第20話 五者五様
女子会の会場は僕の自宅だった。
「どうしてそうなるんだ……」
溜め息をこぼしながら粛々とシンクの前でレタスの葉を千切る。2LDKの間取りに沙智以外の客が来るのは三か月前に越してきて以来初めてのことだった。
「せっかくリビングのある家なんだから、お客を呼ばないとでしょ」
沙智はそう言うが、そもそも僕は直前になって許可を取られたのだ。そこを問い詰めると、先に千世から許可を貰ったのだと白状された。僕が逆らえないのを含みに入れた沙智の狡猾な策である。
「千世姉さんは快諾してくれたっていうのに、兄さんはほんと思い切りが悪い」
愚痴を言いたいのは僕のほうなんだけれど。沙智のレタスをひん剥く姿には有無を言わせぬ迫力があった。
とはいえこの宅は本来千世と同棲するつもりで借りたマンションの一室なので、千世に許可を取っているならその点では文句は言えない。
「でも、外の店でやれば良かったんじゃないのか」
「わかってないなあ兄さん。家の中だから聞ける話もあるんだからね」
「泊まりにならなかったら何でもいいよ……」
僕が言いたいのは女子会を男の独り暮らしの宅で行うことに問題は生じないかという話なのだが。どうにも嫌な予感しかしない。
「ちなみに参加するのはあたし含めて五人ね。白野さんと、つ、司先輩が二人連れてきてくれるっておっしゃってた」
さすが司だと思ったが、果たして初対面の人も込みの女子会が盛り上がるのか甚だ疑問であった。
「ってちょっと待て。五人ってことは僕も入ってる?」
「え、そうだよ? 司先輩は来られないって言ってたし。うぅ、ざんねん」
「六人だと疑って訊いたわけじゃないんだが?」
僕の知っている女子会の定義と違う。というか司が来ないなら男は僕だけじゃないか。
「司神……司先輩の連絡では二人とも白野さんと面識があるそうだよ。あたしはまあ、別に気にしないし大丈夫かな」
この際神付けは聞かなかったにするとして、僕と違い社交性の高い沙智なら初対面でも問題ないのかもしれない。だが気になるのは相手方のほうだ。
「憂月とも知り合い、って限られてくると思うんだけれど」
「あたし以外に友達いないわけだしね」
何にせよ僕は面識のなさそうな相手になりそうだ。
許可した千世の心境を思うと複雑だった。元を辿るとこのマンションの一室は千世が入院する前から同棲のために目をつけていた物件なわけで、その計画が引き延ばしになった結果、就職とともに僕がひとりで住むようになった経緯がある。つまりまだ千世はこの住居に足を踏み入れてすらいない。
沙智が押し切ったとは考えづらいから、千世は特に拘りを持っていなかったと考えるのが自然だ。だとしても僕が気にすることくらい彼女にはお見通しだろうし、その感情よりも優先して許可を与えるに足る理由があったのだろうか。
考えても無駄だと思う気持ちはある。けれど僕は考えを放棄することをやめたのだ。彼女の全ては理解できなくても、考えることには必ず意味がある。そう信じたい。
不意にインターホンのベルが鳴った。
「来たみたいだね。玄関まで迎えに行ってくるよ」
沙智はエプロンの紐を解きながらインターホン越しに応対し、早足に部屋を出る。少しだけ漏れ聞こえた声は、聞き覚えのない女性のものだった。
さて、僕はどうするべきか。レタスは千切り終わったので気を遣ってもう一品くらい作っておくか。いや気を遣うというなら女子会に男が交じらないことが第一だろう。そもそも女子会とは何なんだ。もっとちゃんと説明しておいてくれよ沙智。
長考した挙句、僕は抜け出すことに決めた。家主不在で新居に他人を入れるのは相当な抵抗があるが、それよりもここにいることで起こる面倒のほうが不快指数が高そうだ。
それにそもそもの目的を考えれば、彼女に少しでも警戒心を抱かせないほうがいい。彼女から情報を引き出すのが最優先だ。
だから僕がここから離れるのは戦略的に必要なのだ。単に逃げたいわけではない。
そうと決まれば大急ぎで靴を履く。紐を結ぶのに手が震えている。そんな馬鹿な。
「何しているんですか? お兄さん」
「何って見ればわかるだろ靴紐結んでるんだよ――って」
見上げると憂月がドアを半開きにして間から顔を覗かせていた。
「へぇ、外出なさるんですね。これから『女子会』だというのに」
僕は男子だ、と言い返すには甚だ強すぎる憂月の威圧感。いつもとオーラからして違う。
いつも沙智から鈍感呼ばわりされる僕だけれど、さすがにここまで明確な意志の力に中てられては悟らざるを得なかった。
憂月は――この女子会を滅茶苦茶楽しみにしている……!
「逃がしませんよぉお兄さん。私の長年の夢を成就させるために、手伝ってもらいますからね」
「ひぃっ」
ドアの隙間から伸びてくる幽霊のような手に首元を掴まれ、上がる小さな悲鳴。
かくして、僕は逆らうという発想を根こそぎ奪われてしまったのだった。
◇ ◆ ◇
「――でさぁ、私がそれは後で使う人のためにすることだよって注意したらね? 『後で使う人が気になるんだったらその人が拭けばいいだろ』って言うの。結局、彼にとっては洋式便座がどれだけ不特定多数の尻に触れているかなんてどうでもいいのよ!」
「何の話なんですかそれ」
それこそどうでもいい話を聞かされて、僕の心は間もなく息を引き取りそうであった。
女子会と称して集まった女性陣四人のうち、初対面の二人はバンド関係の人間だった。その一方がこの、僕にひたすら彼の話を聞かせてくる女性、シマネさんだ。
シマネさんは『ザ・チョークスリーパーズ』(何度聞いてもダサいバンド名だ)のベース担当で、またサブリーダーでもあるという。僕と同じ歳だそうだが、隠し切れない苦労人気質が僕に敬語を選択させた。
その彼女がどうしてか、僕にばかり愚痴をこぼしてくるのだ。主に彼――バンドリーダーのナガサキについての話である。
「本当にいつまでたっても子どもみたいなのよ彼。昔はお兄ちゃんだと思って慕ってたのに、気づいたら私が面倒を見るみたいになって」
「そうなんですね」
「そーなの! もう、私はお母さんじゃないっての……ひっく」
アルコールのにおいが鼻を突いた。いつの間に飲んだんだこの人。
シマネさんがしゃっくりをした拍子に、手に持っていた缶チューハイがこぼれて服にかかった。着ていたブラウスが透けて、妙に艶っぽい。女性的な曲線が目に毒だった。
咄嗟に背を向けて視線を逸らすが、なぜかシマネさんは僕の背中に身体を寄せてきた。
「ふふっ、可愛い反応するのね。彼とは違ってシンセン」
「あ、あたってます、当たってますから」
「何が当たってるのかしらねぇ。なんて言いつつ、わざとなんだけど」
「シマネさん」
凛とした、女性にしては低めの声が向かいの席から制止する。
もう一人のバンド関係者。彼女はユウと名乗っていた。司から連絡を受けたところによると、ユウはシマネさんの抑止役として声を掛けたのだそう。
「そのあたりで止めてください」
「う、うん、わかったー」
途端に縮こまるシマネさん。その様子を確かめた末、小さく吐息を漏らすユウ。
「すみません遥斗さん。ご迷惑を」
「……助かったよ」
司の言う通り、確かに彼女は抑止力としてこの上ない特効性を発揮していた。ただバンドとどう関わっているかなどの情報が少なく、やや近寄りがたさもあってミステリアスな雰囲気を帯びていた。
だが何よりも目を引くのは彼女の容貌。中性的でむしろ美少年然とした顔立ちは男の僕でも見惚れるほどで、それでいてきちんと女性的な可愛らしさも備えている。言ってしまえば憂月と出会ったときと同等の衝撃を僕は受けていた。
そんなユウと憂月に挟まれた位置に座っている沙智。さすがに可哀想だと思った。
「なによ遥斗兄さん。文句あるの?」
「まだ何も言ってない」
「頼まれても譲らないからね。美少女二人に挟まれた、この席は!」
そういえば沙智はそういうキャラになったのだった。心配して非常に損した気分だ。
女子会は特に問題が起こることもなく進んでいる。とは言っても小規模な会食に過ぎないので特に段取りは存在しない。先に作っておいた大盛りのサラダに手をつけつつ、単に取り留めのない会話をするだけだった。
ただし憂月の猛烈な希望により、初夏だというのに寄せ鍋をすることは決まっている。前々から憧れていたらしい『友達と鍋を囲む』が実現することに感無量な様子の憂月を、僕は何となく笑ってやることもできないでいた。
僕が憂月に訊けないでいることは、裏側の目的についてだけではない。
彼女は身体に多くの欠陥を持っている。それは既に摘出したという右の眼球に始まり、代替品で補っている臓器が在るということも、あの院内で噂として耳に入っていた。
だがそうなった理由を、僕は知らない。当然直接訊くべきことでないとはわかっているが、彼女の過去と裏側の目的に何の関連性もないとも思えなかった。果たしてそこまで暴く必要があるかどうかは、まだ決心がついていない。
ひとまず今は沙智の計画に従おう。そう考え、僕は決定を先送りにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます