10 我慢ならねえんだ

 騎士服に似た紺色の詰襟のブローディと白い騎士服のカミラは馬に乗り花畑を貫く道をゆっくりと進んでいた。畑で作業する領民に気さくに声をかけるブローディに対し、領民はカミラに視線を集中させていた。

 女性騎士など数えるほどしかいない存在だ。ご丁寧な事に、家令がブローディの巡回に嫁候補がお供するとふれ回っていたのだ。


「みんなお前を見てるな。つーかお前しか見てねえ」


 領民が見てくることに対し、カミラがきょろきょろと落ち着かない様子でブローディのあとをついてくる。

 カミラに向けられた視線の内、男達の視線はカミラの顔を見て、その下の胸に移っていた。そしてその顔はだらしなく緩んでいくのだ。


 ――なんかムカつくよな。


 カミラに視線が集中することへの不満ではなく、カミラが男の視線にさらされる事が気に入らないということに、ブローディは気が付いていない。

 自分の物でもないくせに所有欲と独占欲は激しく主張していた。


「あ、あの。ブローディ様の顔が怖いであります。私は何か機嫌を損ねることをしてしまったでありますか?」


 カミラが恐々とブローディの顔を窺ってきた。カミラはブローディの不機嫌の理由を自分に求めてしまったようだ。

 そんな寂しそうなカミラの顔を見たブローディは拳で自分の顔を殴りたくなる。


 ――俺のことをよく見てるからそう思ったんだろうな。


「いや、そんな事はねえ。原因は俺自身だ。カミラは何も悪くねえぞ」


 カミラの不安を消してやりたい一心でにこやかな笑みを浮かべたつもりが、こめかみがピクついてしまっていた。


「……そう、でありますか」


 カミラにいつもの裏の無い笑顔はなく、どこか陰のある笑顔を見せてきた。


 ――そうじゃない、違うんだ!


 音を立てて軋む胸に、無意識に右手を当てた。

 多くの目がある花畑のど真ん中でカミラを抱き寄せて説明する訳にもいかず、ブローディはカミラの横に馬を寄せた。


「自分の器の小ささにムカついただけだ」

「ブローディ様の持っている器は大きいであります。騎士団ために自身に多くの犠牲を強いていたことは知っているであります。ご自分を卑下なさるのは、悲しいであります」


 真っすぐに向けてくる黒い瞳には強い意志がのっていた。カミラはブローディを心の底から尊敬し、信頼しているのだろう。

 死線を潜り抜けてきた騎士は相手の目で覚悟を知ることができる。ブローディもそんな手練れの騎士の一人だった。

 真摯な瞳に嘘はつきたくない。

 そんな思いが勝手に口を飛び出した。


「お前がやらしい目で見られるのが我慢ならねえんだ」


 言ってしまってから不味いと思ったブローディはそそくさとカミラの横から離れていった。情けない愚痴を吐く自分を見て欲しくなかったものある。中年の自己嫌悪程醜いものはない。

 そんな逃げるようなブローディの背中をカミラは驚いた顔で見つめていたが、ゆっくりと口もとに弧を描き「待ってくださいであります!」と手綱を引いた。




 

 二人が花畑から蜂蜜工場へ足を伸ばし、屋敷に戻って来たのは昼も過ぎた頃だった。花に囲まれた屋敷の玄関付近に見慣れない馬車が止められているのを見つけたブローディは眉を寄せた。

 

 ――行動が早いとは聞いていたがもう来たとはな。


 ブローディは後ろでその馬車を気にしているカミラを、チラと見た。馬車に刻まれた紋章はフェザーリン侯爵家の物だ。騎士団にいたカミラならばそれがわかるはずだった。

 そしてそれが誰なのかも。


「旦那様、カミラ様、御視察お疲れ様でした」


 玄関で帰りを待っていたのだろうか、家令が静かに歩み寄ってくる。ブローディは馬を降り家令に向いた。


「来たのか?」

「はい。思ったよりも速いおつきで」


 ブローディの問いかけにも家令は冷静だ。間者からの情報を得ていた分心構えが出来ていた。


「奥様は別のお部屋でお待ちいただきますか?」

「いや、連れて行く」

「……左様で」


 深々と頭を下げる家令に背を向け、ややこわばった顔のブローディはカミラを見た。家令がカミラの事を「奥様」と呼んだことにすら気にかけられない程だ。


「カミラ、俺の元妻が来た。追い返すから手伝ってくれ」

「は、はいであります!」


 馬を降り、ブローディと家令のやり取り黙って聞いていたカミラが左胸に右こぶしを当てた。





 ブローディとカミラが応接間に入ると、待ち構えていたのは中年の女性だった。

 青い羽根つきの白いキャペリンを斜めにかぶり、孔雀色の羽根扇子で口元を隠した女性が、三人掛けのソファーに深く腰掛け、スリットの入った青いマーメードドレスから組んだ足を覗かせていた。

 目元にばっちりと化粧を施した蠱惑な目でブローディを、そして隣に控えるカミラを、品定めするように舐めて見てくる。


「久しぶりだなリリーナ」


 ブローディは軽い口調に努めていた。突然の来訪も、なんでもないことだ、と見せ付けるためにだ。


「あら、暇になったらすぐに女性を連れ込んでるのね」


 忙しい時は見向きもしなかったのに、とひと言を添えたリリーナと呼ばれた中年の女性が羽根扇子で口もとを隠したままふふっと笑った。

 少しばかり小馬鹿にするようなしぐさにブローディはチラとカミラを視界にいれた。今の仕草でカミラが怒らなかったか不安だったのだ。

 カミラがやや緊張した顔だったことに安堵し、ブローディは視線をリリーナに戻した。


「やっと得た自由だ。俺がどうしようとお前には関係ないだろう?」


 平静を装うブローディはカミラの腰に手をまわし、リリーナの対面のソファに誘導した。


「……随分と趣味が変わったのね」

「どれだけ時間が経ったと思ってるんだ?」


 リリーナのカミラに対する評価にブローディは呆れたと言わんばかりのため息をつく。


「カミラ・エンドーサ二十三才独身。隠れ美貌の女性騎士が先日騎士団を退団し現在行方不明。なんて噂を聞いたものだから。幼児趣味ロリコンに拉致監禁の性癖でも付いたのかと思っちゃったわ」


 リリーナは口もとの羽根扇子をひらひらと泳がし、少し顔を背け流し目を送ってくる。

 熟女というに相応しい色気が籠められているが今のブローディには何の影響もない。ブローディの関心はカミラに飛び火しないかだけだ。


「それで、今日は何の用だ? 俺は忙しいんだ。用が無いなら帰れ」

「用が無かったらこんなとこには来ないわ!」


 愛想もなく追い払おうとするブローディに対し、羽根扇子をぎゅっと畳んだリリーナが声を荒げた。安い挑発にあっさりと乗ってしまったようだ。

 こうも簡単だから孤独に我慢できずに多忙なブローディの元から離れてしまったのだろう。

 ある意味可哀想な女性だ。


「相変わらず仕事以外には冷たいのね。まぁそんな事はいいわ」


 まずいと思ったのかリリーナは畳んだ羽根扇子を握り、足を組みなおした。濃い紅の乗った口を妖しく緩め、目を細める。


「過去の清算を要求するわ」


 ソファの背もたれに寄りかかったリリーナは緩めた口もとで話を続ける。


「貴方によって無駄に使われた結婚生活の時間五年分。その分の慰謝料を払って頂戴」

「慰謝料は離婚時に払ったはずだ。あれが全てだ」


 ブローディは取り付く島もない。実際に離婚時に十分以上の金をふんだくられていた。どれだけかというと領地から上がる蜂蜜の利益が飛ぶほどにだ。

 もっとも蜜蝋や香料の売り上げもあるから経営には一時的なダメージでしかなかったが、一般的な慰謝料とは桁が違った。

 これはブローディが騎士団の仕事で多忙を極め、交渉することも面倒だったために要求を丸呑みしたからだった。


「アジャックス領は蜂蜜で儲けてる以外にも収入はあるはずでしょ?」

「お前にくれてやる金は無い」

「あら、元とはいえ妻だった女に随分と冷たいのね」


 ブローディに躱され続けたリリーナが捨て台詞を放つとカミラに向き直った。取引を有利にするためにカミラをだしに使うつもりなのは明白だった。


「こんな男よ? 貴女も考え直したが、良くってよ?」


 黙って耳を傾けるカミラに対し、呆れた表情を浮かべたリリーナは口を動かし続ける。


「それに歳も離れてるし、彼が亡くなった後は、きっと辛いわ」


 眉を下げ、同情する様な語り口にも、カミラの表情は動かない。

 これを有効と判断したのか、リリーナは最後のトドメとばかりに言葉を吐き出す。


「こんな情もない男は止めて、もっと若くて誠実な男を探しなさいな。貴女の人生は、先が長いのよ?」

 

 リリーナはしてやったりとばかりなニヤつき顔をブローディに向け直してきた。五月蠅い口をふさぐためにブローディが自分の要求を飲むと確信したのだろう。

 だがブローディは信じていた。寝言か定かではないが、カミラが口にした言葉を。だからこそ、リリーナのしゃべりを止めなかったのだ。


「偉そうなケバイおばさん。これ以上ブローディ様を侮辱することは、わたしが許さないであります」 


 黒い瞳に怒りを湛えたカミラは、そう声を荒げた。

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