春うららかに・14



 その夜――。


 やっとサリサが目を覚ました。

 ずっと握りしめていた手が、かすかに握り返されて、その後、ゆっくりと目が開いた。

 エリザは、微笑むことができず、握られた手にすがって泣き出していた。

「ごめんね、エリザ」

 無理をしたこと? それとも、暗示をかけて押さえ込んだこと?

 いずれにしても、今のエリザには許しがたかった。


 ――これから、こんな日々を送り続けるの? いつも不安でいないとならないの?


「ごめんね、サリサ。私、我慢できない」

 エリザは、サリサにすがりつきながら、泣き叫んだ。

「何でサリサが命を削って、そんなことする必要があるのよ! 誰かがどこかで不幸になったって、それはそれで運命じゃない! 何でそこまでする必要があるのよ!」

「エリザ……」

 たしなめるような声。でも、エリザは続けた。

「ランなんていなくなってもいい! 助からなくてもよかった! 蜜の村になんか、祈りが届かなくたっていい! 流行病が流行るのも仕方がない! もうどうだっていいじゃない!」

 エリザの手を握っていた手が緩んだ。逃げるように離れていって、すっとエリザの髪を撫でた。

「でも、エリザはそう思っていない」

 ゆっくりと何度も何度も、髪を撫でる手。エリザの大好きな指。そして、声。

「エリザはランを助けるし、届かない祈りでも一生懸命祈るし、流行病を癒そうとするでしょ?」

 ぎゅっと目をつぶると、涙がにじみ出た。

 サリサの言う通りだ。エリザはそうしてしまうだろう。たとえ、自分が至らなくて、何の力がないとしても。


 エリザの夢――

 多くの人を癒してあげること。子供を助けてあげること。


 かつてのエリザは、その力を全く持っていなかった。だが、今は、癒しの巫女として、夢を叶えることができる。

「ごめんね。今のは本心から言っているんじゃない。でも、サリサを失うと思ったら、本当にそう思ってしまうの! 私、すごい勝手だと思う。でもね、でもね……」


 サリサにはその夢を一緒にはたしてほしくない。

 いや、夢なんか捨ててしまいたい。


 サリサには、エリザの夢を一瞬で叶えるほどの力がある。そして、蜜の村で一緒にエリザと歩むのが彼の夢――。

 だから、不安で不安で……不安でたまらないのだ。

「お願い! 誰も助けないで! 私、あなたを失いたくない!」

 ものすごい勝手なことだと思う。ひどい女だと思う。

 でも、これが本心だ。

「サリサ、霊山に帰りましょう? どんなに不自由だって、何だっていい! 少しでも長く、一緒にいたいの」 

「そして、あなたは……まるで仕え人のように、僕の寿命の心配ですか?」

 ため息まじりにサリサが言った。

「もう辟易へきえきです」


 ……怒らせてしまった。


 無理もない。

 エリザの訴えは、サリサの望みとは正反対のこと。

 不安に後押しされて、思わず言い過ぎてしまった。

「ご……ごめんなさい」

 エリザは頭を垂れた。

 ものすごい汚い自分を見せてしまった。

 だが、ここでぐっと我慢しても、自分に暗示をかけてみても、きっとこの不安に捕まって、耐えきれなくなる。

「でも……あの祈りの儀式の宣言が、どうしても耳に残って……」

「あれは詭弁です。真実は、あなたに語りました。信じてください」

 髪や頬を撫でる優しい指の感覚。まるで、思考が麻痺してゆくよう。

 そう。

 そして、あの日もサリサは微笑んでいて……。

「これからは、二人で楽しく過ごそうって……あなたもうなずいてくれたではありませんか」

 それで、エリザはサリサの言葉に納得させられて、この決断に賛同して……。

 でも、日に日に不安が募るばかり。


 ――納得したんじゃない! させられたんだわ!


 銀のムテ人は、暗示をかける力がある。

 サリサは、特にその業が得意だ。しかも、口も達者なのである。

「そんなの、信じられないわ! サリサはいつも詭弁ばかりじゃない! 私が傷つくと思って、嘘ばっかりつくじゃない! 今回だってそうよ! 私を言いくるめようとして!」

 エリザは、やっと不安の原因が分かった。

 サリサの言葉は、いつも耳に心地いいので、ついつい真実を覆い隠す。

「回りを言いくるめて勇退を認めさせたなんて、そんなの嘘だわ! 宣言こそが事実なんでしょう? 私を心配させないために、嘘をついているんでしょう!」

 サリサは、ベッドから身を持ち上げた。

 思いも寄らないエリザの反応に、びっくりしたに違いない。そう思うエリザ自身、実に驚いていたのだから。

「サリサ、本当のことを教えて!」

「……本当のことって? だから、あの宣言は嘘で……」

「それこそ嘘だわ!」

 エリザは泣きながら詰め寄った。

「サリサの寿命はあと一年しかない。それが、真実だわ!」

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