春うららかに・15


 半年前、祈りの儀式――それが始まりだった。

 だが、おそらくもっと前から、エリザの知らないところで、この計画は進んでいたのだ。


 当時、エリザは一の村の癒しの巫女として、働いていた。

 最高神官サリサ・メルとのつきあいは、エリザがラウルと暮らしていた時と変わらないほど、疎遠になっていた。

 だが、その時よりも辛く思ったのは、愛しあっていると認めていたから。そして、朝の祈りにサリサの気を感じることがなかったからである。

 かれこれ、三年になる。

 理由のひとつは、思い当たる。

 サリサは、学び舎からマヤの子シャインを呼び、霊山で修行させている。祠で朝の祈りをしているのは、彼なのだ。

 サリサは、この三年、祈っていない。

 だが、祈りの補助には入っているはず。なのに、エリザに届かない。

 祈り所の制度が変わり、お世話になった『老いた人』たちも消えた。サリサが打ち出した改革のせいなのだが、おかげで文通もままならない。

 巫女制度に始まって、学び舎、祈り所、神官制度、そして聖職者特権に至るまで、サリサの改革は進んでいる。

 彼いわく、ムテが滅びの道にあらがうたったひとつの道だと。

 その道に、恋愛は二の次なのかも知れない。エリザという存在は、邪魔なのかも知れない。


 ――あの人は立派なお仕事をしているんだから……。

 私がくよくよして、邪魔しちゃダメじゃない。


 エリザは、かつて霊山に『仕え人見習い』の肩書きで、サリサの側にいたこともあった。

 その時代が、一番幸せだった。

 常にサリサのお世話ができたし、リュシュやリールベールとも仲良く過ごしていたのだから。

 だが、一の村の神官クール・ベヌを五の村に左遷したことが、裏目に出た。

 彼は、最高神官を逆恨みして、サリサの改革を『エリザとの個人的な関係を保つため』と触れ回り、保守派勢力をまとめ上げてしまったのだ。

 二人に訪れた最大の危機。

 ちょうど、学び舎改革の成果がでるかどうかの、正念場だった。保守派勢力を丸め込むために、やむなくエリザは霊山を去った。

 別れは、痛みを伴った。

 それでも、五年後に巫女制度を利用して、再会することを約束して……。


「でも、六年後にはまた別れるのよ? 悪いことは言わない。もう諦めたほうがいいと思う」

 癒しの巫女仲間のミキアの口癖だ。

「それに、このまま改革が進めば、巫女制度だって完全になくなる。改革を押し進めたいあなたたちが、既に形骸化した巫女制度を利用するのは矛盾がありすぎる。きっと、次回以降はないわよ」

 当初、敵対していた彼女だが、結婚してからは丸くなって、エリザの親友となっていた。

 やはりサリサを愛していたミキアだったが、いい伴侶に巡り会い、幸せになったことから、エリザにも同じ道を進める。

「サリサ様は、聖職者すべてを敵に回しても今の改革を押し進めるつもりだし、保守派も自分たちの身を守るのに必死。どう考えても、あなたたちの恋は袋小路にぶち当たって、行き場がないわ」

 ミキアは、淡々と語った。

「こんな恋愛を一生続けていくなんて、不幸すぎる」

「……でも」

 エリザはうつむいた。

 この春、許可証申請の為に霊山に上がった時。

 保守派の息のかかった仕え人の目を盗んで、一瞬だけだが、サリサはエリザを抱擁した。

「信じて待って」

 という、実に短かな言葉とともに。

「ミキア、私、サリサ様を信じて待つわ」

 いつもなら、まぁ、それなら仕方がないね……というミキアだった。

 だが、今回は違った。

「うーん……。この噂、エリザの耳に入れたほうがいいのかどうか、迷ったけれど……。待つのもいいけれど、覚悟も必要だから、心を落ち着けて聞いてくれる?」

 ミキアらしくない歯切れの悪い言い方だった。

「今回の祈りの儀式だけど……。どうやら、シャイン様が行うらしいの。サリサ様は、補助の『巫女姫』の役を受け持つらしいわ。これって、どういうことかわかる?」

 エリザは目をぱちくりさせた。 

 三年前から、サリサは次期最高神官としてシャインを教育している。その実践……ということだろう。

「にしては、やり過ぎでしょ? 今や、最高神官としての仕事は、ほとんどがシャイン様がなさっている。神官たちの間では、サリサ様はもう寿命を迎えられていて、メル・ロイとなったのでは? って話なのよ」


 メル・ロイ――時に捧げられた人――つまり、ムテでは死のことだ。


「う……そ」

「あくまでも噂よ。でもね、あなたはサリサ様に会えないって、クヨクヨしてばかりで気がつかなかったかも知れないけれど、サリサ様の力は、明らかに衰えている……もしくは使っていない。だいたい、どんなに保守派の目が厳しくたって、ここまであなたに会いにこない人じゃないでしょ? 力があれば、何とでもなる。あの方は、かつて祈り所に集まった神官すべてに、暗示を掛けたこともあるんだから」

 ミキアの言葉が、右の耳から入って左に抜けた。

 信じられなくて受け止められない。

 でも、確かにつじつまのあう話だった。


 ――サリサが……消えてしまう?


「ちょっとエリザ、大丈夫? あくまでも噂なんだから、そんなに真に受けないで。ただ、そういうことだってあるわけだから、覚悟はしておいたほうがいいってこと。あなただったら、そのまま一緒に消えてしまいかねないんだもの」


 かつて、ムテを離れて旅をした時、エリザはサリサの寿命の浪費ばかり心配した。

 だが、再びムテに戻り、しかも、寿命を費やした者さえも留めておける霊山に身を置くようになって、すっかりそのことを忘れていた。

 しかし、最高神官は仕え人ではない。常に寿命を費やし続けている存在なのだ。

 霊山にあるからといって、無理をすれば寿命を浪費する。


 まさか? でも……。

 いいえ、そんな重要なことを、私に相談しないなんてありえない。

 あくまでも噂だわ。

 でも……。

 あんなに仲良くしてくれたフィニエルさえ、旅立ちは相談してくれなかった。

 サリサだって、もしかしたら……。


 そんな不安を抱きながら、エリザは『祈りの儀式』を迎えたのだった。

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