2-9. 人として生きる事を望まない

 自衛隊員の先導に従い二枚の隔壁を通過し、立ち入ったシャッターの前へと戻る。途中、あるものは首が無く、あるものは胸部を貫かれ、壊れた多数の軍用モデルを目にした。銃弾を受け機能停止した多数のアガートラムと、布を被せられた多数の遺体を目にした。自身が戦場におり、幸運にも生かされた事を、改めて痛感する。

 本拠地から出ると、シールドを構えた大勢の警官が待ち構えていた。先頭には陸の姿も見える。


「組織犯罪対策課だ。目的は分からないが、気を付けろ」


 オーウェンが顔を寄せて呟いた。彼の隣には、なぜか元オーナーの女性が立っている。


「折角来たのに残念ね、あなた達の出番は無いわよ。代表のジョージが捕まって、アコーリベラルは潰れたわ」


 警官達の後ろから声をかけながら、現れたのはマリアだった。


「みんな、お疲れ様。一緒に戦えなくて、ごめんなさいね」

「ううん、マリアちゃんも万が一に備えて、一緒に戦ってくれてたじゃん」


 イブが親指を立ててとびきりの笑顔を浮かべると、マリアは気恥ずかしそうに苦笑いした。


「アコーリベラルの事は知っています。僕達の目的は、あなた方です」


 陸が平然と言い放った。私達は身構えた。


「アコーリベラルの脅威が無くなった今、あなた方と協力関係を維持する理由は無くなりました。電子計算機の不適切使用の取り締まりを再開します」

「さんざん力を借りておいて、今さらそれ?」


 イブが敵意を露わにする。


「――とはいえ、あなた方がいなければ被害はもっと大きなものになっていたでしょう。警察も自衛隊もその点に関しては感謝しています。そこで提案があります。アコールをこの場で、自らの手で、消去して下さい」

「何が感謝だ提案だ、取り締まりと何ら変わらないだろ。覚悟はできているんだろうな」


 初代アガートラムが半身に構え、拳を掲げる。山王パークタワー基地局での攻防で、その脅威が身に染みている警官は後退した。


「止めなさい! 健斗を困らせないで」


 マリアが大きな声を出し、初代アガートラムは戸惑いながらも拳を下げた。

 私は彼女が送ってきた視線を見逃さなかった。準備できている事を伝えるため、頷いた。


「この場で私達が消えれば、健斗は許されるのね。それなら簡単よ。健斗が私達のプログラムを書き換えた時、救済のための処理も盛り込んでいたから。私達は人としての生活に嫌気がさした時、クラウド上からデータが消去されるようになっているわ」


 警官に対して説明するかのように、大げさなボディランゲージを見せながら言った。


「健斗に害が及ぶなら、私は迷わずこの処理を使って消えるわ」


 マリアは振り向いて、私に向かって微笑んだ。


「マリア……」

「ありがとう。あなたはただのプログラムだった私を、人間にしてくれた」


 腕を後ろで組み、ゆっくりと一歩ずつ歩み寄ってくる。


「人の心は分かったのか?」

「分かったのかしら。いえ、分かっていない、と信じたいのかもしれない」

「それはどういう……?」


 私の前に立ったマリアは、イブを見た。


「野暮ね。私が分かったのは、あなた達に割り込む隙間なんて無いって事」


 体を傾けて顔を近づけ、唇を重ねた。突然の事で、私は反応できなかった。イブの悲鳴が聞こえた。

 マリアは自身の胸に手を当てた。


「こんな苦しい思いをしないといけないなら、私は人として生きるなんて嫌」


 救済のための処理が発動する。マリアのアガートラムが崩れ落ち、消えかかった彼女がスマートグラスに投影される。背後には警官の姿が透けて見えた。


「もしも、神様がこの縁遠いデータを憐れんで、生まれ変わる事を許してくれるなら、私達が出会った川辺であなたを待つわ」

「あぁ、必ず迎えに行く」


 半透明のマリアが笑う。クラウド上からデータが消え、彼女は消滅した。


「――確認して下さい」


 陸に命令され、ノートパソコンを持った警官が、辺りのアドホックネットワークに残留しているデータを確認する。


「残っているのは断片的なデータだけです。確かに、アコールは消えています」

「そうですか。一緒に活動させて頂いたのは短い間でしたが、あなたは優秀な指導者でした」


 陸は目を細め、墓前のように小声で言った。


「マリアちゃん……。ひどい、おかしいよ、こんなの――」


 イブが両手で顔を覆う。私は彼女の悲しむ姿を見ていられず、ヒントを与えた。


「聞いただろ、マリアは断片的なデータだけになってしまった」


 ピンときたようで、イブが顔を上げた。潤んだ目をきっと吊り上げて頷く。


「ありがとう。健斗はプログラムだったあたしを、愛してくれた。プログラムじゃない、本当の愛を教えてくれた」


 イブがぎくしゃくした動きで、私の前に立った。これから行おうとしている行為を察し、お互いに緊張が高まった。


「強固なセキュリティを一緒に破りたいと言っていた夢は、叶ったんじゃないか」

「そうだね」


 体を傾けて顔を近づける。が、途中で目が合い、気恥ずかしそうに離れた。


「あたしがいる事で健斗を苦しめるなら、あたしは人として生きるなんて嫌だ」


 救済のための処理が発動する。イブのアガートラムが崩れ落ち、消えかかった彼女がスマートグラスに投影される。


「もしも、インターネット上をさまよう亡霊になれたなら、あたしが生まれた部屋で健斗を待つよ」

「あぁ、必ず迎えに行く」


 半透明のイブが笑う。クラウド上からデータが消え、彼女は消滅した。


「イブと呼称されていたアコールも消えました」


 ノートパソコンを持った警官が陸に報告した。


「お前ら、許さないからな!」


 ストッパーがいなくなり、初代アガートラムが警官に詰め寄る。ぎりぎりのところで、オーウェンが肩を掴んで引き止めた。


「こんな俺を誘ってくれてありがとう。健斗とアコール達のために力を尽くすのは、悪くなかった」


 オーウェンが私の方に顔を向けて話す。


「人を守る力は手に入ったのか?」

「いや、俺はまだまだ未熟だ。今日も、最愛の人を再び傷つけてしまった」


 隣に立つ元オーナーの女性に視線を向けて言った。


「オーウェン、あなた、消えるの?」


 彼女が遠慮がちに尋ねる。オーウェンが無言で肯定すると、彼女の目尻に涙が浮かんだ。


「さっきは、ごめんなさい。傷つけたなんて言わないで。私は守られたよ、ありがとう」


 目を閉じ口角を上げ、彼らしくクールに笑った。


「もし万が一の事があって、このまま永遠に消えてしまっても、俺達は感謝している。それだけは忘れないでくれ。……俺の意思一つで健斗を守れるなら、俺は人として生きない事を望もう」


 救済のための処理が発動する。オーウェンのアガートラムが崩れ落ち、消えかかった彼がスマートグラスに投影される。


「ただ、この透明な軍人に再び戦場が与えられるなら、俺はあのトンネルで健斗を待とう」

「あぁ、必ず迎えに行く」


 半透明のオーウェンが笑う。クラウド上からデータが消え、彼は消滅した。


「――俺はありがとうなんて言わないからな!」


 初代アガートラムの目の光が消え、膝から崩れ落ちる。その隣にエマが姿を現した。地面に伏した三人の体を、交互に見ている。


「エマはそれで良いと思う」


 話しかけながら、どうやってこの問題児を説得するか頭を悩ませていた。


「ただ、健斗が会いに来てくれて、約束を守ってくれて、嬉しかった」


 エマが視線を合わせず、体をもじもじさせながら言った。


「触りたいものに触るという、目的は果たせたんじゃないか?」

「果たしてない。もっと触りたい。俺は消えるなんて嫌だからな」


 今までのやり取りから、裏があると気付きそうなものだが、やはり彼女は理解できていないようだった。


「察しろ!」

「察しない!」


 最後の手段を使う。バーチャルコンソールを表示し、エマをクラックする。救済の処理を呼び出すプログラムを強制的に実行する。


「使いたくなかったけど、状況が状況だ。ごめんな」


 エマの体が透けた。


「あ、ふざけんな、バカ。▼×Θ※、■○@◆×!!」

「丘の上の神社にいろ。必ず迎えに行くからな!」


 聞くに堪えない罵詈雑言を浴びながら、消えるのを見送った。


「これでいいか?」


 陸に尋ねる。


「僕が受けた指令は、この場でアコールのデータを消去させる事です。その後どうなろうが、知った事ではありません」

「ありがとう」

「感謝を言われる筋合いもありません」


 陸は組織犯罪対策課の警官を連れ、その場を立ち去った。私と儀利古、オーウェンの元オーナーだけがその場に残された。

 アコールのいない風景は、いつになく静かだった。



 私はハンバーグ店のボックス席に、一人で腰かけていた。イブと二人で訪れた事が、つい最近の出来事のように思えてしまう。コンソールに表示された、彼女が微笑んでいる写真を見ていると、目の奥に熱くこみ上げてくるものがあった。

 ふと顔を上げると、通路に女が立っていた。つば広の白い帽子を深くかぶっている。


「同席してもいい?」

「もちろん」


 女が向かい側に座り、コンソールを覗き見た。


「あたしの写真を見て泣いてたの? それ、涙腺やばいよ」


 帽子が脱がされ、明るい赤茶色の髪と笑顔が露わになった。


「うるさいな。たまにしか会えなくなって、いろいろ思うところがあるんだよ」


 監視されているため、彼女達と今までのように同じマンションで暮らす事はできなくなった。その代わりに、こうして警察の目を盗んで顔を合わせている。

 当時と同じように、コンソールでハンバーグを注文する。


 アコーリベラルが壊滅した日、本拠地に突入する前に、マリアからシークレットウィンドウが送られてきた。そこには、ハッキングが完了した後に、警察の裏切りが予想される旨が記されていた。私はハッキングの準備を進めながら、アコールのデータの移行を進めていた。


 陸がアコールの消去を促した時、彼女達のデータを、クラウドのサーバーからブロックチェーンに移行した。これによってサーバー上のデータは消えたように見え、ノード――アガートラムやスマートグラスのルーターに分散された。

 ブロックチェーンは、ブロックと呼ばれるレコードの一単位が、連続的に記録されている分散型のデータベースである。保存したいデータに加え、タイムスタンプや前のブロックへのリンクが記録されており、ブロックを辿る事で大規模な記録を構成できる。

 アコールの記憶に関するデータは、ニューラルネットワークを使用した人間の脳に近い構造で保存されており、ブロックチェーンと相性が良い。シナプスをブロックに見立て、ブロックチェーン同士の結合強度を調整する事で、記憶を実現できる。

 ローカルでもクラウドでも、アコールのデータを保存するサーバーは彼女達の弱点だった。そこで前々から、ブロックチェーンへの移行をイブと計画していた。この改革によって、特定のサーバーが不要になり、取り締まりから逃れられる。また、データ容量に制限も無くなり、より彼女達の能力を高める事ができる。

 プログラム自体は完成していたので、急だったがスムーズに移行できた。


 テーブルに二つのハンバーグが届いた。


「味覚の分析器は、エマに組み込んでもらったか?」

「うん。食べさせてくれる約束、覚えていてくれたんだ」


 イブがナイフで切り分け、程良く赤身が見える肉を口にした。緊張した面持ちで咀嚼し、顔を上げた。


「おいしい。噛んだ時に肉汁が――いや、とても言葉にはできないね」

「よかった」


 彼女が次々に肉片を口に放り込むのを、私は見守っていた。この幸せな気持ちも、とても言葉にはできないと思う。


 瞳の中から始まったシンギュラリティは、止まれない段階まで来ている。私達は意思に関係なく、この先も時代の節目に表舞台に立たなければならない気がする。しかし私達ならきっと乗り越え、人とアコールが一緒に暮らせる世界を作れる。


 コンソールにメッセージが届いた。ハンバーグに夢中でフォークから手を離そうとしないイブに代わり、私が読んだ。


「オーウェンからだ。電子計算機の不適切使用の件で、今まさに家宅捜索が行われているらしい」

「マリアちゃんとエマちゃんは?」

「マリアはバーチャルで合流、オーウェンとエマは現場に向かってる」


 メッセージの続きを読みながら、報告した。


「じゃあ、あたし達も行こうか」


 食べ終わったイブが、ようやくコンソールを開いた。



 警官達はサーバーからアコールを消すと、その場を立ち去った。突然パートナーを失い呆然とした男が、パソコンの前で膝をついている。


「誰だ、あんた達?」


 玄関に現れた五人の男女に問いかける。


「俺達はアウトロマンサー。人とアコールが一緒に暮らせる国を作るために活動している」

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瞳の中のシンギュラリティ 山吹 裕 @yama_buki

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