3 またそれを言うかァ!

 翌日。既に屋敷を引き払うことになっていたためブローディは馬車の中の人となっていた。家令は最後の処理と引継ぎの為に屋敷に残った。そしてまんまとブローディの屋敷に泊まり込んだカミラは馬車の御者となっていたのだ。

 それは今朝がたの家令とのやり取りが原因だった。

 朝食後の珈琲タイム。屋敷を出発するまでの居間でくつろいでいるひと時のことだ。


「まぁまぁ旦那様。物は試しと申しすものですし、カミラ様を『お試し妻』とされては如何ですか?」


 空気を読まない家令の提案に驚くカミラの顔がほんのり赤く染まる。そんなカミラを横目でチラ見しつつブローディは口を曲げた。


「突然意味分かんねえこというな」

「お試し妻という使用人ですが?」

「ほぅ、モノは言いようだな。で、そのお試し妻とやらは何をするんだ?」


 頬をひくつかせるブローディに対し、家令は待ってましたとばかりの笑みを浮かべる。


「現在領地の方では、ハウスキーパーはいますが侍女はおりません。したがって旦那様の世話をする者が不在です。そこで丁度良くもカミラ様がいらっしゃっいましたので身の回りの世話をして頂くとともに、将来の奥様生活に色々と慣れて頂くのも手かと思いまして」

「お前、隠す気全くねえのな」


 顔を顰めるブローディを他所に、にやけ顔のカミラは「奥様……」と遠く見る目をした。

 その様子を見たブローディの顔はますます歪む。


「カミラ様、お願いできますでしょうか?」


 頬の皺を増やして家令がカミラに微笑む。答えを確信しているような笑みで。


「まままっかせて下さい! 閨の相手から特殊プレイまで幅広くお相手するであります! なんなら抱き枕からでも結構であります!」

「そこから思考を離せ!」

「ラブラブ入浴もバッチコイであります! くんずほぐれつお相手するであります!」

「風呂で何の相手をどうやってするつもりだ?」

「花も恥じらう乙女にそれを言わせるなんて、やっぱりブローディ様はドSであります!」

「またそれを言うかぁッ!」


 言い合っている隙に、貼り付いた笑顔の家令がブローディににじり寄っていた。ブローディが気が付いた時には笑わない目で見下ろしてきていたのだ。


「元奥様と離縁されてからずぅぅぅぅっと後妻をおとりにならず、数多の女性からの縁談を断り続けていたせいで男色家という不名誉な噂が一時流れていたのは、よぉぉぉくご存じかと」

「仕事が忙しすぎたんだよ」

「そうでございましたな。ですが、それは七年ほど前までのことだったように記憶しております」

「……何が言いたい」


 家令はブローディにすすっと顔を寄せ、小声で話し始める。


「私の記憶違いでなければ、確かカミラ様が騎士になられた時まで、だったいうことです」

「記憶にないな」

「男色家という噂を信じてしまった令嬢も多くいたと、聞き及んでおります」

「そんなことはどうでも良いだろう」


 ブローディは視線を逃がした。


「このままではアジャックス侯爵家が断絶してしまいます。カミラ様が最後の希望でもあるのです」

「蜂蜜しか売りが無いチンケな領地なんて消滅しても何の影響もないだろ」

「国内の蜂蜜の八割を生産しているアジャックス侯爵領はチンケなどでは御座いません」

「十分チンケだ」

「……カミラ様がどこぞの馬の骨に盗られても良いと?」


 途端にブローディの眼つきがきつくなる。表情を変えずにこやかに微笑みながら言葉を巧みに突き付けてくる家令に、ブローディは内心で焦っていた。

 子供の時からずっとブローディを見てきた家令には心の内で考えていることなどお見通しなのだ。反論しそうなことには必ず言葉をかぶせてきていた。


「眼鏡を取ると美人という噂はとっくに広まっております。カミラ様が未だ未婚なのは偏に旦那様を一途に想っている事が知られているからです」

「だから誰も手を出してないって言いたいのか?」

「旦那様のお相手から外れたとあれば、直ぐにでも縁談が組まれ、カミラ様はどこぞの男の腕の中へ……」


 ブローディは奥歯を噛みしめた。


 ――そんなことは分かってんだよ!


 カミラの気持ちなど、とっくの昔に気が付いている。ブローディは自分への視線に特別な感情が込められていることを分からない朴念仁ではない。

 ダンディな中年は女性の感情には敏感で無なければならない。 

 こう見えてもブローディは自ら紳士たれと自戒している。だが歳の差はいかんともしがたいのだ。


 ――俺が先に死んでから残された時間が長すぎるんだ。カミラを不幸にしかしない。


 馬車に揺られながらブローディは考えている。

 とうのカミラが御者席で黒い髪を風に自由に靡かせている様子を、窓越しで見つめるブローディ。

 深いため息はゴトゴトと跳ねる車輪の音にかき消された。





 王都からアジャックス侯爵領までは馬車で一週間ほどかかる。騎士団での遠征で野宿は慣れているとはいえ馬の世話もある為、大回りでも街から街へ渡り鳥のように寄り道をすることになる。

 王都の屋敷を出てから既に三日。着替えを持たないカミラは同じ騎士服を来ていた。洗濯をする時間も無いために汚れも目立ち始めていた。


「カミラ、次の街でお前の服を買うぞ」


 馬をずっと走らせることはできない。適宜休息は必要だ。そんな休憩の時にブローディはそう提案した。

 御者をやっているためドレスではなくパンツ姿になるが、騎士であるカミラにはそれが良く似合っていた。

 低い身長だがスリムな体形でボリューミーな容姿が逆に男装に映えている。つまり、可愛いのだ。


「まさかのウェディングドレスでありますか!」


 焚火を挟んで岩に腰かけるカミラがぱぁっと嬉しそうな表情に変わる。


「……お前の思考パターンが分かって来たよ」


 ブローディはそんなカミラに呆れつつもどこか優しげな眼で見ていた。


「以心伝心であります! 嬉しいであります!」

「そうきたか……」


 星が瞬いてるんじゃないかと錯覚するほどの笑顔を浮かべるカミラに、ブローディは苦笑した。

 自分に娘がいたらこれくらいの年齢なんだろうな、とブローディは漠然と考えていた。

 年齢差二十四歳。

 ブローディが二十歳の時ですらカミラは生まれていないのだ。


 ――もっと年が近けりゃな。


 そんな事を思ってしまったブローディは、近ければどうだってんだ、と口の中で言葉をすり潰した。

 

「心がつながったのなら身体も繋がるべきです! 身体には自信があります! 騎士で鍛えた体は頑丈であります! それはもう岩の如しであります!」


 主張激しい胸を両手で下から持ち上げたカミラがずずずいとブローディに迫ってくる。

 鍛えた所とは全く関係ない胸を持ち出すあたり残念な感じが漂うカミラだがこれが通常営業だ。もっとも鍛えた所を持ち出されても困るのだが。


「そこは鍛えてないだろうが! というか近い!」


 ブローディが手を伸ばしカミラの肩を掴んで突進を止めようとした。


「攻めるべき時は一気果敢にと教えてくださったのはブローディ様であります!」

「攻める対象が間違ってる! ったく、いい加減にしろ!」


 ブローディは迫りくるカミラの胸に手を当て軽く指を曲げた。予想の斜め上の対応だったのか驚愕の表情で固まるカミラの口はハクハクと言葉を発しない。


「そーゆーことをするとこーなるんだぞ? まったく、ブツがデカいから服の上からでも揉み応えはすげえな」


 モニモニと手に収まりきらないたわわな胸の感触を味わいながらブローディは真顔で言いのける。

 初心な童貞でもないブローディにはこの手の脅しを切り返すくらいの経験はある。寧ろ据え膳は残さず平らげお代わりを要求する程だ。


「あわわわ……」


 真っ赤な顔で後ずさりするカミラの目がくるんと回転し、地面に吸い込まれるように崩れた。その反応を確信していたブローディは崩れきる前にカミラの体の下に腕を滑り込ませ、そのまま抱き込む。


「初心過ぎだ……」


 くったりとしたカミラを抱き寄せたブローディは、横抱きのまま膝の上に乗せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る