春うららかに・9


 引っ越しは手際よく済んだ。

 夕には新居で軽い打ち上げが行われ、午前のていたらくを埋め合わせるように、エリザは働いた。

 エオルの家に比べると狭い小さな家だ。だが、庭は広めで、薬草栽培ができる。夏になれば、楽しいパーティも開けるだろう。

 だが、今日は狭い居間で、立食だった。

 まだまだ夜は寒い季節。外は無理だ。でも、全員が座るほどの空間もない。小さな新居は、わいわいがやがやと忙しかった。

 エリザがまだなれない台所で作った料理の他、ヴィラが腕を振るった料理も運び込まれて、テーブルの上は彩りも量も味も申し分ない。お客は大満足だろう。お祝いに持ち込まれた葡萄酒が開けられ、誰もが上機嫌である。

 シェールが去ってしまったこともあり、癒しの巫女であるエリザの帰郷は大歓迎だった。まさに、故郷に錦を飾ったのだ。

 次から次へと、挨拶に来る村人たちに、エリザはにこにこ立ちふるまった。

「霊山にいた人がいるだけで、こんなに違うものなんですね」

 若い男性が、やや興奮気味に話しかけて来た。そこまで神聖視されるのは、さすがに照れる。

「癒しの巫女は、別に聖職者ではないわ。そこまでの力は……」 

「あれ? でも、朝の祈りの時、久しぶりに霊山の気を感じましたよ。なんかこう……ほっとした幸せな気分になったなぁ」

 それはエリザのせいではない。

 巫女姫時代から、エリザは祈りの力が弱かった。当然ながら、これだけ霊山から離れたところで、最高神官の祈りの気を引き寄せる媒体になるようなことはできない。

 ましてや、今朝は寝坊した。

 エリザは、慌ててサリサのほうを見た。


 ――まさか? だってサリサの力は衰えていて……。


 エリザのなじみの女性が一人、サリサに絡んでいた。

 彼女は、どうも昼間の様子から、サリサの非力ぶりにあきれ果てたようだった。

「うんもう! エリザ、本当にいいのかい? こんな軟弱な人を伴侶にして」

「え? あ、ええ……あの」

 エリザはしどろもどろになった。

 それはそうである。最高神官として、着替えすら一人でしない男が、手際よく引っ越し作業ができるはずがない。

 だが、そのご指摘はちょっとまずい。仮にも前の最高神官だ。

「エリザ、あんたがここまで面食いだとは思わなかったよ。確かにね、まぁまぁ、ホント、きれいな顔立ちで……見ているだけで引き込まれそうだよ。でもね、ここは一の村みたいな霊山の村じゃない。男は、腕っぷしが強くないとね、苦労するよ」

 男にしては細すぎる腕を捕まえられて、サリサは苦笑いしている。

「あ、あの……これから鍛えますので、よろしくお願いします」

 エリザは、はらはらした。だが、サリサの正体を知っているエオルとヴィラは、面白そうに見ているだけだ。

「でもね、鍛えるったって、今日一日でこんなにばてているようだし」

 女性は、あきれたように呟いた。

 ドキッとした。確かに、サリサは疲れているように見える。長旅と引っ越しで、疲れていないほうがおかしい。

 だが……。

 エリザは、慌ててその女性から、サリサを奪い取った。

「い、いいんです! 私、この人が好きなんですから!」

 その瞬間、あたりからどーっと冷やかしの声が上がって、エリザはすっかり舞い上がってしまった。



 立食パーティは、比較的早くお開きになるものだ。

 陽がとっぷり暮れる頃には、お客は皆、いなくなった。

 ヴィラとヴァイオラが、台所の後片付けを手伝ってくれるのに、残ったくらいだ。

 やっと終わって、お茶にしようということになり、居間に入ると。

 真新しい長椅子の上に、サリサが眠っていた。

 声を掛けかけて、エリザは押し黙ってしまった。


 まるで死んだよう……。


 思えば、あの馬車の中での眠りもそうだった。

 銀糸の髪が、床まで落ちていた。その髪の毛の一本が、かろうじて口元で揺れている。それがなければ、何一つ生を感じさせるものはない。

「……私たち……失礼するわね」

 ヴィラとヴァイオラが声を掛けるまで、エリザも硬直したようにサリサを見つめていたのである。

「あ? ええ、うん……あの、ありがとう」

 サリサを起こさないよう、小さな声でエリザはお礼を言った。そして、外まで二人を見送った。

 闇色の中、銀の影が小さくなるまで、エリザは手を振っていた。

 家の中に戻るのが怖かった。

 サリサが、消えてしまいそうで……。



 薄暗い中、そっと居間に入る。

 先ほどと何一つ変わらない姿で、長椅子に横たわるサリサを見て、エリザはほっとした。だが、同時に痛々しくも思った。

 最高神官時代、あれほどまばゆいばかりに発していた気も結界も、今のサリサにはなかった。

 あの女性が指摘したように、ちょっと非力な一人のムテ人に過ぎない。

 だが、もしも朝の祈りを引き寄せたのが、サリサだとしたら? いや、彼しかいない。

 トラン・タンは、神官代行に過ぎないし、その力はない。エリザにもそんな力はない。

 そっと長椅子の端に腰掛けて、サリサの頬に触れてみた。

 氷のように冷たく感じた。

 エリザは慌てて立ち上がった。だが、サリサがエリザの腕を掴んで、それを拒んだ。

「お、起きていたの?」

「あなたが触れたら、目覚めるように暗示をかけていましたから」

 サリサは微笑んだが、薄暗いせいか、顔色が優れないように見えた。

「今、湯たんぽを用意します」

「いらない」

「……でも」

「かわりにあなたが温めて」

 甘えた懇願。だが、有無を言わせないところがある。

 そっと腕を引き寄せられて、エリザはサリサの上に覆いかぶさった。冷たい腕に包まれて、エリザはぷるっと震えた。

 だが、間違いなく響く心臓の音。エリザは少しだけほっとした。

 こうして体の機能が低下するのは、何か大きな力を使った時である。もしくは、生きることが、すでに大きな力を浪費しているのか……。

 エリザは、ジュエルを追って旅をしていた時を思い出していた。

 あの時、サリサは頻繁にこのような状態に陥り、エリザを不安に陥れた。

 ジュエルを選ぶか、サリサを選ぶか……。

 究極の選択がエリザの前に突き付けられて、血を吐くような想いで、エリザはサリサと生きることを決断した。

 あれほどまでに大事だった子供――ジュエルを諦めて。

 だが、今、あの時と同じ決断を迫られているような気がしてならない。

「これからは、ずっと一緒にいられるね」

 満足そうな声。

 だが、エリザには、ジュエルを求めて旅立ったような、危険な旅のように思えてならない。不安がどんどん募ってくる。

 思い切って聞いてみた。

「サリサ……。今朝、霊山に向かって祈った?」

「うん? さあ……。どうだったかな?」

「ねぇ、私には正直に言ってちょうだい」

「うん……。ちょっと眠いかも?」

 まるでずるい。

 サリサは、もうすやすや眠っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る