18話

街の中腹に待機していた衛兵と街の組合の若い衆は、ぱらぱらと向かって来る賊の対応に追われていた。流石に、イザベラお得意の門守りから抜け出しただけ有って、中々手強い。皆、一対一にならない様に数人で応戦する。


騒然とする場に、レオナルドが兵を連れて合流した。


「おーおー、今回はかなり人数が居たみたいだな。姐さんにしては珍しく一杯上がって来てるじゃねえか。」


状況を確認して、自身も突っ込んで行く。


「旦那!西門はどうしたんだい!」


組合の一人がレオナルドに声を掛けた。


「まあ火事も大丈夫そうだ。それよりも、此方に加勢してくれだと!」


賊に蹴りを入れて吹っ飛ばしながら、余裕で答える。


「な-に!あんたの加勢が無くてもこっちは余裕だっての!!」


別の場所から声が上がる。刃を交えてお互いに動けない様だ。レオナルドはすかさず相対してる敵の背中を切りつける。


「何を言ってんだ!息が上がってるぜ?おやっさん。歳なんだから、無理すんな。」


おやっさんと呼ばれた組合所属らしい中年の男は、息を切らしながらも威勢を張る。


「まだまだ俺はやれるっての!」


レオナルドは苦笑いしながら、怪我をしないように注意を促すのだった。

本当に珍しく、残党が多い。普段はこっそり一人~二人が忍んで上がって来るが、ざっと見ても十数人は見える。この通路でこれなら、外の道も多く相手しているかも知れない。


応戦しているレオナルド達の所に、ルーカスが駆けて来る。それに気付いて、慌てて声を掛けた。


「あれ!何でまた?!南側は??」


レオナルドの声に、ルーカスは速度を緩めた。少し息が上がっている様だ。それもそうだろう、緩やかとは言えない坂道を走っていたのだから。


「……敵の頭は死んだので。俺は城へ戻ります。」


何となく雰囲気が違う様な気がしたが、レオナルドが二の句を口にする前に、ルーカスは直ぐに駆けて行ってしまった。


「……こりゃあ、まだ終わって無いか?」


レオナルドは尚も向かって来る賊を相手にする。今度はリンとロイも一緒に走って来た。


「旦那~!!」


相手にしていた敵を切りつけて、二人に近付く。


「ルカ兄ちゃん来ました?」


リンの言葉にレオナルドは一瞬誰の事か分からなかったが、さっきの騎士だと結び付いた。


「ああん?来たが、まずは報告しろ!どうなった?」


リンの報告を受けて、早速第一隊の伝令役に西門へ報告に行かせる。これからまだ敵が来るなんて考えたくも無いのだ。二人を見送り、まだいる敵を排除すべくレオナルドは剣を振るった。





黙々と走り抜けるルーカスに、リンとロイの二人は追い付けないでいた。王都の人間は数が多いだけで軟弱なものと勝手に思っていたのだが、体力はかなりある様だ。まず、大会で入賞するような腕自慢が集まるのだから、それはそうかとロイは一人納得する。

それにしても、海賊の頭は女だったが、それなりの相手を倒すとかなり疲れるものだ。なのに何処からあんなに体力が出て来るのか。自身も体力にはかなり自信が有ったが、この坂道を走り抜けるのにも疲れが出始めた。隣のリンも今日いろんな所を走り回って、加えて戦闘も有り、随分疲れが顔に出ている。城へ報告に戻り、小休止出来れば良いが。


やっと城手前の広場に辿り着く。


それでも城までまだ坂道が続くが。辿り着いて、違和感が襲う。衛兵が倒れ、薄暗い闇の中に黒ずくめの男がルーカスと対峙している。男は足まで届く長い外套に、頭もすっぽりとフードに隠れて居る。表情までは此方からは見えない。長い外套が風に煽らればさばさと音を立てる。



ルーカスが二人に気付いて叫ぶ。


「早く城に!」


叫ぶが早いか、男が二人に迫る。二人が身構えると、男は拳を振り出した。剣を相手に素手か?と二人の頭に疑問が浮かぶが、駆けつけたルーカスが受け堪える。


キイン!と金属音が響いた。相手の拳には鍵爪が覗く。


「……!兵士達はまだ無事だ!見張りも見ていただろうが、早く増援を!!」


力が均衡しているのか、その場から動けない様だ。でも!と言うリンのを首根っこを引っ張り、ロイは城へと駆け出した。


「早くしてよね!俺結構一杯いっぱいだから!!」


叫ぶルーカスに、ロイはうん!と自分でも珍しく大きく返事をした。


ルーカスと対面していた男は、ふんっと息を漏らした。顔を隠しているので表情までは見えないが、雰囲気は笑っている様にも感じた。


「何が可笑しい?」


ルーカスは剣を振り払い、男と距離を取った。


「何が一杯いっぱいだ。と思ってな。」


案外しゃべるのか、こいつ!とルーカスは心の中に突っ込みを押し止めた。勝手に無口キャラかと想定していたのだ。気付くと自信の剣が濡れている。最悪な、実に嫌な予感がした。


「毒か?これは……」


男はさあて……と惚けた。これが毒なら、倒れている兵達が危ない。


「毒持ちは大体解毒剤も待ってるもんだよね!」


ルーカスは男目掛けて飛び出した。長い外套の下に何を隠しているのか分からない。が、じりじりと増援を待っている訳にもいかなかった。男は応戦するわけでも無く、するするとルーカスの斬撃をかわす。打ち合わない姿勢がルーカスを苛立たせた。


「ルーカス・ヘンベルクだったか。流石に戦闘狂なだけ有る様だ。こんな所でフラフラしていて良いのかな?」


自身の名を呼ばれ驚く。しかし、それよりも…


「戦闘狂って聞き捨てならないんだけど?!」


男の顔目掛けて大振りに切りつける。すっと後ろへ後退するのを予測して、また一歩踏み込み、切りつけた裏手をまた顔目掛けて返す。男もまた後退したが、ルーカスの剣が速かったか覆面が破れた。


「……!」


ルーカスは男を見て一人驚愕した。






ルーカスが広場で応戦する少し前、城の門番達がざわついた。


城前の広場にて戦闘が始まったのだ。不審な男達が、待機していた兵士を次々打ち倒す。直ぐに門は閉門された。これには、報告を受けたサイラスも驚いた。

イザベラが打ち損じるのも極めて珍しいが、何よりイスベルの兵士をたった二人で倒す者がいたのも珍しい。

しかし、どうにも毒にやられている様な感じだと報告を受けた。通りで。それならばかすっただけでやられる訳だ。イスベルの兵たるもの、簡単にやられては駄目なのだが。



さて、状況は困った事になった。


裏から伝令役は城を発ったが、広場の兵達が危ない。

増援を送りたいが、城を手薄にさせる訳にもいかない。何故ならば守らなければならない賓客が、今回に限って居るからだ。でなければ、城を掲げて応戦すると言うのに。悩めるサイラスの元に、更なる報告が上がった。


不審な男が一人、此方へ向かっていると。


サイラスは溜め息をついて、執務室を後にした。


自身の髪を束ねながら、伝令役に詰問する。


「王子達は、奥の部屋に待機しているのだろうな?」


聞かれた兵士は恐々答える。


「そ……それが、部屋には……。」


なんだと!!と叫び、サイラスは怒りながら廊下を駆け出した。






サイラスが怒り心頭になる少し前、エレーンは更に困った事態になっていた。ほんのちょっと外の様子を見たいとアレクシスに連れられ、三人ならばと見に来ていたのが運の尽きだった。不審な男が一人、門番を盾にアレクシスを指名して来たのだ。


男はぶかぶかの袖口の服を着て、帽子を目深に被り、更に覆面もしている。髪は手入れもしていないのか、四方八方へ伸び放題だ。風に吹かれ銀色の髪が広がり、怪しさ満点の出で立ちで纏う雰囲気も異様だった。


勿論、王子殿下を差し出す訳には行かない。かと言って、今彼を中に避難させたら、ここに居ると宣言してしまう様なもの。幸い、向こうはアレクシスの顔迄は知らないらしい。ロバートも、エレーンと目配せして頷いた。


隙を見て矢を放とうにも、この風ではコントロールが上手く行かずに兵に当たってしまうかも知れない。男は何もしないと宣言するが、そんな訳も無いのは明白で。


しかし、手薄とは言え、兵士に囲まれたった一人で何が出来るのか。この場の皆が男の意図を図りかねていた。


兵達がじりじりと男へ近付こうとしていた時だった。急に男は盾にしていた兵士を横へ投げ捨て、後退さった。何事かと男とは逆の方へ視線を向けると、リンがナイフを構えて男へ向き合っている。ロイはよろめいた兵士を抱き上げ、直ぐに立たせた。


男は一人あ~あと大袈裟に嘆いた。直ぐ塀の上から男目掛けて矢が放たれたが、男が手を振ると矢は弾かれてしまった。どうやらぶかぶかの服の中に暗器を隠している様だ。


男はちらりと顔を上げた。アレクシスは一瞬眼が有った気がして、ぞくりと悪寒がした。

すると、ゆらゆら正体なさげに立っていた男が、後ろへ反り返った…と、思うと両手を広げて今度は前に勢い良く状態を起こした。



カンカンカン!



エレーンは自身の鍛練の成果が反射的に出た事を、心の底から感謝した。男が前に倒れた拍子に、袖口から小さなナイフがこちらに向かって飛んで来たのだ。門に当たって音が無ければ、松明のみの薄暗い視界では、気付くのが遅れたかも知れない。


同じく、ロバートもアレクシスの前に立ち、しっかりと叩き落とした様だ。


男は直ぐに鍵爪を門の上へ投げ、引っ掛けると同時に縄をよじ登り始めた。慌てて門兵が上から矢を放つが、器用に片手で弾き返す。ロイも慌てて足を掴もうとするが、男の足先に刃が付いていて、しかも顔面目掛けて振り回すものだから、不用意に近付く事が出来ない。


そうこうしている間に、男は門の上にちょこんと立ち上がった。門は厚く造られているとはいえ、立っているだけでも一苦労な筈だ。しかし、器用にバランスを取り、またもや両手を大きく振って前に倒れ込んだ。


同時に小さな暗器が飛び散ったが、陣営を組んだ兵や、エレーン達によって全てアレクシスへと届く前に阻止された。エレーンは緊張で剣を握る手の内が汗を掻くのを感じた。鼓動も早まり、思わずごくりと喉が鳴る。


何があっても、殿下をお守りしなければ。その使命感が、エレーンの緊張を更に高めた。



門の上の男に、兵達は矢を放つが、やはり風が強く思う様に威力は出ない。その中でも辿り着く矢を弾きながら、男はぶつぶつ話し出した。


「あーあ。せーっかくお金も人も出したのに、何て強固な街でしょう!私がっかりですよ。人材は補給出来ず王子にも会えず終い。まあ、仕方無い。今日はお暇しますか。」


男はこれまた軽々と門を滑り落ちる。撤退させるかとリンがロイの制止も聞かず駆け出した。


男はリンの蹴りをスルリと避けて脇腹へ拳を入れる。くぐもった呻き声を上げて、リンは吹っ飛んだ。同時に、目深に被っていた帽子が脱げて地面に転がった。


男はリンの顔を見咎めて、おや?と倒れ込むリンの前髪を自身の手で掻き上げた。


「貴方、綺麗な髪と瞳をしてますね~!これはこれは……。そうだ、一緒に連れ帰りましょうか。」


リンは苦悶の表情を浮かべ、男の話しに答える間もなく、腕を引かれる。思う様に力が入らず逃れられない。



「待て!お前、何がしたいんだ!!」



今迄押し黙っていたアレクシスが、兵達の列の後ろから大きく声を張り上げた。エレーンとロバートだけでは無い。不審な男を除いてこの場にいる者全てが、心の中で叫んだ。




『『『?!王子、一体何をしているのだ!!』』』




ロバートが手を掴まなければ、前に飛び出さんばかりの勢いでアレクシスは前を睨む。男はアレクシスの方をちらと見ると、にやりとした。いや、顔は隠れているのだが、その様に思えた。そのまま無言でリンの腕をぐいっと上へ持ち上げる。大きな男に引き上げられ、リンの足が中に浮いた。が、男は持ち上げた手を放し後ろへ後退した。ロイが男目掛けて剣を振り落としたのだ。ロイの前髪が風に靡く。その隙間から、鋭い眼光が現れた。


男はロイも見て、おやおや?と一人言を呟いていたが、続く斬撃に笑い声を上げながら後退りする。そのままあっという間に下の広場へと駆け出して行く。ロイが後を追おうとした時、怒鳴り声が響いてロイを制止した。


今まで見たことも無い程怒りを露にしたサイラスに止められたのだ。次いで、他の兵士に小隊を整える様に指示した。




一瞬にして、その場の皆が別の恐怖に包まれた。


アレクシスとエレーンはなおのこと恐怖に震えたのだった。








一方、ルーカスは男の顔を見て驚いていた。


「て、誰だよ!」


自分の事を知った風に言うから、何処かの手練れかと思ったが、全く覚えが無い。男は今度こそ覆面の下で笑った。


「そりゃそうだ。初対面だ。」


ルーカスはそれを聞いても腑に落ちない。何故、たまたま襲いに来た海賊に、自分の名前が知られているのだろう。イスベルだけでは無く、考えたくも無いが、まさか……いや、内心そう思っていたのだ。こいつは明らかにこの国の王子殿下を狙っている?!あの女頭を相手にしてから、ずっと抱えていた最悪の考えが現実味を帯びて、ルーカスは思わず城へと体の向きを変えた。


男は直ぐにルーカスの横へと付く。鍵爪の拳を剣で受け止め、ルーカスは飛び退いた。


「あー!もう、邪魔なんだけど?!」


男はまた笑っている。


「だから、こんな所でフラフラしていて良いのかな?と言ったんだ。」


ルーカスは男のふざけた態度に何も言わず、男へと向き直し一呼吸大きく吸い込んだ。次いでゆっくりと吐き出す。その表情は鋭く、男を静かに見咎める。男の目的を知った途端、ルーカスの心は深い海の底の様に凪いでいた。あの時の様な失態をする訳には行かないのだ。


腹に力を溜め、一気に男へと剣を尽き出す。


男は反応したが、余りの速さに体が付いて行かず、外套に剣が突き刺さった。かに見えたが、ハラリと布が破けただけだった。


それを見てルーカスは思い出した。


「あー!くそ、何時ものサーベルじゃ無かった!」


長さの感覚を間違えていた!とぐあーっと後悔の念に刈られているルーカスに、男は反撃に向かう。カンカンと金属音が飛び交う。


「こんな所で時間を喰っている間に、大事な王子様は果たして無事かな?」


それを聞いて、ルーカスは目の前が真っ赤になった気がした。怒りなのか興奮なのか、心臓は早鐘を打ち始める。けれど、思考は酷く落ち着いていた。


この感覚はいつ振りだろうか?


幼い頃の王子の顔が脳裏を掠める。あの時、あれ程生きた心地がしなかった事は無い。あの思いだけは二度としたくない。


体全てが心臓になったかの様に脈を打つ。しかし、反対に頭の中は未だに凪いで静かだ。…懐かしい。こんな気持ちがまだ自分に残っているとは。


仕方無い、殺るしかないか。


ルーカスはすとんと舞い降りた結論に、一人で納得していた。女頭も死んだ今、情報源として男の腕の一本でも切り落として置いておけば良いかと思っていたが、この素早さでは難しそうだ。でかい癖してなんて奴だ。もっと時間がありさえすれば……。いや、そんな悠長な事を言っている場合じゃない。こんな奴がここだけでは無く、城にも向かっていたら…。考えるのも時間が惜しい。


カトラスを片手で自分の前に構える。集中して、向かって来る鍵爪を左右に払いながら、後退る男の間合いを詰める。まだ。まだ。まだ。応戦する男は、自在に踏み込みを変え左右に後退するが、ルーカスは逃さない。ジリジリと少しずつ間合いが詰まる。


長い攻防の末、ルーカスの一振りが男の鍵爪を大きく弾く。



今だ。


男の心臓目掛けて、剣を思い切り押し出す。集中の余り、胸の前に辿り着く剣の進みがゆっくりと見える。あと少し、あと指先一つの距離で……



キィン!


いきなり横から突き出したナイフが、カトラスの刃の軌道を逸らした。


「ゼロ、駄目だったから帰りますよ?」


声の主から咄嗟に横へと距離を取る。対面の男へ集中していたとはいえ、こんな近くまで接近を許していたとは。ルーカスはさっきとは別の要因での呼吸の乱れを感じ、ふーっと息を整えようとするが、集中が乱され思う様に行かない。


ゼロと呼ばれた男は無言で歩き出した。突然表れた髪がボサボサの男も一緒に坂を下る。


内心新たな敵の登場で面喰らっていたルーカスだったが、急いで二人を追い掛ける。が、向こうは建物の屋根へと飛び降りた。自身も続くが、何軒か先の軒下に馬が用意して有ったらしい。飛び乗り、走り去られてしまった。


「何なの…あいつら…。」


一人、屋根の上から走り去る影を見下ろした。







レオナルドは、討伐を終えた道の上に腰を置いて居た。危惧していた二次襲撃も無く、周りは片付けに動いている。と、後ろから伝令の兵士が駆けて来た。

報告を聞いて、焦る。近頃は城まで押し進む輩がいなかったから油断した。伝令役もまず近い北に報告して遅れたらしい。直ぐ様馬を用意して、城へと駆け出した。


坂を上がっていると、見慣れぬ装束を着た男二人が馬で此方へ向かって来る。


「あれか!」


確認して、剣を抜く。此方へ戻って来たと言うことは、城は一体無事なのか……。一抹の不安を抱えて、勢い良く向かう。ぶつかり合うかと思った刹那、装束二人を乗せた馬が大きく跳び跳ねた。


「何だっ?!」


驚くレオナルドを尻目に、馬は坂を下る。


「おいおいっ!」


急いでレオナルドは踵を返し、追い掛けた。いくら下り坂とは言え、何て規格外な事を。しかも二人を乗せた状態にもかかわらず速い。


レオナルドは駆けながら大きく叫んだ。


「直ちに閉門しろ!!馬に乗ってる奴は俺に続け!!」


もう港へは目と鼻の先だ。門を閉めれば袋の鼠だ。叫び声を聞いて、イザベラは直ぐに矢を放った。しかし、後ろに乗っている多分男で在ろう装束に、正確に叩き落とされる。


門は既に閉め始めていたが、閉じきるには人手が足りない。直ぐ様号令をかけるが、門はゆっくりとしか動かない。再度出来るだけ矢を放つ。馬を狙っても落とされる。披露されたあまりの芸当に驚いた。


「……何て奴。」


イザベラは苦々しく唇を噛み締めて再度狙うが、勢い良く馬が向かって来る。舌打ちをしながらギリギリ馬を避ける。装束二人を乗せた馬はイザベラを追い越し、門を抜けてしまった。


「姐さん!」


レオナルドは直ぐに声を掛けたが、走り去る不審者を追いかけてそのまま閉じかけの門の外へ飛び出した。数人の兵士も続く。


「閉門止め!!」


イザベラは直ぐに声を掛けた。門はそのままピタリと止まった。後はレオナルドに任せる外無いが、門が開いて居た事が悔やまれた。閉めて居ても商船の火事で燃え落ちては居ただろうが。


レオナルドは装束を追いかけて、港横の岬の端まで来ていた。この横は崖に阻まれ、内陸部へ戻るのならば結局門に戻るしか無い。遅れて来た騎馬兵も到着し、捕獲は時間の問題かと思われた。


しかし、馬は中々速度を緩めない。このままでは海へと投げ出される。海は嵐の影響で大きく波打ち、それよりも真っ暗で何も見えない。そうなれば、回収が難しくなる。


「諦めて止まれ!!」


堪らず叫ぶ。しかし反応は無い。林を抜けて、視界が開けたと思った瞬間。馬はぽーんと岬の端から海原へと飛び出した。


「はっ?!」


レオナルドの目の前で馬は大海原にダイブした。そのまま荒れた海をすいすい泳いで行く。


「おいおいおい……。」


追っても海の中どうする?切って潰すにも、此方も不利だ。


兵士が弓を放つが、何処で見えて居るのかボサボサ頭の男が手を挙げる度カンカンと音がして、外れた矢以外はどうやら全て落とされて居るらしい。


此方も船を出すかと頭の中で様々思案する。この荒れた海に小舟は不味い。しかし、今から帆船を用意していたら見落とす。既に闇に紛れて視認が難しいのだ。


「……撤退だ。」


レオナルドの苦渋の決断に、兵士達も何も言えなかった。皆が門へと辿り着く頃、空から激しい雨が振り出した。


とぼとぼと帰路へ付き、レオナルドはイザベラへ頭を下げた。


「すんません、逃げられました。」


イザベラも首を振った。


「ごめんね、門を閉めておけば良かったんだけれど。」


レオナルドは苦笑いした。どれもこれも仕方の無い話しだった。



一行が暗い雰囲気の中、雨の中見張って居た兵士が叫ぶ。


「沖に船が居ます!」


二人は一斉に駆け出した。

上から確認すると、大粒の雨の中、沖に船が火を焚いて居るのが分かる。兵士の話しだと突然付いたらしい。


「回収したんだわ。あの二人を。」


「よくもまあ、こんな嵐の中甲斐甲斐しく待っていたもんだ。」


此方も船を出すかと兵士の問いかけに、イザベラは首を振った。


「大変だけれど、見張りを御願い。彼処で待って居たと言うことは、攻めては来ないでしょう。もしも来たら直ぐに教えて。手の空いている者は怪我人を城へ運んで!後で食事を用意します。雨に濡れた者は着替えと外套を!!皆、体に気をつけて!」


自身も雨に打たれ濡れ鼠だったが、イザベラは指示をして歩いた。レオナルドも直ぐにクロードの元へと馬を走らせる。


取り合えず、驚異は去ったのだ。






倒れていた兵士はどうやら痺れ薬だった様で、ルーカスは一先ず安心した。男は殺り損ねたが、服を斬りつけた刹那、薬の小瓶をくすねておいたのだ。療養すれば大丈夫だと駆けつけた救護兵に言われ、念のため小瓶を渡しておく。痺れ薬と言えど、もう少しで後遺症が残る所だったらしいが。とにかく、最悪の事態は回避出来た様だ。


ルーカスはやっとの思いで城へ戻って来た。敵が去った後も慌ただしく、城へ怪我人が運び込まれる。ルーカスの横を街の女性達だろうか、慌てて通り過ぎる。その中の一人が、初日街の中で会った人だったらしく、今から食事を作るから、楽しみに待っといでとルーカスの背中を思い切り叩いて去っていた。


噎せながらも、心なしか気持ちがしゃんとする。


去り際、あの髪ボウボウ男は失敗したと一人言っていた。多分王子は大丈夫だろう。しかし、言い様の無い不安に似た感情が、後から後から湧いて来る。自分が手間取った間に、何かあったら…俺は…。



取り合えずは報告だと、サイラスの執務室に入る。扉を開けて直ぐに、ルーカスは信じられない光景を目の当たりにした。




「一体どんな頭をしているんだ!!」



怒りが露になったサイラスの前に、アレクシスとエレーンが正座で座らせられていた。サイラスは頭から煙が出るのではと言うくらい顔も赤い。


ルーカスは一人えええぇぇ!!っと叫ぶ。一体どうしたと言うのだ。展開に付いて行けない。


驚いて立ち尽くすルーカスに気付いたサイラスが、ちょいちょいと手招きする。無言で椅子へ指差し、座れと合図する。


ロバートも椅子に座り、苦笑いを浮かべていた。その隣へ腰掛ける。

あまりの雰囲気に質問も躊躇われたが、このままもどうかと思い直し、ルーカスは恐る恐るサイラスに聞いてみた。まず、本当に意味が分からないのだ。


「あの~。うちの殿下とエレーンちゃんが何か……。」


サイラスはかっ!と目を見開いた。その様子にロバート抜きの若者三人はびくっとする。


「うちのとは何だ、家のとは。エレーンは私の娘だが?!」


うわ!面倒臭え!!と顔に出さずにルーカスは心の中で毒づいていた。しかし、ここで怯む男では無いので、質問を続ける。


「えーと、うちの殿下とお宅様のエレーンちゃんが何か……?」


エレーンちゃん?とサイラスは少し反応したが、溜め息混じりに説明を始めた。


「お宅の王子殿下どのは私との約束事を反故にし、部屋を抜け出し、挙げ句の果てに敵に姿を視認される事態になって居たのだ!!一体どうなって居る?!エレーン!!お前も付いていながらなんたる愚行だ。これが一人だったから良かったものの、攻めこまれていたら殿下の身に何か有っては遅いのだぞ!!」


もう何度目かの説教なのだろう。エレーンもアレクシスもしゅーんと下を向いている。


「いや、何か有れば責任取って結婚しますって、ねえ?」


ルーカスは何の気なしにぽつりと言った。彼にとってはいつもの洒落のつもりだった。しかし、サイラス公の顔を見て、やっちまったと青ざめる。エレーンとアレクシスも驚愕の表情でルーカスを見ていた。


「やべ、間違えた。」


苦笑いする隣の若者に、ロバートは思い切り頭に平手をお見舞いした。


「いった!酷い!俺頑張って来たのに!」


ルーカスの苦情にも、ロバートは飄々としている。


「何が頑張って来たです。聞きましたよ。一人も重要人物を連れ帰らず、結局敵の情報が分からなかったでしょう!詰めが甘い!」


「はー?そっちこそ、殿下を正座で自分椅子ってどうよ?それでもお目付け役?!」


「歳で正座出来ないんです。」


ロバートの悪びれもしない返答に、ルーカスからブーイングが上がる。


二人が険悪になって、エレーンはあわあわと慌てる。しかし、父親の手前、立つに立てない。二人のやり取りを見て、サイラスはまた溜め息を付いた。



騒がしい執務室に、帰還したクロードが入る。繰り広げられる光景に、此方も驚愕する。


「ちょ、親父…じゃない、父上!!何してるんですか?!」


一国の王子殿下を正座させるとは何事か。

サイラスはそれでも怒りが収まらない様で、クロードの反応を無視した。


「お前は良いから、とっとと片付けに動いて来い!」


「いやいや、片付けに動くのはそっちでしょう?お袋…母上がずぶ濡れになってましたよ?」


疲れているのか、あまりの驚きのせいなのか、クロードはしどろもどろになりながらも父親を諌めた。

自身の仕事を思い出したのか、サイラス公は憮然としながらも、二人を立たせた。


「今夜はもう遅い。皆さんお疲れでしょうから、風呂にでも入って下さい。後で食事を用意します。」



お説教がお開きになり、エレーンは自室へ。王城組も与えられた部屋へと戻った。






「つ……疲れた。」


結局何もしていない筈だったのに、エレーンはベッドに横たわると、激しい倦怠感が襲う。とにかく、アレクシスを守れて良かった。と、改めて思う。説教され、それどころでは無かったのだ。


しかし、思い出すと、途端にぞわぞわと恐怖感が背中を伝って蘇る。これがたった一人だったから良かった。もし徒党を組んで向かって来ていたら……。果たして、自分は彼を守りきれていただろうか?



エレーンは傍らに置いた愛用の剣を持ち、じっと見つめる。



人を守るのが、こんなに怖いなんて。



今までもイスベルを守る為、そのつもりで戦って来たのに。重圧の重さが違う。

剣士の覚悟を決めたつもりだったのに、それは上辺の部分を覆っていただけで、心の芯では分かっていなかったのかも知れない。ぐっと剣を持つ手に力を入れる。


今はアレクシスの無事を只ただ安堵するばかりだった。


春の嵐は稲妻を走らせ、思案するエレーンの横顔を窓から照らし出す。本格的に嵐が上陸して、遂にマルシュベン全土を覆い込んだ。大粒の雨粒と強い風が、執拗に窓を叩いていた。


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