第4話【魔狼】

 エルムス城塞都市には、幾つもの傭兵ギルドが点在している。

 此方の世界、アーガレスト大陸で傭兵を雇う事は常識、当たり前の行為。

 城郭、城壁都市の外へ一歩踏み出せば、力持たぬ人間にとって脅威となる魔物や魔獣、はたまた野盗など存在した。

 大型都市に、なればなるほど、その需要は増えていく。

 それに伴い、傭兵ギルドも様々な要求ニーズに応える為、各々、特色を活かす形態へ変化していった。

 大まかに分けると、戦闘系、探索トレジャー系、狩猟ハント系、物流トランスポート系、暗殺アサシン系など。

 今から尋ねる傭兵ギルド【女王蜂クイーンビー】は、何時も贔屓にさせて貰っているギルドで、主に、探索トレジャー系、狩猟ハント系、物流トランスポート系の仕事を得意とする傭兵が多く在籍し【魔女の小箱】とは、古くから付き合いのある仕事仲間ビジネスパートナーです。


 ボフミール邸から【魔法の箒スティンガー号】をかっ飛ばし、私はコテージ風の大きな建物前に降り立った。

 建物の扉口上には、木製看板が掛けられており、【女王蜂クイーンビー】と綴られている。


「ふぅ、何とか営業時間内に間に合いましたね」


 窓から漏れる室内の光に、私は安堵し呟いた。


「それにしても、あのオッサン、話長いな」


 オルグは身体をぶるぶる揺すりながら、顰め面作って口を開く。


「オッサンって、本人が目の前に居ないからって、口が過ぎますよ。オルグ」


 私は三角帽子を脱いで、汗掻いた額を拭い去り、張り付いていた前髪に手櫛する。


「はっ、愚痴くらい零さなきゃ、やってられんのよ。キョウダイ」


 鼻を鳴らし、悪びれる様子など一切ないオルグ。


「いい思いしたのだから、もう少し、モノの言い方があってもいいんじゃないですか?」


「うっ、それ言われたら、何も言い返せないから……」


「まぁ、ボフミール様の話は置いといて、早く中に入りましょ」


 再び、三角帽子を被り直して、私は扉口前に立ち、ドアノブを捻った。

 カランカランとドアベルを鳴り響かせて、ギルド内へと入れば、もうもうと立ち籠める煙に甘い匂いが鼻を薙ぐ。

 薄煙の中、正面には、無垢材を使用したU型のカウンターテーブルが設置され、その内側、赤い革のソファ上で胡座かく人物がいた。

 水煙管をぷかぷかと吹かし、左眼に眼帯を着けた中年女性の姿が見える。

 格好いい、この一言に尽きるほど、渋く苦味ある女性。

 女性の名前は、ヴェヌシェ。

 この傭兵ギルド【女王蜂クイーンビー】を取り仕切るギルド長で、自ら番頭も務める。

 ギルド内は、ヴェヌシェさんの姿しか見当たらない。

 いつもなら、他の従業員の方達もいらっしゃるのだけど、多分、閉店間際だと言うのもあって、従業員の方が、既に仕事を上がられた後、私がギルドへ訪れてしまったのだろうと、推測してみました。

 ドアベルが鳴り止むと、眼帯に隠れていない琥珀色の右眼を細めて、此方へ視線を向けるヴェヌシェさん。


「いらっしゃい……おや、ネコじゃないか。それにオルグかい」


 低くハスキーな声が、私の耳に入る。

 ううっ、この声に弱いんですよね。

 身体の芯に響くと言うか、否が応でも服従したくなっちゃうんですよ。

 獣人特有なのか、私だけなのか、わからないですけど。


「ご無沙汰しております。ヴェヌシェさん。仕事の依頼をお願いしたく伺った次第です」


 全身が総毛立つのを我慢しながら、カウンターテーブル前まで進み、ヴェヌシェさんに返事をした。


「相変わらず、堅苦しい奴だね」


 水煙管のパイプを口へ含み、ヴェヌシェさんは煙を深く吸い込み、ひと吹かしたなら、煩わしそうに口を開いた。


「やっぱヴェヌシェも、そう思うよな。おいら、何時もそう感じてるんよ」


「コラ、オルグ。何ですその物言いは、ヴェヌシェさんに失礼でしょ」


「おいおい、別に私は怒っちゃないよ。オルグをそう責めてやるな。それにネコよ。人間のルールで魔物を縛り付けるのもやめな」


「は、はい。それもそうですね。反省します」


「ニッヒヒ、怒られてやんの」


 私の足下で憎たらしい笑みを浮かべてるオルグを、私は無言で睨みつけた。

 オルグは身体をビックンとひと震えさせたら、視線を明後日の方へ逸らす。


「依頼ってのは、いつもの内容で良いのかい?」


「はい、館からエルムスまで、荷の運送、護衛の依頼です。後、出来れば、急ぎでお願いしたいのですが……」


「こんな時間に来るから、もしやと思ってたけど、しょうがないね。ちょっと待ってな」


 ヤレヤレと言った感じでヴェヌシェさんは、白髪交じりの黒髪を後方へ撫でつけ、手元に置いてあった台帳を開いた。

 見た目は少し怖いですけど、凄く面倒見の良い優しい人なんですよね。

 カウンターを正面、左手には簡単な作りの机や椅子が置かれ、ちょっとした待合、待機場所になっている。

 反対、右手側は壁際に立て掛けられたコルクボードがあり、ここ【女王蜂クイーンビー】へ依頼された様々な、仕事の依頼書を貼り付けてあった。


「今調べたら、手の空いてる奴等が何人か居るよ。こっちで適当に見繕うか? それとも、ネコお前さんが決めるかい?」


 台帳をパタンっと閉じるとヴェヌシェさんが尋ねてくる。


「ヴェヌシェさんにお任せします。私は余りそう言うのは、得意では無くて」


 前に一度、自分で請負人コントラクターを選ばせて貰った時、やたらと悩んで時間を掛けた割に、微妙な人達ばかり選んでしまった。

 あの過ちは犯したくないので、ヴェヌシェさんに全部お任せしている。

 やはり、プロの目が選ぶ傭兵は一味違うんですよね。


「そうかい。じゃ、手間賃と手付けで金貨二枚貰おうか。残りは成功報酬って事でいいね」


「はい、わかりました」


 私は銭の入った皮袋から、金貨二枚を取り出し、ヴェヌシェさんに手渡した。


「毎度あり、話は変わるけどネコよ。シェーンダリアのやつは、息災かい?」


「元気があり過ぎて逆に困ってます。全く少しは大人しくしてくれると、有難いんですけど……」


「うんうん、それにはおいらも賛成だ」


「カッハハ、相も変わらずってことか。そりゃ良かったよ」

 

 膝をパシパシ叩いて、快活な笑い声をギルド内に響かせるヴェヌシェさん。


「私どもはいつも骨折り損ですよ」


「まぁ、あの女の下に就いたのが、運の尽きって奴さ。諦めるんだね」


「やっぱり、ですよね。はぁー」


 大きな溜息を吐くと、同時に私は肩を落とした。


「そう、そう、ネコよ。館に帰るのは良いが、ここ最近、ここら辺の魔物達の活動が活発化しててね。いくら魔女とは言え、万が一ってこともあるから気つけな」


「ヴェヌシェさんが、そこまで言うのですから、ご忠告、肝に銘じておきます」


「ほんとに堅いね。まぁいいさ。ネコ。そろそろ店を閉めさせもらうよ。急かすようで悪いが、この後、ちょいと野暮ようがあってね」


「いえ、お気になさらないで下さい。では、これで失礼します」


「じゃあ、気つけてお帰り、依頼の方は任せときな」


「はい、よろしくお願いします」


 ギルドを出ると私は【魔法の箒スティンガー号】へ跨り、早々にエルムスの街を出た。



 無数に広がり輝く星空の下、涼やかな夜風を浴びて、私は魔女の館への帰路に就く。

 眼下には、静寂な闇が地平の彼方まで続いている。

 夜は魔物や魔獣が活発になる時間帯、常人なら都市外へ出る事は、まず有り得ない。

 しかし、私達魔女は常人の方々より、少しは魔物や魔獣に対抗し得る力を持っている為、街の外へ臆する事なく出向けます。

 でも、過信は禁物です。偶に巨悪な魔物が出現してくれちゃう事もありますから。

 いつもの様にいつものルートを【魔法の箒スティンガー号】で夜空を飛行していると……。


「キョウダイ、なんか居るな……」


 不意に声を掛けきたなら、オルグは私に目配せする。


「どうしましたか?」


 オルグの目配せした方へ視線を送れば、闇夜の草原で、不気味に輝く無数の赤い斑点が見えた。

 何だろ? 地上を這い蠢く影。

 私は目を凝らし、その姿を確認する。


「魔狼ですね」


 影の正体は漆黒の体毛で覆われた魔狼の群れだ。

 体長は普通の狼と変わらないけど、特徴的なのが、暗闇でも不気味に映える赤目。

 普段は森の奥深い場所を縄張りとする魔獣なのだけど、珍しい光景が私の眼下に広がっている。


「どうするよ? キョウダイ……」


「そうですね。幸いあちら側も、私達の存在に気付いていないようですし、わざわざ、危険を冒してまで狩猟ハントする程の魔物でもないから、放って置きましょ」


 魔獣と遭遇、即戦闘と言うのも決まっていませんし、敵意や殺気も感じられなかったので、このまま帰路へ就く事を私は選んだ。

 そして、私は群れの上空を横切るように飛行して、魔狼の群れをやり過ごした。


「何を、そんな難しい顔してるんだよ」


「いえ、ちょっと気になることがありまして……」


 魔狼の群れをやり過ごしたものの、頭の片隅によぎる思い……何処へ向かっているんだろ?

 普段、森の奥深い場所を根城にする魔狼が何故、草原、平野部まで出張って来たのか。

 これは少し気になりますね。

 私は【魔法の箒スティンガー号】の進行速度を緩め、背後へクルンッと柄先を振り向け魔狼の群れを一瞥し、そして魔狼が目指すその先へと視線を送った。

 魔狼の進行方向、数キロ先に集落の灯りが見える。


「いやはや、これは困りましたね」


 私は鼻頭をポリポリ掻きながら呟いた。

 彼処の集落は、簡易的な防護柵で囲われているだけの魔物へ対抗する術を何も持っていない村だったはず。

 この辺りの魔物や魔獣は比較的おとなしい部類の為、他地域の村や街と違い魔物、魔獣への警戒心が甘い。


「あらら、このままじゃ、マズイんじゃね」


「確かに、拙いですね。このまま魔狼の群れが進行すれば確実にあの集落は襲われてしまいますね。ここは面倒ですが仕方ない、やりますか」


「おいらは、どっちでも構わねぇよ」


 使い魔と言っても、決して人間の味方ではありませんし、この反応は妥当かな。


「じゃ、行きますね!」

 

 私は【魔法の箒スティンガー号】のスピードを上げて魔狼の群れを追い越せば、魔狼の集団との距離を少し空けつつ草原へと降り立った。


「まずは足止めと行きましょう。オルグは下がってて下さい」


「りょーかい」


 群れを率いて先頭を走るボスらしき魔狼が私の存在に気が付く。

 すると進行スピードを緩め、次第に歩みを止めて私の数メートル手前で止まった。

 ボスの魔狼が立ち止まると、率いられていた魔狼の群れもピタッと立ち止まる。

 良く統率されていますね。これは色々と骨が折れるかも。

 魔狼達の赤々と燃え上がる赤眼に殺気が込められて行くのがわかった。

 ボスの魔狼が「ガルッル」と喉をひと鳴らしすれば、群れの魔狼達は私を囲うよう扇状に散開して行き臨戦態勢を取る。


「よう、キョウダイ。何故だかわからんけど、魔狼共が人間憎しと、喚いてるぞ」


 種は違えど同じ魔物である為、オルグは何となく魔狼の言葉が理解できるらしい。


「今、この状況から推察するに、魔狼の怒る原因は人間にあるってことですね」


「まぁ、十中八九そうだろうさ」


 さも、当然と応えるオルグ。

 原因はさて置き、このまま行かす訳にもいきませんし、しょうがないか。

 魔狼のボスが遠吠えを上げると、臨戦態勢を取っていた数匹の魔狼が、私に向かって突進して来た!

 風に薙がれて頬へまとわり付く髪を払いのけ、私は魔法詠唱を始める。


「大空に漂いし水霊達よ、大地を淀ませし水流となり、悪しき蠢く獣の歩みをとどめたまえ『死の沼デッド・プール』」


 詠唱を終えると、乾いた大地から水が溢れブクブク泡立ち、私の眼前にテニスコート一面、程の黒い沼地が出現した。

 水精霊の魔法『死の沼デッド・プール』魔法によって創り上げた泥々の底なし沼だ。

 私へ向かって来た数匹の魔狼は、突如、出現した沼に足を取られる。

 沼から脱出しようと足掻きもがく程に、泥が魔狼の身体へまとわり付き、沼の底へと引きずり込んで行く。

 その様子を一瞥しつつ、私は後に控える魔狼の群れの次へ備えた。

 魔狼達は怯む事なく、更に散開して次の攻勢へと移る。

 沼を避けて、飛び掛かって来た魔狼!


「あまり無用な殺生はしたくないんですけど……」


「その考えは致命になりうるぞ。そんな甘い考えはそうそうに捨てるんだ! キョウダイ。」


 私の言葉がオルグをイラつかせたようで、少し強い口調で私を諭してきた。

 私は背後へ飛び退き、魔狼との距離を取ったと同時に魔法詠唱する。


「生命育みし樹木の精よ、我が呼び掛けに応え、此の悪しき者達へ緑葉の鎖を『霊樹の苗木ウィータス・チェイン』」


 木精霊の魔法『霊樹の苗木ウィータス・チェイン

 草原に生え立つ若木がニョキニョキ伸び出したなら、触手となってヘビのように地上を這いずり、襲い来る魔狼へと絡みつく!

 ギチギチと触手に絞め上げられた魔狼は、口から泡を吐き出し、身体をぐったりうな垂れて生き絶えた。

 触手によって絞め殺された魔狼の姿が生々し過ぎて顔を背けたいけど、今はそんな事言っていられない。

 感傷に浸ってる暇なんてありません。

 まだまだ魔狼は後に控えてますし。

 しかし、数が多過ぎてラチがあかないですね。

 ボスの魔狼を撃退するか、大技で一気に群を蹴散らすか。

 思考の迷い、判断ミスが私を窮地に追いやる。

 私より一手早く攻勢へ転じた魔狼達。

 ボスの魔狼が遠吠えを上げると、次々に手下の魔狼も遠吠えを上げ出した。

 魔狼の遠吠えが共鳴し合い耳障りな音となり、やがて共振現象ハウリングを引き起こす。

 私の視界がグラグラ揺れだした? 恐らくは共振現象ハウリングによって、私を取り囲む空気を震わせているのでしょう。

 全身の毛をピリピリ逆立てる。これは不味そうですね。

 遠吠えハウリングと言っても、魔狼が起こす現象ですから、普通である筈がない。

 更に空気の震えが激しさを増していく!

 うっ、間に合いますか?!

 私はすかさず、唱えた。


「大空に住まう風霊達よ、その緑風を紡いで、我が暴風の盾とならん『円風帳シルフル・カーテン』」


 風霊魔法『円風帳シルフル・カーテン

 私の周囲に旋風を発生させて、風の障壁を創り出す。

 しかし、バリバリと金切り音を立てて、障壁がかき消された……次の瞬間、音と振動が衝撃波となり私の身体を貫く!


「かはっ! んぐっ……うっぅぅぅ」


 全身に激痛が走る!

 まるで、身体中を無数の針で突き刺されたような痛みに襲われた。

 私はその場で蹲り身を屈めてしまう。

 意識が遠退くのを必死に抑えるのがやっとだった。

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