第18話


 その夜、にぎやかな宴が開かれた。

 いつの間にこのようにたくさんの人々が戻ってきたのだろう? ミラにはわからない。

 テーブルに飾られた蝋燭があたりの木々に反射する。幻想的な世界を作り出してはいたが、まるで今までの夢幻が嘘のように、村全体が活気に満ちている。

 今まで生活臭のない不思議な雰囲気だった村は、一気にどこにでもある普通の村に変わったのだ。

 飲み交わされているのは、この村の薬湯ではなく、ウーレンの真っ赤な果実酒だった。客人が持ち込んだものらしい。血のような液体を、冷たいグリンティアがエルヴィルのタンブラーに注いでいる。エルヴィルは恐縮したようなそぶりを大げさに見せている。

 透き通ったタンブラーに赤い光が反射して、銀色の髪を人々を染め上げいてゆく。彼らは交じり合った色をもつ、別の種族になったかのようだ。響く笑い声は、品こそ純血種のものだが、リューマ人たちの祭りの時と変わらぬたぐいのものである。

 客人の流れは、数人の女性たちに集中している。グリンティアだ。

 誰もが、グリンティアたちを敬っているらしく、小さなグリンティアさえも丁寧な挨拶を受けていた。

 それに比べて、シルヴァーンはたった一人で、末席に座っていた。声をかける者はいるが、彼は明らかにグリンティアよりも軽んじて見られている。

 それをいいことに、彼も物思いに沈んでいる。

 そして、ミラはその宴には参加していない。準備だけは手伝って、後は家にこもってしまった。


 ――私はよそ者。この宴にはふさわしくない。


 いじけているのだと自分でも思う。

 森から帰ってきたシルヴァーンをまるっきり無視して、グリンティアたちとせわしくテーブルを整えたり、料理を作ったり、走り回っていたのだ。動ける足で……。

 その姿は、間違いなくシルヴァーンを凍りつかせるものだった。彼は言葉を失い、ミラは彼に言葉を発する機会を一切与えなかった。

 時折、ちらりとシルヴァーンがこちらを見る。

 いくら夜目が利くといっても、明かりもつけない部屋からひっそりとのぞいているミラの姿など見えないだろう。

 純血種には珍しいほどの爆発したような笑い声が時々響く。

 その中で、シルヴァーンだけが浮いているのがよくわかる。彼がどれだけ心を痛めているのか、ミラも痛いほどわかるのだ。


 ――もっと傷つけばいいんだわ。

 私が傷ついたのと同じくらいに……。


 そんな気持ちで、彼を無視した。

 しかし、時間が経つにつれ、裏切られたことよりも彼の側にいられないことのほうが、ミラにとっては辛いこととなった。

 同族の中にあっても、孤独なままの彼が気になる。まるで冷たくて一人が好きなように見える彼だが、本当はどれぐらい寂しがりやで、人恋しいのか、ミラは充分に知っていた。

 ミラが側にいないあの場所は、彼にとって針のむしろだろう。

 だが、今更あの宴に交わり、彼の側へと行くわけにもいかない。


 どうして、私の足の自由を奪っていたの?

 どうして、どうして?

 考えれば考えるほど、シルヴァーンの気持ちがわからなくなる。

 そして、彼を許せなくなる。


 楽しげな音楽が聞こえる。歌だ。

 ミラは思わず耳を疑った。ミラもよく知っている流行歌だ。リュタンの切なげな音とリズムカルなタンバリンが響く。

 リューマの世界を思い出した。

 客人たちは、リューマやエーデム、ウーレンからも集まったのだろう。よく見ると、皆、それぞれに衣装が少しずつ違う。下衣の首部分に絹紐を通して絞るのは、エーデムでよく見かける格好だし、黒を好むのはウーレンっぽい。

 銀の髪とサークレット、青い瞳は一緒でも、彼らは生きている国が違うのだ。違いながらも彼らは仲間だった。

 ミラは違った。よそ者だった。

 でも、ミラはこの歌を知っていた。一座で望まれて踊ったことがある。人前で踊るのは好きではなかったが、ミラの体は知らぬ間にリズムを取っていた。

 音を通じて、彼らと共鳴できる何かがある――この歌を通じて、はじめて彼らのもとへと歩み寄ったような気がした。

 ミラはふらりと外へでて、庭の木の陰から踊る人々を見つめていた。

 小さなグリンティアは、おそらくこの歌を聴くのがはじめてなのだろう。やや調子を外しながらも、楽しそうに踊っている。

「あぁ、そうじゃない……。そこは、こう……」

 ミラは思わず囁いていた。

 そして、自分でも驚いていた。


 それは、あの一座の女の台詞ではないか?


「あぁ、そうじゃない……。そこは、こう! 呑み込みの悪い女だよ、おまえは!」

 何度やってもミラは怒られ、蹴られ、殴られた。

 でも、それは下手だったからだけではない。うまく踊れば、さらに乱暴された。

「ちょっと色が白いからって、お高くとまっているんじゃないよ! 何さ! 何も満足にできないくせにさ、主役だって? 生意気だよ!」

 本番の日に、ミラは熱を出して寝込んだ。代役はそれなりにこなしたらしいが、また迷惑を掛けてしまった。

 もう、踊りは嫌だ。お芝居も嫌。

 そう思っていたから、足が不自由でもかまわないとあきらめたのだ。シルヴァーンさえそばにいたら、足くらい不自由でも明るく生きてゆける。そう思った。

 それなのに……。

 あたりの景色がぼやけてきた。

 銀白色に輝く木の幹が、まるで蛍の光のように遊離して踊る。涙のためだった。


「何を泣いている? 踊りたければ踊れ」


 突然の声に、ミラは跳び上がらんばかりに驚いた。

 木立の影から男の姿が現われた。

 リューマ風の茶の上衣に、銀の髪をひとつに束ねたエルヴィルだった。彼は、身をかがめてタンブラーを直接地面に置いた。

 冷たい木肌に寄りかかって、酔い覚ましでもしていたのだろう、エルヴィルは、少し酒が回ったような口調だった。よろよろしながら、少し大げさに手を広げ、ミラを抱きしめようとした。

「悪ふざけは止めてください!」

 くるりと身を翻して、ミラはその抱擁を避けた。エルヴィルは、やや驚いたように目を丸くしたが、やがて細めてククク……と笑った。

「な、な、何がおかしいのよ!」

 見透かされたような気がして、ミラは顔を真っ赤にして怒った。

「リューマでみたミラは、まるで目立つのを恐れていたように踊っていた」

「何ですって?」

「今のように、優雅には舞わない」

 エルヴィルは、水色の瞳でじっとミラを見つめた。

 見つめられて、ミラはますます顔に血が上るのを感じた。

 この人は、私を知っているのか? そんな疑問が湧いてくる。外の世界を知っているならば、ミラを見かけていてもおかしくはない。だが、それは一座にすがりついて何とか生活している、惨めな存在のミラなのだ。

「おまえには、男を惑わす力がある」

 ミラの不信をこめた眼差しをものともせず、エルヴィルはあっという間にミラとの距離をつめると、両腕を取った。

 加減を知らないのだろうか? 痛いほどだ。ミラは顔をゆがめた。

「苦悩する顔も美しいな。惑わしてはいけない者まで惑わすほどに……」

 その真剣な表情に、ミラは身の危険を感じた。あわてて身を振りほどこうとしたが、無駄だった。

 突然、エルヴィルがうつむいたかと思うと、笑い出した。

 ミラの恐れおののく顔がおかしかったのだろう、やがて、顔を上げて涙を潤ませるほど、大笑いをはじめた。

 腹が立つやら、わけがわからないやらで、ミラは思わず平手を振り上げたが、エルヴィルは難なく受け止めていた。

「失礼……。誤解をさせてしまったようだ。私は、美しさにほだされるほど、愚か者ではない。ただ……」

 エルヴィルは、手を放すと広げて見せ、おどけた顔を作った。それぐらいでは、ミラの警戒心を解くことはできなかったのだが。

「ただ、あれは別だ。若くして時を終えているから、世の中を知らないのだ。美しいものには惑わされることだろうな」

 ミラは、耳ざとくその言葉を聞き取った。「あれ」とは、シルヴァーンのことを指しているに違いない。

「時? 時を終えているって、どういうこと?」

 せっかく放たれた腕なのに、今度はミラがエルヴィルを捕まえる番だった。

「すでにこの世界のものとは、考えてはいけないということだ。あれは、ただグリンティアの世界でのみ、生きている存在なのだから」

 グリンティア……その言葉を聞くと、ミラは力が萎えてくる。

 自分がけして立ち入れない世界。それは、グリンティアとシルヴァーンの世界なのだ。

「グリンティアは……あの人のなんなの?」

 聞くのも恐ろしい質問を、つい口に出すしかなかった。

 顔に上がっていた血は、一気に落ちて蒼白になり、唇が震えた。

 しかし、エルヴィルの答えはまるで簡単であっけなかった。

「グリンティア? 我がグリンティアは、この森の名前だ。そして、彼女は……」

 エルヴィルは言葉を止めた。やや、目線を動かしたかと思うと、にやりと笑う。

 ミラは、その続きが聞きたくて身を乗り出した。エルヴィルは、ミラの耳元に口を近づけると、囁くような声で言った。

「グリンティアは、我らの母だ」

「母?」

「そう、母だ。安心しただろう? さあ、踊ろう」

 まだ、何を言われたのかよくわからないミラの肩に腕が回される。混乱したまま、ミラはエルヴィルに誘われるがまま、踊りの輪の中に加わった。


 ふりむくことはなかったので、二人の背後にいた人物には気がつくことがなかった。

 たとえふりむいても、ミラには気がつかなかったかったかもしれない。エルヴィルのように夜目は利かないのだから。

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