第4話 幸福な結末


「外に出たい」


 年内最後の面会日。千世は拗ねた子どもみたいに呟いた。


「こんなにつまらない年の瀬は初めてだわ。病院のベッドでじっとしてなくちゃいけないなんて、ストレスでどうにかなりそうよ」


 相当心が荒んでいるらしい。この前病棟で行われていたクリスマスパーティも、イベント好きな千世が珍しく消極的だった。


「遥斗、ねえ遥斗。私、いますっごく不機嫌なの」

「お察しします」

「だから話をしてほしいの。ウミガメのスープみたいなのがいいわ」


 あれはかなり暗い結末の話だ。千世が聞きたいのは暗い物語ではなく、簡素な物語からその事情や経緯を推理する、いわゆる水平思考パズルなのだと察した。


 ともあれ千世直々の指令だ。期待には応えたい。記憶の隅を突っついて、なんとかひねり出した光景について語ることにする。


「夏のことです。僕の住んでいるアパートの最寄り駅で、アコースティックギターの弾き語りをしている少年がいました。週に一度か二度は遭遇したので他に用がないときは立ち止まって聴いたりしていたのですが」


 一旦言葉を切って千世を見る。どこからか取り出したメモ帳と筆記具を持ち、真剣な面持ちで耳を澄ませている。


「――最近はめっきり見かけなくなりました。なんででしょう」


 少しの沈黙が流れた。千世はしばらく表情を崩さなかったが、数秒経ってから呆気にとられたような顔になった。


「それで終わり?」

「はい」


 水平思考パズルとはそういうものだったはずだが、違っただろうか。期待にそえなかった罪悪感が内心で芽生え始める。


「うーん、まさか遥斗の口からそんなに難しい問題が出てくるとは思わなかったわ」


 どうやら簡単な問題にしてほしかったらしい。わがままな人だ。


「実を言うとこれは、問題というより僕自身の疑問なんです。どうして彼は弾き語りをやめてしまったのだろう。その理由として考え得るものを並べて、納得したいだけです」

「じゃあ答えはないってことなのね? クイズにならないじゃない」

「僕が頼まれたのはウミガメのスープみたいなお話なので」

「へりくつ」


 口を尖らせる千世だったが、機嫌は上々のようだ。さっきよりも表情が明るい。


「じゃあ一緒に考えましょ。できれば幸いなストーリーがいいわね」

「そういう前向きなところは見習いたいです」

「ふふん、他のところも見習っていいのよ」 


 なんというか、三つ年上とは思えないくらいおだてやすい人だ。




 それから千世は色んな視点からの推測を並べて、謎を解き明かそうとした。僕は相槌を打ちながら、それは考えにくい、それは突拍子なさすぎる、というふうに推論の修正を求めた。


 糸を編むようにして整合性を見直した末、やっと答えらしい答えが出た。


「――つまり、その弾き語りの少年は大手音楽プロダクションにスカウトされて、デビューが決まった。でも事務所との契約で営利にならない音楽活動を制限された。現在はデビューをするための準備期間だから、彼の演奏を聴く機会はない。そういうことですか?」

「そういうことです」


 自信満々に頷く千世の短い髪が揺れる。


「彼の演奏はすごい上手だったんでしょう? なら業界が放っておくはずがない」

「だったらいいですね」


 明るい結末を信じて疑わない千世を、心から羨ましく思った。


 僕には想像できない。この眼がある限り、決して。


「でもそれって本当に幸いなことでしょうか」


 意地悪く、僕は水を注した。


「どういう意味?」

「彼はプロデビューがしたいんじゃなくて、弾き語りがしたいのかもしれない」

「だとしたら勧誘されても断っているわよ」

「金銭に困っていて、デビューせざるを得ない状況だったとしたら」

「諸々の問題があったとして、それが解決するなら幸いなのではないかしら」

「……そうですね」


 一定の論理性を得た結末は簡単には揺るがない。レンガの上に水を垂らしたって、染みさえ残さず蒸発するだけだ。


 代わりにやるせなさが残った。どうして千世は病棟から出られないのか。どうして僕には明るい結末が想像できないのか。嘆いたってどうにもならないのに、それらを割り切れるほどの強さを僕は持っていない。


 視線を落とした先に、薄い字で書き連ねられたメモが並んでいた。


「遥斗は、他人の幸せな話が嫌いなの?」


 千世の問いに、僕は首を横に振る。


「嫌いじゃないです。でも、好きにもなれなさそうです」

「あら正直」

「嘘をつけるほど器用じゃないだけですよ。千世への敬語だっていまだに抜けませんし」

「私は遥斗の敬語を聞くと和むわ」

「……千世には敵いません」


 顔を上げると、千世はひまわりみたいに笑っていた。か細い腕がまっすぐに伸びて、延長線上にある僕の頭を撫でるように手のひらが動く。


「当たり前よ。私は貴方のお姉さんで、恋人なんだから」


 手を引っ込めて、照れくさそうに爪の先で頬を掻く千世。その一連の動作がどうしようもなく愛おしくて、彼女に触れたくてたまらなくなった。


 僕には千世がいるだけでいい。


 彼女が導き出した幸福な結末だけが、僕の納得できる唯一の答えだ。



   ◇ ◆ ◇



 千世の病室に向かうよりも前、僕は千世の担当医と面談していた。


 五十は過ぎていると思われる皺の刻まれた顔は、いかにも医師らしい風貌だ。この病院のなかではキャリアのある人なのだそうで、千世も彼を相応に信頼していた。


 そんな医師から聞かされる内容はいつも同じで、気休めにもならない励ましを坦々と述べるのみだった。


 病気自体はありふれたものだが即効性のある治療法が確立されていない。療養し、体調を整え、治りたいという意思を持てば自然とよくなる。患者に必要なのは心身の支えになる存在だ。それはあなたにしかできないことだ――


 何か隠している口調だ、と思った。


 本当のところ、医師も困惑しているのだろう。病気に関しては病名を聞いた次の日から調べられる限り調べてみたけれど、命に関わる事例は極端に少なかった。専門知識を持たない僕ですら千世の病態はやや不自然に感じられた。


 千世の身内である僕に言えないことがあるのか。だとしたらそれは何だ?


 病院側の都合? 医師の勝手な配慮? 僕が、本当の肉親ではないから?


 なんにせよ僕は蚊帳の外だ。告げるべき立場の相手だと見做されていない。こんなにも自分の無力を噛み締められる事実はなかった。




 脳裏に千世の今際の際がちらつく。


 死神の影が少し大きくなっていた。

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