春うららかに・7


「あ、そうそう……。来年あたりから、神官が辺境の村を掛け持ちして見ることになるよ」

 エリザの攻撃を避けるように、サリサが重大な話をしだした。エオルの顔が、急に真顔になった。

「神官が? まさか?」

 近年、神官の地位を得る者は少ない。そして、多くの神官が時を終えて旅立っている。このような霊山から離れた土地に、好き好んでくる者はあまりいないだろう。

「掛け持ちで申し訳ないんですがね。本人の希望なんです。ただ……まだ、彼は学び舎で学んでいる段階で。でも、間違いなく神官になるだけの能力はあります」

 エオルの顔がほっと緩んだ。

「よかった。シェールが二の村に帰ってしまってから、トラン・タンはすっかり元気がなくなって……。元々、神官代行で祈りに力が足りなかったけれど、すっかり萎えてしまい、引退したいと言い出してね」

 エリザは、幼い頃からお世話になってきたトラン・タンの顔を思い浮かべた。

 霊山に行くときも、祈り所から出るときも、彼がエリザを導いてくれたのだ。それに、ジュエルを連れてこの村に帰って来たときも、力になってくれた。

 確かに能力不足だろうが、彼はとても人がよくて、頼りにならないけれど、皆に慕われていた。一の村にいたクール・ベヌとは大違いだった。能力が何だ! と言いたいくらいに。

 トラン・タンのことが心配だった。もしも、シェールが二の村に帰ったことが、彼を弱らせる原因だったら、エリザにも責任がある。

 サリサは、何度もシェールに蜜の村に残るよう、手紙を出した。

 もちろん、最高神官の命令で、彼女を蜜の村に留めることも可能だったが、最終的には彼女の意思を尊重した。

「シェールとトラン・タンは、なかなかいいコンビだったんですよ。ボケと突っ込みが面白くて。でも……やはり、恋愛感情にはならなかったんでしょうね。急に、亡くなった夫の故郷でもある二の村に帰りたい……と言い出して」

 エオルは、ため息をついた。


 違うわ……と、エリザは思った。


 少しの間のつきあいだったが、シェールの印象は強くエリザに残っている。

 いきなり初対面で怒鳴られたり、鋭い冗談を飛ばして、動揺させてくれたり。

 しっかりした強い女性だった。だが、エリザはそういう女性が苦手だった。自分が弱虫なので、どうしても気後れしてしまう。

 フィニエルみたいにかわいがってもらえれば、どうにか上手くつきあっていけるかも知れないけれど……。

 でも、きっと無理だ。

 彼女は、サリサの子を産んでいる女性。しかも、サリサは彼女を母親のように頼りにしていた。ひっきりなしの文通には、妬けてしまうほどだった。

 そのような女性と、蜜の村という小さな空間で、癒しの巫女として共存してゆく自信がなかった。

 忍んでも押さえ込んでも、どうしても湧いてくる嫉妬心――きっと、男の人にはわからないに違いない。

 シェールは、おそらくそれを察したのだ。エリザとサリサの今後のために、無駄な心配の種をまかぬよう身を引いた。

 彼女がサリサをどう思っていたのかは、わからない。恋心を抱いていたかも知れないし、母親のような気持ちで思っていたのかも知れない。だが、長年サリサの気持を理解し、幸せを祈っていたのは事実だと思う。

 潔いかっこいい女性だと思う。

 でも、エリザはそんなかっこいい真似はできない。申し訳ないと思いつつ、ありがたく思っている自分がいる。


「でも、その辺境に赴任したいという変わり者の学生って……」

 エオルが不思議そうに言った。

 サリサがくすくすと笑った。

「確かに変わり者ですが……ちょっと親譲りで甘えっ子なんですよ。なんせ、五歳で母親と別れて学び舎暮らしですから。もういい大人になって、職権乱用で母親の側に行きたいなんてね」

「はぁ?」

 エオルが素っ頓狂な声をあげた。

 その子供のかわりに、エリザは真っ赤になった。

「あ、あの……。ルナスなんです。私の子の……」


 ルナス・メルは、サリサとエリザの間に生まれた唯一の子である。

 彼が生まれた頃、まだ巫女制度は厳しい掟だった。彼は、五歳で学び舎に行ってしまい、エリザとはそれっきりだった。

 エリザは、散々泣いた。だが、ここでわがままを言ったなら、サリサの改革は『個を捨てたはずの神官の身勝手』というレッテルを貼られてしまう。

 制度を変えることは、さほど難しいことではない。だが、人々の心を変えることは難しく、時間がかかった。

 しかも、その後、エリザは何度霊山に巫女姫として戻っても、次の子を産むことができなかった。

 サリサのために、率先して祈り所に籠ったことも一度、やっと巫女姫制度を壊したはずなのに、回りの危機感に押されて、サリサが新しい巫女をとったことも二度あった。そのうちの一人は、あのマヤだった。その時の苦悩の日々は、思い出したくもないほどである。

 サリサの最高神官時代……エリザにとって、まさに耐え難きを耐えた戦いの日でもあった。

 その終焉に、失った子供が戻ってくる。


「私の中では、ルナスは子供のままなの。だから、会うのが怖いわ」

 エリザは、はにかみながら言った。

「最高神官の職権でね。学び舎でルナスに会ったら……驚いてしまったよ。僕に瓜二つで。能力はシャインが引き継いだけれど、それ以外は全部ルナスが引き継いでしまったみたいだ」

 サリサは、くすくす笑いながら、親ばかぶりを発揮していた。

「それなら、何も怖がることはないわよ、エリザ。きっと頼りになると思うわ」

 サリサのグラスにワインを注ぎながら、ヴィラが言った。サリサは、それを一気に開けて、楽しそうに笑った。

「うん。……ルナスがいたら、何があってもエリザは安心だよ。僕のかわりに守ってくれると思うしね」

 エリザもニコニコ微笑んで、楽しい想像に胸を膨らませ、酒を飲んだ。

 が……。

 その時、ぷつんとエリザの中で暗示の糸が切れたのだった。

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