25話

「面目無い……。」


部屋のベッドで、座りながら前へと頭を下げる…この場合、寧ろ倒れ込んだ状態で、アレクシスは食事を持って来てくれたエレーンに謝った。


結局、昨晩は通りがかった見張りの兵士に担がれ、事なきを得ていた。部屋に運ばれてからルーカスの地獄の吐いては水を飲まされるを延々やらされ、薬を飲んで寝たのだった。


認めたくは無いが、そのお陰か今朝は多少気持ちが悪いだけで、頭痛に悩まされる事は無かった。…認めたくはないが。


「女性の前で醜態晒すなど、この国の王子としてあるまじき行為ですな。」


朝からロバートのお小言が炸裂する。しかし、最もなのでアレクシスはぐうの音も出ない。




一方エレーンは今日は汁気が多い方が良いかと、魚と昆布出汁のうどんを作り、届けに来ていた矢先だった。

ルーカスがまだ頬の腫れを引きずっていたので、あまり噛まなくて良い食事に肝心のアレクシスよりも喜んでいた。


「……実は、部屋を出た辺りには既に記憶が無くてだな……。」


「えっ?」


食器の用意をしつつ、エレーンはアレクシスの言葉に驚いた。覚えていないならそれでも構わないのだが、何だか一人で焦っていた自分が恥ずかしい。


エレーンの様子に、ルーカスが怪訝な表情をする。


「……王子に何かされた?」


「「えっ?!」」


アレクシスはがばっと起き上がる。その表情には驚きと焦りが見えた。


「えって……昨日俺は何をした?エレーン?」


「えっと……。」


エレーンは思い出してしまった。…あの空気を考えるとどんどん顔が赤くなってきてしまう。


「えっ?えっ?」


その様子を見て、アレクシスの顔はエレーンと反比例してどんどん顔色が青ざめていく。


「酔っ払って女の子に何してんの?!セクハラ?!最低ー!!」


まだ結果も言われて無いのにルーカスが茶化したが、エレーンは慌てて否定した。


「違う違う!何もされてません!」


そうは言ってみても、顔の赤みが治まらない。

そんなエレーンを他所に、ルーカスがはたと気付いた風で口元に手を寄せた。


「そう言えば、この前だって酔ってエレーンちゃんの手をやらしい感じで握ってたよね?」


「?!」


「いえ、あれは……。」

「……覚えて無い……。」

「……て、事は今回も……。」


ルーカスに疑惑の目を向けられて、反射的にアレクシスはエレーンを見る。


「……俺、本当に何かしたのか……?」


じっと見つめられ、エレーンはどうして良いのか分からない。


「~!だから、何も無いんですってば!!」


ボフッ


「ごっごめんなさい!」


エレーンはアレクシスの足元にまとめていた布団を勢い良く彼に向けて放り投げ、慌てて逃げ出した。


…只褒められて照れていたとは、今更言えない。


「……不味い。本当に何をした?」


アレクシスは掛けられた布団からもぞもぞと這い出した。その横でロバートが笑顔で立っていたが、額には青筋がピクピクと脈打っている。


「坊!正体を無くす所か、女性にセクハラするとはなんたる体たらく。恥を知りなさい。」


「エレーンは何も無いって言ってただろ!」


あまりの剣幕に、アレクシスは慌てて反論する。


「これなら既成事実作って貰う方がまだましと言うもの。全く、情けない!」


「……。」

「……。」


ロバートが存外大真面目だったのに対して、二人は直ぐ様閉口したのだった。






エレーンの送別会に向けて、城内は準備に慌ただしかった。送別会を開いても、数日はイスベルに留まるのだが、城関係者以外とは全くと言って良い程会わなくなる為、どちらかと言えば町の顔役や組合に向けた配慮だ。


主役だからと台所に立たせて貰えず、エレーンは自室で悶々としていた。


一国の王子殿下に布団を投げつけるなんて、自分は何て大それた事をしてしまったのだろう。

恥ずかしくなったからと言って、あれではアレクシスが何かやったのだと思われるのでは無いだろうか?


ベッドの上で頭を抱えて悶える。それにしたって自分は何をこんなに恥ずかしがっているのか。褒め言葉なら、家族だって、城の皆からだって今まで何度でも受けた事があるでは無いか。それなのに。

祭でのアレクシスの笑顔や、昨日の事を考えると、鳩尾がきゅぅと締め付けられる気がする。


ノックの音がして、居住まいを正して返事する。

直ぐに扉からイザベラがひょっこりと顔を出した。入って来るなり、髪の乱れたエレーンに驚いていた。


「どうしたの?!髪がぐちゃぐちゃよ?」


言いながら、エレーンを鏡台へと座らせ、髪を梳き始める。


「昨日は大丈夫だった?何だかあの後騒がしかったけれど。」


「えっはい、結局人に任せました……。殿下の体調が悪くならずに良かったです。」


今は顔は赤くなっていないだろうか?エレーンは素知らぬ風に鏡を念入りにチェックした。


「殿下の事を名前で呼ぶのね?」


「う!!」


王城組以外には隠していたつもりだっただけに、まさか母から突っ込まれるとはエレーンは夢にも思っていなかった。気付かない内に、随分と慣れてしまったようだ。礼儀作法としては大問題である。……今後気を付けねば。


「責めてるんじゃ無いのよー?仲良しだなって思って。」


「仲良しと言うか……。名前で呼んで欲しいそうなので……。その、はい。」


イザベラはふーん?と言って、娘の髪を整える。

父程では無いにしろ、母も礼節には厳しいのだが、気にしていない様で内心ほっとする。


「後何日居られるのかしら、私の愛娘は?」


「まだ具体的に決まってはいないけれど、多分一週間の内には発つと思います。」


「そうなの~?寂しくなるわね。はい、出来た♪」


ぽん、とエレーンの背中を叩く。


「ありがとう、母様。」

「さて、貴女今日は夜まで暇ね?」


被せ気味に、イザベラはずずいっと鏡に映るエレーンを覗き込む。その勢いに少し体が反ってしまった。目が…戦いに赴く様な、それだったのだ。


「?はい。」


「王城で勤務するに辺り、これから出立するまでの間に、淑女のお勉強をお復習します!今日もこれからビシビシやるわよー!」


「?!」


「確かに貴女は素敵な女の子よー?料理、洗濯、お裁縫に詩も書ける。ダンスは……まあまあね。」


「ダンスは恥ずかしくて……。」


「良いのよ~、私もお料理苦手だしね。それから、剣の腕だって申し分無し。まあ、少し弓の練習は明日辺りにしましょう。後は勉強も大丈夫。ただね……?」


「ただ?」


「自分を着飾ると言うことをしない所が心配でね?」


そう言われても、エレーンは化粧はある程度しているつもりだ。思わず首を傾げてしまう。


「……貴女、この前アレスにはドレス何着持って行ったの?」


「ええと……。……アリーシャ姉様に借りようと思って、必要な着替え以外は持って行ってません。」


「お化粧道具は?夜会が有ったでしょう?」


「……姉様に……」


イザベラは大きく溜め息を吐いた。


「武芸ばかり教え過ぎたのかしら……。女性の公共の場でのお化粧はエチケットなのよ?ある程度して行かなければ、失礼になります。」


「ですが、仕事に行くのですし……。剣を振るったら、汗で流れてしまうし。」


主人を護るのに、着飾る事など必要なのだろうか?エレーンは怪訝な表情で母をじっと見てしまう。


「いいえ!エレーン。確かに、貴女は王子付きの騎士としてこれから王城で働きます。けれど、男性と同じく働こうとするのは無理です。どう頑張っても貴女は女性なのだから。化粧もせず、男性と同じ格好で働こうとも、女性で在ることは変わらずに、反って浮いてしまうでしょうね。」


「はい……。確かにそうかも知れませんけれど……。」


元々男性だらけの中に飛び込むのだ。浮いてしまうのも無理は無い。それぐらいは覚悟の上だ。


「ならば、やはり最低限の女性としての嗜をして職務を全うする事こそ、貴女の王城での価値が決まると言うものよ!」


「……そんなものですか?」


どうにも腑に落ちない母の主張に、今度は疑惑の眼差しを向ける。


「女性ならではの視点や配慮も、時には容姿さえもが必要なものよ。それを男性と合わせて埋もれさせるのは、勿体ないと思うけれど。」


「それは着飾らなくとも、出来るのでは?」


ついつい反論してしまう。

だって化粧を念入りにするならば、訓練の一つでもした方が職務を全う出来るのでは無いだろうかと思ってしまうのだ。


イザベラは聞き分け無い娘に、少々苛立って来た様だ。


「……皆ね。」


「はい。」


襲って来る気迫に、エレーンは自然と背筋を正す。

すると、突如イザベラはカッと目を見開いた。


「王子が連れて来る、『マルシュベン』の『剣姫』を楽しみにしてるのよ?それが、素っぴんで化粧っ毛の微塵も無い、只のいもだと知れたらマルシュベンの恥処か、殿下の恥!!」


「殿下の恥?!芋っ娘??」


芋っ娘にも弱冠傷付いたが、アレクシスの恥になってはお付きとして申し訳無い。


「側近が主人の評判を貶めるなど言語道断!始めは挨拶などに戻らず、さっさと王城に向かった方が良いと思っていたけれど……危なかったわ。」


イザベラの笑顔に、エレーンはごくりと唾を飲み込む。


「王城でも立派にやって行ける様に、貴女の母として鬼になってでも、叩き込みます!」


ひー!!声にならない叫びが、エレーンの心の中に響き渡った。


その後、母のスパルタ教室でエレーンは何度も涙を堪えたのだった。






送別会には、負傷兵が寝ていた大広間を開け放った。


軽症の者は兵舎の広間に。重症の者は大広間より二回り小さな広間へと移動させた。六百人入れる大広間が、人でぎゅうぎゅうになる。入れなかった兵士には、食堂で自由に宴会して貰った。


王城組はエレーンが主役だからと、会場の隅に陣取った。


今日の主役が登場すると、会場内でおおぉっと歓声が上がる。


薄いピンクのドレスを纏った、上品な女性がそこには居た。


肩は隠れて露出は少ないが、広がったドレスの裾と対照的に、引き締まった腰が強調される。アップにした髪に、飾りが編み込まれてキラキラと輝き、華やかさを演出している。


そして問題はその顔だ。


濃すぎず、綺麗に施された化粧が、普段よりも何倍にもエレーンを魅力的に見せたのだ。


それを見るや否や、集まった者は皆感嘆の溜め息を吐いた。



エレーンは元々整った顔立ちをしている。そうは認識していないのは当人だけなのか、とにかく化粧に関しては無頓着極まりない。


だからこそ、整っているがゆえに化粧が例え白粉と眉墨だけでも誰も何も気にしてはいなかったし、それが当たり前だった。

そもそも地元に居る間、着飾る機会など数える程しか無いのだし。


化粧は何度も挑戦したものの、その素の造形のせいで、加減を間違えるととても派手になってしまうので、エレーンは化粧が苦手だ。行事の際は、姉達に手伝って貰い何とかやって来れたが、今日の特訓で思い知った。


化粧とは何て面倒臭いものなんだろう!


塗りたくる品数は多いし、順番も有る。やり過ぎてもいけないし、かと言って一つ省くとバランスが可笑しくなる。


これを毎日やるなんて……。王城勤務とは斯くも厳しいものだったとは!


渦巻く心中は他所に、笑顔を絶やさず高座へと辿り着く。


サイラスとイザベラがにっこり微笑んで出迎えた。

横にクロード一家も着席している。


「……少しやり過ぎでは無いのか、イザベラ。」


「あら、これでも抑えた方です。アイシャドウだって、ヌーディーカラーにしたもの。健康的な、エレーンにピッタリの仕上がりでしょう?」


こそこそと話す両親を他所に、エレーンは壇上から数段下の会場に向けてペコリと頭を下げた。


「今日は私の為に、この様な素敵な会を開いてくれてありがとうございます。アレスの剣術大会から戻つて色々有った事もあり、あまり時間も無いままに王城へと出向く事になるので、今日皆に挨拶が出来てとても嬉しい。イスベルの皆はとても温かくて、子供の頃から見守ってくれて、私、ここで生まれ育った事を誇りに思います。」


ヒューっと何処からか口笛が聞こえる。


「ここで培ったものを生かして、王城勤務に努めたいと思います。……皆を残して旅立つのは少し心残りではあるけれど、この街は何時だって力強い。次に会うときも皆が健勝で有る事を願います。」


「お嬢もだぞー!」

「街は任しとけ!!」

「クロード坊の事も、頼りにしてやんなよー。」


「坊はいい加減止めてくれ……。俺、もうすぐ三十歳だぞ……。」


クロードの溜め息に、会場内から笑いが起こる。


笑いが収まった所で、サイラスがグラスを掲げる。


「皆、今日は楽しんでくれ。エレーンの王城勤務の奏功を願って、乾杯!」



「 「「「かんぱーい!!」」」」




始まるや否や、エレーンは民衆に囲まれてしまった。





これ以上近寄れないと判断して、アレクシス達はそっと大広間を抜け、食堂へと向かった。


「可愛かったなーエレーンちゃん♪ね、王子もそう思うでしょ。」


「……。そうだな。」


「えっ。」


何時もは照れて赤くなったり、逃げたりする筈のアレクシスの変わりように、ルーカスは驚いた。


「それに、イスベルは本当に良い街だな。王都では民衆と触れ合うなど、ましてや宴に招くなど考えられない。」


「左様ですね。危機的状況が多い分結束力が有るのでしょう。そもそも王都では人員が足りてますから、民の手を借りる事が無いですし。」


「ここで育ったエレーンは幸せ者だな。」


「……。本当に。その幸せなお嬢さんをがっかりさせない様に、坊も上司として頑張らなくては。」


「……努力はする。」


二人を他所に、ルーカスは一人剥れている。その様子に、ロバートがわざとらしく肩を上下して見せた。


「何ですか、怪我に響きますよ?」


昨日より盛り上りはましになったとは言え、ルーカスの唇の横は紫色になり、腫れている。その頬をぷうと膨らませているのだ。想像するだけで痛そうである。


「王子が大人になってつまんない!からかい甲斐が無い~。」


「?!お前は……。俺を何だと思ってるんだ?」


「貴方も大人になって、早く落ち着いて欲しいものです。」


溜め息交じりに、ロバートは首を振る。


「俺が落ち着いたら、二人の人生つまんないよ?王城でもつまんないでしょ?あれが一生続くと思うと、俺自身ぞっとしないわ~。」


「…………。確かに。」


「………何という究極の選択。」


本気とも冗談とも取れる会話をしながら、そうこうしている間に三人は食堂へと辿り着いた。




中では何時から始まっていたのか、既に大半が出来上がっている。三人を見付けて、ピーターが手を振っている。

席を空けて貰い、三人はそれぞれ着席した。隣のテーブルに居るリンとロイは既に酔っている様だ。いや、ロイは酔ってるのか判断し難いのだけれど。対してリンはすっかりと上機嫌なのだ。


「今日はロバート様も此方で良いんですかい?何時も貴族様や官僚達と一緒でしょう。」


ピーターが料理を並べつつロバートを見る。


「ええ、今日はエレーンさんの会ですからね。常にい……」


「何でロバートが珍しがられるんだよ、俺の方がレアだろう?」


喰い気味にアレクシスが割って入る。レアって自分で言うことだろうか。とピーターは内心突っ込んだ。が、命が惜しいのでそこは気取られない様に気をつけた。


「えー、何か王子さん何気にルーカスさんと一緒にこの中で呑んでるから……。」


「待て、何でロバートは様で俺はさんなんだ!」


「だって『王子様』とか俺が言ってもキモくないすか?」


「む、……うむ。それもそうだな。いや、そもそも殿下で……」


「俺から殿下って呼ばれたいですか?それもキモ……」


「いや、御免被りたい。」


などとまた今度も冗談とも本気とも取れる会話で談笑しつつ、皆料理を頂く。


「そう言えば、王子さんにイスベル流の飲み方を教えるって話しでしたね?」


確かにそんな話しもしたかと、アレクシスはは頷いた。二日酔いにはほとほとうんざりしているので、正直知らなくても良いのだが。


それを合図にしてか、ピーターが乱暴に立ち上がる。


「今からここで『お通り』すっから!近くの奴テーブル繋げろ~!!」


聞いて、両隣がテーブルをガタガタと移動し、20名程が集まる。


遠くの席に居たにも関わらず、アーガスとネルグもちゃっかり混ざりに来ていた。アーガスに気付いて、ルーカスはブチブチ文句を言い出す。どうやら体術大会でアーガスともやりあった様だった。一方、アーガスは自身のどす黒く痣になった足を見せて、ルーカスにやられた文句を言い返す。


揉めるかと思われたが、呑みで勝敗を決めると決まり、お互い笑顔になっていた。呑兵衛、単純過ぎである。


皆が落ち着いて座った所を見計らい、ピーターが立ち上がる。


「えー、今日は、リン坊とロイの送別会も兼ねて、王子さんに『お通り』を教える!!今日は僭越ながら俺から右周りで!ボトル用意してるか??」


「「「おー!!」」」


アレクシスの目の前には蜂蜜酒の水割りが大きな水差しで用意される。何が始まるのかさっぱり分からないまま、見よう見まねで渡されたグラスを掲げた。


「えー、リン坊とロイ!王城勤務おめでとう!全く羨ましくは無いが、大出世だ!しっかり気張って、お嬢に迷惑かけんなよ!乾杯!」


ピーターが座った途端、一斉に皆一気してグラスを空にし、直ぐに酒を注ぐ。三人は取り合えず同じ様に飲み干して、後に続いた。すると、ピーターの右隣の男が立ち上がる。


「えー、お嬢は男だらけの中で女性一人で絶対大変だ。変な野郎が付かないように、充分注意しろよ!乾杯!」


また皆一気飲みする。直ぐにそのまた右隣の男が立ち上がる。


一連の流れに、アレクシスは嫌な予感しかしない。ピーターに不安げな視線を向ける。


「まさかだが……、これを二十人終わるまでやるのか……?」


「二十人で終わる処か、何周もしますよ?」


にっかと良い笑顔で返され、アレクシスは喉の奥がキューっと縮んだ気がした。


「こりゃまた王子の世話しなきゃなんなくなるわー。」


そう言いながらも、ルーカスはウキウキだ。


「まあ、出来るまでは頑張りましょう。」


ロバートも満更では無い様で、アレクシスはますます意気消沈したのだった。



その後アレクシスは水割りに更に水を足して、何とか頑張っていた。そこでリンの番が来る。


「えーと、俺を育ててくれたこのイスベルが大好き過ぎて、王子には悪いけど、正直王城に行きたく無いです。けど、俺、お嬢の為なら何だってやる覚悟なんで頑張ります!孤児の俺を一端の兵士にしてくれた皆にも、感謝してる。皆体に気を付けてな!乾杯!」


「おま……一周目で泣かす気かよー。」

「お前こそ体に気ぃ付けろよ!」

「大体、お前は直ぐに突っ走るからなぁ…」


兵士達が涙声になるのを、アレクシスは微笑ましく眺めていた。次はロイの番だ。


「…………えー…………。」


「本当お前は喋んないな!」


あまりの間の取り方に、野次が飛ぶ。途端にどっと笑いが起こる。


「……えー、イスベルで世話になってまだ浅いけど、俺にとってここが故郷です。何か有ってもきっと思い出すのは皆の顔だし、俺が黙って気長に過ごせたのも、皆が支えてくれたからだと思ってる。ありがとう。乾杯!」


「くそ、感動的なのにロイが十文字以上喋った方が驚きが強過ぎる!」

「はははっ、あっちではちゃんと喋ろよー?」


やいのやいの盛り上がる兵士達を見て、羨ましくなって来る。王城の者達も、実はこんな事を言い合って過ごしているのだろうか?アレクシスはふとそんな考えが浮かんだ。そもそも、王城で兵士のやり取りを見る機会など殆ど無いのだが。


「……何だか俺もイスベルで世話になりたくなって来たな」


「……坊、酔ってるんですか?」


突然の願望に、ロバートは驚いて隣のアレクシスに顔を向けた。


「いや、本当にここは良い所だと思ってな。」


「………貴方様も造り上げれば良いのです。ご自身の周りを、この雰囲気が包む様に。」


「……出来たら良いんだがな。」


「じいが元気な内にお願いしますよ?」


アレクシスは皆の一気に合わせて飲み干し、チラッとロバートに視線を向ける。


「じいはまだまだ元気だろう?」


言われて、ロバートはにっこり微笑んだ。


「そうですね。造れる大人になるまでゆっくり待ちますよ、まだまだ坊はお子様ですからね。」


なに!とアレクシスに言われて、ロバートは大きく笑うのだった。





『お通り』が二週目を終えるのと一緒に、アレクシスは脱落した。


ルーカスがエレーンと仲良くします宣言をして皆の顰蹙を買うわ、ロバートが長々話してブーイングが起こったりするわで矛先が全て自分に来てしまい、口上中は針のむしろだった。


一人中庭へと涼みに出る。

水割りをほぼ水にしても、誰も咎めないのが有り難かった。自分以外はウイスキーロックもしくはワインを一気しているのだ。


「もうあれは酔うための手段だな。」


皆どれだけ呑みたいのか。

長椅子に座り、空を仰ぐ。煌々と欠けた月が浮かんで、月明かりで視界は悪くない。


王城内では何処に行くにも人が付いて回るが、イスベルではその安全性の高さからか、ロバートもルーカスもある程度放って置いてくれる。王城が別段危険と言う事では無いが、もし一人で居たら寄ってくる人種に問題がある……事態が多いのだ。

大体、イスベルでは昇進や工作の為に自分に近寄る者もいない。皆この地が好きで、それ以上を望んでいないのだろう。


「綺麗だな……。」


月を見ながら一人呟く。




ふと、視界の端に人影を捉えた。中庭が見下ろせる二階のバルコニーに、誰か出て来た様だった。


「エレーン?」


ピンクのドレスが見えて、アレクシスは体を起こした。


声が聞こえたのか、エレーンは下を見る。

キョロキョロした後、此方を見付けて手を振る。釣られて、アレクシスも手を振り返す。


それにしても、エレーンが手を振る?珍しい事も有るものだ。

今までの事を考えると、敬語を外すのは辿々しさが残るが慣れて来た様に思える。が、そんなに砕けた態度をする程、慣れているとは思えない。


立ち上がり、バルコニーに近付く。上を見上げて、アレクシスは声を張った。


「どうした、小休止か?」


エレーンは声に気付いて、手摺に身を乗り出した。


「ちょっと呑みすぎたみたいで。中はすっかり『お通り』祭になってしまって……。逃げて来ちゃった。」


来ちゃったとか可愛い…何を思ってるのだ自分は。これは……珍しくエレーンは酔っているのだろうか。いや、自分も。


「そっちも『お通り』か……。イスベルの皆は酒が好き過ぎだな。」


エレーンは会場内の出来事を思い出したのかクスクス笑い出した。


「ええ、本当に。宴会自体はとても楽しいけれど、加減して欲しいものだわ。」


アレクシスは思い立って、勢いを付けて走り出した。


「?」


エレーンが不思議そうに見ている中、そのまま一階の窓の縁に足を掛け、勢いのまま手を伸ばしてバルコニーの手摺を掴む。そのままよじ登り、あっと言う間に、アレクシスはエレーンの立つ場所へと降り立った。


「突然危ないでしょう?心臓に悪いわ。」


近くに来ると、上気した頬でやはりエレーンが酔っているのが分かる。文句の割には胸元を押さえて、クスクスと笑っている。


なんとなく手持ちぶさたになり、手摺に肘を付いて頭を乗せ、おどけて見せた。


「こんなの何時もやってるんだ。エレーンだってきっと出来ると思うぞ。」


エレーンはまあ、と返事をしてまた笑う。……どうやら笑い上戸らしい。そんな彼女に釣られてつい自分も笑顔になってしまう。


「……皆と話して、イスベルから離れ難くなった?」


何でも無い風を装おって、ちらりとエレーンを盗み見た。途端に笑っていたエレーンの頬が、みるみる膨らんで行く。あれ?何か不味っただろうか。アレクシスは内心不安になった。


「アレクシス、ちっとも私を信頼して無い!」


むーっとエレーンが唸る。それが、年上とは思えない程子供子供していて、アレクシスは思わず目を剥いた。


何だこの可愛い生き物は?!


普段からは思ってもみない言動に、大きく衝撃を受けた。あれか、これがギャップ萌えと言う奴だろうか。良く分からないが、ルーカスがいつも言っていたやつ。そうだ、それに違いない。


ルーカスはたまに王都で羽を伸ばしては、民衆の間で流行っている言葉を覚えて来て、態と会話に使うのでアレクシスは混乱する事もしばしばあるのだが、この使い方は合っている気がする。


「そんな事無いだろ?エレーンには期待してるんだ。俺の仕事を面白くしてくれるって。」


「……。仕事を面白く……?それって良くないよね?」


剥れていたかと思えば、頭に疑問符が浮いた様な、きょとんとした顔をする。その様子に何だかアレクシスの鳩尾辺りがきゅぅと締め付けられた。


「こうやって常に視察なら良いんだけどな。王城内の執務がほんっっとに息苦しいんだ。まだまだ覚えて行く事ばかりだけど、エレーンと一緒ならやる気も出るかもな。」


が、エレーンはあまり納得していない様子だ。根が真面目だからこそ、仕事は根を詰めるものだと思っているのかも知れない。


しかし、そんな様子も微笑ましい。…けれど、


「……こんな綺麗だと、反って集中出来ないか……?」


何か考えて集中しているエレーンの頬へ手を添える。

そのまま前髪に触れる。サラサラと栗色の髪が、指の間から流れた。


「アレクシス?」


呼ばれてパッと手を挙げた。一体何をしてる?!自身もそんなに酔っていたか?じわりと額に冷や汗が滲む。途端に、窓の人影に気付いてアレクシスはエレーンからサッと距離を取った。


窓の端から、イザベラがじっと見つめている。


「?!」


更に嫌な汗をかく。流れる汗はそれはもう滝の様だ。

イザベラはにっこり微笑んで、何を言うでも無く窓辺から立ち去った。


「……戻ろう。」


エレーンに、会場に戻るよう促して、自分はバルコニーから飛び降りた。


不味い。大いに不味い。


これでは手本になる上司ではなく、只のセクハラ親父(少年?)に成り下がってしまう。


自分は一体どうしたんだ?


いくら、エレーンが可愛いらしかったからって、いや、可愛いかったけれども。不用意に近付いてあの後どうするつもりだった?!


明日、エレーンにどんな顔をして会えば良いのだろうか。己の行動が恐ろし過ぎる。ぐるぐると反省の言葉を頭に浮かべながら、アレクシスは足早に食堂へと戻った。






一方、バルコニーから会場内に戻ったエレーンは、頬の赤みに両の手の平を当てていた。


さっきのアレクシスの行動は一体全体何だったのだろう?!


本当に十四歳なのだろうか?!高鳴る鼓動に、ぎゅっと目を瞑る。頬が熱くて燃えそうだ。いや、燃えてしまっているかも知れない。あの深い青の瞳が、月に照らされなんと色っぽかった事か!!いや、自分は何を考えてる?!相手はまだ成人前の年下だと言うのに。


あまりの驚きに、エレーンの酔いは一気に覚めていた。



「お嬢具合でも悪いのか?」


黙って顔を赤くしているエレーンに、レオナルドが心配そうに額に手を当てる。エレーンははっとして、首を振った。


「ちょっと飲み過ぎたみたい。でも大丈夫だから。」


レオナルドは注視していたが、いきなりエレーンを抱き抱えた。あろうことか、俵担ぎスタイルだ。


「?!」


「今日はもう部屋に戻るか。そんなに顔真っ赤になるまで飲んでたとは気付かなかった。ほったらかしで悪かったな、お嬢。」


「お、旦那の抱っこ久しぶりに見るな。」

「もう見られないかも知れないんだねぇ。」


小さな頃からの光景に、周りはしみじみする。


「だっ大丈夫だから!一人で歩けるから!」


エレーンの要望を他所に、すたすた歩き出すレオナルドを、会場の皆が温かく見送っていた。


とりあえずエレーンはジタバタしてはみたが、それで降りられた試しが無いため、直ぐに諦めた。


「……終にお嬢も一人立ちかー。」


軽々運びながら、レオナルドは呟く。


「ここまで見守れたし、俺もぼちぼち身を固めますわ。」


「??」


突然の宣言に、上半身を仰け反らせレオナルドを見下ろした。


「何かあっと言う間でしたね。今日まで。あっと言う間過ぎて、ちっと待たせ過ぎた奴が居るんでね。」


「レオ……。おめでとう。……こんな体勢で言うなんて、ズルいわ。」


エレーンはぎゅっとレオナルドの頭を抱き締める。


「おっ?何だか懐かしいな。小っちゃい時は良くやってくれたもんだ。」


「……私、向こうでも頑張るから。心配要らないからね?」


「お嬢こそ、俺らの心配は要らないですよ。でも、辛くなったら何時でも帰って来れば良い。あの王子に何かされたら、直ぐに言って下さい。俺直々にぶっ飛ばしに行くんで。」


アレクシスに何か……。エレーンはさっきのバルコニーでの事を思い出す。

今はレオナルドに抱き抱えられて、顔が見られなくて良かった。また顔が赤くなっているに違いないのだから。




部屋まで送って貰い、エレーンはドレスの皺も気にせず椅子の背凭れに乱暴に掛け、そのままベッドへ仰向けに倒れ込んだ。

今日は色々有りすぎて、酔いも合わせて頭の中はぐるぐると回転木馬の様だ。



思っていた事だが、これでは、アレクシスとずっと一緒に居るなど心臓が持たない。もはや王子付きでいる事など不可能ではないだろうか。


本当に自分はどうしてしまったのだろう。


そりゃあ、アレクシスは驚く程の美形である。美形と言うか、可愛らしいと言うか……ウェリントン建国由来の水の女神画の天使がそのまま出て来た様で……違う、そこでは無くて。いくら世の女性がコロリと逝きそうな美形だとしても、仕事の上司に邪な想いを持つなんてもっての他で。


「しっかりしないと……。」



一人呟いて、エレーンはそのまま眠りについた。思っていたよりも酒が回っているらしかった。そうだ、これはきっと酔いのせいなのだ。胸の高鳴りも、頬の赤みも。



二人の想いを余所に、春はそこまで訪れて来ていた。


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