*エーデム歴史家カエル・ベルヴィンの記述


 ムテにおける最高神官サリサ・メルの功績は、霊山をより一般化したことである。

 この時代になると、ムテでは力を持った神官が現れていない。マサ・メル時代は、その血を濃く伝えるために、巫女制度の強化と学び舎による特殊教育を生み出した。

 だが、サリサ・メルの時代は、逆の発想がなされた。すなわち、聖職者の神聖を特殊とせず、より一般人に近づけることによって、種の衰えを埋め合わせた。

 学び舎の神官課程に一般人の入学を許可したのは、最大の功績である。

 結果、神官こそ増えなかったが、一般人の祈りの力が向上し、ムテ全体の力を高めることとなった。

 また、対外的には、ウーレン本国との連携を強め、ムテの地を安定化させた。

 ウーレン王アルヴィラントによるムテの保護政策は、王の死後も引き継がれ、その後も長く続いた。最高神官の結界の存在にかかわらず、マサ・メル時代以降、ムテの地が戦乱に巻き込まれたことはない。魔の島の歴史を顧みると、奇跡ともいえる事実なのである。

 しかし、サリサ・メルの思想は、特定聖職者の特権をなくすものであり、聖職者からも一般市民の保守派からも、たびたび抵抗を受けた。そのため、制度上の改革は進んだが、保守派との兼ね合いのために、彼自身は実に保守的な最高神官を貫いた。

 サリサ・メルの勇退により、霊山は劇的に変化した。霊山の実質的な解放は、シャイン・メルにゆだねられ、行われた。

 かつてムテの自治区があったムテ霊山地方に、いまだ長命の種が平和に暮らしているのも、サリサ・メルを引き継いだシャイン・メルの功績が大きい。

 現在、かつて魔族と呼ばれた人々がその姿を留めていない時代にあって、これもまた、奇跡に等しい。


 ムテ最後の最高神官シャイン・メルの記述によると――。

 短い間ではあったが、サリサとエリザは蜜の村で充実した日々を過ごしたと思われる。

 サリサ・メルは、霊山を去って一年後、メル・ロイとなって旅立った。

 ムテの一般的な最後であり、元最高神官としての特別な葬送の儀は執り行われず、誰もがその死を知ったわけではない。実に静かな旅立ちだったという。

 マサ・メルの死の時のように、悲しみに負けて後追いするものはいなかった。ただ一人を除いては……。

 残されたエリザは、サリサが去った半年後、後を追った。蜜の村に、珍しい晩秋の雪がちらついた朝だったという。

 だが、この記述には疑問もある。

 サリサ・メル勇退から三年後、蜜の村に赴任した神官ルナス・メルの日記には、『妹』という存在が時々現れる。ルナス・メルは、サリサとエリザの唯一の子供であるはずだ。

 これはどういうことだろうか?

 もちろん、ルナスが「妹のようにかわいがっている」という意味合いで、他人である少女を妹と記述した可能性も否定できない。ルナス・メルの辺境での活躍は華々しく、多くの人々が彼を家族のように慕ったのだから。

 サリサが去って半年後、エリザが女児を出産し、その後旅立った、とも考えられる。蜜の村はエリザの故郷であり、遺児を我が子として引き取る身内もいただろう。孤児となってしまった少女でも、ルナスの日記にあるように明るく生き生きと育つ環境にあったはずだ。

 しかし、これはどう考えても、サリサとエリザが健在であり、その後、二人の間にルナスの妹に当たる子供が誕生した……と考えるほうが自然ではなかろうか?

 日記には、サリサやエリザの名は出てこない。だが、明らかにルナス・メルには良き相談相手がいたようだ。神官の相談相手になれるような存在を、辺境の地に見いだすのは難しい。

 その点からも、サリサ・メルの寿命が、勇退後たったの一年だった、という説は疑わしい。

 もしもそれが真実ではないとしたら、なぜ、シャイン・メルは歴史に偽りを残そうとしたのか?

 どうやら、そのわけは彼の時代まで激しく続いた保守派との攻防にありそうだ。

 シャイン・メルが、サリサ・メルの思想を引き継いだことを思うと、彼の記述は、保守派の目をくらますため……と考えるのは、甘いだろうか?

 最高神官シャイン・メルにとって、勇退した父が穏やかな日々を過ごしている事実は、あまり都合がよくなかった。また、サリサ・メルも、勇退後もムテに影響力を及ぼすことを望んでいなかった。

 この二人のやり方・性格を鑑みると、ありえない話ではないだろう。もちろん、この説は私の推論でしかないのだが。


 私は今、ルナス・メルの日記を研究している。

 サリサとエリザのその後については、歴史的に見ればさほど重要なことではない。だが、どうにか正史を覆すだけの証拠を、見つけ出したいと思ったのだ。それがロマンというものである。

 しかし、辺境の村のこと、時代が進んだ今となっては、なかなか日記を裏付ける資料が見つからない。そして、私自身、老齢に達し、余命わずかとなり、自らの足で調べることもかなわない。

 この後、長年携わった【銀のムテ人】にかかわる研究は後進に譲る。サリサとエリザの晩年の物語は、残念ながら皆さんの想像にまかせるしかないだろう。



 =銀のムテ人/完結=

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る