三章 黒い蛇

第20話 声をかけるタイミング

 昼休み、私は一人ため息をついていた。

 ちらりと向けた目線の先には朝霧君がいる。机に座って本を読んでいて、私が見ていることには気づく様子もない。私も一応、図書室で借りてきた本を広げてはいたけど、ちっとも内容に集中できず、さっきから一ページだって進んでいない。


 朝霧君と話をしたい。そう思って学校に来たけど、未だにそれは叶わないでいる。交わした言葉と言えば、朝会った時に挨拶をしたくらいだ。

 チャンスが無かったわけじゃない。むしろいくらでもあった。

 挨拶した時だってそこから話を広げることができたし、その後の休み時間や今だって、話しかけようと思えばいくらでもできる。それなのにいざ実行しようとすると、途端にためらってしまう。


 不安だった。何でもない話をするのなら簡単だろう。けれど話したいと思っているのは、妖怪についての事だ。朝霧君も見えるという事を知った今、それを隠す必要はない。けれど、だからと言ってわざわざあれこれ話をするのは迷惑なんじゃないかと思ってしまう。


 私は話してみたいと思っているけど、朝霧君もそうとは限らない。もし妖怪の事でこれまで嫌な思いをし続けてきたのなら、たとえ相手が見える人でもあまり話したくないと思っているかもしれない。

 直接聞いてみれば早いのだけど、それさえもどう切り出したらいいのかわからない。

 初めて出会えた、自分と同じ妖怪が見える人。そのことがかえって、距離感をわかりにくくしていた。


 また朝霧君の方に目を向けると、ちょうど彼と目があった。


(朝霧君もこっちを見てる?何で?)


 想定外の事に、私は慌てて眼をそらす。息を飲み、周りに聞こえるんじゃないかと思うくらいに、大きく心臓が鳴る。

 そらした視線をもう一度朝霧君の方に恐る恐る戻すけど、朝霧君はすでにこちらを向いてはいずに、さっきまでと同じように、机の上に広げた本を見ていた。


(確かにこっちを見てたのに)


 そんな風に戸惑いながら、尚も朝霧君を見ようとする。だけどそこで、急に声が飛んできた。


「さっきから何やってんの?」


 振り向くと、いつの間にか隣に美紀が立っていた。


「美紀、いつからいたの?」

「少し前から。麻里の変な動きを観察してた」


 美紀はそう言うと、隣の席にある椅子を引っ張りだしてきて、私の横に座ってニヤリと笑う。


「麻里、朝から何度も朝霧君の事見てるよね」

「えっ……」


 その言葉に絶句する。確かに何度か見てはいたけど、わざわざ指摘されるくらいに分かりやすかったのだろうか?

 そんな思いが顔に出たのだろう。美紀は呆れたように言った。


「あれだけ挙動不審で自覚なかったの?逆にすごいよ」


 美紀のツッコミが空しく響く。同時に、これはマズいと嫌な予感がしてくる。

 それだけ分かり易いなら、もしかすると朝霧君本人も気づいていたんじゃないか。何度もジロジロ見ていて、変に思ってたんじゃないか。


「ねえ美紀。私、変だった?」

「……かなり」

「引くくらい?」

「…………」


 無言の肯定をいただき、がっくりと机の上にうつ伏せる。どんなにおかしかったのだろう。いや、知りたくない。


「まあ、私以外が気づいたかは分からないけどね」


 美紀がフォローをするけど、朝霧君はしっかりとこっちを見ていて、ばっちり目まで合わせている。これまで気づくそぶりもないなんて思っていたけど、そんなのは私の妄想だったんだろう。

 変なやつと引かれてしまったんだろうかと、自分のやっていたことを後悔する。そんな風に思われていたんじゃ、恥ずかしくてとても声をかけることなんてできない。できたとしても、まともな会話にはならないだろう。

 暗い気持がどんどん膨らんでは肩にのしかかる。


「元気出しなって。まだチャンスはあるよ」


 美紀が慰めるように私の頭をなでるけど、ふと思う。美紀は、私がどうして朝霧君と話をしたいかなんて知らないはずだ。


「それにしても、麻里と恋バナができるだなんて思わなかったよ」


 恋バナ? 何のことを言っているのだろう。私はただ、朝霧君と妖怪が見える事について話したいだけなのに?

 だけどそこまで考えた時、とんでもない誤解をされている可能性に思い当たった。


(もしかして美紀、私が朝霧君を好きなんだと思ってる?)


 次の瞬間、私は勢いよく机から飛び起きて美紀に言う。


「違うって、そんなんじゃないから!」

「ここまで言っておいて、それは無理があるでしょ」


 慌てて否定するけど美紀は分かってくれない。それどころかこんなことを言い始めた。


「肝試しの時に何かあったんでしょ。ペアでもない二人が揃って特別遅かったんだもん。それで、学校に来てみたらこんなに意識してるでしょ。分からない方がおかしいよ」


 自信たっぷりに言っているけど、それは間違いだ。確かに朝霧君の事はある意味意識している。でもそれは、あと肝試しの一件も、全ては妖怪関連のことであって断じて恋愛じゃない。


 だけどそんなこと言えるはずもなく、私はただ黙るしかなかった。だけど美紀はそれを観念したと受け取ったみたいで、完全に私が朝霧君のことを好きだと思いこんだようだ。


「前に話してた、朝霧君の好きな人。まだ誰のことだか分からないみたいだけど、私も調べてみようか?」


 朝霧君の好きな人。それを聞いてヒヤリとする。そんな人はいないという事は、直接本人から聞いて知っている。頼むからよけいなことはしないでほしかった。


 もう、どうしてこんな事になるの。

 朝霧君からは引かれてしまって、美紀からは誤解される。叫び出したい気持ちでいっぱいになりながら、私は再び机の上に顔を伏せた。

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