空の境界線

華京院 あおい

第1話プロローグ

むせ返るようなかおりを残して、潮風しおかぜほおかすめていく。

原子力空母東雲げんしりょくくうぼしののめは、重く鈍い音を響かせ、白波を立てながら海を割る。

その空母の上甲板じょうかんぱんからは、限りなく続く水平線を一望に収められた。海面は春のうららかな日差しを反射し、海上を無数のカモメが舞っている。

上空には、透き通った青空が広がり、雲がぽっかりと浮いていた。


やがて、空気を揺るがすするど轟音ごうおんが、空を支配すると、雲の切れ間から次々と戦闘機の編隊が姿を現す。

何十機もの機体が、まるで渡り鳥のように青空をおおい、着艦ちゃっかんのタイミングをうかがいだした。

それを合図に、艦内から制服姿の少年少女が大勢出てくる。

彼らが全員甲板に並んだのを確認すると、おっさん顔の機関長がうなるように声を上げた。


「おまえらー!着艦した機体から随時ずいじ格納庫かくのうこにリフト修理にまわれ!損傷ダメージがひどいものは後回しにしろ、分かったか!」

「「「はいっ!」」」

彼らは歯切れよく応答し、持ち場に向かって甲板を走っていった。

その様子を、結城竣ゆうきしゅんはぼんやりと眺めていた。

すると、その中の一人が集団から外れ、上甲板に向かって駆け寄ってくる。


「おい竣。見ないなと思ったらこんなところにいたのか。んでなにやってるんだ?」

と、彼、柚木悠人ゆずきゆうとは、上甲板を見上げながら言った。

「––––ん?ああ、ちょっと考えごとしててな」

そう答えた竣の前では、次々と戦闘機が機首上げ姿勢を保って飛行甲板に着艦していく。その度、艦上に鋭い風が吹き抜ける。

機体によって機速を充分落とすまでに

「考えごとって女の子か?」

悠人は梯子はしごを使って上甲板に上がり、竣の横で手すりに背中をあずけると、ニヤニヤしながらそんなことを言った。


竣は彼をジロリとにらむ。

「なんでいつもお前は、そっちに話を持っていこうとするんだよ!」

「なんでって、年頃の男が考えることのほとんどは、女の子のことだろ!」

臆面もなくそんなことを言う悠人に、竣は気圧されて口を開く。

「……まぁ、それは否定しないが、みんなお前ほではないだろうな。それに、俺はそんな事を考えていたわけじゃない」

「じゃーなんだよ」

「なんでお前に言わなきゃいけないんだ?」

「––––言えないような変なこと考えていたのか!?」

彼は友人の性癖を知った驚きに、表情をかえる。


「だからちがうって……」

この流れでこれを言うのはのせられたみたいでしゃくに触るが、別にそこまでこばむようなことではないし、何よりこのやり取りを何回か繰り返す方がめんどくさい。

と、そこまで考えたうえで、竣は言った。


「……ただ、この戦いはいつまで続くのかなっておもっただけだよ」

どうせからかわれるだろう、そう思っていた竣だったが、意外にも悠人は少しの間逡巡しゅんじゅんする。

「……それは、みんな思っていることだろうね。だけど考えるだけ無駄な気がするよ。だってやつらがどっからきて、全部でどれだけいるのか、それを知ってるものは誰もいないんだかさ。それに、俺ら機関科は機体を直すだけ、戦ってるの航空科やつらだろ」

そう悠人があごで指した先には、誘導員が飛行甲板の側、白い列線が引かれた上に誘導した機体から、一人の少女が降りてくるところだった。彼女はステップから甲板に飛び降りると、その長い黒髪を磯風になびかせた。


彼女は航空校、航空科の生徒だ。航空校は位置ずけとしては学校だが、それは肩書きだけのまがい物だ。有事ゆうじのときは、出撃して最前線で戦わなければならない。そんな航空校には、航空科、機関科、後方支援科の三科がある。

航空科の主任務は、偵察や哨戒飛行しょうかいひこう、戦闘機による空戦くうせんであり、機関科の主任務は、機体の整備及び修理である。

ついでに言えば、艦上にいる誘導員は、後方支援科だ。


竣は視線を悠人の戻すと言った。

「何言ってんだよ。直しても壊れて帰ってくる、それをまた直す。その繰り返し、これもある意味終わりの見えない戦いだろ」

「それもそうだな––––––––ゲッ!」

彼はうなずこうとして下を見た瞬間、短い悲鳴ひめいを上げて固まった。

何事かと、竣は悠人の足元––––上甲板の下を見る。


そこには、おっさんがいた。いや、正確に言えば、イカツイおっさんみたいな顔をした青年がいた。

「……げ、玄道げんどう機関長––––」

悠人が、短い悲鳴を誤魔化すように言った。

「おまえらぁ!こんなところにで何やってんだ!よりにもよってこのいそがしいに、ささっと修理にまわれぇ––––っ!!」

玄道一はじめはそう怒鳴ると、親指で列線の上に並んだ戦闘機を指した。


「「はいっ!!」」

二人は大声で返事をすると、上甲板から飛び降り、その場から逃げるようにして戦闘機の方に向かう。

「あの顔は歩く凶器きょうきだろ」

歩きながら同意を求めてくる悠人に、竣はノーコメントと肩をすくめた。

彼の投げた危険球を、竣はギリギリでかわす。流れ弾には当たりたくないものだ。内心では同じ事を思っていた竣だが、万が一何かの拍子で本人に聞かれたら、恐ろしくて肯定こうていできない。


列線の上に並んだ戦闘機の前に、二人はたどり着くと、機体と一緒にリフトで艦内に降りていく。

艦内の格納庫では、すでに機関科の生徒が機体の修理に取り掛かっていた。修理音が喧噪けんそうをふりまいている。

中に収められた機体の多くがひどいダメージを受けていて、戦いの激しさをものがたっているようだった。


悠人も同じ事を思ったらしく、

「最近、日増しに酷くなってるな」

と、横で言った。

「ああ、だけど俺たちが出来るのは、機体を万全にして無事に戻ってくるのを祈るくらいだ」

竣の言葉に悠人は首肯しゅこうすると、作業に取り掛かろうとした。だが、それを阻止するかのように、突然、けたたましい警報音が艦内に鳴り響いた。同時に、格納庫天井の赤い警光灯が光る。


二人が驚いていると、あとからリフトで降りてきた玄道が、声を張り上げた。

「ええいクソ––––ッ!!さっき戻ってきたばっかじゃねーか!また出動ってどうなってやがんだ!」

そして、作業に当たっていた機関科の生徒に指示を飛ばす。

「おまえらぁ!出せる機体から艦上に回せるだけ回せ!!」

「「「はい!」」」

彼らは、機関長の指示に従って散る。


竣と悠人も、リフトに出撃可能な機体を入れ替えて、艦上に上がった。四台あるリフトがフル回転で回っていた。


艦上に上がると、飛行甲板の側に並び直された機体に、艦内から出てきた航空科の生徒が、飛行前点検をしてから乗り込でいった。

機関科も点検をしてから出してはいるが、飛行中、ましてや戦闘中の機体トラブルは生死を分ける。故に航空科と機関科のダブルチェックが義務付けされている。


その機体はゆっくりと飛行甲板に回ると、中央に止まった。カタパルトが動作する。機関科の生徒が機体にそれをセッティングすると、機体は二発のジェットエンジンを唸らせ、青白い炎を吹き、ものすごい速度で射出されていった。


そして、一瞬のうちに空母の外に飛び出すと、前脚ノーズギヤ主脚メインギヤを畳んで瞬く間に空に舞い上がった。他の機体もこれに続いき、轟音を響かせて上空に飛び立っていく。


ここからは、一面に続く水平線しか見えないが、彼らには機体に搭載されたレーダーに映る敵影が見えているだろう。


上空を覆う何十機も機体が、複数の編隊を組むと、

大空に軌跡とジェット音の余韻を残して、海と空の境界線に消えた––––。



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