9 誰だ、お前?

 アジャックスの屋敷にはハウスキーパーや庭師はいるが侍女がいない。それはカミラを補助する女性がいない事を示す。少なくともブローディはそう聞いていた。

 だが朝食のとるために食堂でテーブルにつくブローディの目の前には、三人の中年女性が、着慣れた風の紺色のお仕着せ姿で静かに控えていた。

 ブローディは彼女たちに目をやり、そして恨みがましく家令を見た。


「侍女はいないんじゃなかったのか?」


 文句を言いたげなブローディの視線を受け、なお家令は微笑んだ。


「昨日侍女を募集したところ、直ぐに集まってしまいました」


 家令は微笑みのまま返してくる。


「昨日屋敷についたばかりだった気がするのは気のせいか?」

「えぇ、皆こころよく募集に応じてくれました」


 ブローディは眉を寄せた。


 ――やられた。


 家令の言うことを信じて侍女はいないと決め込んでいたが、実際はいたに違いない。昨日は隠れていたのか姿を見なかったが裏で色々と働いていただろう。

 ブローディが並んでいる侍女たちに視線を送ると一様に微笑んでくる。よく見れば見覚えのある顔もある。

 おかえりなさいませ。

 ブローディの耳には、そう聞こえたような気がした。





 ブローディが食堂でカミラを待つ間に朝の珈琲を嗜んでいると廊下からガヤガヤと声が聞こえてきた。その一つは聞き覚えのあるカミラの声だ。


「あぁ、ここにいることは知らねえか」


 ブローディは、おそらく侍女に連れられたカミラがあーだこーだと言っていると思った。昨日は廊下や部屋に飾った花をいたく気に入った様子だったから、今日もそのことについて騒いでいるくらいにしか考えていなかった。

 だがそれは、かるーく裏切られてしまった。

 食堂に入ってきたカミラを見たブローディはカップを手に持ったまま口をあんぐりと開けたまま石像になってしまった。

 丁寧に髪を梳かれ、癖を目立たないように纏められた黒い髪は背中に流され、野暮ったい黒い眼鏡がフチなしの物に変えられ、唇には鮮やかな紅をさし、春に合わせたのか薄いピンクのドレスを装い、主張激しい胸はその谷間を出しすぎなほど露にした美しい令嬢が姿を現したのだ。

 その令嬢がはにかむ様な笑みを浮かべ、上目遣いでブローディを窺ってくる。

 美女だ。そこには紛うことなき黒髪の美女がいた。


「……誰だ、お前?」

「カミラであります!」


 呆気にとられた顔で暴言を吐くブローディに、カミラは直立不動になる。おまけに右の心臓に左手をあて、礼までする始末。

 美女が残念なことになっていた。


「……マジか?」

「マジであります」

「嘘だろ……」


 ニコリと微笑むカミラにブローディの頭は混乱した。カミラが美人だということはよーく知っていた。垢ぬけないワンピース姿は王都の屋敷で見た。だが目の前のグラマラス美女がカミラに結びつかないのだ。

 胸に視線を向ければはち切れんばかりの膨らみと張りが出迎え、そこまで見せて良いのかと言いたくなるほど露出面積が多い肌がブローディの脳裏に焼き付いて行く。

 

「あ、あの、似合ってないでありますか? おかしいでありますか?」


 ブローディの言葉を否定と取ったのかカミラが不安な顔に変わる。慣れないドレスを着せられ、更にはがっぽりと胸元を開帳した姿に、地味を自覚するカミラは不安なのだろう。

 ここで似合わないなどと言われようなら、たとえカミラでもどん底まで叩き落されてしまうだろう。

 そんなことはブローディでも予想できることだが、今のこの男にはそんな余裕すらも無かった。目は大きく開き、鼻の下のグレイの髭が微かに震え、口はダンディの欠片も無くだらしなく垂れ下がっていた。


「綺麗だ……」


 ブローディの本能が口を支配していた。世辞でもない、誠の本意だった。その証拠にブローディの視界にはカミラしか映っておらず、他は全てぼやけてしまっているのだ。

 カミラはブローディの言葉を理解できなかったのか不安そうな顔を崩さなかったが、後ろに控える侍女に肩を叩かれてハッと我に返った。


「お、男に二言はないでありますか!」


 必死な表情のカミラがドレスのスカートを摘まみながら椅子に座っているブローディに駆け寄ってくる。剥き出しに近い胸が盛大に揺れ、ブローディの目の前でブルンと揺れた。ブローディが視線を上にあげればカミラが潤んだ目で見つめてきている。

 よく知った顔のはずだが髪を丁寧に梳かし、眼鏡が変わっただけで貴族令嬢へと変貌したカミラに、ブローディの心臓は悲鳴を上げた。侍女によって付けられたのであろう香料もブローディの本能を揺るがしてくる。


「き、綺麗でありますか?」


 しゃがみ込んだカミラに真っすぐに見つめられ、ブローディは口の渇きを覚えずにはいられなかった。

 掃討作戦で盗賊達と殺し合いになった時よりも心臓が激しく動き、顔が熱くなるのを自覚した。


「あ、あぁ、嘘じゃ、ない」


 カラカラの喉から何とか言葉を絞り出したブローディはカミラの顔から眼を離せない。


「似合ってるで、ありますか?」


 まだ不安なのか、カミラが顔を近づけて問うてくる。目の前の美貌にブローディの本能が遠吠えを開始しそうだった。

 無意識にカミラの両肩に手を置き、じっと見つめた。潤み始めたカミラの目がブローディの視界を歪ませ、足元が浮遊する感覚に襲われる。艶やかな唇がせがんでくるように見えた。手に力が入りカミラを引き寄せようとした時。


「ウオッホン」


 家令のわざとらしい咳払いにブローディは我に返り、今の自分の手の位置を見て愕然とした。目の前のカミラは露出させている胸元まで真っ赤に染め、俯いてしまっている。


「まだ陽も高う御座います。今はその辺で我慢なさってください」

「あ、あぁ。そうだ、な。紳士じゃないな」


 ブローディが手を離すと、カミラは侍女に連れ去られるように向かいの席に座らされた。


「では遅くなりましたが朝食をお運びいたします」


 家令の合図で料理が運ばれてきたが、ブローディの心は既にカミラに食べられてしまっていた。湯気を立てて旨いということを主張する料理の味も、ブローディには全く分からなかったのだ。

 ある意味砂を噛む様な朝食は、ブローディにとって永遠に続くかと思われた。





 衝撃的だった朝食も終わり、ブローディは自分軍を落ち着けるために花が咲き誇る庭を一望できるテラスで紅茶を飲んでいた。だが色とりどりの花を見ていても、先ほどのカミラの姿が瞼の裏に焼き付いて取れないでいた。


「いいオッサンが、成人前のガキじゃあるまいし」


 自嘲気味に零すブローディの瞳は虚ろだった。庭を見ているようで、実際は瞼の裏のカミラを見ていた。第二の人生を謳歌するハズの中年男は、思春期にぶち込まれてしまっていた。


「旦那様。本日は養蜂場の視察となっております。領地に戻られたので一度領民に顔を見せてやってください」


 家令が近づく気配にも気が付かず、突然後ろから話しかけられたブローディの肩はビクリと跳ねた。


「お、脅かすな」


 背後の家令に振り返り、焦りを隠すために顔を顰めた。


「……ふふ、旦那様も、結構初心なのですな」

「くっ」


 意味深な笑みの家令に、毒づくしかできないブローディだ。情けないが自覚があるからこそ反論できないでいる。


「まもなくカミラ様も用意が整います。今回はカミラ様のお披露目も兼ねておりますので、馬車ではなく乗馬で視察を行ってください」


 家令の言葉を軽く聞き流していたブローディだが乗馬と聞いて家令を見た。


「馬で行くのか?」

 

 お披露目という言葉はすっかりとスルーしてしまっていたブローディが家令に確認をした。令嬢が馬で行くなどと、普通ならありえないのだ。


「はい。カミラ様は騎士でした。領民にはありのままを見せた方が良いかと思いまして」

「良いのか?」

「騎士としてブーツを履きなれたカミラ様がピンヒールで視察ができるとでも?」

「あぁ、無理だな」


 納得したブローディは大きく頷いた。令嬢のまねごとをしても直ぐに馬脚を現すのがオチだ。ならば最初から開き直っていた方がよほど気楽で良いという判断にはブローディも賛成だった。

 

「準備万端であります!」


 テラスの入り口に立つ黒髪の女騎士カミラが告げた。ただブローディがいつもと違うと感じたのは、黒縁地味眼鏡ではなく、先ほど付けていた縁なしの眼鏡だったからだ。


「お前、誰だ?」

「嬉しいであります、カミラであります!」


 嬉しそうに微笑むカミラが、どうしようもなく可愛く見えた。

 ブローディはカミラが地味眼鏡美人だと良く知っていたはずだったが、眼鏡が変わるというたったそれだけで、人はこうも変わるのかということを、思い知らされたのだった。

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