13話

顔の赤みが治まらない二人は、ソファに隣り合わせで座った。向かい合わせはお互いの真っ赤な顔が視界に入るから自然にこうなったが、これはこれで恥ずかしいものがある。


ルーカスはにやにや生暖かい視線を送って来るし、ロバートはにこにこお茶を飲む始末。非常事態だと言うのに、まさか別の意味で緊急事態になるとはエレーンを始め誰が予想しただろうか。いや、緊急事態なのはエレーンとアレクシスの二人だけの様でもあるが。


「あああの、その、私、騎士の誓いが、異性同士で意味が変わる何て、そそその、し、知らなくて…。」


「わ、分かってる。命を賭けて守ると言う宣言だろう…。サイラスどのも分かっておられる……。」


アレクシスがそっぽを向いて返事をする。その姿に、エレーンは自身の無知さに恥ずかしさが止まらない。よりにもよって、一国の王子殿下に端なくも求婚してしまったのだ。高らかと宣言した手前、今更撤回するなんて騎士道に外れる様な気がするし、何よりも彼に恥をかかせるようで心苦しい。


しかし、このままでは気まずいままだ。意を決してアレクシスに体を向けると、ビクっと体を強張らせ少し距離を取られた。それがまた不信を招いたのかとエレーンはぎゅっと胸が詰まった。


がっかりさせてしまったならどうしよう。


それくらい、馬鹿な真似をしてしまった自覚は、……残念ながらある。離れ気味のアレクシスの手を無理矢理取る。アレクシスは驚きの表情で此方を見た。その表情に、エレーンは胸がチクリと痛んだ気がした。しかし、弱気になっている場合では無い。


「あ、あの、その、命に代えて御守りする意志は変わりません!けれど、その、まっったくその様な疚しい気持ちは微塵も持ち合わせておりません!」


そう言うと、アレクシスはえっとかぐっとか馬に踏み潰されたかの様な、喉の奥から何とも言えない短い単語を発しながら、下を向いてしまう。

目の前で益々暗くなる彼の様子を、必死に止めようとエレーンの手に力が籠る。これ以上幻滅されたくないのだ。アレクシスに顔を上げて欲しい。


「貴方が傷を負う事が無い様に私がいるのです。ですから、何も心配などありません。アレクシスは安心して私を頼って下さい!!」


エレーンの熱意の篭った瞳を、アレクシスは見ない。何故なのか、それはもう頑なに。


ロバートもルーカスも二人のやり取りを固唾を飲んで見守っていたが、何ともいたたまれない主の状態に、同情の眼差しを向けていた。堪らずルーカスが立ち上がり、そっと二人に近づいて来た。


「エレーンちゃん…、もうその位でやめたげて?王子の気力は底をつくよ?!」


「え…?」


ルーカスはこほんとわざとらしい咳をする。


「エレーンちゃんの気持ちは分かったから、もうその辺で、ね?言えば言う程その子可哀想になってくからね?」


「でも誤解を招いたままでは、この先御守りする身として心苦しいと言うか…。」


背の高いルーカスを見上げる。アレクシスの手はまだ握ったままだ。と言うか、エレーンは必死過ぎて手を掴んでいる事すら忘れている。


「んー…大丈夫、誰も誤解して無いから。寧ろ裏表の無い真実がどんどん王子をへこませて行くと言うか…。」


「?」


エレーンはルーカスの意図が良く分からなかった。


言えば言う程可哀想?


自分の気持ちが重荷だとでも言うのだろうか。

エレーンがどうしたものか考えていると、握っていた手に急に力が入った。その強さに驚いてアレクシスを見る。心なしか何だか肩が震えている。不味い、何か更なる怒りを買ったのだろうか?と、不安になる。


「…エレーン…。命を賭けて俺を守る決意なんだな?俺が傷を負うくらいなら、自身の傷もいとわないと言うんだな?」


そう言うアレクシスの尋常ならざる様子にエレーンはたじろいだ。


「は、はい。」


「俺が、エレーンの陰に隠れて、ふんぞり返っていられる男だと言うんだな?」


「えっ?そんな事では…。」


何だかアレクシスの後ろがどす黒いオーラを纏った様に錯覚する。その様子に、ルーカスも何事かと覗き込んだ。


「ちょっと…何言ってんです?王子。」


アレクシスはぎっ!とルーカスを睨む。そしてすぐさまエレーンを見詰め直すと、大きく溜め息を吐いた。



「分かった。心意気は立派だが、エレーンは勘違いをしている。俺は、側近を自身の盾にするために側に置いてるんじゃない。共に戦ってくれる仲間として側に居て欲しいんだ。…確かに今イスベルに残っているのは半分俺の意地だ。皆を巻き込んでいるのも分かってる。だからといって、エレーンが俺の代わりに怪我をして良い訳じゃないんだ。」


「それは分かっています。万が一の話しですから。」


答えると同時に手にもっと力が入った。


「いいや、分かってない!エレーンは絶対分かって無いね!だから、俺もここに宣言する。」


「?」


「俺はエレーンに万が一傷を負わせたら、この身髪の先から足の爪の先まで、俺の持てる全てをかけて責任を負う事をここに誓う。」


「!!!」


アレクシスはしっかりとエレーンの目を見て、穏やかな、けれどはっきりした声で宣言した。


えぇぇ~!腹の底からルーカスが叫んだ。ロバートも額に手を当て渋い顔する。エレーンは驚きのあまり、口をはくはくと動かすが、声にならない。唇は只、空気を彷徨い泳ぐだけだ。騎士の誓いの意味をさっき説明したばかりでは無いのか。


「…これで、お互いに怪我を一つも出来なくなったな?」


アレクシスはにやりと悪戯っ子の様に笑う。一切の迷いが無いのか、晴れ晴れとしたその笑顔に、どきどきとエレーンの胸の鼓動が速くなる。


「そ、そんな、私は、あの、その…その様な意味で言ったのでは…。」


余りの事態に何と言って良いのか分からない。何だか動悸が更に激しくなって来た気もする。頭は真っ白で、続く言葉が出て来ない。そんな中でルーカスは一人大笑いして実に楽しそうだ。ちょっと酷いのではないだろうか?


「俺だってそんなつもりで言ったんじゃないけど、命を賭けるのは同じだ。これからお互いに、自身を蔑ろにして、相手を庇って怪我を一つもしてはいけない。分かった?」


「それってとても屁理屈に聞こえるんですけど……。」


エレーンは何だか腑に落ちない。第一、それでは守る意味が無くなるのではないだろうか。何だか複雑だ。しかし、アレクシスは不敵な笑みを崩さない。これは…撤回して貰うのは難しそうだ。


「えーっ二人してズルいね。俺には無いの?」


ルーカスが一頻り笑い終えて、ふざけた様ないじけたポーズを取った。


「…お前は、前に宣言したし。」


「はー?あれ俺だけ形式に乗っ取ってやったんだし。王子から返されてないですから。ほんと。ものすごい不公平な感じするわー。」


恥ずかしいのかそっぽを向くアレクシスを、ルーカスは肩を掴みぐらぐらと体をを揺さぶった。本当に、この二人は気安い。主にルーカスが勝手をしている様ではあるが。


「確かに、エルさんだけ厚待遇ですね?」


ずっと黙っていたロバートもルーカスを援護する。黙っていたら、アレクシスは延々揺さぶられそうだ。


「分かった、分かった!!って、俺の側に居てくれる、お前達に誓う!!」


まだぐらぐら揺らされて、アレクシスは投げ遣りに宣言した。ルーカスが手を放し、ピタッと動きが止まったと同時に、少し酔ったのか気持ち悪げに前屈みになった。そう言えば、彼は二日酔いを引きずっていた様な…。そう気付いてエレーンは少し心配になった。


「…だから、無謀な行動して怪我を負うのは許さん。」


「それ、王子もね。」


アレクシスの具合悪げな様子を他所に、大人二人はその宣言に笑顔で返す。エレーンも、腑に落ちない気持ちが少し薄らいだ気がした。どうにか、場は納まったのだ。このやり取りは思い出したら悶えそうな程恥ずかしいだろうが、それは後々エレーンとアレクシスのみが知る事となった。




辺りを包む空気が平常に戻って、よしっと言いながらルーカスが続きの部屋の扉に向かう。


「どうかしましたか?」


「戦う準備しないと。さっき散々サイラス公爵どのに喧嘩吹っ掛けたから、責任取らないとねー。」


「確かに、わざとらしい挑発でしたからな。お詫びに行かなければ。」


「それは何の…。」


うんうん頷くロバートの横で、ルーカスはエレーンににっこり微笑んだ。


「マルシュベンの民は名ばかりかと言っちゃったからね。こっちも名前だけにならない様に手伝わないと。」


「でも、あれは父が頑なだったのも有りますから…。」


エレーンは遠慮がちに否定する。確かに言われた時は、侮辱された様な気持ちもちょっと有ったが。しかし、ルーカスは首を振った。


「違う違う、あれは俺が煽ったんだよ。ここに残れる様にね。でもエレーンちゃんに全てかっ拐われたけどね。いや、見応えあったよ~?」


言いながら、ルーカスは続きの部屋へ行ってしまった。


かっ拐うとは?思案しているエレーンを余所に、アレクシスは気分が治ったのか徐に立ち上がった。


「そうだな、支度した方が良いな。」


この言葉に、エレーンも自室で準備をしに向かった。









海岸に、大きな船が近づいていた。


イスベルの貿易港には街へ続く道と街道へ続く道に、高い塀と門が建設されて居る。門は開閉時間が決まっており、時間を過ぎたら閉められてしまう。一応人一人通れる扉も門の横に用意されているが、鍵が掛けられ、衛兵も見張る。その扉専用の通行許可印が無ければ、住人と言えども通れない。


閉門の時間が過ぎたら、船の往来は一切禁止で、何泊か停泊する商人のみが許可を申請して停泊する。それ以外は、決められた距離迄沖へ出て、朝開門するまでそこで停泊して夜を過ごす。只、海賊に狙われる危険も有るため、沖での停泊は滅多に無い。


今向かって来る船は、とっくに閉門時間が過ぎているにも関わらず、一定の速度で近づいているのだ。


しかし、万が一急病人が居る場合や、海賊に追われ逃げ込んで来る船も有るため、イスベルからは先制攻撃はしない。万が一間違えでもしたら、今度は国交問題に発展してしまう。

どんな負担を負うとしても、仕掛けられるまでは待ちの姿勢を貫くしか無いのだ。


しかし、只指を咬えて見ている訳でも無い。先遣隊を派遣し、正体を確認する。普通の商船で有れば、沖に停泊し、向こうから連絡の小舟が来たりするのだが。


イスベルは海上の巡回も行う。海賊相手に巨大な帆船も幾つか用意している。今回使うかどうかは先ずは先遣隊の報告次第だ。


先遣隊に、リンとロイが行く事になった。リンは役割的に得意で有ったし、リンと付き合いが長いロイが共に行く事で、息の合った対処が出来ると期待された。




そう、されていた。




ルーカスが先遣隊の黒塗りの小舟に乗り込むまでは。



ロイが黙々と漕ぐ小舟の中で、ルーカスは船頭を陣取り、身を乗り出して向かう船を見やる。リンがその後ろからルーカスの服を引っ張る。


「ルカ兄ちゃん、体勢低くしてくんないと、見つかっちゃうでしょ!只でさえデカイんだから、勘弁して下さいよー!!」


ぐいぐい上着を引っ張られ、ルーカスは不服そうに座った。


「もー!本当に何で付いて来たの?!街で待っててくれても良かったのにー!!」


リンはプリプリ怒っていた。サイラス公の命令とは言え、船上の戦闘に慣れていない者と一緒で、万が一襲われたら自分達の面倒が増える。ルーカスはそんなリンの怒りも我関せず。じっと船を見ていた。







今からおよそ一時間程前ー。


ルーカスは一人、戦闘の身支度を整えサイラスの執務室へと向かった。人の出入りが激しく、慌ただしい中にずんずん進む。兵に指示を出していたサイラスが、ルーカスに気付いて手を止めた。


「まだ部屋で待機の筈だが?」


それを受けて、ルーカスは深々と頭を下げた。


「先程は無礼の数々、誠に申し訳ありませんでした。」


サイラスは一瞬驚いた様な表情をしたが、直ぐに元に戻った。


「なるほど、軽薄な男と思ったが礼儀を知っていて安心した。先程はまだしも、まさか今朝の台詞までわざとでは無いだろう。」


「今朝?何の話しか、皆目見当が付きませんね。」


しれっと惚ける若者を見て、サイラスははっと一声鼻で笑い、体を向ける。


「さてな。先程は私を怒らせ、大方滞在の言質でも取ろうとしたのだろうが、残念であったな。娘が全て持って行った。」


ルーカスもにやりと笑う。


「そうですね、彼女には負けますよ。それにしたってマルシュベン公爵家当主ともなると流石ですね。誘いに乗らない乗らない。…どうしようか内心困っていました。寧ろ今はエレーン嬢に感謝しています。」


余りの開けっ広げぶりに遂にサイラスは笑ってしまった。


「…して、その出で立ちで何か用でも?私は忙しいのだが。」


それを聞くと、ルーカスはまた頭を下げた。


「私を最前線へと送って頂きたく、先程の無礼も承知で恥ずかしながら馳せ参じました。」


「……貴殿の仕事は王子の護衛の筈だが?」


「護衛はあの二人を残しておけば大丈夫です。私は、先程の発言を撤回するべく、イスベルの方々と共に剣を振るわねばなりません。」


「……あれは私とエレーンのみ聞いた。無かった事にしても差し支え無いだろう。果たして、王子を危険に晒してまでやらねばならぬ事だろうか?」


「あの二人が側に居れば、どんな場所でもこんなに安全な所は有りません。それより、私は迫り来る危険の種を逸早く叩き潰して、王子を御守りしたいのです。」


「……娘は随分と高い評価をされている様だが、数日で任せられると思った根拠は何だ?」


「剣士足るもの、理解したい者と一度剣を交えたら充分です。」


顔を上げ、そのきっぱりとした断言にサイラスは大きく目を見開いたが、直ぐに大きな声で笑うのだった。


「分かった。海岸に通す様に伝えよう。只、船の中やイスベルの街中ではその剣は長過ぎる。此方の用意する得物でも構わないだろうか?」


「有難う御座います。それと、少し気になる事が……」


「?」


ルーカスはサイラスに説明を始めるのだった。







……そして、今に至る。


「何か変だよな。」


ルーカスが思案していると、リンが後ろでロイに話し掛けた。


「うん。変。」


ロイもこくりと頷いた。

ルーカスは二人の会話を黙って聞く。もしかしたら、自分の考えが当たってしまったかも知れ無い。


「あれは絶対商船だよ。でも静か過ぎる。甲板に見張りも居ないし、火も焚いて居ない。」


近付けば近付く程、異様な雰囲気の船に、小舟の三人に不信感が募る。

脇からこっそり近付いていたが、見付かる事も無く易々と鉤爪の縄で侵入する。甲板には誰も居ない。それどころか人の気配が船に無い。何処と無く潮の匂いに混じり鉄の臭いもする。


ルーカスは真っ先に操舵階へ向かった。


「!ルカ兄ちゃん一人で危ないって!」


リンの制止も聞かず、かけ上がる。

階段を登りきり、目の前の光景に溜め息を付いた。


そこには大量の死体が転がり、舵は縄で固定されて居た。



「……やっぱりね。」



ルーカスは一人呟いた。


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