第14話 夕暮れ

 木々の隙間をくぐり抜け、穏やかな淡色の木漏れ日が照らすその場所に走り出る。息を切らせて辿り着いたその場所で倒木に掛けていたその人は、こちらに視線を移していつものように微笑んだ。


「エイラさん」


 その声を聞いて、すべての力が抜けた。その場に座り込みそうになるのをなんとかこらえる。だが、ほっとすると同時に、ロタの姿がいつもと違うことに気がついた。鎧こそ着けていないが、首元は皮の防着で守られ、服もいつもの薄手のシャツではなく、丈夫そうな綿の服だ。ところどころに空いた穴は、鎧をつけるためのものだろうか。安心したのもつかの間、ぎりぎりと締め付けるような恐怖がエイラの胸を覆う。


「エイラさん?」


 ロタは立ち上がり、心配そうにエイラの顔を覗きこむ。エイラは、彼女の綺麗な瞳を見つめることができなかった。今、自分はロタからどう見えるのだろうか。自身は安全な都に留まり、見送ることしかできない。することといえば、無力さを嘆くだけだ。どんなに嘆いてもその嘆きがロタを守ることなどないのに。


「……ロタ」


 座りましょう、そう言うロタに付いて、隣に掛けた。ロタは再びこちらに顔を傾けると、にっこりと笑った。


「まさか、本当に来てくれるなんて思わなかったです」


 ロタは嬉しそうに身体を揺らすと、長い足を伸ばして緩く組んだ。


「行く前にあなたに会いたかったから」


 楽しそうなロタに腹が立つ。ここでずっとぼうっとしていたロタと違い、エイラは死に物狂いで走り回っていたのだ。ロタの笑顔を睨みつける。


「私は探しに行ったんですよ、あなたの宿舎まで」


 エイラの言葉を聞いて、ロタは目を丸くした。


「えっ? ……あんなところまで?」


「そうよ!あなたが明日発つなら、会いに行こうかと思ってずいぶん探したんですよ!……あと何、あのフレックとかいう騎士は。あんな軽そうな男の隣に住んでるなんて、」


 苛々と続けると、ロタは更に整った眉を上げた。


「フレックに会ったんですか?」


「会ったわよ」


「あいつ、まさか何かエイラさんに無礼なこと」


「したわよ」


 ロタの顔色がさっと青ざめる。一瞬、獣のような獰猛さがちらついた気がした。


「あいつ、」


 不穏な空気に、慌てて言葉を続ける。


「もちろん返り討ちにしてやりました。こちらは仮にも最上級騎士なんです。なめてもらっては困りますから。それに……ここにあなたがいるって気付けたのは、彼のおかげです」


 最後の一言を聞いて、ロタはようやく表情を和らげ、息をついた。


「……悪いやつではないんですけど、女癖悪くて」


「私はあなたのほうが心配です」


 エイラは口を尖らせる。ロタは男ばかりの集団に属しているのだ。これから行軍することも考えると、命とは別にそちらも不安だった。そのとき、くすくすと控えめな笑い声が隣から聞こえた。


「私が心配ですって? 大丈夫ですよ。こんなに固くて傷だらけで大きな女、誰も見向きもしませんから、」


「そんなことない!」


 思わず反駁する。こちらを見るロタの視線に、自分の視線をひたりと重ねる。そして、何度も見たはずのその顔に目を奪われる。


 ロタは美しい。その澄んだ目も、整った眉も、薄い唇も、鼻も、頬も、微かに額にかかる亜麻色の前髪も、大きな肩も、固い手指も。どこを見ても、そう思うのだ。苦しいほどの感情に、息ができなくなる。耐えられず、目を逸らした。


「エイラさん」


 温かな音色が、エイラを呼ぶ。目を閉じて、隣に座るひとを抱きしめた。大きな背中に腕を回す。鼓動が、服越しに手のひらに伝わってきた。生きている。


 いつの間にか、エイラの身体は腕の中にあった。


 行かないでほしい。ここにいてほしい。


 それを叫ぶことが許されないこの身が、切り裂いてしまいたいほどに憎かった。すがるように腕に力を込め、力強く、しかし少し柔らかい肩に顔を埋める。


 目を開けると、ロタの肩越しに、落ち葉が舞うのが見えた。強い風に裸の枝が触れ合い、ざあざあと雨のような音を立てる。空は、夕陽の色に染まっていた。

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