第7話 友だちになりかけたあの子

「骨折した子の名前は、桐原駒子。常翔中学校の一年生で、陽真と亮とはおなじクラスね」


 シルフィの言葉に、「うん」と陽真は相槌を打つ。


「確かに桐原さんの家は、ここからすぐ近くだね」


 陽真の言葉に、亮がぱちぱちと目をしばたたいた。


「片桐、桐原の家を知ってたのか? 実は仲が良かったりする?」

「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」


 実は陽真は、駒子とはちょっとだけ、小学生のときに友だちになりかけたことがあるのだ。

 なにを隠そう、陽真も三歳のときからピアノを習っていた。

 それも、駒子とおなじピアノ教室だった。

 陽真も駒子も個別レッスンではなく、みんなの前でレッスンをするコースだったから、お互い顔見知りだった。


 陽真はちいさなころから引っ込み思案だったし、駒子はすでにたくさんの友だちがいて、ピアノ教室でも人気者だった。

 自分とは違う世界の人だな、となんとなく思っていたし、ピアノ教室が終わるとどこにも寄り道をせずに帰ってしまっていたから、陽真と駒子は話す機会がなかった。

 だけど、小学校五年生のとき。

 帰り支度をしていた陽真は、突然声をかけられた。


「もうすぐ合唱コンクールだね」

「えっ……?」


 驚いて振り向くと、駒子がにこにこと立っていた。

 あの人気者の駒子がわたしに話しかけてくれている……!

 ちょっと興奮気味に、陽真はうなずいた。


「う、うん……わたし音楽の授業も好きだから、合唱コンクールけっこう楽しみかな」


 陽真としてはかなりがんばって答えた返事だ。

 駒子はうれしそうに目を輝かせた。


「わたし、ずっと片桐さんと話してみたかったの」

「え……ど、どうして?」

「だって片桐さんのピアノ、わたし大好きなんだもん! 優しい音色でころころ粒が転がっていくようで、聞いててきもちがいい!」


 そんなふうに褒められたのは初めてで、陽真は一気にうれしくなった。

 だからいままで思っていたことを、言うことができた。


「わたしもっ……わたしも桐原さんのピアノ、好き……! 大胆で、華やかで……演奏家向きって先生がよく褒めてるの、すごくわかる気がする……!」

「ありがとう!」


 駒子もうれしそうに笑った。

 それから駒子は、毎回話しかけてくるようになった。

 帰り道は、駒子はたくさんの友だちと帰るから別々だったけれど、学校でもおなじクラスだからか、話しかけてくるようにもなった。


「いままでも話しかけようと思ってたんだけど、片桐さん、なんだかひとりになりたそうにいつもすぐに帰っちゃうから、迷惑かなって思ってて……思い切って話しかけてよかった!」


 駒子はそんなふうに言ってくれた。

 ピアノ教室で人気者の駒子は、当然のように学校でも人気者で。


「どうして桐原さんと片桐さんが一緒に話してるの?」

「おなじピアノ教室だからじゃない?」


 こそこそとそんなことを話している女子生徒もいた。

 陽真がそのことで怯えると、駒子は、


「陰口なんか気にしないで。わたしは気にしないよ」


 と、頼もしく言ってくれた。

 もしかして、桐原さんと友だちになれるかもしれない。

 そう思った矢先のことだった。


 合唱コンクールの伴奏に、陽真が選ばれたのだ。

 合唱コンクールは学年ごと、クラス対抗で開催される。

 当然、ピアノ伴奏は一クラスひとりということになる。

 陽真が選ばれたということは、駒子は先生の選考に「落ちた」ということになる。


 ピアノ伴奏を先生が発表したとき、陽真は青ざめた。

 本来なら喜ぶべきところなのだが、駒子だって伴奏をやりたかったはずだ。それは「ピアノ伴奏は陽真か? 駒子か?」とクラス中が噂にするほど注目されていたことでもあった。

 朝の会で先生がピアノ伴奏の発表をしたあと休み時間に入ると、とたんにクラス中がざわめきだした。


「片桐さんがピアノ伴奏なんて、ちょっと実力不足じゃない?」

「桐原さんがこのことを知ったら、かわいそう!」

「でもこれで桐原さん、片桐さんから離れるよね。だってショックだもんね」

「片桐さん、最近調子に乗ってたからちょうどいいんじゃない?」


 そんな意地悪を言う子も中にはいた。

 そう。この日ちょうど駒子は風邪のため欠席していた。

 でも、すぐにピアノ伴奏のことは駒子の耳に入るだろう。

 陽真はその日の放課後、先生のところに行って、こう言った。


「わたしをピアノ伴奏から外してください! わたし、ピアノやめるんです! もうピアノを弾くのがつらくて仕方がないんです!」


 いつものおとなしい陽真からしたらかなりの勢いだったから、先生はびっくりしたようだった。

 陽真の言ったことは、本当だった。

 今回のことで、ピアノを弾くのが恐くなってしまった。

 人の妬みやそういうことが、友だちになりかけていたことすら簡単に壊してしまう。

 だったら、ピアノなんかやめてしまいたい。

 自分に得意なことなんか、なくてもいい。


 先生は慎重に、


「本当につらいのね? やめてしまってもいいのね?」


 と念を押してきたけれど、陽真の気持ちは変わらなかった。


 つらそうな陽真の顔を見て、先生もなにかを察したのかもしれない。

 すぐにピアノ伴奏の変更を生徒たちに伝えた。

 結果、駒子がピアノ伴奏になって、陽真はほっとしたものだ。

 それから翌日、駒子が学校にきて陽真のところに話しかけにこようとしても、陽真は先手を打って逃げていた。

 ピアノ教室も本当にすぐにやめた。

 まもなくして、駒子も陽真に話しかけようとはしなくなった。


 それから一ヵ月ほどもすると、クラスの女子生徒たちも、陽真と駒子のことは気にしなくなっているようだった。

 陽真だって友だちのひとりくらいはいたから、毎日その子と過ごすようにしていた。

 その子とは、中学が別になってしまったけれど──。


 陽真は、駒子のことを嫌いになったわけではない。

 ただ、あのときのようにならないよう、距離を置いているだけだ。

 自分に話しかけてきてくれたときの喜びや、一緒に話していたときの楽しさは、忘れたことがない。


 駒子が指のことで落ち込んでいるのなら、自分がなんとかしてあげたい──。

 強く、そう思った。

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