第24話


 旅の準備は整った。

 旅立ちの朝はすがすがしい天気だった。

 シルヴァーンの話では、ミラを探して一座の者が森の近くをうろついているのだという。

「もっともミラを探しているというよりは、ミラの屍を探しているのだ。この付近では、屍の近くに水晶が見つかる……という言い伝えだからな」

 エルヴィルが笑いながら付け足す。シルヴァーンがきつい目で睨んだ。

「しつこいうえに、低俗なヤツラだ」

 純血種らしい冷たい光が目に宿った。

 一座の者が低俗なのは生活がすさんでいるからなのだ。そう思ったとたん、シルヴァーンは反論した。

「違う、ミラ。生活だけが人を低俗にするのではない。生き方や考え方、それに……確かに血がそうさせる」

 彼は、心の一番上まで達して言葉になりかけた想いならば、すべて読んでしまう。

 しかし、今、そんな言葉を聞きたいのではない。

 いくな! と言ってほしかった。それは無理だと知っているから、せめて優しくしてほしかった。

「まぁ、避けて見つからないようにするさ」

 エルヴィルの言葉を、シルヴァーンはすっかり無視した。

「ヤツラにはミラを絶対に渡したくはない。出かけてくる」

 村はずれ、森はずれまで送ってはくれないのか? 別れを惜しんでもくれないのか?

 ミラは泣きたい気持ちになり、すがるような目でシルヴァーンを見つめた。

 彼の目は狩人の瞳だ。ミラは不安になる。

 一座での辛い思い出を、ミラはほとんど語ったことはない。しかし、シルヴァーンは、ミラに対する彼らの行いを察しているのか、彼らを非常に憎んでいた。何をするのかわからないほどに。

「……殺すわけではありません」

 ミラの心を読んで、シルヴァーンは冷めた声で答えた。

 純血種とは、そういうものなのだ。すべて心の内を読まれてしまう。


 ――なのになぜ、一番大事なことを読み取ってはくれないのだろう?


 冷たい瞳のまま、シルヴァーンは身を翻して森の中に消えた。



 さほど時をおかずして、ミラとエルヴィルは村を後にした。

 ミラはエルヴィルの数歩あとをよろよろと歩いた。

 小さなグリンティアが、足が不自由な時に使っていた杖をくれた。それを支えにしてやっと歩いている有様で、何度もエルヴィルが立ち止まってくれた。

「ミラ、元気を出せ。男はこの世に星の数さ。おまえはきれいだし、よりどりみどりだ」

「よして!」

 エルヴィルが気を使っているのはわかる。だが、無神経だ。

 彼は、足が止まってしまったミラのもとまで来ると、ぽんと肩を叩いた。この男は、力の加減を知らない。ミラは痛さに顔をゆがめた。

「あれは、おまえとの別れが辛いのだ。おまえが森を出る瞬間を見たくはないから、あのような態度をとってしまうんだろうな」

 やはり無神経だ。いや、たぶん何を言われても、今のミラには慰めにはならない。

「わからない……。何であの人と離れなければならないの? 何で?」

 涙が止まらなくなる。

 そう……別れる必要なんてない。夢を捨てる必要なんてない。

 せめてもう一度、シルヴァーンに聞いてみたい。

 勇気を出して、外の世界で生きてみよう、ともに森を出ないか? と。

「馬鹿な!」

 短くエルヴィルが怒鳴った。ミラの心を読んだに違いない。

「おまえは、さらにあれの心を惑わすつもりか? あれがどんな気持ちで、おまえを私にゆだねようとしたのか、わからないのか?」

 わからない……。

 声にならなくても、エルヴィルには届いてしまう。エルヴィルは少し困った顔をして、さらに諭した。

「おまえは……本当にわかってはいないな。あれは、おまえのためにかなり危険な道を歩んできたのだぞ?」 

 それを言うのなら、一族の犠牲になってきたというべきだ。

 彼には彼の生き方があったはずだ。彼の犠牲のもと、のびのび生きてきたエルヴィルに何がわかるというのだろう?


 何か、方法があるはずだ。


 ちくりと胸が痛んだ。

 この心臓はすでに一度止まってしまった。今の命は、シルヴァーンが与えてくれたもの。ならば、彼のために目をつぶって生きたってかまわない。

 あの人を愛している。

 二人、ともになくして、何が自由だというのだろう? 愛し合う自由のためならば、どのような犠牲だって払える。

 心臓を捧げて見出した愛だ。足だって手だって、捧げられるものはすべて捧げてもいい。

 心無くして、不自由と束縛に身をゆだねて生きてもかまわない。

 何か方法はある。ともに歩める道はあるはずだ。

「何も方法はない。せっかく助かった命だから、大切に生きるのがあれのためだ」

 再び歩き出して、軽やかにエルヴィルが話す。

「忘れることも時には大切だ。あきらめることも大事なことだ。いい思い出にすることだ。それがいい……」

 エルヴィルはミラの心を読んでいる。

「あれのためにも、おまえは外の世界で幸せになるべきだ。あれは、それを望んでいるぞ」


 そう。

 シルヴァーンは森に迷い込んだ蝶を捕まえ、そして放した。

 自由に生きよ、と。


 だが、彼はミラの足の自由を奪ったではないか? 逃げないようにしたではないか?

 それは、ただひとつ。ミラを側に置いておきたかったからだ。

 足が不自由でありさえすれば、グリンティアも文句は言わず、ミラを渋々認めてくれていたのだ。


 そうしてまで、一緒にいたかったからだ。


「ミラ、もう考えるな。あれは、やっと諦めたのだから」

 再びエルヴィルが言い含めるように言った。

 しかし、隙がある。

 まさかミラがそこまで大胆なことをするとは、まったく思っていなかったからだろう。

 ミラは、杖を振り上げた。

「エルヴィル」

 突然、名を呼ばれてふりむこうとしたエルヴィルの側頭に、強烈な一撃がかまされた。

「ごめんなさい!」

 ミラは叫んだ。

 そして、頭を抱え込むエルヴィルを見向きもせずに、村に向かって走り出した。

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