑張っても、エルさんとロイ君は手続きと用意が済むまで、入城させませんよ?」
「……今日帰ろうが、明日帰ろうが大差無いし。兄上の帰城だって、まだ先だろう?平気へーき。」
「……全く。後で泣く事になっても知りませんからね?私は。」
アレクシスの往生際の悪さに、ロバートは呆れ返った。
「ロバじい、もう良いよー。アンおばさんのご飯食べたら引き摺ってでも連れて帰るから。」
ルーカスはアン特製クッキーをかじりながら、本を読んでいる。何度かお邪魔しているのだろう、一人揺り椅子を漕いで寛いでいる。
「……。ではまだ暇でしょう。坊とロイ君に剣の手解きをお願いしましょうか。」
ルーカスはえーっと面倒臭そうな返事をしたが、食い付いたのは他の誰でも無く、エレーンだった。
「私も、宜しくお願いします!」
キラキラとした期待の眼差しを向けられて、ルーカスは即刻黙ったのだった。
相変わらずのルーカスの強さに、エレーンは感心しきりだ。此方は息が切れているのに、ルーカスは呼吸一つ乱さない。
交代でエレーンが休むと、ルーカスはアレクシスとロイの二人で来る様に指示する。
ロイもそれなりに腕が立つので、その申し出に少し苛ついた様だったが、二人相手にしてもルーカスの動きは的確な上に淀みが無い。二人の剣筋を、軽く避けてしまう。
もう一つエレーンが驚いたのは、アレクシスだった。
イスベルを出るまでに剣と弓の稽古をしていたらしいが、別々に行っていたので見るのはこれが初めてだった。流石にルーカスに教えられているだけあって、エレーンが考えていたよりも動きが良い。
これならば、例え襲撃されたとしても自分の身は自分で守れるかも知れない。あの身を切られる様な緊張感は、出来ればもう味わいたくないけれど。
二対一では時間が掛かるかと思われたが、ルーカスが最後ロイの胴にに刃先を向け、もう一方の手でアレクシスの腕を掴み動きを止めて、今日の稽古はお開きとなった。
前より良くなったとルーカスに褒められ、エレーンはウキウキで部屋へと戻る。
汗を流し、身支度を整えエレーンは一階の居間へと降りた。
大きな居間のテーブルの席に、記憶に新しい見覚えのある赤い髪が見えた。エレーンが進み入ると、その赤い髪の持ち主はくるっと振り返った。
「こんにちは。綺麗なお嬢さん?またお会いしましたね。」
宿屋で会った、男性が笑顔でエレーンを出迎えた。
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