終わりと始まり1



 *



 ブログを始めてから十年。


 現在、三十五歳になった瑠美。カフェ・ルミエールは不況の波にのまれて閉店を余儀なくされていた。


 年内は頑張ろうと思っていたが、それも叶わず十月いっぱいでカフェ・ルミエールは終わる。五年ももたなかった。


 ルミエールは光という意味。

 瑠美の名前の一部も入っていて気に入っていた。そのカフェは瑠美にとっての希望、光だったはずだ。



 ――――人気ブロガーなんて、天狗になっていたのかもね。



 過去を振り返り、瑠美は思う。



『美味しい』

『また来るよ』



 その言葉が瑠美を幸せにしてくれた。


 人を愛せないのなら、お店を愛そうと思うようになり、気がつけば仕事が好きになっていた。嫌でしかなかった仕事を初めて愛せた場所がカフェ・ルミエール。


 しかし、今では常連客しか足を運ばない場所だ。


 午後五時。静かなBGMが流れる店内にいるのは、やはり常連客。


 最終日の今日は早めの六時に閉店。その知らせは店内の壁に貼ってある。

 『閉店のお知らせ』なんて、本当に素っ気ない文章だと瑠美はため息をつく。


 最近は『美味しい』の言葉すら聞かない。

 食事の終わった食器を片付けるのも虚しくなってしまうほどに、瑠美の気持ちは後ろ向き。



「ありがとうございました」



 あと一時間を残して、店内は静まり返ってしまう。BGMが瑠美を慰めるようにひたすら音を出していた。


 閉店する日を決めた後、瑠美は久しぶりに就職活動をした。この年齢で雇いたいと言う企業は少ない。

 それでも小さい企業に来月から働くことを決めた。本当は仕事が好きになれるかが不安であった。



「誰もこない……か」



 一人呟いた時だ。カウベルの音がして瑠美は振り返る。



「いらっしゃいませ」

「いつものお願いします」



 瑠美と同じ歳の男性客。以前、話をした時に同じ歳だと盛り上がったことを思い出す。



「かしこまりました」



 彼も常連客の一人。いつも通り、カウンターの隅に座った。瑠美も厨房に入り、働きながら彼を見つめる。


 短髪は乱れがなく、着ているスーツにもシワがない。

 脱いだジャケットを隣の椅子に掛けると、すぐにカバンの中を探り始める。営業をしているからなのか、カバンはいつも重そうだ。


 やっと見つけ出したのは文庫本。

 注文した料理がくるまでの間、彼はいつも読書をする。名前も知らない常連客だが、瑠美は長い間見てきたからわかっていた。


 表紙カバーを取り外すのは、大事な本に手垢がつくのが嫌だから。しっかり両手で本を持つのは、極力曲がらないようにするため。

 本を愛する彼が言っていたことだ。


 好きなジャンルは文学。

 恋愛は読まないのかを瑠美が問うと、男性が恋愛読んでいたら気持ち悪いだろうと、苦笑した。


 瑠美は考えたことがなくて返す言葉を失うが、彼は笑顔で読んでいた本を見せる。



『文学の中にも恋愛があるよ』



 少し騙されたような気になったのは、瑠美の秘密。


 そして逆に質問されたことがある。



『このコンソメスープって、瑠美さんが初めてブログに載せたレシピだよね』



 その時に瑠美は、初めて彼を知る。ブログもレシピ本も知って、こうして店にも来たのだと。



『ストーカーじゃないから安心して』



 そんな冗談を言う彼を瑠美は笑った。なぜならレシピに関しても詳しく、本当に料理が好きなんだと思ったからだ。


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