3話

大会2日目の朝。


昨夜倒れ込んだ様に眠った割には思いの外ぐっすり眠れ、今日も試合では充分に動けそうだ。まだ自分がどう在りたいのか良く分からないが、先ずはやれる事をやれば良いのだ。そう言い聞かせている時、ふと姉に言われた事を思い出す。



「普段の仕事の様に…。」


確かに、大会だからと無駄に肩に力が入っいたのは認める。お互いにあまり怪我をしないようにと意識し過ぎていたのも分かる。しかし、自分だって『あの』領内で近衛兵を勤めて来たのだ。




マルシュベン領は大きな貿易港を有する。海が広がる街の裏側には豊かな畑が広がっているが、その奥は鬱蒼とした森が生い茂り高い山へと続いている。


山や街道には盗賊が。海には海賊が。追い払っても何処から集まるのか、年に数回は捕り物や争いが起こってしまう。

領民も慣れたもので、男も女もそれはそれは勇ましく助け合って街を守っている。大切なものは自分達で守るのが信条なのだ。そんな領の主たるマルシュベン家一族が大人しい訳も無く、先立って領民を守るべく戦って来た。その激しい戦い振りにマルシュベンを戦闘民族などと噂する者もいる程だ。



そうだ、戦いの場数は少なく無い。


朝食を済ませた後、アレクシス達に短い挨拶を済ませて開場へ向かった。ニコニコ笑顔のアレクシスに、少し重圧を感じたのは勘違いなのだと胸に手を当て唱える。

それでも昨日より体の緊張は解けた気がする。何だか強張っていた肩の力が取れたせいか、その後の試合は前日と打って変わり、体が軽かった。



エレーンの剣は出場者の中で一番細い型だったのも有り、対戦相手は一様に剣を折ろうとする。その力を上手く受け流し、力が流れて態勢が崩れる隙を狙う。勿論、容易な事では無かった。

剣のみではなく、蹴られたり小突かれたりするのを身軽さでかわし、力が足りない分好機を逃さずに一撃をお見舞いしなければ、小柄なエレーンに勝機は無い。


しかし、意識を変えた今、如実に動きの違いが出る。前にも増して相手に集中し、動きに機敏さが更に追加され、あれよあれよと勝ち進む。それでも、試合運びは簡単では無かったが。



最後の対戦相手の顎を剣の持ち手で狙い、高く打ち上げる。鈍い音が響いた後も、束ねた長い髪がゆらゆらと揺れていた。苦戦しつつも、2日目全ての試合を勝ち残ったのだ。



勝ち進むと同時に、会場は大いに盛り上がりを見せた。何せ、小柄な少女が2日目も突破してみせたのだ。しかも噂によると、かの『舞姫』の妹君と言うではないか。

剣技麗しい新たな姫の誕生に、通り名はどうするのかと観客の話題は持ちきりだ。今宵は、いつもの年より商都の街は夜中迄大騒ぎだろう。




その晩、アレクシス王子のご機嫌がこの上無く良かったのは言うまでもない。


しかし、今日は敢えてなのか、最終日に一勝すれば入賞すると言うのに入城についての話題は出てはいなかった。どう受け答えしたら良いのかと構えていたので、アレクシスの配慮にエレーンは内心胸を撫で下ろした。


和やかに進む食事中、不意にアレクシスがじっと此方を見つめる。


「エレーンどのは、剣を手に取ろうと決めたのは何か理由が有るのだろうか?」


問われてエレーンは食事の手を休め、彼を見据えた。


「…自分の手で守るべきものを守りたいと思ったからです。」


「ふむ。」


アレクシスは歳に似合わない返事をする。日頃の話し方の特訓の成果だろうか。


「マルシュベン領は豊かですが、その実、内外からの賊の侵入に悩まされております。しかし、領民は男も女も関係無く皆力を出し合って助け合います。そんな中、恥ずかしながら、私は幼い頃迄さほど武道に興味は有りませんでした。あれは…まだ私が十歳にも満たない頃です。街道沿いの盗賊退治に父と近衛兵の大半が出払っていた時に、海賊迄もが港に侵入してしまったのです。私の母や兄が街の人達と討伐に当たったのですが、兄が脚に怪我をしてしまって…」


一気に話して、エレーンは一呼吸おく。


「それでも、兄は軽く手当てをしてまた港に向かうと言う。私は兄の体が心配で、泣きながら行かないで欲しいと頼んだのです。そうしたら兄は……『領民を守るべき時に守らないで、何を持ってこの先領主だと言える?領民居てこそのマルシュベン家だろう。エレーン、戦っているのは私達だけでは無いんだ。皆、戦って傷付いているんだよ。』と飛び出して行ってしまって。結局、討伐を終えた父達も加わり、兄も皆も軽い怪我で事なきを得たのですけど…。私はその時は兄の言っている事が良く分かっていなかったんです。甘えていました。でも、その件から誰も傷付いて欲しく無いと強く感じましたし、私にも出来るならば守りたいと思ったんです。マルシュベンで生きる者として。それで少しずつ剣を習いました。今なら、兄が言っていた事が良く分かります。」


話し終えて、にこっと笑って見せた。自分は上手く話せただろうか。


「長くなってしまい、申し訳ありません。」


「…いや、エレーンどのの人となりが良く分かった気がする。話してくれてありがとう。」


アレクシスも優しく微笑んだ。


その笑顔にほっと安堵したが、こんなに人に自分の心の内を説明した事など無かったからか、何だか気恥ずかしさを覚えて顔が熱くなる。


「殿下~。なーに良い雰囲気醸し出してるんですか、ずるいですよ。」


こちらも、試合を順調に勝ち進んだルーカスが割って入る。


「…お前は口を開けばそんなのばっかりだな。」


言いながらジロリと睨むが、アレクシスも心無しか顔が赤い。


「そんな事言ってるから、殿下はいつまで経っても社交界での女性の対応が下手くそなんですよ。あっそれより俺の活躍も勿論見て貰えたんでしょうね?!」


「下手くそとかお前……知らん!見て無い!むしろ見るかそんなもの!!」


またもや二人のやり取りに、エレーン始め使用人達も吹き出さない様に必死に堪えた。まるで兄弟喧嘩の様だ。


「エレーンどのは十歳の頃にはそんな決意をされて…。」


静観していたロバートが会話に入る。


「坊…もとい、殿下も見習って欲しいですな。エレーンどのの爪の垢でもお飲みになったら如何です。そうしたらじいの苦労が少し減ると言うのに…。」



「……二対一とは、今日は分が悪いな…。」


叱られた仔犬の様に悄気るアレクシスを目の当たりにして、エレーンはまたもや口許が決壊したのだった。





食事も終わり、部屋に戻ったエレーンは明日の試合を考えていた。


後一勝……後一勝で自分の今後が決まってしまう。


自分が本当は何をやりたいのか。そんな事、今までうっすらとしか考えていなかった。なんとなく、このままマルシュベンの兵団を続けて、家族を、城を、そしてそこに生きる民を守って行くものだと思っていたから。


それが、突然アレクシスに提示された可能性に、自分自身気持ちが追い付いていない。勝って、自身の力量を実感して、意気揚々とマルシュベンへと帰る筈だった。でも今は、帰ってその後どうしたいのかも想像がつかない。

そもそも、心は自分だけのものの筈だ。それなのに今は不明瞭でほの暗い湖の奥底から浮かぶ泡のように、漠然とした不安がぽこぽこと顔を出して来る。此程落ち着かない日があっただろうか。



今まで悩みも色々とあったし、それを乗り越えたりもして来た。しかし、自分の気持ちと向き合うのと、人を思いやって悩む事とは全く違う。自分らしくとはなんだったのだろう?悩み過ぎて何処までも考えが廻って着地点が見付からない。



……。



暫しの沈黙の後、エレーンは突然、自分の両頬をパンっと両手で叩いた。



良し。



両の頬はヒリヒリと鈍く痛みを発していたが、思いの他気分はスッとした。まだ勝った訳でも無いのに、悩んでいても仕方無い。まずは試合に集中しないと。こんなに考えあぐねていたら、支障を来すに決まっているのだ。




明日に備え、今日は早くに床へと付くことにした。



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