第21話


 指先に触れる冷たい水の感覚で、ミラは目がさめた。

 薄霧を通して日の光が柔らかくミラを照らしていた。眩しさに目をしぼませながら、ミラは寝返りをうった。

 隣には誰もいない。

 はっとして飛び起きる。自分の上に掛かっていた衣服が落ちて、寒さににあわてて服を羽織りなおす。

 何も身につけてはいなかった。

 自分の着ていた服だけではなく、さらにシルヴァーンの服までが広げて掛けてあった。ぬくもりが残っていることから、彼は側にいるのだろう。


 湖面は光の渦だった。

 柔らかな光が集められ、蓄えられたかのような輝き。ゆらゆらと光り輝く蒸気があがり、その中に人影があった。

 ミラは一瞬目がくらみ、まばたきした。何かに陽光が反射して、青く鋭い光となり、ミラの目を刺したように感じたのだ。

 再びシルヴァーンを見たとき、彼は髪をサークレットで止めているところだった。

 光の中の影は、まぶしすぎて表情までは見ることができない。しかし、髪をかきあげるほかにも、優雅に水を手ですくったりしているところを見ると、楽しんでいる様がうかがえる。

 それは踊りにも通じた美しい動きだった。

 ミラは、うっとりと魅入っていた。が、自分も砂にまみれて身を清める必要があることに気がついた。

 

 昨夜のことを思い出すと、体が熱くなる。

 激しく求めたのはミラのほうだった。答えてはくれない答えがほしくて、それが無駄だと知って忘れたくて、恥ずかしいほどに。

 髪に湖畔の砂が絡みついたままだ。たぶん、彼もそうだったのだろう、何度も二人は上下を入れ替えた。

 シルヴァーンは……あきれたのではないだろうか?

 そう心配しながらも、ミラは恐る恐る冷たい水に足を差し入れた。

 思ったよりも冷たくはなかった。むしろ、水のほうが空気よりも温かく感じる。

 ミラは思い切って、生れたままの姿で、光の湖へと入っていった。


 手で水をかくと、そこから波紋が広がった。

 光がキラキラと向こうまで広がってゆく。鏡のような水面が、ミラによって乱された。

 光の波が戻ってきた。

 波はシルヴァーンが起こしたものだった。ミラに気がついたのだろう、泳いでこちらに向かってくる。波に何度か体を愛撫されたあと、ミラは彼本人に抱きしめられた。

 光の渦の中、シルヴァーンは微笑んでいた。

 昨夜のことが、彼にとってもいい夜だったと感じて、ミラはほっとした。

 二人の抱えている難題も、光の中で忘れ去られて、今は純粋に幸せだけが満ちていた。


 二人はしばらく水遊びを楽しんだ。

 指先から跳ね上げられた水しぶきが、宝玉のように輝いては水面に落ちる。

 ミラは、手で水を避けながら声を上げた。

 仕返しを三倍にして返したが、シルヴァーンは、水しぶきをもぐって避け、そのままミラにしがみつき、水中へと引き込んだ。

 ミラはあわてて水面に浮かぼうとしたが、水中の美しさに目をとられてしまった。

 シルヴァーンの髪が水の中、ゆらゆらと漂う。銀の髪と青い世界。青い瞳。彼は、水の精ではないだろうか? などと思い込む。

 先に息がきつくなったのは、シルヴァーンのほうだった。

 水面に上がった彼は、すぐさまミラを水中から引き上げると、笑った。

「あなたは溺れるつもりだったのか?」

「引き込んだのは誰?」

 ミラも笑ってみせる。幸せだった。

 水で凍えた唇を、二人はそっと重ねた。


 朝霧はひけてきて、あたりの様子がわかるようになってきた。

 光の湖はゆっくりと鏡へと姿を変える。二人でおこしたさざなみが、ゆらゆらと静寂の木立を倒立させ、やがて静かな水面となる。

 さほど遠くない向こう岸に、何かの影がうごめいた。シルヴァーンがさっと緊張するのを感じて、ミラも岸辺に目を移した。

 再び静まった鏡の水面に、白き影。青き細剣。

 一角獣の姿だった。

「もう……怖く感じないの……」

 ミラは呟いた。だが、腕はシルヴァーンの首に回されたまま、さらに体を寄せたままだった。

「なぜ?」

「なぜって……私、わかったの。一角獣が、なぜ森の守り人と呼ばれているのかが」

 シルヴァーンが冷たい腕でミラを抱き寄せた。

「彼らはあなたの仲間なんだわ。森を守るという意味で……。森の守り人って、彼らのことじゃない。きっと、あなたの呼び名だったのね」

 そして、一角獣の手からミラを助け出したのは、まぎれもない森の守り人だった。人知れず、森に暮らす種族。一角獣と共存する人々。

 しかし、シルヴァーンはミラの言葉に答えなかった。

「さあ、もう行こう。唇が青くなっている」

 そういうと、ミラの手をひきながら、彼は岸辺に向かって泳ぎ出した。

 水面に再び波紋が広がった。

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