第18話

「―――っ」

 短く、声にならない悲鳴を上げる。体から力が抜けていくのが分かった。さっきと同じように生気を吸われているんだ。そしておそらく、今度は返す気なんて無いのだろう。

 木葉の知り合いだというので油断していた。彼ら妖怪は私達とは違う存在で、倫理や常識もまるで異なっている。必要とあらば人に危害を加えたとしても不思議は無かった。


「はな…して…」

 何とかしてこの手から逃れようと必死にもがくけど、ちっとも振りほどけそうにない。その様子を見ながら鹿王は言う。

「ごめんね。君に何かあったら結局木葉も苦しむだろうけど、それでもヌシ様は人の子に心奪われるよりはマシだと思っているんだ。あの人は人間嫌いだからね。僕らのような眷属に向ける情なら一応持ってはいるみたいだけど、それが人間に向けられることは無い。社に祀られているのだって、かつて人がヌシ様を恐れ、静めようとしたのが始まりだ。元々は人間にしてみれば恐怖の対象になるような人なんだよ」

 淡々と語られる言葉に、自分がいかに危険な状況にいるか改めて思い知らされたような気がして、背筋が凍り付く。そうしている間にも生気は奪われ続け、今にも足が崩れそうになる。


 力ずくで何とかすると言っていたけど、いったいどれだけの間こうして生気を吸われ続けるのだろう。私が倒れるまでか、あるいはそれでも止めることは無いのか。


 気が遠くなりかけた時だった。

「どうする?こうまでされてまだ、君は木葉を探す?」

 ふっと、生気を吸う勢いが弱まる。それでも依然として苦しいことには変わりないけど、今までよりも鹿王の言っていることがはっきりと聞き取れた。


「君が二度と木葉に近づかない。そう約束するのなら見逃してもいいよ」

 その言葉に心が揺らぐ。勿論そんなのは嫌だ。だけどこのままじゃ、もしかすると命にかかわることにもなりかねない。それなら何でもいいから目の前の危機から逃げるのが利口かもしれない。

 だけど、改めて目の前にいる鹿王を見る。そこにさっきまでの飄々とした態度はなく、浮かべている険しい表情を見ていると、とてもその場しのぎの言葉で誤魔化せるとは思えなかった。

 嘘やごまかしが通用しないのなら、残念ながら私の返せる答えは一つしかない。


「嫌!」

 声を振り絞って叫ぶ。我ながらバカな事を言っているなとは思う。命の危機かもしれない状況を前にして、それから抜け出すチャンスを不意にしたのだ。

 だけど、元々今の状態で木葉に会うのだって相当なリスクがある。それでも行くと決めた以上、ここでその決意を曲げようとは思わなかった。


「…そう」

 鹿王は静かに言うと、再び私を掴んでいた手に力を込める。同時に、生気を吸う勢いもさっきまでと同じ激しいものへと戻った。

「くっ―――」

 その苦しさに思わず声を上げる。何とか逃れようともがいているうちに、木葉からもらった腕輪が目に入った。


 今更だけど、これの妖怪除けの効果もどうやら鹿王には聞かないみたいだ。彼が木葉と同等かそれ以上の立場だからだろうか?

 こんな状況だというのに何故かそんなどうでもいい事が頭に浮かんだ。その代わり、本来抱かなければならない恐怖や危機感が段々と薄れていく。これは本当に不味いかもしれない。

 木葉を探すのを止めない、そう答えたのに後悔は無い。だけど、だからこそ、このまま木葉に再び会うこと無く終わるのかと思うと悲しかった。


「木葉…木葉…」

 朦朧としてきた意識の中で、それでも繰り返しその名前を呼ぶ。最後にもう一度だけで良いから会いたい。それが無理ならせめて声だけでも聞きたい。今にも倒れそうになりながら、その一心だけで何とか持ちこたえていた。

 だけどそれももう限界だ。とうとう足が崩れ、意識が薄れていく中、聞きなれた声が耳へと届いた。


「―――志保!」


 今一番聞きたかったその声は、必死になって私の名を叫んでいた。私の中にある願望が生み出した幻聴、あるいは走馬灯のようなものだろうか?

 まあいいや。これで最後になるのなら、例え幻でもその存在を近くに感じていたい。そう思いながら、閉じていた目をわずかに開く。


「―――木葉」


 思った通りの顔がそこにはあった。だけどその表情は今まで見たことも無いくらいに不安に満ちていて、いつも見ていた柔らかな笑顔とはかけ離れていた。


「バカ。最後くらい笑ってよ」

 幻なんだからそれくらい気を利かせたっていいじゃないか。そう思って言ったのだけど、それを聞いた木葉はさらに顔を歪めた。


「なんだよ最後って!」


 叫んだかと思うと、グイッと体が木葉の方へと引き寄せられる。そこで私はようやく、自分が彼の腕の中にいることを、そしてこれが幻なんかじゃないことに気付く。


 その体は他の妖怪達と同じように薄っすら透き通っていたものの、そこには確かな感触と温もりがあった。

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